2019年の全日本選手権で優勝し、来年NTTプロサイクリングに移籍する入部正太朗と、シマノレーシングでの成長を見守ってきた野寺監督へのインタビューを前編・後編に分けてお送りする。前編は全日本選手権をお二人に振り返ってもらい、全日本優勝までのシマノレーシングの歩みを野寺監督に語ってもらった。


入部正太朗(シマノ本社にて)入部正太朗(シマノ本社にて) photo:Satoru Kato
入部正太朗のNTTプロサイクリング(以下NTT)電撃加入発表から約2週間経った11月末、シマノレーシングの本拠地である大阪府堺市のシマノ本社を訪れた。その日は朝から雲が多く肌寒い日だったが、入部は午前中に4時間ほど走ってきたと言う。渡欧の準備に忙しくて練習する暇もないような状況を想像していたからちょっと意外に思ったが、内容を聞いて驚いた。すでにNTTのトレーナーからトレーニングメニューが送られてきて、それに従って練習しているのだという。内容はベース作りの走り込みで、「普通にキツイ」と苦笑いする。「この時期はウェイトやりたいんですけど、今までやったこと無いメニューもあり、考えてみると理にかなってるところも多くて納得できる内容ですね。」

そのNTT移籍のきっかけとなった今年の全日本選手権優勝。約半年たった今、野寺監督と共に改めて振り返ってもらった。


「全日本前は予想外のことばかり起きていた」と入部正太朗「全日本前は予想外のことばかり起きていた」と入部正太朗 photo:Satoru Kato▪️チーム内の溝と父の死を乗り越えて

全日本選手権の前、入部は公私共予期せぬ問題を抱えていた状態だった。

入部「年間通して目標としていたレースだったので、1月からしっかり準備をして6月にピークがくるように計画を立てていました。でも親父が亡くなったり、自分の人間として至らないところがあってチーム内に溝が出来てしまったり、レースでもうまくいかなくて奥さんとケンカになったりして(笑)。

幸いにも全日本前にチームのメンバーと深く話し合う機会があって、みんなが勇気を出して色々言ってくれました。それで気づけた部分が色々あって、直さなければダメだとしっかり受け止めました。そのおかげでチーム内の絆が深まり、全日本は自分1本で勝負することになりました。みんなも勝ちたい気持ちはあったと思うけれど、出し惜しみなくサポートしてくれました。だからなんとしても勝たなければならないと思って、勝つことができた。嬉しかったけれど、『みんなの気持ちに報えてよかった』という気持ちが大きかったです。」

入部の言う「チーム内の溝」は、かなり危機的な状況だったと野寺監督は振り返る。

TOJ堺ステージで応援バナーを手に記念撮影に応じる入部正太朗と木村圭佑TOJ堺ステージで応援バナーを手に記念撮影に応じる入部正太朗と木村圭佑 photo:Satoru Kato野寺「来年の東京五輪に向けての代表争いでシマノレーシングは厳しい状況にあって、一番近い入部でも代表になるのは難しい状況となっていました。それを挽回するために5月のツアー・オブ・ジャパン(以下TOJ)は入部をエースとするメンバーを発表しました。そうしたら選手から不満が漏れ伝わって、さぁどうしよう?という状況になりました。お互い話し合うのが一番だと思ってはいましたが、数日後にTOJのスタートが迫っている状況で僕から伝えるべきかと悩みました。

そうしたら、たまたま入部とある選手が話す機会があって、それがチーム全体の話し合いに及ぶという状況が生まれました。最悪の状況だと思っていたので入部に電話しなきゃと考えていましたが、後でそれを入部に話したら『電話しなくて良かったです』と言われました。本当に運が良かったです。」

同じ頃、入部は父親を亡くしていたが、最初は葬式に出ずに練習に行くつもりだったと明かす。それも含めて自分の人としての未熟さを学ぶ機会だったと入部は言う。

入部「熱くなってみんなに強く当たることもありましたし、傲慢で自己中な部分も多かった。それで今まで溝があったことに気づかず、後輩が不満を言ってくれたことろから始まって、僕の至らないところが多いなということに気づかされましたね。」



▪️過去の失敗をチームで共有して臨んだ全日本選手権

チームの危機的状況を乗り越え、全日本選手権は入部1本で勝負しようとチームの意見がまとまった。

2018年全日本選手権 メイン集団から追走に入る入部正太朗だったが、時すでに遅く・・・2018年全日本選手権 メイン集団から追走に入る入部正太朗だったが、時すでに遅く・・・ photoSo.Isobe野寺「昨年の全日本は入部が一番強かったけれど、チームの意識が分散しすぎて4位となってしまいました。入部本人も自分の力で勝つという感覚が足りない部分もあったが、支える周りも入部をサポートしつつ運が良ければ自分が勝てるかも?という思いがありました。結果は、チャレンジする場にも立てなかった。その失敗があったから、今年は入部をエースとするのが最良の選択肢だと全員が一致しました。」

前夜のミーティングで野寺監督は、具体的な作戦や警戒する選手名を挙げたりせず、過去の重大な失敗を挙げてチーム内で共有したと言う。

入部「昨年の失敗があったから、自分達が出来る状況やトラブルの対処法を共有してイメージして、後半までチームメイトが対処して僕が最後まで力を溜めて勝負に行くというくらいまでしか決めていませんでした。誰を警戒しろとか、誰が行くという話はゼロでした。」

通常は有力選手の名前を挙げて誰がマークして・・・という話をしそうだが、あえてそういう話をしなかったのは「細かく決めると選手が迷うから」と野寺監督は言う。

野寺「何通りもあるレースのパターンを完璧にミーティングで決めて自分達の思い通りに動かせるほどの力は僕らのチームには無いし、大雨で路面状況の悪かった中でレースがどのように動くかはまったく予想出来ない。まして試走も出来ずにスタートラインに立ったのだから、決めれば決めるほど意味がないし迷いが生じたと思います。

だから、選手が各々の判断でベストな動きをする必要があり、それには最大限の集中力をもって『雑にレースをするな』と言いました。そのために過去の象徴的な失敗を4、5レース並べて、どうすれば良かったかを話し合い、共有しました。それも入部が勝ったからカッコいい風に言えますけれど、負けてたら『だから作戦くらい立ててくださいよ!』って言われたでしょうけど(笑)」

入部「でもレース後に『あの時ああしておけば良かった』と後悔することをレース前にやったわけで、それが良かったと思います。」

2019年全日本選手権 シマノレーシングを先頭に各チームが整列したメイン集団2019年全日本選手権 シマノレーシングを先頭に各チームが整列したメイン集団 photo:Satoru Kato
そのミーティングの内容をしっかり遂行した象徴的なシーンが、レース中盤から始まったシマノレーシングによる集団コントロールだろう。

入部「落車とかトラブルでチャンスを無くすのは自分の悔いにもなるし、チームにとっても大きな失敗になると思っていたので、20番手以内を位置取るようにしていて、他のメンバーも集団前方に位置取るようにしていました。徳田優選手(チームブリヂストンサイクリング)が行って集団が落ち着いたところで、先頭付近にいた僕の前に何も言わずしてみんなが集まってきて、(黒枝)咲哉と中井が引き始めました。前は単独だから、無理に詰めなくても自分達のペースで150kmまで行ってくれと2人に言いました。」

冷静に状況を判断して集団コンロールを始めた選手達に対して、後方のチームカーから見守っていた野寺監督は気が気でならなかったと言う。

野寺「21周の8周目と、まだレースの半分もいってない状況だったので、あまりに早すぎると思いました。それこそ『雑に』やり始めたのではないかと。チームカーに一緒に乗っていた今西GMが『前を引くのやめさせた方がいいんじゃないか?』と言ってきました。でもしばらく見ていて、前夜のミーティングで『雑になるな』ということは共有していたはずだし、それを無視するわけがないと思いました。だから待ちましょうと。ここで指示したら彼らが迷うだろうと思ったんです。それでもヒヤヒヤしていましたけれど。」

シマノレーシングのメンバーが『雑』になっていないことは入部も感じていた。

入部「僕がコーナーのたびに前で回ろうとするから、咲哉と中井が『入部さんすぐ風に当たりに行くから・・・僕に任せてください!』と言わんばかりに前を引いてくれました。それで一列になっているから、ちょっと後ろのダンゴになってるところの方が楽かなと思ったけれど、木村(圭佑)が後ろに下がって確かめてきてくれて『後ろの方がキツいし危険だから、この位置が絶対良い』と言ってくれました。それで迷うことなくこの位置で行こうと決めました。

その時すでに5人しかいなくて、集団牽引に2人出してるから勝負の時に3人しか残らない。それでも不思議と負けてるという感じは無かったです。」

2019年全日本選手権 3人の先頭集団を新城幸也(バーレーン・メリダ)が引く2019年全日本選手権 3人の先頭集団を新城幸也(バーレーン・メリダ)が引く photo:Makoto.AYANO
入部の指示通り、150km地点となる15周目に徳田の逃げは吸収される。そして残り3周、早川朋宏(愛三工業レーシングチーム)の飛び出しをきっかけに、新城幸也(バーレーン・メリダ)、横塚浩平(チーム右京)、入部の4人が先行した。

入部「その前に10人ほどが先行していたのですが吸収して、集団が緩んだように感じたところで早川選手が1人で行きました。自分の嗅覚で『これは行けるんじゃないか』と感じ、飛びつきました。『入部さんは待ちすぎて自分の力を発揮できない時が多い。迷わずに仕掛けた時の方が力を発揮することが多い』と木村によく言われていたので、ここが行くべきところだと判断しました。その後早川選手が遅れて3人になりましたが、さっきの10人よりは良い状況だったので、腹くくって行こうと決めました。

その時、このまま3人で行けば負けても3位という気持ちが0.1%くらいあったのは確かです。でも残り99.9%は絶対負けられないという気持ちでした。どこで新城さんがペースアップしてくるかは想定済みだったので、それに対応する力と、最後に向かい風のスプリントで勝負する力と2発を残してローテーションしました。後ろの集団に湊(諒)が入ってくれたし、1分半の差がついたので、追いつかれないようにペースを維持しました。

それを当時は「三味線」って言いましたけれど、温存と言ってもギリギリの中で最後の1発を残していた状態で、あの時と同じ執念になるのは今は難しく感じています。燃え尽きたというか気が抜けたというか、それも勉強になりましたね。」

入部正太朗の勝利を喜ぶ野寺秀徳監督入部正太朗の勝利を喜ぶ野寺秀徳監督 photo:Makoto.AYANO
シマノレーシングとしては、2008年に当時現役の野寺監督が優勝して以来の全日本チャンピオンのタイトルとなったが、その野寺監督からはどう見えたのか。

野寺「僕が2度全日本で勝てたのは、誰よりも強かったからではなく、誰よりも集中していたからだと思っています。全日本のように200kmのレースで誰もが力を出し尽くすレースはめったにないから、そこで勝つためには誰よりも集中力をもっていかなければ体を研ぎ澄ますことは出来ません。

現役の時には新城選手と同じレースを何度も走りましたが、彼を1人にしたら2度と誰も追いつけない強さがあるのは十分知っています。その新城選手と入部が最後に残って、いよいよ勝利をつかむ土俵に立ったことに感動しました。勝った瞬間の喜びは僕自身が勝った時よりも大きかったです。もしかしたら監督やってるうちに全日本で優勝するなんてないんじゃないかと思うくらい、スペシャル感がすごかったですね。

自分が日本一になったことがあるから、全日本選手権は全てをそこに捧げている人間に勝って欲しいと思っています。入部はそこに立つべき人間だと思っていたし、他チームの選手でもそういう人に勝って欲しいと思っています。新城選手もその1人です。」



▪️大きな変化の中でやっとたどり着いたタイトル

日本を代表するトップ選手を輩出してきた歴史と伝統をもつシマノレーシング。実に11年ぶりとなるタイトル獲得までには紆余曲折もあった。特に入部が加入してからの8年間は、それまでの常勝チームから若手中心のチームへと大きく様変わりした時期だ。

2005年と2008年に全日本選手権優勝の経験をもつシマノレーシング野寺監督2005年と2008年に全日本選手権優勝の経験をもつシマノレーシング野寺監督 photo:Satoru Kato野寺「シマノレーシング40年の歴史でトップ選手を輩出してきたが、お金をかけて選手を集めてきて日本のトップをやってるだけなら出来るかもしれないけれど、もっと若手を育てて世界に送り出さねばならないのではないかと、シマノ内で話し合いがありました。何ならU23のチームを僕らが肩代わりするくらいの気持ちでチームを変えようと。

でも実際動き出したらチーム力は低下する。チームの魅力を発信しないと選手も入ってきてくれない。ファンからは『野寺さんが現役の時に比べたら・・・』なんてことを言われる。自転車に限らず、エンデュランス・スポーツは同じことをやり続けられる能力が必要だけれど、そういう才能はなかなか見えてこないのでわかりにくいから、活動の理想と現実のギャップがありました。

若い選手ばかりが集まったから色々ありました。どんぐりの背比べで、弱い人間同士が相対的に自分達の強い弱いを見始めてしまう。例えば、パワーデータで何ワット出したとかを争って、それ他のチームの選手が本当に出せない数字なの?って。入部も若い時は「明日負ける気がしないです」なんて言ってボロ負けしたこともありました。でもナショナルチームの遠征に参加するようになって、自分達よりも強い選手はいくらでもいることに気づき始めました。」

ようやくチームとして力がついてきたと感じたのは昨年の沖縄でのJプロツアー開幕戦。その時野寺監督は、「やっと同じ土俵に上がれた」と言った。

2018年Jプロツアー第2戦 逃げる増田成幸(宇都宮ブリッツェン)を追って集団を牽引するシマノレーシング2018年Jプロツアー第2戦 逃げる増田成幸(宇都宮ブリッツェン)を追って集団を牽引するシマノレーシング photo:Satoru Kato野寺「その前の2017年の全日本では、木村が3位に入って、横山(航太)がU23で優勝しました。それで『シマノレーシングすごい』と言ってもらえたけれど、単にそれぞれの調子が良かっただけなんです。チームとしては経験も力も未熟だったし、全日本の後のシーズンは大したことなく終わってしまいました。

沖縄の初日は4位と5位だったけれど、単について行っただけ。それじゃビリと同じだという話をレース後にしました。それで翌日は積極的にチャレンジして、結果は初日よりも悪かったけれど、内容は全然違った。それでやっとスタートラインに立ったと感じました。」


後編は物議を醸した全日本選手権の勝ち方について、入部本人と野寺監督に直撃。そして、NTT電撃加入の裏側について語ってもらう。

text:Satoru Kato

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