シマノレーシング入部正太朗と野寺監督へのインタビュー後編は、議論を巻き起こした全日本選手権の勝ち方と、土壇場で急展開したNTTプロサイクリング加入決定までの経緯について語ってもらった。


2019年全日本選手権 入部正太朗(シマノレーシング)が新城幸也(バーレーン・メリダ)をスプリントで下し全日本王者に2019年全日本選手権 入部正太朗(シマノレーシング)が新城幸也(バーレーン・メリダ)をスプリントで下し全日本王者に photo:Makoto.AYANO
▪️入部「リスペクトしているからこそ何があっても勝ちたい」

全日本選手権で優勝したことは、「良くも悪くも反響が大きかった」と入部は振り返る。

入部「チャンピオンジャージを着られるってことは注目度も上がるし、SNSの友達申請もやたら来るし、それだけ目にかけてくれてるんだなと。何より、自分がチャンピオンになったことでシマノレーシングをよりアピール出来たし、今後に向けて自分達をより引き締めて、より一層レベルを上げていかねばならないということをチーム全員が共有出来たと思います。」

勝ったことを祝福され、賞賛される一方で、いわゆる「ツキイチ」から最後にスプリントで差しての勝ち方への異論や批判も多かった。それについて入部は「それは当然だと思う」と言う。

入部「新城選手の強さは本当にリスペクトしかありません。だからこそ何があっても勝ちたいという気持ちがありました。ゴール直後に『何か言われるかもしれんなぁ』と思いましたが、想像以上に色々言われて・・・。逆に何か言ってくると気にしていた人は何も言わなくて、違うところがブワっとなって予想以上だったのでヘコみました。何で命かけてやってきたことがこんな形で言われてしまうのかと。理論的に言われるなら『ああそうだな』と思うけれど、心無い言葉も多くて、ただでさえ『気にしい』なのでダメージ受けました。

2019年全日本選手権 入部正太朗(シマノレーシング)を引き離そうとアタックする新城幸也(バーレーン・メリダ)2019年全日本選手権 入部正太朗(シマノレーシング)を引き離そうとアタックする新城幸也(バーレーン・メリダ) photo:Makoto.AYANO
2019年ツアー・オブ・ジャパン京都 僅差で2位の入部正太朗(シマノレーシングチーム)は怒りと悔しさを交えてアピール2019年ツアー・オブ・ジャパン京都 僅差で2位の入部正太朗(シマノレーシングチーム)は怒りと悔しさを交えてアピール photo:Satoru Katoけれど、その時もチームメイトが『僕ら胸張れます』と言ってくれました。『僕ら一緒にやってきたのに、入部さんがそんなへこんで嫌な思いになってたら・・・』って。だから、チームメイトのためにも胸張って、『ありがとう、言ってくれたおかげで僕はまた強くなれる』とプラスに捉えられるようにちょとずつなってきました。言われ慣れてきたのもあるけれど、それだけ注目されているということでもあるし。

ツアー・オブ・ジャパン京都では逆の立場でした。その時はフラストレーションがあって手を挙げたけれど、当然逆のことされたら相手はそうなるだろうというとこはわかっていました。それでも僕は全日本で勝ちたかったし、覚悟のいることだとわかっていました。迷いはなかったです。」

2019年全日本選手権 新城幸也(バーレーン・メリダ)のアタックにに横塚浩平(チーム右京)が遅れていく2019年全日本選手権 新城幸也(バーレーン・メリダ)のアタックにに横塚浩平(チーム右京)が遅れていく photo:Makoto.AYANO▪️野寺監督「僕らが名前も顔も知らない人達の感情を動かしたレース」

野寺監督はどう感じているのか?

野寺「入部と新城は目的が違ってました。入部はなんとしても勝ちたい。新城は圧倒的な力を見せて勝つ。新城は横塚浩平(チーム右京)を振り切ったのと同じように入部も振り切れると思っていた。でも入部の力が予想以上だったと思うんです。新城は面白くなかったのは確かだと思います。でも2日も3日も1ヶ月も経って『あれはズルい』と思うことはスポーツ選手なら絶対ないと思います。新城が今の立場にいられるのは、最終的に自分のミスを探り出して『こうするべきだった』というのを見つけられるからだと思っています。

レース後にお互いツンツンしてて目も合わせないなんてのは健全なスポーツのあるべき姿だと思うし、にこやかに握手することだけが健全とは思いません。そうしてお互いにライバル心をさらに高めるのもあるべき姿だと思います。

批判は全体数では決して多くないと思うけれど、自転車を見てくれる人が増えてる証拠でもあると思います。他の種目ではファンが好き勝手言い合うのはよくある話です。今までは自転車をよく知ってる人だけが見てたから、勝てばみんな賞賛してくれました。でも今はそうじゃなくて批判してくれる人も出始めました。

それだけ僕らが名前も顔も知らない人達の感情を動かしたレースだということは間違いないわけで、それを作り出したのは新城の実績であり、入部のチャレンジだった。逆にあそこで入部が前を引き始めたら『ばかやろう』と言ってましたね。あの3人の距離感はロードレースの醍醐味でした。前に出るか、引くか、追いつくか。批判されるというより、一番の見所だったと思います。誰が力を残しているかなんて本人でもわかってない。自分がどれだけもがけるかというのもわからなかったと思います。」


▪️10月末から動き出して決まったNTT移籍

NTTプロサイクリングのダグ・ライダーGMと握手する入部正太朗NTTプロサイクリングのダグ・ライダーGMと握手する入部正太朗 photo:Satoru Kato
ツール・ド・おきなわが終わり、国内ロードレースはシーズンオフを迎えた。おきなわの余韻もさめやらぬ11月14日夜、入部のNTTプロサイクリング加入が突如発表された。

入部「全日本の後、ディメンションデータが日本人選手を探していると連絡があり、可能性があるならと思ってお願いしますと返事をしました。でも10月になっても進展がありませんでした。ダメならシマノレーシングと来年の継続をまとめなければならないし、すでに待ってもらっている状況だったので良くないなと思っていました。進展があったのはツール・ド・フランスさいたまクリテリウムの頃でした。」

11月12日に行われたNTTプロサイクリング記者発表に揃った現所属選手と新加入選手、チーム首脳陣11月12日に行われたNTTプロサイクリング記者発表に揃った現所属選手と新加入選手、チーム首脳陣 photo:So.Isobe
そしてツール・ド・おきなわの2日後にダグ・ライダーGMと東京都内で面会する予定が組まれた。その時入部は、NTTの記者発表があることを知らず、11月という時期に契約できるはずがないとも思っていた。

NTT加入が決まった入部正太朗。この写真も赤坂の街中で急遽撮ったというNTT加入が決まった入部正太朗。この写真も赤坂の街中で急遽撮ったという (c)nttprocycling.com入部「ただ面談するだけだと思っていました。それでおきなわから帰ってすぐ奥さんと一緒に東京に行きました。英語でやりとりしたのですが、まったく喋れなくて、ダグさんの話し方が難しくてまったくわからなかったです。奥さんに助けてもらって自分のことばかり一方的に話して「僕は夢があって、お金は重要じゃない、マネー・イズ・ノット・インポータント」なんて(笑)。行く前に覚えたことを一生懸命言って、熱意だけは伝わるかなと思っていました。それで1時間20分くらい話して、2日以内に返事するということになりました。

でも面談の手応えはなくて帰りの新幹線で奥さんと2人でめっちゃヘコんでました。チームや選手の情報が載ってる海外のwebサイトを見てると、選手が26人から増えない。もう1人入るはずだと思っていました。もしかしたらそれが自分かな?と。その日に記者発表があったことも後で知って、2日後ならまだ日本にいるよな?と、なんとなく可能性を感じてはいました。そしたら2日後に電話があって「今晩発表するから東京に来られるか?」と言うので、野寺監督に新大阪まで送ってもらって、奥さんも仕事早退してもらって東京に向かいました。」

▪️自身の選手復帰も考えた野寺監督

10月末から11月半ばまでのおよそ2週間で一気に決まったという、まさに電撃的な移籍発表だった。とは言え、11月はどのチームも来年の体制を決めて準備が佳境の時期。シマノレーシングも入部込みで体制は決まっていた。

ツール・ド・おきなわの翌日、コース沿いのゴミ拾いに参加した入部正太朗と大先輩の阿部良之(写真左)、2008年のチャンピオンジャージを着た野寺監督ツール・ド・おきなわの翌日、コース沿いのゴミ拾いに参加した入部正太朗と大先輩の阿部良之(写真左)、2008年のチャンピオンジャージを着た野寺監督 photo:Makoto AYANO野寺「新しいチャンピオンジャージも発注して、来年の全日本で負けた時のために袖に日の丸入れたジャージも発注していました。キャンセルしても料金変わらないと言われたので、そのまま作ってもらいます(笑)。」

時期が時期だけに、連絡が来たと聞いた時は入部も野寺監督も半信半疑だったと言う。でもNTT入りが決まったところで止める者はいなかった。

野寺「この時期までないということは来年は残ってくれるという安心感もありました。もう無理だよなと思っていたら、NTTが会うと言ってきた。会うと言うからには欲しいと思っているに間違いない。でもこの時期に?来年につなぐためかも?と思いました。

来年はコンチネンタル登録するために選手を10人揃えねばならないわけで、この時期にもう1人探すことが必要になりました。JCF(公益財団法人日本自転車競技連盟)に登録のための書類も提出済みでしたが、全てやり直し。追い詰められて『野寺復活!!』なんてことも考えました(笑)。そんな大変な状況になっても、誰もダメとは言わなかった。みんな『よかったなぁ!行け行け!!』とお祭り騒ぎになりました。

2018年ツール・ド・熊野第2ステージ 入部と共に逃げたベンジャミン・ダイボール(入部の後ろ)もNTTに加入する。この時ダイボールに勝ったことが評価されたのかも?と野寺監督は推察する2018年ツール・ド・熊野第2ステージ 入部と共に逃げたベンジャミン・ダイボール(入部の後ろ)もNTTに加入する。この時ダイボールに勝ったことが評価されたのかも?と野寺監督は推察する photo:Satoru Kato
入部のステップアップは、育成した選手を世界に送り出すというチームの目標でもあります。でもそこに立つには運も必要だと思います。シマノレーシングは国内がメインになるから、全日本選手権とツアー・オブ・ジャパンで勝つことがステップアップの最低条件になる。それでも可能性は限りなく低いし、ほぼ無理かもしれない。『全日本で勝ったくらいで選手に夢見させるな』と批判されるかもしれない。それを絵に描いたように入部が実現してくれたのは、運とタイミングに恵まれたことも大きいでしょう。」

入部もそれは大いに感じている。

入部「もし昨年の全日本で勝っていたら行けなかったかもしれないし、昨年の失敗があったから今年の全日本であそこまで執着して勝てた。ちょうど来年からNTTがスポンサーについた。11月に『イエス』と言える立場だった。ドンピシャのタイミングで全てがつながったのは、何もかも運と奇跡でつながったからだと思います。」


▪️地獄に落ちて強くなれる

ジロ・デ・イタリア完走の経験もある野寺監督。大先輩としてアドバイスはあるだろうか?

野寺「特にありません。僕が経験してきた頃と今では違うし、でも今の方が選手の質は上だし、欧州で箸にも棒にもかからないような人達を相手にしても強くて敵わない。入部が行くところはそれよりもレベルの高いとこなのは解っていると思うし、ポジティブなことは何も言ってません。夢と同時に地獄に落ちる感じでしょう。アドバイスするなら、その地獄の中でいかに楽しむか、ということだと思います。どうやってモチベーションを保つかというところを見つけていかねばならない。鬱々(うつうつ)とすることも絶対あると思う。でも、入部はシマノレーシングに入った時はトラック上がりでロードはまだまだだったけれど、対応力と人間力でここまで来たのだから、今回のように数少ないチャンスをものにしてきた延長線上で可能性を見出すことに期待したいと思っています。

2019年ジャパンカップで6位に入った中根英登(NIPPOヴィーニファンティーニ・ファイザネ)2019年ジャパンカップで6位に入った中根英登(NIPPOヴィーニファンティーニ・ファイザネ) photo: Makoto AYANO例えば、中根英登君は僕が想像していた以上に活躍している。彼が学生の頃はあそこまで活躍するとは思っていなかったし、あそこまで出来るんだと驚かされました。そういう楽しみがあります。別府や新城もチャレンジしてあそこまで強くなったし、初山翔もそう。僕が現役の時よりも入部は逃げに乗る能力はあるので、それでチャレンジしてアピールできると思っています。」

入部「そうですね。僕もアタックと逃げが得意で登りとFTPは低いと言いました。どういう仕事をもらえるのかはまだ分からないけれど、これまでも逃げにチャレンジしてきたから、ビックレースで逃げに乗ってみたいと思っています。それでチームに貢献出来るというのが、今見えている目標ですね。

まだ強くなれる気はします。妥協しているところは山ほどあるし、本当に体をカリカリにしたことは無いですから。そこからどれだけ自分をアピール出来るか、先につなげられるか。それを乗り越えて自分の貢献できるポイントを見てもらうことが出来れば先につながると思っています。」


▪️自分にしかつくれない例をつくりたい

NTT加入決定直後の会見でも言っていたが、入部は3つの目標を持っている。全日本優勝とワールドチーム加入、そして五輪出場だ。このうち2つの目標は達成したことになるが、来年に迫った東京五輪出場は難しい段階に来ている。入部は「5年後までワールドツアーかプロコンチネンタルでやって行けるレベルになれたら、パリ五輪を目指そうと思っています」と言う。

入部「そのレベルになることが目標です。年齢的に微妙になるけれど35歳ならギリギリだし、ひとつの指標として欧州で生き残れること。それが出来なければ選手も辞めようと今は考えています。監督もそうでしたけれど、まだまだ走れるというところで終わりたいと思っています。だから早ければあと1年・・・いよいよ本腰入れる時かなと(笑)。

送り出してくれたシマノレーシングと応援してくれる人のためにも責任は重大ですけれど、行かずして後悔するなら行って潰れるほうが本望です。もちろん潰れたらダメですけれど。でも今はめっちゃ怖いです。いい睡眠取れてないですね。英語とか練習とかどうしようって。それも行ってなんとかするしかないし、これから僕の特性の粘りが発生すると思うんですけど、なんとか先に繋げていければと思います。

30歳で行けるのは特例だと思うし、新城さん別府さんのようにはなれないけれど、僕にしかつくれない例をつくりたい。想像を超える地獄があると思うけれど、粘れば行けると思いながら自分の例を作って行って、1年1年繋げていけば新たな目標が見えてくると考えています。まずはチームに貢献して、チャンピオンジャージを着て喜び半分、プレッシャーも抱えながら一生懸命全身全霊をかけてやっていこうと心に誓っています。」

入部正太朗と野寺監督入部正太朗と野寺監督 photo:Satoru Kato
そう覚悟を語る入部に、野寺監督は「想像を超える選手になって欲しい」と期待を語る。

野寺「入部がシマノレーシングで過ごした8年間は、若くしてキャプテンを務めて様々な苦労をして成長してきました。これからもっと大きな苦労が待っているが、苦労を自分の糧にする術をこの8年間で学んだと思います。それを乗り越えて大きな人間になって欲しいし、これから行く先での変化を応援したい。それで1年後にクビになっても、気が変わったらシマノレーシングに戻って来るのもアリだと思うし、その経験を活かして欲しいと思います。そんな先のことは考えられないくらい、明日のことも精一杯な生活が待ち受けていると思うけれど、例えばこれまでシマノレーシングの理念の中に身を置いてきたのだから、僕のような指導する立場とかが選択肢に入ってくれると嬉しいです。」


▪️何にも代え難いシマノレーシングでの8年間

入部は12月9日から20日までスペインで行われるチームキャンプに参加する。シーズン中の拠点は、最初は練習環境が良く選手も多いスペインのジローナにしようと考えていたが、チームのサービス拠点があるルッカの方が良いと言われている。年間の予定はチームキャンプの時に決まるとライダーGMは言っていたが、最初のうちはレースに出られない期間が続くかもしれないとも言われているという。

「レースに出られなければずっと語学の勉強をしているつもりです。英語だけでなくイタリア語も必要になるし、語学の習得もミッションですから」と、入部は前向きに捉える。でも日本でのレースには出場したいと考えている。

入部「ジャパンカップはチームが出る可能性があると聞いています。まだ決定ではありませんが、出たいと思っています。ツアー・オブ・ジャパンについては何も聞いてませんが、もしチームが出場するなら走りたいです。5月ならギリギリでチャンピオンジャージを着て走れますから。」

バンクリーグ宇都宮で優勝したシマノレーシングバンクリーグ宇都宮で優勝したシマノレーシング photo:Satoru Kato

最後に、入部にとってシマノレーシングでの8年間はどんなものだったのかを聞いた。

入部「この8年間なくして今の自分は無いです。情があるのも確かだけれど、トラック上がりで右も左もわからない自分をここまで見てもらったのもあるし、ありがたいことに他のチームからお誘いを頂いたこともあったけれど、やっぱり心が動かなかったんです。海外に行かないからUCIポイントを稼ぎにくいし、ステップアップが難しいと言われたこともあったけれど、野寺監督はじめすばらしいスタッフとチームメイトに恵まれて不満は無かったし、国内UCIレースで勝てば道は開けると思っていました。ジャンプアップするチャンスは目の前にあるのに、それを環境のせいにして他のチームに行ったら一生転々としていたと思っています。

僕が今回NTTに入れたのはシマノレーシングに所属していたことが大きかったそうなので、8年間所属していたことが評価されたのかもしれないし、転々とするような選手だったら行けなかったかもしれない。僕は他の世界を知らないから、色々な世界を知った方が良いとも言われるけれど、8年間の変化を見てきたし、自分の見たいものを見てきて次のチャンスをもらえたので、それで良いと思っています。だから日本に帰ってきた時はシマノレーシングに甘えたいです。」

そう話す入部に「全日本の時は移動の車を空けておくし、宿も取っておくから。」と、野寺監督は応えた。


text:Satoru Kato

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