2025年での選手引退を決めた入部正太朗。NTTプロサイクリングから弱虫ペダルサイクリングチームに移籍した2021年以降を振り返り、引退を決めた経緯や今後についてオンラインで話を聞いた。前編・後編の2回にわたってお届けする。

ツール・ド・おきなわのスタート前、選手らが作った花道を通ってスタートラインにつく入部正太朗 photo:Satoru Kato
ラストレースの「ツール・ド・おきなわ」から約1ヶ月経った12月半ば、4度目のインタビューを入部正太朗に申し込んだ。そろそろ引退した実感が湧いている頃かと思いきや「それがあまり実感は無いんですよ」と言う。
「オフシーズンでレースが無いからかもしれないけれど、いつも通りな感じですね。今朝も5時半に起きてローラー回してましたし、太りたくないからランニングを始めたんです。選手やってた時はランニングなんて全く興味なかったんですけど、今までと違う運動を出来ることが嬉しくて…。
でも引退した実感ってのをあまり気にしてないってのが正解なのかな…色々やることもあって会社(シマノ)に来てるからというのもあるけど、『あぁ辞めたんだ』って想いにふけることは無いです。1年以上前に辞めることを決めていたので、心の準備が出来ていたのもあると思います。
シーズンが始まって、レースを外から見たら本格的に実感するのかもしれないですね」
入部を変えた弱虫ペダルサイクリングチームでの2年間

弱虫ペダルサイクリングチーム2022年メンバーと渡辺航監督 ©️弱虫ペダルサイクリングチーム
前回、入部正太朗にインタビューしたのは2020年末。NTTプロサイクリングチームから弱虫ペダルサイクリングチーム(以下弱虫ペダル)へ移籍が決まり、国内復帰することが発表されたタイミングだった。そのインタビューで入部は、引退を考えていたことを明かしていた。とは言え、弱虫ペダル加入を決めてからは「(引退を考えていたことを)引きずってはいなかったです」という。

2021年ツアー・オブ・ジャパン ポイント賞を獲得した川野碧己 photo:Satoru Kato 
2021年Jプロツアー第9戦では井上文成が2位表彰台に乗った photo:Satoru Kato
入部が加入した弱虫ペダルは大躍進を見せた。2021年、前年から続いていたコロナ禍の影響により国内チームのみでの開催となったツアー・オブ・ジャパンに出場。最終日の東京ステージでは後の全日本チャンピオン小林海と逃げた川野碧己が優勝し、ポイント賞ジャージを獲得。国内トップチームを相手にチーム総合6位に入った。
Jプロツアーでも勝負に絡む動きが増え、広島のレースでは井上文成が2位、入部自身も4位に入り、敢闘賞を獲得。霞ヶ浦で行われた最終戦では入部が優勝し、弱虫ペダルにJプロツアー初勝利をもたらした。

2021年Jプロツアー最終戦で優勝した入部正太朗 これが全日本チャンピオンジャージで最後の勝利となった photo:Satoru Kato

2022年Jプロツアー クラブチームとして初の経済産業大臣旗=輪翔旗を獲得した弱虫ペダルサイクリングチーム photo:Satoru Kato
翌年の2022年、Jプロツアーで最もステータスの高い「経済産業大臣旗ロードレース」では、優勝した入部を筆頭に10位以内に3名を送り込んだ弱虫ペダルが団体優勝も決め、クラブチームとして初となる真紅の輪翔旗を獲得。年間チームランキングでも愛三工業レーシングチームやチームブリヂストンサイクリングなどを抑えて2位となり、前年の4位からさらに順位を上げた。
「元々ポテンシャルの高い選手が揃っていた」と、当時の弱虫ペダルサイクリングチームについての印象を語る入部。チームの底上げを期待されて加入したとは言え、若手選手にどうやって接していくのか迷いはあったと言う。
「教えるほどの経験が自分にあると思っていなかったし、上から目線で言える立場でもないしと思っていました。逆の立場なら、たまに来てあれこれ上から言われても『なんやコイツ』って思うだろうし。だからチーム拠点のある筑波で若手選手と一緒に暮らすことにしたんです。練習以外でも同じ時間を過ごしてコミュニケーションを取ることが一番大事だと考えました」

レース現場でもチームメイトの若手選手に声をかける場面が見られた photo:Satoru Kato
練習ではポジティブな思考になれるように鼓舞しながら一緒に走り、レースでは場数を踏むことで「嗅覚」を身につけるためにチャレンジを推奨し、自分の強みを活かすスタイルを持つことが大事だと伝えた。その一方で、若手選手に対してリスペクトと学ぶ気持ちを持つことを心がけていたと言う。
「キッカケひとつあればみんな伸びるだけの力は持っていたから、やれば出来るというマインドになってもらうことを意識していました。今の若手はしっかり考えているし、いろんなことに貪欲になれるんです。自分が若い頃なんてもっと適当でしたよね。だから僕が彼らから学んだことの方が多かったくらいです」

入部正太朗の加入以降、先頭集団に弱虫ペダルサイクリングチームのメンバーが複数名乗る場面が増えた photo:Satoru Kato
これまでも若手選手メインのチームにベテラン選手が所属していた例はあったが、力の差がありすぎてベテラン選手の動きばかりが目立つことも少なくなかった。しかし弱虫ペダルは、前述の川野や井上、香山飛龍らが次々と頭角を現し、チームとしての強さを増した。
「自分の成績を出しつつも周りの選手にも成績を出してもらうにはどうするか考えた時、若手の中でベテラン選手が浮いてしまう根底にはコミュニケーション不足があると思ってます。だから筑波でメンバーと出来るだけ一緒に過ごして、リスペクトを持って接したことで少なからず彼らが心を開いてくれたところはあったと思っています。
GMの佐藤さんをはじめチームのサポート体制がしっかりしていたこともありますが、2年間積み上げたものが輪翔旗につながったので、嬉しかったですね」
異例のシマノレーシング復帰
一方で入部は、2022年シーズンの初めからシマノレーシング(以下シマノ)への復帰を考え始めていた。
「当時、弱虫ペダルの佐藤GMと『シマノに戻りたいか?』という話になって、実際に3月の播磨中央公園でのレースにシマノGMの今西さんが来ていたので、戻りたいと話をしました」

Jプロツアー2022年、南魚沼で優勝後に野寺監督と話す入部正太朗 photo:Satoru Kato
しかし、シマノは若手選手の育成を掲げるチーム。野寺秀徳監督は「入部がNTTに移籍してシマノレーシングを出た時点で、復帰は無いというのがチームとしてのスタンスだった」と話す。
(野寺監督)「だから、入部が復帰したいという話があった時は迷いました。入部が抜けたあと若手選手が育って良い形は出来ていました。でもチームをもう一歩進めようとしたときに、入部が経験してきたことを展開してくれるという期待がありました。加えて五輪を目指すという目標を持っていたので、その後ろ姿を若手に見せて欲しいと思い、復帰してもらいました」
2021年に入部を迎え入れた弱虫ペダルは、当時のプレスリリースで「入部選手の次のステップへの準備段階として」という言葉を使っていた。それもあってか、佐藤GMは入部のシマノへの復帰を後押しして送り出してくれたと言う。

Jプロツアー2023年、シマノレーシング復帰直後の5月に優勝した入部正太朗 2位には中井唯晶 photo:Satoru Kato

Jプロツアー2023年、南魚沼クリテリウムで石原悠希が優勝 photo:Satoru Kato 
Jプロツアー2023年、群馬CSC2連戦で連勝した中井唯晶 photo:Satoru Kato
そうして2023年、入部はシマノに復帰。野寺監督が期待した「チームをあと一歩前に進める」効果はすぐに出た。
シーズン序盤の5月、群馬サイクルスポーツセンターでのJプロツアーで入部の優勝をきっかけに、南魚沼クリテリウムで石原悠希、9月の群馬CSCで中井唯晶の連勝と、シマノは計4勝を挙げ、中井の年間総合優勝とチームランキング1位を決めて、2011年以来となるJプロツアーダブルタイトルを獲得した。

Jプロツアー2023年、12年ぶりに個人とチームのダブルタイトルを獲得したシマノレーシング photo:Satoru Kato
「群馬CSCでの優勝が、シマノにとって僕が2019年に全日本で優勝して以来の勝利だったみたいで、それが刺激になってチーム内に『次はオレが!』という空気が出来たと思います。それで石原や中井が勝って、あの時は強くなる時の好ループが生まれましたね。中井は勝ちグセがついてイケイケモードになっていましたね」

2025年西日本チャレンジロード レース直後の反省会 photo:Satoru Kato
チーム内での競り合いがある一方、外からみたシマノは以前に比べて和やかになったと感じられた。入部がNTTに移籍する前はピリピリとした雰囲気を感じることがあったが、復帰後のシマノからそうした雰囲気を感じることはほぼ無くなった。
「シマノ3年目あたりで最年長になってからは調子に乗りまくってましたね…自己中心的にやってたから、成績は出てはいたけれど良くない人間性を発揮しまくってチームメイトと溝が出来ていました。優勝した2019年の全日本前にもチーム内がギクシャクしていたことは以前も話しましたが、やりたい放題過ぎて人として終わってるなと反省しました。シマノを出てからはそれを戒めとして持ち続けていましたし、弱虫ペダルでの経験が無ければ今の自分は無かったと思います」
(後編につづく)
text:Satoru Kato

ラストレースの「ツール・ド・おきなわ」から約1ヶ月経った12月半ば、4度目のインタビューを入部正太朗に申し込んだ。そろそろ引退した実感が湧いている頃かと思いきや「それがあまり実感は無いんですよ」と言う。
「オフシーズンでレースが無いからかもしれないけれど、いつも通りな感じですね。今朝も5時半に起きてローラー回してましたし、太りたくないからランニングを始めたんです。選手やってた時はランニングなんて全く興味なかったんですけど、今までと違う運動を出来ることが嬉しくて…。
でも引退した実感ってのをあまり気にしてないってのが正解なのかな…色々やることもあって会社(シマノ)に来てるからというのもあるけど、『あぁ辞めたんだ』って想いにふけることは無いです。1年以上前に辞めることを決めていたので、心の準備が出来ていたのもあると思います。
シーズンが始まって、レースを外から見たら本格的に実感するのかもしれないですね」
入部を変えた弱虫ペダルサイクリングチームでの2年間

前回、入部正太朗にインタビューしたのは2020年末。NTTプロサイクリングチームから弱虫ペダルサイクリングチーム(以下弱虫ペダル)へ移籍が決まり、国内復帰することが発表されたタイミングだった。そのインタビューで入部は、引退を考えていたことを明かしていた。とは言え、弱虫ペダル加入を決めてからは「(引退を考えていたことを)引きずってはいなかったです」という。


入部が加入した弱虫ペダルは大躍進を見せた。2021年、前年から続いていたコロナ禍の影響により国内チームのみでの開催となったツアー・オブ・ジャパンに出場。最終日の東京ステージでは後の全日本チャンピオン小林海と逃げた川野碧己が優勝し、ポイント賞ジャージを獲得。国内トップチームを相手にチーム総合6位に入った。
Jプロツアーでも勝負に絡む動きが増え、広島のレースでは井上文成が2位、入部自身も4位に入り、敢闘賞を獲得。霞ヶ浦で行われた最終戦では入部が優勝し、弱虫ペダルにJプロツアー初勝利をもたらした。


翌年の2022年、Jプロツアーで最もステータスの高い「経済産業大臣旗ロードレース」では、優勝した入部を筆頭に10位以内に3名を送り込んだ弱虫ペダルが団体優勝も決め、クラブチームとして初となる真紅の輪翔旗を獲得。年間チームランキングでも愛三工業レーシングチームやチームブリヂストンサイクリングなどを抑えて2位となり、前年の4位からさらに順位を上げた。
「元々ポテンシャルの高い選手が揃っていた」と、当時の弱虫ペダルサイクリングチームについての印象を語る入部。チームの底上げを期待されて加入したとは言え、若手選手にどうやって接していくのか迷いはあったと言う。
「教えるほどの経験が自分にあると思っていなかったし、上から目線で言える立場でもないしと思っていました。逆の立場なら、たまに来てあれこれ上から言われても『なんやコイツ』って思うだろうし。だからチーム拠点のある筑波で若手選手と一緒に暮らすことにしたんです。練習以外でも同じ時間を過ごしてコミュニケーションを取ることが一番大事だと考えました」

練習ではポジティブな思考になれるように鼓舞しながら一緒に走り、レースでは場数を踏むことで「嗅覚」を身につけるためにチャレンジを推奨し、自分の強みを活かすスタイルを持つことが大事だと伝えた。その一方で、若手選手に対してリスペクトと学ぶ気持ちを持つことを心がけていたと言う。
「キッカケひとつあればみんな伸びるだけの力は持っていたから、やれば出来るというマインドになってもらうことを意識していました。今の若手はしっかり考えているし、いろんなことに貪欲になれるんです。自分が若い頃なんてもっと適当でしたよね。だから僕が彼らから学んだことの方が多かったくらいです」

これまでも若手選手メインのチームにベテラン選手が所属していた例はあったが、力の差がありすぎてベテラン選手の動きばかりが目立つことも少なくなかった。しかし弱虫ペダルは、前述の川野や井上、香山飛龍らが次々と頭角を現し、チームとしての強さを増した。
「自分の成績を出しつつも周りの選手にも成績を出してもらうにはどうするか考えた時、若手の中でベテラン選手が浮いてしまう根底にはコミュニケーション不足があると思ってます。だから筑波でメンバーと出来るだけ一緒に過ごして、リスペクトを持って接したことで少なからず彼らが心を開いてくれたところはあったと思っています。
GMの佐藤さんをはじめチームのサポート体制がしっかりしていたこともありますが、2年間積み上げたものが輪翔旗につながったので、嬉しかったですね」
異例のシマノレーシング復帰
一方で入部は、2022年シーズンの初めからシマノレーシング(以下シマノ)への復帰を考え始めていた。
「当時、弱虫ペダルの佐藤GMと『シマノに戻りたいか?』という話になって、実際に3月の播磨中央公園でのレースにシマノGMの今西さんが来ていたので、戻りたいと話をしました」

しかし、シマノは若手選手の育成を掲げるチーム。野寺秀徳監督は「入部がNTTに移籍してシマノレーシングを出た時点で、復帰は無いというのがチームとしてのスタンスだった」と話す。
(野寺監督)「だから、入部が復帰したいという話があった時は迷いました。入部が抜けたあと若手選手が育って良い形は出来ていました。でもチームをもう一歩進めようとしたときに、入部が経験してきたことを展開してくれるという期待がありました。加えて五輪を目指すという目標を持っていたので、その後ろ姿を若手に見せて欲しいと思い、復帰してもらいました」
2021年に入部を迎え入れた弱虫ペダルは、当時のプレスリリースで「入部選手の次のステップへの準備段階として」という言葉を使っていた。それもあってか、佐藤GMは入部のシマノへの復帰を後押しして送り出してくれたと言う。



そうして2023年、入部はシマノに復帰。野寺監督が期待した「チームをあと一歩前に進める」効果はすぐに出た。
シーズン序盤の5月、群馬サイクルスポーツセンターでのJプロツアーで入部の優勝をきっかけに、南魚沼クリテリウムで石原悠希、9月の群馬CSCで中井唯晶の連勝と、シマノは計4勝を挙げ、中井の年間総合優勝とチームランキング1位を決めて、2011年以来となるJプロツアーダブルタイトルを獲得した。

「群馬CSCでの優勝が、シマノにとって僕が2019年に全日本で優勝して以来の勝利だったみたいで、それが刺激になってチーム内に『次はオレが!』という空気が出来たと思います。それで石原や中井が勝って、あの時は強くなる時の好ループが生まれましたね。中井は勝ちグセがついてイケイケモードになっていましたね」

チーム内での競り合いがある一方、外からみたシマノは以前に比べて和やかになったと感じられた。入部がNTTに移籍する前はピリピリとした雰囲気を感じることがあったが、復帰後のシマノからそうした雰囲気を感じることはほぼ無くなった。
「シマノ3年目あたりで最年長になってからは調子に乗りまくってましたね…自己中心的にやってたから、成績は出てはいたけれど良くない人間性を発揮しまくってチームメイトと溝が出来ていました。優勝した2019年の全日本前にもチーム内がギクシャクしていたことは以前も話しましたが、やりたい放題過ぎて人として終わってるなと反省しました。シマノを出てからはそれを戒めとして持ち続けていましたし、弱虫ペダルでの経験が無ければ今の自分は無かったと思います」
(後編につづく)
text:Satoru Kato
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