2017/06/15(木) - 12:04
私の界隈には「阿蘇ロス」というワードが、そこはかとなく強い力を秘めながら存在している。ざっくり言えば「(また阿蘇を走りたい!)、(今まで見たことない景色だった!)、(最高すぎて日常に戻れない…)」。と、こんな感じ。
ちなみに界隈というのは、主に林道だったり、未舗装路を含むアドベンチャーライドを守備範疇にしている人たち(そしてこの記事を読んでいるあなたも含まれます)のこと。もちろんその”症候群”を全国に広める上で、この地で過去数回開催されてきたライドイベントの存在は非常に大きいと言える。
ローカルライダーにコースを任せ、SLATEをお供に日本各地を走るシリーズ第4弾の舞台は、そんな風に一度訪れた人の心を鷲掴みにして離さない、熊本県は阿蘇・くじゅう周辺。案内役は福岡をベースに活動するフォトグラファーの丹野篤史さん。この地を愛してやまずに裏道まで走り尽くし、自身のブログやSNSで魅力的な写真を発表、そしてライドイベントをオーガナイズしている丹野さんにガイドの白羽の矢を立てたのは、結局のところ最高の人選だったわけである。
おなじみキャノンデール・ジャパンのカズさんと私、丹野さん、そして福岡のプロショップ、正屋の代表を務める岩崎正史さんという面々を乗せたハイエースは、朝5時に福岡市内から一路阿蘇を目指して旅立った。
「うわっめちゃくちゃ懐かしいなぁここ!高校生の時にわざわざ北海道から飛行機でレースしに来たんですよここに!」とカズさんがテンションを上げたのは、スタート地点に選んだ阿蘇郡小国町の宿泊施設、木魂館のこと。そう、この地に遊びに来る自転車乗りの定宿となっている木魂館は、かつてMTBのJシリーズが開催されていた場所として、昔からのレーサーやファンにとっては馴染みの場所。僕らの冒険は、まずすぐ裏手に残されている鉄道の廃線跡から始まることとなる。
Jシリーズのコースにもなった旧国鉄宮原線の廃線跡(googleマップにも”小国MTBコース”として載っているのでチェックすべし)だが、ちょうどこの区間はトンネルやコンクリートアーチ橋、築堤も綺麗に整備して残されているので、線路を敷設すればすぐにでも列車が走り出せそうな雰囲気すら感じる。当然鉄道跡なので急勾配もなく、走りやすいようにバラストも除去されているのでグラベルロード初心者だって問題なし。SLATEのポテンシャルは少々持て余してしまうけど、冒険ライドのウォーミングアップには絶妙だ。ちょっと時間に押されて急行列車となった4両編成のSLATEトレインは、旅情をかきたてられる廃線跡に沿って進み、丹野さんを除いて誰も知らないようなグラベルを経由して、九重連山を目指した。
一体全体、このあたりの景色をどう評したら良いのか、言葉に詰まってしまう。阿蘇外輪山を駆け上がるやまなみハイウェイを登りきったその先に、ドン!と広がった風景は、言葉でも、どんなに美しい写真でもその全てを表現するのは不可能なように思われた。
前に阿蘇山、後ろに九重山。そして丘陵地帯を縫う極上のグラベルロードを目の当たりにした時、私たちは戸惑ってしまったのか、一瞬声が出なかった。人はあまり驚いた時に声が出ないと言うけれど、それは果たして本当だったんだな、と今になって思う。一瞬溜めたあと、まずはカズさんが「うわーー!!」と爆発した。
9万年前の巨大カルデラ噴火によってできたというその地形は、小さな丘が無数に連なり、重なる稜線が特徴的。今まで自分が訪れた場所で言えば、北イタリアのトレヴィーゾや、南カリフォルニア周辺の丘陵地帯が近いような気がするけれど、毎年冬場の野焼きによってつるっと整えられた表面が、土地の表情をオンリーワンに仕上げている。よくある日本の山岳風景とも、ヨーロッパアルプスの迫力とも違う美しさがここにはある。
「この辺りはおよそ九州の人だって知らんけん、すごかろう?」と得意げな丹野さん。ええ本当に、ちょっと意識しないと言葉を発することを忘れてしまうくらいには。良い道はローカルに聞けと言うけれど、まさかここまでとは思いませんでした。昨年の熊本地震で「ラピュタの道」が崩れた後に「もう阿蘇を走れなくなってしまった」と嘆く声を目にしたことがあった。けれど、ラピュタだけがこの辺りの価値と思っているのであれば、すぐに訂正した方が良いと思う。
「この辺りは夏が一番人が来るけど、一年中いつ走りに来たって良い」と丹野さんは言う。緑濃い夏、一面黄金色にススキが輝く秋、時に雪で真っ白に、野焼きで一面黒に変わる冬、そして緑芽吹く春。阿蘇くじゅうの四季彩は、日本全国どの場所よりも劇的で、そして美しくあるそうだ。なんと豊かな土地なのか。
外輪山の内側に入り、これから麓町に向けて高度を下げようかという時に、僕たちは広大な畑いっぱいに茅を並べている風景に出会い、足を止めた。リーダー格のおばあちゃんに聞くと、何と京都奈良の文化財の茅葺き屋根に使う最高級品なんだとか。そしてその高品質を生み出すには野焼きが欠かせない、とも。「この辺りは本当に良い茅が取れるけど、まぁ重労働でねぇ。この間雨が降って湿っちゃったから乾かしてるの。今は人手が少なくて、アタシみたいなのもまだ働いてる。ところでお兄ちゃんたちどこから来たの?まだ大学生かい?」。ありがとうおばあちゃん、それはかなり前の話です(笑)。
丹野さんオススメの自然派レストラン「オルモコッピア」で、地物野菜を使ったランチに舌鼓を打った後は、いよいよ火の国熊本のシンボルたる阿蘇山にアタックすることになった。これまでの撮影が大幅に押してしまったので頂上の大観峰は諦めたものの、まぁ雰囲気を味わいに行こうぜ、と眺望の利く場所まで登っていく。
私は数年前に一度この道を訪れたことがあるのだが、ふと、その時よりも山肌が荒れていることに気づいた。聞けばこれも地震によるもので、地滑りや崩落で亀裂が生じたり、もともとあったものが広がったりしたのだという。被害を受けた道路も今は大部分が修復されたものの、路盤ごと根こそぎ流されたと判る跡があったり、まだ片側通行になっている部分も。真っ赤な火山岩が露出した地割れ部分は生傷のようにも捉えることができて、改めて自然は生きている、と思い知らされた。
まだ所々波打っていながらも、爽快な景色が続く下りを満喫すると、この日の行程の大部分は終了。だけど、僕たちには訪れておかなければいけない場所があった。それは正屋岩崎さんの提案で、以前宮澤崇史さんをゲストに開催した復興応援ツアー「La Corsa Kyusyu」でも訪れた、田んぼを貫くように現れた活断層。現地に近づくにつれてひどくなる幹線道路の歪みをいくつも、いくつも超えた先にそれはあった。
「日常の中の非日常」と言えば良いのだろうか。辺り一帯は普通の田園風景なのに、よく見ると縦横のパースが全てずれている。まっすぐだったものが、平坦だったものが微妙に歪んでいて、終始目が回っているかのような違和感を拭えなかった。日本の美しい田舎風景の中にある、生々しい被災。そのコントラストは、あまりにもくっきりと、そして鮮烈に感じた。
正直に言えば、取材前、何もできないのに現地を訪れるべきなのかと考えていた。けれど、現地でその爪痕を見ながらごうごうと轟く風に吹かれている内に「いや、来てよかったな」となり、すっと自分の中に溶け込んでいった。実際に自分の目で見て、聞いて、考えることに強い意味があるように思ったのだ。
そしてそれは、1日を通してこの地域からは、悲壮感をあまり感じなかったことも一つの要因だ。もちろん震災から1年という時の流れがあって、僕らはごく一部を見ただけに過ぎない。けれど人にも街にも、自然にも力を感じたし、そして何より、地震で噴出した温泉を利用した施設も稼働しているだなんて、何とたくましいことだろうか。
SLATEで走り、見て回った阿蘇くじゅうの印象は哀しみだけなんかじゃ決してない。常に火の山阿蘇と共にあった、強くしなやかで、美しい歴史がこの地にはある。今回のツアーで、そんな積み重ねの一部を垣間見た気がした。
ちなみに界隈というのは、主に林道だったり、未舗装路を含むアドベンチャーライドを守備範疇にしている人たち(そしてこの記事を読んでいるあなたも含まれます)のこと。もちろんその”症候群”を全国に広める上で、この地で過去数回開催されてきたライドイベントの存在は非常に大きいと言える。
ローカルライダーにコースを任せ、SLATEをお供に日本各地を走るシリーズ第4弾の舞台は、そんな風に一度訪れた人の心を鷲掴みにして離さない、熊本県は阿蘇・くじゅう周辺。案内役は福岡をベースに活動するフォトグラファーの丹野篤史さん。この地を愛してやまずに裏道まで走り尽くし、自身のブログやSNSで魅力的な写真を発表、そしてライドイベントをオーガナイズしている丹野さんにガイドの白羽の矢を立てたのは、結局のところ最高の人選だったわけである。
おなじみキャノンデール・ジャパンのカズさんと私、丹野さん、そして福岡のプロショップ、正屋の代表を務める岩崎正史さんという面々を乗せたハイエースは、朝5時に福岡市内から一路阿蘇を目指して旅立った。
「うわっめちゃくちゃ懐かしいなぁここ!高校生の時にわざわざ北海道から飛行機でレースしに来たんですよここに!」とカズさんがテンションを上げたのは、スタート地点に選んだ阿蘇郡小国町の宿泊施設、木魂館のこと。そう、この地に遊びに来る自転車乗りの定宿となっている木魂館は、かつてMTBのJシリーズが開催されていた場所として、昔からのレーサーやファンにとっては馴染みの場所。僕らの冒険は、まずすぐ裏手に残されている鉄道の廃線跡から始まることとなる。
Jシリーズのコースにもなった旧国鉄宮原線の廃線跡(googleマップにも”小国MTBコース”として載っているのでチェックすべし)だが、ちょうどこの区間はトンネルやコンクリートアーチ橋、築堤も綺麗に整備して残されているので、線路を敷設すればすぐにでも列車が走り出せそうな雰囲気すら感じる。当然鉄道跡なので急勾配もなく、走りやすいようにバラストも除去されているのでグラベルロード初心者だって問題なし。SLATEのポテンシャルは少々持て余してしまうけど、冒険ライドのウォーミングアップには絶妙だ。ちょっと時間に押されて急行列車となった4両編成のSLATEトレインは、旅情をかきたてられる廃線跡に沿って進み、丹野さんを除いて誰も知らないようなグラベルを経由して、九重連山を目指した。
一体全体、このあたりの景色をどう評したら良いのか、言葉に詰まってしまう。阿蘇外輪山を駆け上がるやまなみハイウェイを登りきったその先に、ドン!と広がった風景は、言葉でも、どんなに美しい写真でもその全てを表現するのは不可能なように思われた。
前に阿蘇山、後ろに九重山。そして丘陵地帯を縫う極上のグラベルロードを目の当たりにした時、私たちは戸惑ってしまったのか、一瞬声が出なかった。人はあまり驚いた時に声が出ないと言うけれど、それは果たして本当だったんだな、と今になって思う。一瞬溜めたあと、まずはカズさんが「うわーー!!」と爆発した。
9万年前の巨大カルデラ噴火によってできたというその地形は、小さな丘が無数に連なり、重なる稜線が特徴的。今まで自分が訪れた場所で言えば、北イタリアのトレヴィーゾや、南カリフォルニア周辺の丘陵地帯が近いような気がするけれど、毎年冬場の野焼きによってつるっと整えられた表面が、土地の表情をオンリーワンに仕上げている。よくある日本の山岳風景とも、ヨーロッパアルプスの迫力とも違う美しさがここにはある。
「この辺りはおよそ九州の人だって知らんけん、すごかろう?」と得意げな丹野さん。ええ本当に、ちょっと意識しないと言葉を発することを忘れてしまうくらいには。良い道はローカルに聞けと言うけれど、まさかここまでとは思いませんでした。昨年の熊本地震で「ラピュタの道」が崩れた後に「もう阿蘇を走れなくなってしまった」と嘆く声を目にしたことがあった。けれど、ラピュタだけがこの辺りの価値と思っているのであれば、すぐに訂正した方が良いと思う。
「この辺りは夏が一番人が来るけど、一年中いつ走りに来たって良い」と丹野さんは言う。緑濃い夏、一面黄金色にススキが輝く秋、時に雪で真っ白に、野焼きで一面黒に変わる冬、そして緑芽吹く春。阿蘇くじゅうの四季彩は、日本全国どの場所よりも劇的で、そして美しくあるそうだ。なんと豊かな土地なのか。
外輪山の内側に入り、これから麓町に向けて高度を下げようかという時に、僕たちは広大な畑いっぱいに茅を並べている風景に出会い、足を止めた。リーダー格のおばあちゃんに聞くと、何と京都奈良の文化財の茅葺き屋根に使う最高級品なんだとか。そしてその高品質を生み出すには野焼きが欠かせない、とも。「この辺りは本当に良い茅が取れるけど、まぁ重労働でねぇ。この間雨が降って湿っちゃったから乾かしてるの。今は人手が少なくて、アタシみたいなのもまだ働いてる。ところでお兄ちゃんたちどこから来たの?まだ大学生かい?」。ありがとうおばあちゃん、それはかなり前の話です(笑)。
丹野さんオススメの自然派レストラン「オルモコッピア」で、地物野菜を使ったランチに舌鼓を打った後は、いよいよ火の国熊本のシンボルたる阿蘇山にアタックすることになった。これまでの撮影が大幅に押してしまったので頂上の大観峰は諦めたものの、まぁ雰囲気を味わいに行こうぜ、と眺望の利く場所まで登っていく。
私は数年前に一度この道を訪れたことがあるのだが、ふと、その時よりも山肌が荒れていることに気づいた。聞けばこれも地震によるもので、地滑りや崩落で亀裂が生じたり、もともとあったものが広がったりしたのだという。被害を受けた道路も今は大部分が修復されたものの、路盤ごと根こそぎ流されたと判る跡があったり、まだ片側通行になっている部分も。真っ赤な火山岩が露出した地割れ部分は生傷のようにも捉えることができて、改めて自然は生きている、と思い知らされた。
まだ所々波打っていながらも、爽快な景色が続く下りを満喫すると、この日の行程の大部分は終了。だけど、僕たちには訪れておかなければいけない場所があった。それは正屋岩崎さんの提案で、以前宮澤崇史さんをゲストに開催した復興応援ツアー「La Corsa Kyusyu」でも訪れた、田んぼを貫くように現れた活断層。現地に近づくにつれてひどくなる幹線道路の歪みをいくつも、いくつも超えた先にそれはあった。
「日常の中の非日常」と言えば良いのだろうか。辺り一帯は普通の田園風景なのに、よく見ると縦横のパースが全てずれている。まっすぐだったものが、平坦だったものが微妙に歪んでいて、終始目が回っているかのような違和感を拭えなかった。日本の美しい田舎風景の中にある、生々しい被災。そのコントラストは、あまりにもくっきりと、そして鮮烈に感じた。
正直に言えば、取材前、何もできないのに現地を訪れるべきなのかと考えていた。けれど、現地でその爪痕を見ながらごうごうと轟く風に吹かれている内に「いや、来てよかったな」となり、すっと自分の中に溶け込んでいった。実際に自分の目で見て、聞いて、考えることに強い意味があるように思ったのだ。
そしてそれは、1日を通してこの地域からは、悲壮感をあまり感じなかったことも一つの要因だ。もちろん震災から1年という時の流れがあって、僕らはごく一部を見ただけに過ぎない。けれど人にも街にも、自然にも力を感じたし、そして何より、地震で噴出した温泉を利用した施設も稼働しているだなんて、何とたくましいことだろうか。
SLATEで走り、見て回った阿蘇くじゅうの印象は哀しみだけなんかじゃ決してない。常に火の山阿蘇と共にあった、強くしなやかで、美しい歴史がこの地にはある。今回のツアーで、そんな積み重ねの一部を垣間見た気がした。
今回の路面:阿蘇山の茶色い溶岩石
提供:キャノンデール・ジャパン photo:ATSUSHI TANNO-PHOTOGRAPHY text:So.Isobe