世界中が大きな変化を強いられた2020年。その中でも、入部正太朗以上の変化を経験した人は少ないのではなかろうか。NTT加入、コロナ禍、負傷からの復帰、そして来季弱虫ペダルサイクリングチーム加入...。ジェットコースターのような1年を振り返り、現在の心境や来年の目標をオンラインで語ってもらった。



NTTのメンバーと共に走る入部正太朗NTTのメンバーと共に走る入部正太朗 @damianmurphy28(NTT Pro Cycling)インスタグラムより
競技人生最大の負傷からの復帰

前回入部正太朗にインタビューしたのは、緊急事態宣言最中の5月後半だった。その直後の6月、練習中の落車で負傷したというニュースが飛び込んできた。

「緊急事態宣言が解除された直後でしたね。練習で走っていた時、下りで落車してしまって・・・。久々にやらかしたなと思いましたね」

左鎖骨骨折、左肩甲骨剥離骨折、肋骨4ヶ所に骨折とひび、左肺に軽度の肺挫傷。書き連ねただけでもかなり重傷だということがわかる。

「擦過傷がほとんどなくて、ヘルメットも割れてなくて、落車の衝撃を左上半身で受け止めた感じだったようです。人生最大のケガでした」

肺挫傷を負っていたため、すぐに鎖骨の固定手術をすることが出来なかった。それでも2週間ほどで退院。足に負傷がなかったこともあり、退院して1週間ほどでローラーを回し始めたという。

緊急事態宣言中、ローラーとズイフトを使用しての練習を続けていた入部正太朗緊急事態宣言中、ローラーとズイフトを使用しての練習を続けていた入部正太朗 ©️Shotaro IRIBE「鎖骨はプレートを入れて固定したら意外と大丈夫だなと感じました。でも肋骨はヤバかったです。呼吸するごとに痛いし、くしゃみするだけでもう1回折れるのではないかという激痛が走るんです。呼吸が浅くしか出来ないから練習メニューもこなせなくて、1、2ヶ月は肋骨の痛みに苦しみました」

7月に予定していた再渡欧は、当然ながら延期された。

「6月末の全日本選手権に出場してから渡欧する予定たっだのですが、全日本が無くなって、さらにケガをしてしまって、チームのコーチとやり取りして落ち着くまで待とうということになり、再渡欧は8月半ばになりました。その時もまだ体が完全というわけではなかったけれど、それを言い訳にしたくないという気持ちがありました。同時期にケガをしてる選手は他に何人もいて、すぐに復帰して仕事をこなしている。とにかく頑張ってチームに貢献しなければと思っていたので、ケガは関係なかったです」



実感したレベルの高さと 目の当たりにした新城幸也の強さ

8月に再渡欧してチームに合流した入部正太朗8月に再渡欧してチームに合流した入部正太朗 ©️Shotaro IRIBE
拠点としているイタリアに戻り、自主隔離期間を終えた入部は早速レースに復帰した。8月29日の「トロフェオ・マッテオッティ(UCI1.1)」を皮切りに、ワンデーレースに立て続けて出場した。しかし完走もままならず、DNF(Do Not Finish=未完走)が続く。

「今の自分にとってはレベルがとても高かったのは確かです。チームの仕事をして完走することを目標にしていましたが、完走は出来ずともせめて仕事をしてDNFしたかった。でもそれも出来たとは言えないですね」と、振り返る。

「最初に比べれば徐々に良くなったとは思うけれど、最低限ここまではしたいと思っていたところまでも到達できなかったと感じています。チームに貢献できなかったので申し訳ないし悔しいです。仮にケガもせず絶好調で臨めたとしても、適応できるだけの力があったかというと十分じゃなかったと思います。

コッパ・サバティーニで逃げグループを率いる新城幸也(バーレーン・マクラーレン)コッパ・サバティーニで逃げグループを率いる新城幸也(バーレーン・マクラーレン) photo:CorVos9月のレース(コッパ・サバティーニ)では、新城(幸也)さんも出ていました。僕が集団からちぎれて降りて、周回コースだったのでレースを見ていたら、新城さんが逃げていたんです。ラスト20kmくらいで捕まったけれど、その後ラスト5kmくらいから先頭引いてるんですよ。半端ないしヤバイと思いましたね。次元が違うなと」

自身の力不足を改めて実感した入部だが、「人生で貴重な経験をさせてもらっていることを1日1日実感しながら過ごしていました」とも言う。

「走ったレース数は少なかったけれど、ヨーロッパのレースの環境に身を置くことも、出会いも、色々経験させてもらって、チームには感謝しかないです。そこに送り出してくれた方々、元チームメイトにも感謝してます。もっと見たいという気持ちもありますけれどね」



NTT降板発表と母の死と

9月末、チームのメインスポンサーであるNTTが2020年限りで降板することが発表された。入部らNTTのチームメンバーに正式に伝えられたのは、その数日前だったと言う。

NTTプロサイクリング発足会見で話すダグ・ライダーGMNTTプロサイクリング発足会見で話すダグ・ライダーGM photo:So.Isobe「8月か9月頃にもNTTが降りるという噂が現地メディアに出ていましたが、9月末にチーム全体のオンラインミーティングがあって、そこで正式にNTTが降りることが伝えられました。GM(ダグ・ライダー氏)は、『これまでも同じような困難を乗り越えてきている。俺達はビッグ・ファミリーだから、みんなで結束して頑張ろう』と言ってました。」

実際にはイギリスの系列企業とは言え、日本に本社を置くNTTのおかげで加入出来たことは入部自身十分承知していた。翌年のチームに残ることが難しくなることは感じつつも、残留もふくめヨーロッパで活動できる可能性を探ることにした。

デジタルジャパンカップを欠場した入部正太朗のジャージを飾って参加したコナー・ブラウンデジタルジャパンカップを欠場した入部正太朗のジャージを飾って参加したコナー・ブラウン @elliotlipski インスタグラムより
そんな中、10月半ばに母の病状が悪化したという連絡が入った。本来なら10月17日の「デジタルジャパンカップ」に参加した後帰国する予定だったが、欠場して急遽帰国することにした。一刻も早くという思いで日本に向かう途中、母が亡くなったと連絡があった。

「元々体が悪かったので心の準備は出来ていたし、母もそれはわかっていたと思うので、お互い悔いが残らないようにと思っていました。だから、来るべきものが来たという感じでしたね」

母の最期には、入部の妻や母の知人らが立ち会ったという。帰国後の自主隔離期間もあったため、様々な手続きは妻が代わりにやってくれた。

「このご時世なのでほぼ家族だけで送り出しました。死に目には会えなかったけれど、連絡は取り合っていて絆を結べていたと思うし、1人じゃなくて色々な人に囲まれての最期だったので、あれ以上は出来なかったし、良かったと思っています」

2019年の全日本選手権直前には父を亡くしている入部。「昨年父で、今年は母で、つらいし寂しいですけれどね」前向きな言葉の合間に、ほんの少し本音が見えた。



引退も考えた11月末 紆余曲折の末決まった弱虫ペダル加入

チームクベカ・アソス ロゴチームクベカ・アソス ロゴ ©Team Qhubeka ASSOS ロードレースがオフシーズンに入った11月下旬、NTTプロサイクリングは新たにアソスをタイトルスポンサーに迎え、「チームクベカ・アソス」となることを発表した。入部はチーム残留に向けてコンタクトを続けていたが叶わず。ヨーロッパでの他の可能性もなくなり、気がつけば12月が目の前に迫っていた。

通常、チームの翌年体制は遅くとも10月にはほぼ決まり、11月、12月は発表する時期。NTT降板が発表された9月末では、移籍先を探し始めるには遅いくらいだ。困難を通り越して無理と言える状況に「正直引退も考えました」と入部は言う。

「今の実力では来年につなげる可能性を見出せなくて、でも選手としての3大目標である『全日本優勝』『ヨーロッパで走る』『オリンピック出場』のうち、ヨーロッパもまだ十分とは言えないし、オリンピックを目指したいという気持ちもありました。一方で選手を引退して働きたいという気持ちもあって、自分でも頭がパンパンで訳がわからなくなりそうでした」

入部の恩師でもあるシマノレーシング野寺監督(写真は2019年)入部の恩師でもあるシマノレーシング野寺監督(写真は2019年) photo:Satoru Kato
古巣であるシマノレーシングの野寺監督にも相談していたが、ヨーロッパでの可能性を優先していたこともあり、タイミングを逃してしまった。

「それで国内コンチネンタルチームはもう無理だなと思い、あちこちに働きかけることはしなかったんです。もっと早く見切りをつけていれば状況は違っていたかもしれないけれど、それでもヨーロッパでの可能性を見つけたかったんです」

事実、昨年NTT加入決定直後のインタビューで入部は、ヨーロッパで続けられないなら引退する覚悟で臨みたいと語っていた。

「自分で言葉の見切りをつけておかないとズルズル行ってしまうと、あの時は考えていました。『お前辞めるって言ってたじゃないか』と言われるかもしれないけれど、やはりまだ自分の夢を諦められませんから」

そして12月に入り、紆余曲折ののち、弱虫ペダルサイクリングチーム(以下弱虫ペダル)の加入が決まった入部。

「選手を続けたいと思っても続けられない人もいる中、本当にありがたいです。路頭に迷いそうだったところを、弱虫ペダルの佐藤GMが迅速に事を進めてくれました。感謝しかないです」

とは言え、弱虫ペダルはUCI登録しているチームではないから、出場出来るレースは限られる。入部の加入発表のプレスリリースにも「入部選手の次のステップへの受け皿として」という言葉が使われていた。

弱虫ペダル作者であり、チーム監督の渡辺航先生は入部の加入を歓迎する弱虫ペダル作者であり、チーム監督の渡辺航先生は入部の加入を歓迎する photo:Makoto.AYANO
「それでも走らせてもらえるだけで感謝です。強くなればナショナルチームに招集されてUCIレースを走ることが出来るし、それは努力次第でどうにでも出来ると思っています。そもそも来年UCIレースが出来る状況になるかさえまだわからない。それは自分には何も出来ないことなので、選手をやらせてもらえるならネガティブな要素は一切ないです」と、持ち前のポジティブシンキングを発揮する。

「来年もレースがいきなりキャンセルになることがあるかもしれない。でも自分の芯をしっかり持って、出来ることしっかりやるだけです」

最大の目標は、全日本選手権の連覇。「Jプロツアーでは、まだ着たことがないリーダージャージを着てみたいですね」とも話す。「主要な大会がステップアップにつながると思うので、基本はどのレースも全力で臨みます」



「NTTに行って最高に良かった」

入部は今、母が住んでいた奈良の実家で生活している。来年はチーム拠点のある茨城県つくば市と奈良を行き来することになるそうだが、「チームで一緒に練習することは刺激にもなるので、楽しみだし早く行ってみたいというワクワク感もありますね」と期待を口にする。

NTT加入から現在まで、はたから見るとジェットコースターのような1年。「まさにその通りですね」と入部も認める。

「いろいろなことがあったけれど、それだけいろいろ経験出来た。大変な状況だったけれど、僕にとってはネガティブなことはなくて、NTTに行って最高に良かったと思うし、まったく後悔もしていません。その先に繋がらなかったのは単純に今の僕の実力なので、何かのせいにする気もありません。この悔しさを肝に銘じ、バネにして頑張るだけです。応援してくれた人達の期待に沿えなかったことは申し訳ないけれど、また『頑張ります』ということです」

text:Satoru Kato

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