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カイヤとユキヤ、2人の尽きぬトークは後編へ突入。五輪出場後の気持ちの変化、他競技から自転車競技へ入っていった時の事、世界選手権や日の丸を背負うことへの想いなどを尋ねていく。

五輪後の気持ちの変化

伊豆ベロドローム、バンク内側のスペースで、2人が語らう photo: Yuichiro Hosoda

CW:新城選手は五輪出場が4回ですよね。どうですか、4回出ていると言うことは。

新城:最初何年でしたっけ?2012年か…ってことは28歳。

太田:28歳が初めてのオリンピック。僕は今25歳だから…じゃあ4回、間に合いますね、僕も(笑)。

新城:北京は若干行けそうだったけど行けなくて。その頃はまだ1年間のポイントじゃなくて、全日本の成績で決まる。全日本選手権兼オリンピック選考会だったから、そこでミスるともう出られなくなる。

太田:やばい、4回、今簡単に「じゃあ行けますね」と言ったんですけど、2回目を目指すのをためらっていた自分が言えることではなかった(笑)。やっぱりオリンピック一回一回に葛藤はあるんですか?次を目指そうか目指すまいか。

2012年、ロンドン五輪ロード代表に選ばれた新城幸也 (c)Yuko.SATO

パリオリンピックが五輪初出場となった太田海也 photo: 公益財団法人 JKA

新城:最初はどうでもよかったんです、オリンピック。ロンドンの頃は。だけどそれに出て「オリンピックって日本にとって大切なんだ。ロードレースを日本の皆さんに知ってもらうには、やっぱりオリンピックが一番近道だな」と思って、リオからはオリンピックに出たい想いが強くなった。そこからこだわっているかな、オリンピックは。

太田:最初に出た後の方が「出たい」と言う想いが強くなっているってことですか?

新城:そう。一回経験して。

CW:それまでは、やはりツール・ド・フランスこそ一番という考えだったんでしょうか。

新城:そうです。2009年ツール出て「オリンピックよりツールでしょ」と思ってましたし。で、あと、北京(2008五輪)に出れなかったからこそ、僕はたぶん2009年チームと契約できたんですよね。

その頃、オリンピック後のレース(ツール・デュ・リムザン)で僕、ステージ優勝して総合3位にもなってヨーロッパで成績上げたんで。それがなければチームに加入できなかったので、その後のフランスのチームでの活動もなかったかなと。で、その時にオリンピック出なくて良かったなと思ったけど、ロンドン出てからはそれがなくなった。

リオの時は内定を2月にもらっていて、UAEのレース(ツアー・オブ・カタール)をして、日本に帰ってきて記者会見をしてヨーロッパに飛ぶはずだったんですけど、そのレースで大腿骨を折って、松葉杖つきながら「オリンピック頑張ります」って(笑)。その時、浅田(顕)さんが監督で「新城以外いない」と言ってくれたので「頑張って直します」と言って、2月に足が折れてるのに8月に間に合わせた。

リオ五輪、集団内を走る新城幸也 (c)bettini

怪我との戦い、モチベーションの保ち方

CW:あの時はどういうトレーニングと言うか、リハビリテーションをしていましたか?

新城:もう入院は最低限です。まず手術して2日後に飛行機乗って帰ってきて、日本で一人だったんで。その日から5日間ぐらい東芝病院に入院せざるを得なくて。そこになぜ行ったかと言うと、高圧酸素(高気圧酸素治療室)があったんです。

それで彼女(美和さん)が帰ってくるまで待って、そこから後は自宅に行って、エンネ(・スポーツマッサージ)の中野(喜文)さん、穴田(悠吾)さんがずっとインディバあてて2日にいっぺんとかケアしてくれてました。あと、はらだハウスでハイチャージとアキュスコープをフルで使ってましたね。

手術室に向かう前に新城自身が携帯で撮った写真
固定のためのボルト類が手術により入れられた


CW:それはどういったものですか?

新城:ええーっと、なんだっけ(笑)

太田:ハイチャージは、えーと、ミトコンドリアが上がるんですよね、すごい、確か(二人とも曖昧な答えで一同笑)。全身に何か流すと回復が早まる。競輪選手は持ってる人が多いです。1台100万、200万する機械を使っている。でも自分は持ってないんですよ。今まで機材は何も持ってなくて、HPCJCが全部用意してくれてチームで全部やってます。(ナショナルチームを)引退したら買おうかなと思っています。

CW:骨折というと、太田選手もデビュー前にありましたね(2021年12月の全日本トラックで右鎖骨骨折)。

太田:トラック始めてから400バンクで競輪の自転車は乗ったこともあったし慣れてたんですけど、初めてここ(伊豆ベロドローム)に乗るのが、全日本選手権だったんですよ、なぜか。養成所の先生達にエントリーされていて。

今から思うとすごく良い位置取りをしていて、(バンクの位置を指しながら)ゴールがあそこで、ここら辺(2センター)まで2番手につけていて、「これ優勝できるじゃん」と思って踏み出したら、コーナーが急すぎて変な方向に一人でぶっ飛んで落車したんですよ。初めての250バンクで。その時はもう一生走りたくないと思いましたね、痛すぎて(笑)

そこからはもう呼ばれないかなと思ったんです。でもナショナルチームに入る前だったんですけど、落車した体のケアもチームで全部見てくれて。手術してプレート入れて、3日入院して、4日目から普通に動き出しました。プレートなので痛みはあるんですけど、動いても全然問題ないので、5日目からトレーニングしたのは覚えています。呼吸するだけでジンジンするし寝返りも打てないのにトレーニング。

太田海也がバンクの位置を指しながら、落車時の様子を語る photo: Yuichiro Hosoda

デビュー前に骨折した右鎖骨を押さえながら話す太田海也 photo: Yuichiro Hosoda

CW:新城選手はそういう中で、モチベーションを保つのは難しかったですか?

新城:んーなんだろう、受け入れればいいんじゃないですか。そこからもう一回積み上げればいいだけなので、いつもとやってることは一緒ですよね。オフシーズンだと思えばいいんですよ。体が0に戻ってから組み立てる、そこに治すと言うオプションが付いたぐらいに思ってみればいいと。僕はそうでしたね。いつも怪我した時は「オフシーズンからやっとまた自転車乗れるぞ」って喜びで。

太田:それいい考え方ですね。僕、鎖骨1回しか骨折してなくて、その時が初めてだったんですけども、デビュー戦に間に合わせるように早くトレーニングしたいみたいなのが強すぎて、モチベーションも落ちる事がなかった。今後怪我したらそっちのマインドでいこうと思います。もう一回積み上げればいいだけですね。

新城:積み上げるのって結構楽しくて。若い頃は寝て起きたら強くなってるけど、ある程度慣れていくと1%上げるのに結構頑張んなきゃいけない。でも怪我して0だと毎日どんどん走れるようになってくるから、楽しく強くなれるし、強くなってるのもわかる。自分で感覚的に毎日綺麗に上げていける。

「怪我は受け入れればいい。オフシーズンだと思って、そこからもう一回積み上げればいい」とポジティブに話す新城幸也 photo: Yuichiro Hosoda

CW:良いモチベーション維持の話が入ってきたのではないでしょうか。

太田:本当に。そういう考え方が全くなかった。

新城:一つずつ強くなる嬉しさを味わえますよね。

CW:そういう考えを聞いていると、今は真面目すぎる子が多いのかなと。難しく考えて「もうダメだ、潰れちゃう」みたいな人が、若い子に多いのかなと言う感じもしますけど、それとは全然違う感じですね。

新城:僕はまあ、今の若い子はいいか悪いか分かんないですけど、自分で選択をさせられてるじゃないですか。自分で選ばされてる。昔みたいに「お前これやれ!」てのが今できないじゃないですか。パワハラで。そこが昔と違う。

今、与えられる情報は全部、無言の指令ですよね、メニューとか。だから、それをできるかどうかは本人次第。人の言葉で言って出来る人と、これ(メニュー)見て出来る人っていると思うんで、若い子はどっちがいいのかなと言う、(教える側の)見極めが必要かなと。

ローイングとハンドボール、自転車競技に繋がること

CW:話は変わって、お二人とも自転車に対して別の競技から入ってきたっていう共通点があるのかなと思うのですが。

太田:はい。ローイング(旧ボート競技)やってました。ローイングの選手は結構自転車乗っていて、今、特にロード強化してて、7割ぐらいロードファンみたいな感じです。ボートだけじゃマンネリ化するんで、みんなロード大好きです。

ローイングから転向、今や世界と互角に戦うレベルとなった太田海也(写真は2024年UCIネイションズカップ第1戦男子スプリント優勝時) photo:JCF

CW:ローイング界とは今も関わりありますか?

太田:今も関わりがもちろんあって、今の後輩とかでめっちゃ強い子も出てきているので、ローイング界と自転車界がもっと繋がれば、もっと良い人材がローイング界から出てくるような感じはします。自転車とローイングってすごく似てると思っていて、特にトラックはすごい似ているんで、是非ローイングからも来てもらいたいなと思ってます。

CW:どの辺りが似ていますか?

太田:高校生だったらローイングは4分間全力で漕ぎ切る。フルスクワットを4分間全力でやり続けるみたいなことをする。心拍数180〜190くらいでハイパワーで飛ばす競技なんですよ。

そういうトレーニングを日頃からしていると、マインド的にすごい辛いものを求めるような性格になるんですよ(笑)。(ローイングでは)退屈なトレーニングをどれだけ楽しく効率良くしようか考えるオタクみたいな人が強くなっているので、自転車に移行した時、多分ずっと自転車で上がってきた人より耐える能力は強いと思います。

どんな困難に対しても、より効率よく、より上手く。そういったところがあります。あと、筋力ももちろん出来上がりました。

表彰台の裏から語る2人を臨む photo: Yuichiro Hosoda

CW:ハンドボールから自転車は、新城選手くらいですよね。

新城:そうですね、聞かないですね。ハンドボールと自転車に共通点はないんですよ。だけど視野が広くなるんですよ、ハンドボール。誰が後ろにいるか大体わかる。

僕はキーパー以外全部のポジションをやっていたんです。それで大体誰がどこの位置にいるか見えるので、じゃあ前に出る時ここをブロックして、ここへ1人入れて、次こっちへ行けばこっちをブロックして……と俯瞰的な目線になる。

自転車も駆け引きが多いので、人の顔を伺ったりして、真顔でもダメなやつはダメだとか、そういうのを見極める能力がハンドボールでついたんじゃないですかね。あとはひたすら走り回ってるので、それはやっぱりここ(心肺機能)を強化します。

新城「ハンドボールは視野が広くなる。心肺機能を強化する」 photo: Yuichiro Hosoda

ダッシュではじまった2人の自転車競技、師との出会い

CW:次に、お二人の師匠的な存在について教えてください。最初に教わった人で言うと新城選手は福島晋一さん、太田選手は藤田昌宏さん(82期、岡山)。どんなことを教わったのかなと。

太田:最初の出会いは知り合いから。僕の幼馴染の知り合いが元競輪選手で、そこで紹介してもらったのが今の僕の師匠です。現役の競輪選手でない人は師匠を出来ないので、現役の方(藤田さん)を紹介してもらいました。

その時、僕は何にもそういう世界観を知らなくて、スケボー行った後の格好で「弟子入させてください」と言ったら「お前は弟子にしない」と一回断られた後に「お前、一発どれだけできるか見せてみろ」と言われて。次の日ぐらいに神社へ連れて行かれて、途方に暮れるような長い階段を「とりあえず全力で走ってみろ、俺がいいって言うまで」と。

「ストップウォッチ持ってるけど、何これぇ?」みたいな(一同笑)。それでダッシュで上って、「結構よくやったわー、これ弟子入りさせてもらえるわ」と思ったんですけど、降りてきたら師匠がタイム見て「オッケー。1ヶ月後、このタイムがどれだけ速くなるか見ておこう。それでいいタイムが出たら弟子入りさせてやるわ」となって。

「うわー、全力で走るんじゃなかった〜。間違えた〜」と思って(一同笑)。でもそこから働きながら毎朝、階段にトレーニングしに行って、仕事終わって夜8時からまたその階段へ行って、本当に1ヶ月やり続けた。疲労で昨日より弱くなってるんじゃないかみたいなこともあって、朝から本当にもう吐くぐらいきつかった。

ストップウォッチの手振りをしながら階段ダッシュの話で笑いを誘う太田海也 photo: Yuichiro Hosoda
爆笑する新城幸也 photo: Yuichiro Hosoda


それをやりきって、師匠にもう一回見てもらった時にタイムが良くなっていて。そしたら弟子入りさせてもらえて、その後もまた1ヶ月ぐらいそのトレーニングが続いて…2ヶ月は自転車に乗らせてもらえなかったですね。師匠とのトレーニングは、そのフィジカル的な強化の部分が、印象強い。

で、ずっとその脳筋みたいなトレーニングが続くのかなと思って自転車に乗ったら、今のナショナルチームでやってるような事とあまり変わらないことをやっていました。今日はこれくらいやって疲労が溜まっているから1日休んでロード行って、次トラック乗るみたいに、しっかり考えて組み立ててくれて、プロ試験を半年後ぐらいに受けて、受かりました。

CW:新城選手はどんな風に?

新城:僕は大学受験失敗したのが始まりですかね。中・高とハンドボールやっていて、その同級生が小学校の、もう一人は中学校の、じゃあ俺は高校の先生になるからと言って、(生徒が)繰り上がりでハンドボールを教えられるなって。で、2人は受かったけど、僕は失敗して「何しようかな」と思った時に、石垣島って高校までしかない。

だから高校卒業したら大学は、沖縄(本島)や外に出なきゃいけなくて、そう考えた時に、東京行くのもフランス行くのも一緒だなと思って。石垣からしたらどっちも外国。東京も壮大で、テレビのチャンネルいくつあるんだろうって(場所)。

それでフランス行くようになったのが、福島晋一との出会いで。僕の父は趣味でロードレースもやってて、国体予選に出て。彼(福島)の両親が仕事(の転勤)で転々としていて、その時たまたま(晋一)兄ちゃんが大学の時に両親が沖縄にいて、そこへ帰ってきて国体予選に出たんですよ。その時に二人とも上りで同じ時にちぎれて前を追っかけてゴールして、(父が)「君強いね、遊びに来なよ」と言って(石垣島へ)来たのが、僕が小学校2年生…あれ、5年生だったかな?

で、次会ったのが高校3年生。ツール・ド・おきなわの後、石垣島に来てくれて一緒に走って、坂を500メートルくらいかな、思いきりダッシュしたんだけど、もちろんちぎられて。けど諦めずに最後まで走ったところに可能性を感じたらしくて、大学受験失敗したと言ったら「フランス来ないか」と誘ってくれて、そこで。

太田:そこで人生が変わったと。500メートルでわかるんですね。すごく深い500メートル。

信州大学時代の福島晋一さん (c)Makoto.AYANO
福島晋一さんも全日本ロード優勝やツアー・オブ・ジャパン総合優勝など多くの実績を残している (c)Makoto.AYANO


新城:それでフランス行きを決めて。最初はフランスに3ヶ月行って帰って来たら予備校通って、また1月の試験を受ければいいや、と思ってた。その時は選手になろうと思っていたわけじゃなく、時間もったいないから、今しか行けないから行こうと。

だって大学入ったら絶対行けないから。受験勉強いらないし、戻って半年ぐらい(勉強)やればどうにかなると思っていたら、もうそこが面白くて。そこら辺でレースしてるから、毎週。車で1時間も運転すれば絶対どこかのレース出られて、という環境だった。成績も出て。

で、ヨーロッパでは勝てなかったけど、日本に帰ってきたらバンバンレースで勝てて、いい結果が出て、どんどん楽しくなって。

あの頃、2003年ってiPhoneもなくてファックスと電話くらいで、両親の家はインターネット引いてないから、何も言わずに3ヶ月経ったけど、その1週間後にまたフランスに戻るチケットを自分で勝手に買って、石垣島に帰ってきたのにすぐ「ごめん、もう一回行ってくる」って(笑)

太田:すご!ご両親はびっくりしなかったですか?

新城:「本当に大丈夫か」と。けど4年間大学行くと思って4年間サポートしてくれと自転車選手になりたい、と。で、この生活が始まった。

新城の話に、都度驚きの表情を見せていた太田海也 photo: Yuichiro Hosoda

太田:お父さんも元々趣味でロードやってたから自転車の楽しさとか十分わかってくれる感じだったんですね。

新城:ただ、知ってるからこそ「厳しいぞ」「本当にいいのか?自転車って簡単じゃないぞ」としか言われなくて。でも良かったなと思います。

CW:お二人とも始まりはダッシュだったんですね。

新城太田:確かに(笑)ダッシュつながり。じゃあ今度からスカウトする時はダッシュさせましょうか(笑)。500mの階段ダッシュで。

新城:その頃、まだツールドフランスって知らないんです、フランス行くまでは。インターネットないし。ツールの映像を見たのは現地のテレビで初めて。今僕がやってる競技だけど、(当時は)全然違う世界だなあって。

太田:2003年…まだ僕はその頃4歳くらい。

CW:15歳差ですね。

新城:干支が1周以上回ってしまってますね。兄ちゃんとの13歳違いよりもさらに。

CW:そういえば、もうすぐ福島晋一さんが引退された歳ですね。42歳だったかな。

新城:あと2年?あと2年〜(笑)。でも兄ちゃん40歳の頃に全日本タイムトライアル勝ったんですよ。自分の唯一の取り残しがその全日本TT。日本の他のレースを全部勝って、唯一獲ってないのがそれだけ。ここ3年は全部3位。そろそろ平坦にしてくれないかな。昔ずっと平坦しかなかったのに、今ここ(日本CSC)ですから(笑)。

2010年の全日本TTをコースレコードで優勝した福島晋一さん。秋田県大潟村のフラットなソーラーカーテストコースでの勝利 photo:Kei Tsuji

世界選手権、あるいは世界への想い

CW:お二人の世界選手権への想いを伺います。もちろんオリンピックが重要というお話だったのですが、それぞれ世界にかける思いと言うのは。

新城:世界選手権、オリンピック、アジア選手権というのは、日本代表のジャージを着てるんですよね。その価値をやっぱりみんな知って欲しくて。日本を代表して走るレースは気持ちが入る。チームの看板以上に国の代表っていうのは大きいと思うんですよ。

なので、出来る限り僕は世界選に出場してます。U23から18回、エリートでは16回。(2010年)9位にも入って、すごくいい思い出があって。もちろん大変ですけど、やっぱりいいなって。世界選の走り方ってまたオリンピックと似てるんですよ。

アジア選手権2024男子ロードレースで銅メダルを獲得した新城幸也 photo:JCF

2024年、男子エリート16度目の世界選手権に臨んだ新城幸也 photo:JCF

出走人数が絞られて、各国の人数もバラバラでやる、結構その走り方が好きで。チームに入るとチームの仕事が優先になるんですが、世界選になると100%自分が好きなようにできるので、自分の年一回の力試し。自分が今、世界のどの場所にいるのかって言うのがわかる。

普通のレースでもわかりますけど、そこは同じ仕事をしてる選手と比べてなんですよ。僕はゴールを目指してレースしてるんじゃなくて、120キロ地点のここを目指してレースをしてるんです。それより出来たら、なおさら他の人があと楽だよねっていう仕事。

でも、世界選では最後までゴールを狙って走るんで、今の自分が世界のどこにいるか見えるのは、僕にとっては1年間の楽しみ、モチベーションです。

太田:僕は世界選手権に今まで3回出場していて、やっぱり自分が憧れてる選手、強くてかっこいいな、走り方がいいなって思う選手が全員レインボージャージを着ています。

世界選手権でしかアルカンシェルはもらえないので特別な想いで走っていて、今まではまず世界選のメダルが目標にあって、この前(銅)メダルを獲得した。でも同じチームの山崎賢人さんが金メダルを取ったので、嬉しいと言う気持ちは今全くなくて、悔しいとか「日本人で初めて着るのが僕じゃない」って言うジェラシーがある大会の一つです。このすごくモヤモヤした感覚があるからこそ、もっと強くなっていけると思う。

そして、そういう風にみんなが(アルカンシェルを)目指して、選手一人一人にいいモチベーションを与えているのが、1年に1回の世界選手権なのかなと。毎年全力で向き合っていきたいなって、今年走って思いました。

昨年のトラックネイションズカップ第1戦男子スプリント決勝で、アルカンシェルを着るハリー・ラブレイセン(オランダ)に破れた太田海也。しかし初出場で銀メダルを獲得 photo:JCF

トラック世界選手権2024、チームスプリントとスプリントで銅メダルを獲得した太田海也 photo:Satoru Kato

CW:アルカンシェルは届く位置にありますか?

太田:そうですね、チームとしては世界選手権で今回走ったメンバー全員が届く位置にあると言うのは、山崎選手も証明してくれたと思うんですけど、そこで取れる選手と取れない選手は必ず出てくる。そこで何が違うのかを自分の中でしっかり理解して、何が足りてないのかを見つけていく必要がある。そこが見つかれば、手に届く位置にあると思います。

CW:そういう意味で、最後聞きたいのですが、世界で日の丸を背負って戦っていくための心構えを。どんなことを考えているのか、プラスそれを次の世代の人たちにどう伝えていきたいのか。

新城:やっぱり代表のジャージを、みんなが着たいと思ってくれることが一番だと思うんですよね。サッカー少年が日本代表に憧れる、野球ならWBCに行きたい、あのチームに入りたいっていうのと一緒で、ロードレース、自転車もあのジャパンのジャージを着たいと思ってもらうようにする必要があるんですけど、まだそこまでいってないのかなとは思いますね。

パリ五輪代表決定時の記者会見で「日の丸を身につける五輪は特別」と語る新城幸也 photo:Satoru Kato

ロードでは、みんな個々の目標があって、ジャパンジャージを目指している子はあまり多くはないのかなと。なので、これからそういう形を作れたらなとは思います。ナショナルチームに入った方がいいとか、あのジャージを着てレース出来ることの幸せと言うか。今トラックはナショナルチームとしてしっかり動いているので、それがロードでもできればなと。

太田:単純なところで言えば、自分が世界で一番速くなりたいと思っているからこそ、日本代表に居られている。もう一つは、競輪選手をしながら日本代表を背負っているメンバーは、僕個人の思いとしては、競輪選手や日本の競輪を知ってもらいたいし、それを含めて自転車と言うもの全てを日本の子ども達に知ってもらって、もっと日本で有名なスポーツにしていきたい、みんなの手の届きやすいスポーツにしていきたい(と考えている)。

と言うことで、日の丸を背負ってかっこいい走りをして、一番強い選手であって、一番良い立ち居振る舞いをすることが、一番そこに繋がるのではないかなと。僕がチャリダーで見た新城幸也さんに憧れたように、スポーツは「カッコいいな」ってものが一番人を呼び込むと、僕は思っていて、だからこそ常に格好良くいたいと思っていますし、そういうところを意識して格好いいレースをしたいなと思っています。

太田海也には、競輪場でも多くのファンから声援が飛ぶ photo: Yuichiro Hosoda

自転車が好き!その理由は?

CW:その前提としてまず、二人とも自転車が好きだという共通点がありますよね。

新城:自転車は練習するモチベーションがないと続かないですし、それって好きじゃないとできない。気合いだけだと毎日練習できない。嫌いな練習はきついけど、好きな練習はいくらでもやりたいってなる。好きがないと、どんどん上には行けないかなって思いますね。

CW:自転車のどんなところが好きですか?

新城:いろんなことが好きですね。まず、5歳の子と80、90歳の方が一緒にできるスポーツは自転車ですよね。そんなスポーツ、なかなかないと思うんですよ。同じペース、スピードで走ることができますし、男女問わずできますし。

あと、いろんなところに連れていってくれる。海外どこでも、自転車レースがないと来ないだろう、と言うところまで行ける。自転車はいろんな人に会わせてくれて、いろんなところに繋がるんですよ。すごくいい出会いをさせてもらってます。あとは、単純に強くなっていく過程が楽しいですね。今はSTRAVAとかもあるし、成長が目に見えるのがいいです。

自転車の好きなところを嬉しそうに話す新城幸也と太田海也 photo: Yuichiro Hosoda

真剣な表情で想いを語る太田海也 photo: Yuichiro Hosoda

CW:太田選手はいかがでしょうか。

太田:自転車が好きだからこの職業を選んできたんですけど、その中でも僕はタイプ的にも速いスピードに興奮してしまうし、筋トレがまず趣味だと思っているので(笑)。

明日の朝は筋トレで、もう(自転車とは)全く別のものだけど、トラック種目ってそっちも仕事として扱ってくれるんですよ。趣味でやってるだけなのに。それも自転車に繋がるのがすごく良いと思ってます。あとはさっき新城さんに聞いた、好きじゃないと強くなっていけないと言うことを、僕も感じていて。

僕はどっちかと言うと自転車で長い距離を漕ぐのは苦手なんですけど、週に何回も嫌いな練習をいっぱいやって、それを自分で「どう工夫して、この練習を好きになるか」と考えて変えていくのが好き。それで苦手だった、嫌いだったはずの練習が、始めて3年の今はもうなくなっていて。そうしてトレーニングしていけるのも、自転車の、ハードだからこそ見つけられる魅力と言うか。そういったところも含めて、自転車がすごい好きです。

CW:お二人とも本日はありがとうございました。

対談を終え、伊豆ベロドロームのバンクを背景に記念撮影 photo: Yuichiro Hosoda



充実のボリュームとなったスペシャルな対談を終えたその日、新城幸也選手の2025年所属チームが発表。イタリアのUCIプロチーム「トスカーナファクトリー・ヴィーニファンティーニ」に所属することが告知された。来季は国内レースにも多く出場する予定だそうで、直接応援出来る機会が増えそうだ。

太田海也選手は、広島県・玉野競輪場で開催のGIII「ひろしまピースカップ」を挟み、12月28日(土)に静岡競輪場で開催されるヤンググランプリに出場。太田選手は昨年の当レースに優勝しており、連覇がかかる。ぜひ観戦に訪れ、その盛り上がりを味わってほしい。

ヤンググランプリ2023を制した太田海也 photo: More CADENCE / Shutaro Mochizuki

シクロワイアードでも次回から2編にわたり、12月28日(土)のヤンググランプリ、29日(日)のガールズグランプリ、30日(月)のKEIRINグランプリと、3日間にわたり行われる頂上決戦の模様をお送りする予定です。お楽しみに!

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提供:公益財団法人 JKA 聞き手:So Isobe text&photo: Yuichiro Hosoda