2020/11/13(金) - 00:45
宇都宮ブリッツェンの「スペインレース遠征報告会」が、宇都宮市内のオリオンスクエアで開催された。集まったファンを前に、増田成幸が東京五輪代表候補内定を報告し、喜びと支えてくれた人達への感謝を語った。報告会終了後に行われた共同会見のコメントと合わせて紹介する。
増田成幸の五輪代表選考のため、10月にスペインのレースに遠征した宇都宮ブリッツェン。増田成幸が東京五輪代表候補内定を決めたレースからおよそ1ヶ月が経った11月12日、ファンへの報告会が開催された。会場はジャパンカップのチームプレゼンテーションで知られる宇都宮市内のオリオンスクエア。19時からのスタートだったが、平日にもかかわらず18時の開場前から並んで待つほど熱心なファンの姿も見られた。
報告会の冒頭、宇都宮市の佐藤市長が挨拶に立ち、増田の五輪代表候補内定について「宇都宮市として積み重ねてきたことの成果だと思う」とした上で、「来年はジャパンカップもより盛大に開催したい」と宣言した。
続いて宇都宮ブリッツェンの清水監督が「コロナ禍の中、支援してくださった皆さんや、運営会社の方々が、最後まで増田を信じて一緒に頑張っていただいたことに感謝します」と挨拶。珍しく(?)感極まって涙声になる場面も見られた。
そして増田本人が、集まったファンに五輪代表候補内定を報告。「このチームメイトとスタッフで戦うレースは終わったが、今年ほど結束したチームはなかったと思う。このチームと1年やってこれたことは僕にとって宝です。このメンバーで最後に挑戦出来て、僕自身も悔いを残すことなく代表に選出されることになって、本当に良かったです」と、感謝の言葉を述べた。
清水監督によれば、今回のスペイン遠征が決まったのは、レースの1ヶ月前となる9月中頃。同時期にスペイン以外でのレース出場も検討されたが、スペイン入国が難しくなることから、ワンデーレース1本に絞ったと言う。
「ロードレースを知らない人達にもポジティブな気持ちを届けられるような走りを見せたい」
報告会終了後、増田は地元新聞社などの取材に応じた。
「レース当日が近づくにつれて緊張とか不安とかプレッシャーが高まって、これで失敗したらどうしようとか、「ほら言わんこっちゃない」と言われるんじゃないかとか、ネガティブな気持ちになっていました。
でも宿で同室になった(鈴木)譲からは、「批判したり否定したりしている人達は当事者じゃない自分じゃ何もしてない人達なんだから、気にするな」と言われて、本当にその通りだなと。やってるのは自分達、アクションを起こしているのは自分達なんだから、一生懸命やってる自分達に幸せを感じて思う存分やれば良いと思えるようになりました。
レース前日、寝る前にトイレに行ったら換気のために開けてあった窓から星が見えました。バスク地方はこの時期雨とか曇りの天気が多いんですが、その夜はたまたま晴れていて、星がきれいだなー・・・としばらくボーっと見ていました。そしたら、この宇宙に比べたらなんてちっぽけなことで悩んでるんだろうと思えて、吹っ切れて気持ちが切り替わりました。おかげでその夜はぐっすり眠れました。
辛かったことは、マレーシアのレースで落車して骨折したことよりも、代表選考の基準が自分達に不利になったこと、走れるレースが無くなってしまったこと、それに挑戦することすら出来なくなりそうだったことが一番辛かったですね。ただ黙って見てるしかないのは本当に落ち込みました。スポーツ仲裁も主張が認められなかったし、レースのこと以外で何度もつらくなることがあって、監督やチームメイトの前で、俺こんなに泣き虫だったかなというくらい何度も泣きました。
五輪のコースは、昨年のプレ大会の後、ナショナルチームでコース試走合宿がありました。走れば走るほど厳しいコースだと身に染みましたね。世界トップレベルの選手達が集まった時、どういう戦いが出来るのかを今から考えていかねばならないと思っています。五輪は1チーム最大5名なので、1チームがレースを掌握するのは難しいと思います。でも複数のチームが共同でレースを作っていくことはあるだろうから、その大きな流れを利用して戦うか、自国開催だから逃げに乗って勝機を見つけるか。僕は監督ではないので作戦を決められませんが、考えるだけでワクワクしますね。
新城選手は間違いなく日本のトップ選手で、リスペクトしています。一緒に走れるのは楽しみだし、2人で協力して最高の五輪にしたい。新城選手となら日本代表にとって良いレースが出来ると思っています。
子供の頃、長野五輪で見たスキージャンプが印象に残っています。学校でジャンプの真似をしたりしていましたね。だから今度は自分が子供達に夢を与えられるようになりたい。今日本は不安定な時期でもあるので、ロードレースを知らない人達にもポジティブな気持ちを届けられるような走りを見せたいです」
text&photo:Satoru Kato
増田成幸の五輪代表選考のため、10月にスペインのレースに遠征した宇都宮ブリッツェン。増田成幸が東京五輪代表候補内定を決めたレースからおよそ1ヶ月が経った11月12日、ファンへの報告会が開催された。会場はジャパンカップのチームプレゼンテーションで知られる宇都宮市内のオリオンスクエア。19時からのスタートだったが、平日にもかかわらず18時の開場前から並んで待つほど熱心なファンの姿も見られた。
報告会の冒頭、宇都宮市の佐藤市長が挨拶に立ち、増田の五輪代表候補内定について「宇都宮市として積み重ねてきたことの成果だと思う」とした上で、「来年はジャパンカップもより盛大に開催したい」と宣言した。
続いて宇都宮ブリッツェンの清水監督が「コロナ禍の中、支援してくださった皆さんや、運営会社の方々が、最後まで増田を信じて一緒に頑張っていただいたことに感謝します」と挨拶。珍しく(?)感極まって涙声になる場面も見られた。
そして増田本人が、集まったファンに五輪代表候補内定を報告。「このチームメイトとスタッフで戦うレースは終わったが、今年ほど結束したチームはなかったと思う。このチームと1年やってこれたことは僕にとって宝です。このメンバーで最後に挑戦出来て、僕自身も悔いを残すことなく代表に選出されることになって、本当に良かったです」と、感謝の言葉を述べた。
清水監督によれば、今回のスペイン遠征が決まったのは、レースの1ヶ月前となる9月中頃。同時期にスペイン以外でのレース出場も検討されたが、スペイン入国が難しくなることから、ワンデーレース1本に絞ったと言う。
「ロードレースを知らない人達にもポジティブな気持ちを届けられるような走りを見せたい」
報告会終了後、増田は地元新聞社などの取材に応じた。
「レース当日が近づくにつれて緊張とか不安とかプレッシャーが高まって、これで失敗したらどうしようとか、「ほら言わんこっちゃない」と言われるんじゃないかとか、ネガティブな気持ちになっていました。
でも宿で同室になった(鈴木)譲からは、「批判したり否定したりしている人達は当事者じゃない自分じゃ何もしてない人達なんだから、気にするな」と言われて、本当にその通りだなと。やってるのは自分達、アクションを起こしているのは自分達なんだから、一生懸命やってる自分達に幸せを感じて思う存分やれば良いと思えるようになりました。
レース前日、寝る前にトイレに行ったら換気のために開けてあった窓から星が見えました。バスク地方はこの時期雨とか曇りの天気が多いんですが、その夜はたまたま晴れていて、星がきれいだなー・・・としばらくボーっと見ていました。そしたら、この宇宙に比べたらなんてちっぽけなことで悩んでるんだろうと思えて、吹っ切れて気持ちが切り替わりました。おかげでその夜はぐっすり眠れました。
辛かったことは、マレーシアのレースで落車して骨折したことよりも、代表選考の基準が自分達に不利になったこと、走れるレースが無くなってしまったこと、それに挑戦することすら出来なくなりそうだったことが一番辛かったですね。ただ黙って見てるしかないのは本当に落ち込みました。スポーツ仲裁も主張が認められなかったし、レースのこと以外で何度もつらくなることがあって、監督やチームメイトの前で、俺こんなに泣き虫だったかなというくらい何度も泣きました。
五輪のコースは、昨年のプレ大会の後、ナショナルチームでコース試走合宿がありました。走れば走るほど厳しいコースだと身に染みましたね。世界トップレベルの選手達が集まった時、どういう戦いが出来るのかを今から考えていかねばならないと思っています。五輪は1チーム最大5名なので、1チームがレースを掌握するのは難しいと思います。でも複数のチームが共同でレースを作っていくことはあるだろうから、その大きな流れを利用して戦うか、自国開催だから逃げに乗って勝機を見つけるか。僕は監督ではないので作戦を決められませんが、考えるだけでワクワクしますね。
新城選手は間違いなく日本のトップ選手で、リスペクトしています。一緒に走れるのは楽しみだし、2人で協力して最高の五輪にしたい。新城選手となら日本代表にとって良いレースが出来ると思っています。
子供の頃、長野五輪で見たスキージャンプが印象に残っています。学校でジャンプの真似をしたりしていましたね。だから今度は自分が子供達に夢を与えられるようになりたい。今日本は不安定な時期でもあるので、ロードレースを知らない人達にもポジティブな気持ちを届けられるような走りを見せたいです」
text&photo:Satoru Kato
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