2020/06/10(水) - 12:07
東京オリンピックの男子ロードレース代表選考がスタートした2019年、その主役は宇都宮ブリッツェンの増田成幸だった。しかし今年に入るとその状況は一変。代表選考の元になるUCIポイントを獲得できるレースが無くなり、増田のオリンピック代表に黄色信号が灯った。コロナ禍で国内外のレースが無い中、増田は何を考えているのか。宇都宮ブリッツェンで長らく増田を見続けてきた小森信道が話を聞いた。
レース中止が相次ぐ中でも「モチベーションも高くトレーニングを継続していた」
2019年1月1日から始まった、東京オリンピックの男子ロードレース競技代表選考。ツアー・ダウン・アンダーで新城幸也が幸先よくUCIポイントを獲得したが、その後、同年の代表選考争いの主役となったのが増田だった。
代表の座を確実なものにすべく、2020年になると増田はツール・ド・ランカウイ、そしてツール・ド・台湾に出場したが、ランカウイ第1ステージで落車に巻き込まれて腰の圧迫骨折を負う不運に見舞われ、期待されたUCIポイントの大量獲得は果たせなかった。その間に、新城は着実にUCIポイントを積み重ねて選考ランキングの首位に。増田は2位につけている状態で、新型コロナウイルスの感染拡大に伴うUCIのレース中止に直面する事態となった。
「ツール・ド・ランカウイの第1ステージで納得のいかない形で落車に巻き込まれ、狙った通りにUCIポイントを獲得できずにレースを終えました。ツール・ド・台湾でも多少回復できている感覚はあったものの、思うようにポイントを獲得することはできませんでした。それでも、回復している実感はあったので、地元で開催される次戦のツール・ド・とちぎに向けてしっかり準備をしていましたが、直前でレース中止の発表があり、さすがにその時は気持ちが落ち込みましたね。
その後にツアー・オブ・ジャパン、ツール・ド・熊野の中止も発表されましたが、新型コロナウイルスの被害がどれだけ拡大していくか分かりませんでしたし、レースよりもまず人命や健康の方が重要だ、と自分の中でもしっかり切り替えることができて、モチベーションも高くトレーニングを継続できていました」
「戦って、走って、自分が起こしたアクションの中でふるいにかけられたい」
そんな中、5月25日にJCF(公益財団法人 日本自転車競技連盟)から「第32回オリンピック競技大会(2020/東京)延期に伴う自転車競技ロード種目代表選考基準の見直しについて」が発表され、中断されていた代表選考期間が8月1日から78日間に決定した。それを見た増田は「出られるレースがないぞ、まずいぞ、どうしよう?」とかなり動揺したという。
UCIワールドツアーが再開する予定の8月1日から78日間となると、国内スケジュールは10月17日のジャパンカップクリテリウムまでの期間になり、翌日のジャパンカップは選考対象期間に含まれないことになる。現時点で中止が発表されているツール・ド・北海道(10月9日~12日)も含め、再設定された選考期間中に開催される国内のUCIレースはすべてなくなる可能性もあり、最悪の場合、8月に予定されている全日本選手しかUCIポイントを獲得できるチャンスがないことになる。ただ、その全日本選手権の開催も、まだまだ予断を許さない状況だ。
「今回の発表がある前にJCFからは、不公平をなくすために選考期間をどうすればいいか?というヒアリングが代表の候補となる選手に行われてあらかじめ調整はしてくれたのですが、僕からの意見が反映されることはなかったので複雑な心境ではあります。
自分としては、代表に選ばれるにしろ、選ばれないにしろ、戦って、走って、自分が起こしたアクションの中でふるいにかけられたい、という最低限の希望があります。でも、現状では最悪の場合、この後1レースも走れないまま挑戦を終えてしまう可能性があります。いくら楽観的な僕でも、この状況で4カ月半を平常心で過ごせる自信がありません」
現状では、増田は自分の意思とは関係なく、ただ傍観者のまま、UCIワールドツアーが再開する8月以降にずっと留まり続けた代表選考圏内の座を降りることになるかもしれない。
「それでも、1%でも可能性が残されている限りは、前に進むことを止めてはいけないとは思っていますし、トレーニングだけはペースを落とすことなく続けています。残り少なくなってきている選手キャリアを懸けて挑戦してきたことが中途半端な形で終わってしまうかもしれませんが、それでもその挑戦に賛同して支えてくださった運営会社、スポンサー、ファン・サポーターの皆様の想いに応えるために、引き続き頑張りたいと思います」
text:Nobumichi KOMORI/HATTRICK COMPANY
edit:Satoru Kato
レース中止が相次ぐ中でも「モチベーションも高くトレーニングを継続していた」
2019年1月1日から始まった、東京オリンピックの男子ロードレース競技代表選考。ツアー・ダウン・アンダーで新城幸也が幸先よくUCIポイントを獲得したが、その後、同年の代表選考争いの主役となったのが増田だった。
代表の座を確実なものにすべく、2020年になると増田はツール・ド・ランカウイ、そしてツール・ド・台湾に出場したが、ランカウイ第1ステージで落車に巻き込まれて腰の圧迫骨折を負う不運に見舞われ、期待されたUCIポイントの大量獲得は果たせなかった。その間に、新城は着実にUCIポイントを積み重ねて選考ランキングの首位に。増田は2位につけている状態で、新型コロナウイルスの感染拡大に伴うUCIのレース中止に直面する事態となった。
「ツール・ド・ランカウイの第1ステージで納得のいかない形で落車に巻き込まれ、狙った通りにUCIポイントを獲得できずにレースを終えました。ツール・ド・台湾でも多少回復できている感覚はあったものの、思うようにポイントを獲得することはできませんでした。それでも、回復している実感はあったので、地元で開催される次戦のツール・ド・とちぎに向けてしっかり準備をしていましたが、直前でレース中止の発表があり、さすがにその時は気持ちが落ち込みましたね。
その後にツアー・オブ・ジャパン、ツール・ド・熊野の中止も発表されましたが、新型コロナウイルスの被害がどれだけ拡大していくか分かりませんでしたし、レースよりもまず人命や健康の方が重要だ、と自分の中でもしっかり切り替えることができて、モチベーションも高くトレーニングを継続できていました」
「戦って、走って、自分が起こしたアクションの中でふるいにかけられたい」
そんな中、5月25日にJCF(公益財団法人 日本自転車競技連盟)から「第32回オリンピック競技大会(2020/東京)延期に伴う自転車競技ロード種目代表選考基準の見直しについて」が発表され、中断されていた代表選考期間が8月1日から78日間に決定した。それを見た増田は「出られるレースがないぞ、まずいぞ、どうしよう?」とかなり動揺したという。
UCIワールドツアーが再開する予定の8月1日から78日間となると、国内スケジュールは10月17日のジャパンカップクリテリウムまでの期間になり、翌日のジャパンカップは選考対象期間に含まれないことになる。現時点で中止が発表されているツール・ド・北海道(10月9日~12日)も含め、再設定された選考期間中に開催される国内のUCIレースはすべてなくなる可能性もあり、最悪の場合、8月に予定されている全日本選手しかUCIポイントを獲得できるチャンスがないことになる。ただ、その全日本選手権の開催も、まだまだ予断を許さない状況だ。
「今回の発表がある前にJCFからは、不公平をなくすために選考期間をどうすればいいか?というヒアリングが代表の候補となる選手に行われてあらかじめ調整はしてくれたのですが、僕からの意見が反映されることはなかったので複雑な心境ではあります。
自分としては、代表に選ばれるにしろ、選ばれないにしろ、戦って、走って、自分が起こしたアクションの中でふるいにかけられたい、という最低限の希望があります。でも、現状では最悪の場合、この後1レースも走れないまま挑戦を終えてしまう可能性があります。いくら楽観的な僕でも、この状況で4カ月半を平常心で過ごせる自信がありません」
現状では、増田は自分の意思とは関係なく、ただ傍観者のまま、UCIワールドツアーが再開する8月以降にずっと留まり続けた代表選考圏内の座を降りることになるかもしれない。
「それでも、1%でも可能性が残されている限りは、前に進むことを止めてはいけないとは思っていますし、トレーニングだけはペースを落とすことなく続けています。残り少なくなってきている選手キャリアを懸けて挑戦してきたことが中途半端な形で終わってしまうかもしれませんが、それでもその挑戦に賛同して支えてくださった運営会社、スポンサー、ファン・サポーターの皆様の想いに応えるために、引き続き頑張りたいと思います」
text:Nobumichi KOMORI/HATTRICK COMPANY
edit:Satoru Kato
Amazon.co.jp