2009/12/06(日) - 05:05
東京で開催されたツール・ド・フランス2010コースプレゼンテーションのために来日したベルナール・イノーに特別インタビュー。コースの全貌、闘い方、そして優勝者を予想してもらった。そしてイノー氏自身のレース観へと話は進んで行く。聞き手は綾野 真(cyclowired.jp)
ASOが日本でのイベントを企画中?
- 今回で何度目の来日になりますか?
確か4度か5度目だと思います。最近では2007年ですね。
- その年には神宮外苑の学生クリテリウムを走られましたね。日本には友人が沢山いますか?
たくさんかどうかはわからないけれど、自転車に乗って走る人は皆が私の友人です。モナミ!ですよ。
- 確か日本のグループが毎年あなたが後援しているレース「Courir pour la Paix=平和祈念自転車レース」にグループで走りに行っているという話を聞いたことがあります。
よくご存知ですね。毎年、今年も日本から10人ほどの友人がフランスで走りましたよ。ブルゴーニュあたりで開催されるレースです。競争というよりツーリングですが。
-同行している ASOの関係者から、日本の沖縄で何か自転車のイベントを開催する可能性について調べているというお話を伺いました。それはいったいどのような内容なのでしょうか。
まだ何も決まったわけではありませんが、何ができるか調べているというだけの段階です。本当に何も決まっていません。
同行のASO関係者: オキナワではムッシュー・ミウラ(三浦恭資さん)が優勝したんですよね!
- ツール・ド・おきなわのことですね(笑)。※この関係者は三浦氏と親交が深く、一同しばしこの話題で盛り上がる。
もしフジヤマ(富士山)でレースが出来れば、ツールで言うところのツールマレー峠になるはずですよ。どれぐらい上りが厳しいんですか?
- ツアー・オブ・ジャパンで使われているコースのことですね。20%から厳しいところでは22%はあります。12kmほどで。
それは十分厳しいですね! 走りがいがありそうだ。
日本人に初めて認識されたツールの英雄
- 日本では1985年に初めてナショナルテレビジョンのNHKがツールの放送を開始しました。だから日本人にとって最初のツールのヒーローは貴方なんです。そのことを知っていましたか?
もちろん、NHKが来たから僕は勝ったんだ(笑)。というのは冗談だけれど、その年は日本とアメリカのテレビカメラが初めて現場に入った年で、何か有るんだろうと時間をとって取材に対応したのを覚えているよ。
- だから私にとってのテレビで見た最初のヒーローは貴方なんです。今日はこうしてお目にかかれてとても光栄です。なにしろまだ私は高校生でしたから。
chouchou(シュシュ)だね(笑)。子供にとってのヒーローはそう呼ぶんだ。英語なら「アイドル」といったところかな。だから私は君のシュシュだったということだね(笑)。
2010ツールはフルコースメニューに似て
- ではさっそく2010年ツールについていろいろお話を聞かせてください。まずコース全体を見回して、どういうものになっていると思いますか? バランスはとれていますか?
一言で言って「闘って勝ちたいという人のためのコース」と言えるね。レストランのムニュ(MENU:フランス語で定食、英語の「コースメニュー」の意味)のように、勝つための選択肢があるんだ。
- フランスでのムニュは前菜、メイン、デザートなど、それぞれいくつかの選択肢から選んで注文しますね?
そう、タイムトライアル、山岳、そして戦略的に走るステージが用意されている。それを自分で選んで組み合わせるんだ。
私だったら3つ選ぶだろうね。自分で一番だと思うものを選んで組み合わせて取るんだ。自分を表現できるところがたくさんあるね。
風と石畳の危険がチャンスを生む 後半は「山岳の祭」
- 全体のプロフィールと重要なポイントを教えてください。
オランダのロッテルダムをスタートしてから、海に近い堤防沿いを18km走るステージがある。そこではもしかすると強い風が吹くだろう。ということは、風に強くない敵を排除するチャンスがあるということだ。コンタドールは風に強い選手ではない。
そして次にはパヴェがある。パリ~ルーベでも使われるコースで、たしかたった13kmほどだ。しかしツールに出る選手はパヴェに慣れていない選手が多い。危険なセクターで、そこでは一番前にいることがとても重要になってくる。ここでもコンタドールを排除することができる。
そしてもちろんいつものように山岳が一番重要だ。アルプスのモルジンヌの山岳ステージは本当のステージになるだろう。コロンビエール、セジエ、マドレーヌを経てサンジャン・ド・モリエンヌへゴールする峠の多いステージは、本当にハードなステージだ。
アルプスが終わるとピレネーが待っている。ツールマレー峠を2度登るステージは厳しい。初めてのツールマレー峠山頂ゴールだ。
実は来年は、ツールがツールマレー峠を初めて通過してから100周年の記念すべき年なんだ。だから意識してツールマレー周辺に山岳を集めた。そのためにチームタイムトライアルをなくしたんだ。タイムトライアルはプロローグとボルドーでの51kmだけ。山を集めて山岳のお祭りにしたというわけだよ。
- 「山岳のお祭り」が2010ツールのテーマということですか。
他にもある。オランダはビール、ブルゴーニュ、ボルドー、シャンパーニュ、そしてピレネーのジロンというワインの名所を訪ねるんだ。さしずめ「ツール・ド・アルコール」だね(笑)。
前半はコンタドールよりもアームストロング向き
ー マイヨジョーヌを決めるのはどのステージになるのでしょう?
いつもどおり山岳が重要になることは変わらないだろう。しかし序盤の平地でもアタックが可能だ。パヴェ、そしてリエージュ~バストーニュ~リエージュでも採用されるコースを通る。ロッテルダムからモルジンヌまではコンタドールよりもアームストロングに向いたコースだろう。
- 興味深い話です。山岳を待つ前に、平地で総合争いの勝負ができるとおっしゃるわけですね?
序盤の平地では戦略を使うことができる。罠にかけることができるんだ。
強い風が斜めに吹くとき、スピードを上げて集団をバラバラにすることができる。スピードを上げた集団で、風下にいて道路の端に選手を追いやることで風を受けさせ、突き落とすことができるんだ。
- 「エシュロン(※)」ですね。
※向かい風や横風のなかスピードを上げ、集団を分断していく戦術。前の選手の風下につこうとする選手が斜め一列となり、道路端の選手が風圧に煽られて中切れを起こしてしまう。
戦い方によっては山を待たずして平地でも大きな差をつけられる可能性がある。でも今はそういう戦略を取ることができる選手がいなくなった。クライマーとしてのコンタドールは素晴らしい選手だ。しかし風に強い選手ではない。そこにつけこまなくてはいけない。
相手の弱みを見逃すな
もし自分が山で一番だという確証が持てないのなら、他の解決法を探すべきだ。山がくるまで待っていては、コンタドールが勝ってしまうよ! 私なら自ら攻撃を仕掛けるだろう。
ひとつ例を挙げようか。私が走っていた頃、コロンビアの選手が山に非常に強いという話を聞いて皆が恐れていた。しかし私たちは風を利用して彼らを排除し、序盤のステージで12分の差をつけてしまったことがある。ちょうどそのときも北から始まるツールだった。
- カフェドコロンビアのルイス・ヘレラたちのことですね。山岳王にはなったが、優勝はできなかった。
あなたはかつて「平坦路でも決してペダルを踏む力を緩めず、どこでもアタックし、しかし非常に戦略的に走る選手」と形容されていましたね?
ツールに勝つには力も必要だが、インテリジェンスも必要だ。
もっと頭を使え!
今、集団では無線機が使われている。そんな変なモノはすぐ捨てて、自分で考えて走ることだ。いつも自分の周りの選手のことを観察して、隙があればそいつに罠をかけるように走り込んでいく。無線など使わないでいい。
例を挙げると、ウルリッヒは力があったがインテリジェンスに欠けた。だからあまり勝てなかったんだ。自転車選手は力と頭脳、その両方を駆使してゲームする悦びを感じて走らなければいけない。
チャンピオンは他の選手を食べてしまうんだ。いつも食うか食われるか。虎がいて、羊がいる。虎になれ、ガオッ!(牙を剥くフリをする)
ブルターニュの穴熊
- あなたにはかつてル・ブレアロ(穴熊)というあだ名がありましたね。その由来はそういった走りからつけられたものですか?
ハハハ、それは最初、選手たちがお互いを呼びかけ合う「掛け言葉」みたいなものだったんだ。「ブレアロ、ブレアロ」と。ちょうど「ヤァ、ヤァ」という具合だね。そのうち2人のチームメイトが「これはイノーにぴったりだ」
と言い出したんだ。そしてそれを聞きつけたピエール・シャニーというジャーナリストがレキップ紙に「ブレアロ、イノー」と書いたんだ。それで私のあだ名になったというわけさ。
- 穴熊はきっと凶暴で強いんでしょうが、少し弱いところもあるようなイメージですが?
いいところをついているとは思うね。ちょうど、選手が負けたり失敗した時、意地悪なジャーナリストにコテンパンに書かれるんだ。そうするとすごすごと自分の穴に戻るんだ。そしてしばらく考えて、また強くなって帰ってくるんだ。そんなところが自転車選手っぽいとも言えるね。
でも、言葉には流行り廃りがあって、ブレアロは、今はもう使う人がいないね。一時期流行ったファム(女性)をムファと読み替えたりするアソビが廃れたのと同じこと。ハヤリだね。使われなくなった。
- お話を伺っていると、やはりあなたには穴熊よりも虎の方がしっくりくるような気がしますが? 穴熊は気に入っていないでしょう?
そうだね、虎のほうがいいね。虎は獲物をじっと観察して、待って待って、追い詰めて一気に仕留める。レースも同じだ。le tue(殺し屋)だね(笑)。
- その言葉で今思い出すのは、2年前にサミュエル・ドゥムラン(コフィディス)がステージ優勝を遂げて表彰台に登ったときに、不届き者が彼の前に立ちはだかった。そのとき、あなたはとっさに突き飛ばしましたね。見事な素早さでした。皆が拍手喝采しました。「イノーはまだ老いちゃいない!」と。
2回目だったんだ。今年のツールでもあったね。そのときはヤド外務・人権担当相(フランスで話題になった黒人の若い女性大臣)が表彰台にいたから、余計神経質になっていたんだ。
- その俊敏さを保つ秘訣は自転車に乗っていることでしょうか? 今はどれぐらい乗っているのですか?
毎日ではなく、週に2,3回だね。家の近くを3時間走るようにしている。だいたい100kmぐらいだね。
各賞候補、そして優勝者を予想
- 楽しいお話の脱線でしたが、来年のツールの話に戻りましょう。それぞれ各賞の候補を上げて欲しいのですが。マイヨヴェール、マイヨ・アポア、マイヨ・ブランは誰が候補ですか?
マイヨジョーヌ候補のコンタドール以外は予想するのは難しいね。ちょっと予想がつかない。今年のマイヨ・アポア(ペリツォッティ)も、誰が彼が勝つことを予想できた? 誰もが意外だというとおり、誰にでも可能性がある。可能性が多すぎて絞れないんだ。2,3ポイントづつ細かく集めれば、真のクライマーでなくとも山岳賞を取ることは可能なんだ。
マイヨヴェールはカヴェンディッシュが順当だろう。ウショフ(フースホフト)は難しいのではないか。
- マイヨジョーヌはやはりコンタドールでしょうか? アームストロングは来年強くなって戻ってくるはずですが、優勝はできないと?
それは分からない。あのアメリカ人は全力を尽くしてトレーニングしてくるだろう。それは確かだ。しかし来年のツールはいささか山岳が多く、タイムトライアルが少ない。アームストロングには山岳が多すぎる。ランスならやりかねない。しかし確かなことは、来年になったら彼はまた1つ歳をとるということ。
- 山岳ではかなわないからこそ、序盤にコンタドールを蹴落とそうとランスは攻撃を仕掛けてくる?
そのとおり。序盤にコンタドールを痛めつけることができればランスは勝つことができるかもしれない。今の選手は風を使わなくなったのと、計算しすぎるのも良くないところだ。計算しすぎて攻撃することができず、山がくるのを待ってしまう。賢すぎることがチャンスを逸することになっている。
山岳やタイムトライアルで勝てるという確信がないのなら、他のステージで攻撃を仕掛けなくてどうするのか? 自分が勝てるチャンスを作り出すことができなければ、負けるんだ。
- アンディ・シュレクはどうすればツールに勝てますか?
ノン。彼はツールには勝てないよ。タイムトライアルが弱い。
- もう一度聞きますが、 アームストロングはコンタドールに勝てると思いますか?
ちょっと難しいだろうと思っている。やはりいつものツールのようにもっとも大事なのは山岳だ。総合順位は山で決まるだろうと思っている。上位は今年と似たような選手が並ぶことになるだろう。
- あなた以来、フランス人が勝てない状態が続きますね。トップチームも減りました(コフィディスとブイグテレコムがプロコンチに降格し、アグリチュベルが解散)。
それは私もおおいに心配なところだ。今の若い選手は、監督が厳しいことをいうとすぐにチームを辞めてしまうので、うかつなことが言えない。困ったものだ。
無線機のこともそうだ。自分で考えずに指示ばかり待っている。言われるまで走り方を考えないし、負けても監督のせいにして、責任をとらなくていいと喜んでいる選手もいるんだ。
新城、別府、そしてエキップアサダ
- ところで、今年のツールでは別府と新城の2人の日本人が完走をしました。どのように見ましたか?
とても良いことだ。ただ完走しただけでなくアタックをかけていた。ツールに日本人がいるという存在感を示していた。
- 2人をそれぞれどう評価しますか。
ベップのほうがアラシロより少し強いだろうか? しかしそんなことはどうでもよく、来年は分からない。次は勝つ事だ。
- 日本のチームのエキップアサダ「メイタン」はご存じですか?フランスで走っていて、ツール・ド・フランスに出ることだけを目標に走っている日本人中心のチームです。しかし来年はスポンサーがなく、チーム活動はお休み。再来年からまたツールに出るために走るようです。どう思われますか? 馬鹿げていますか?
ツールに出ない理由などない(=つまり「出ればいい」)。それだけだね。
なるほど、もっともです(笑)。
さて、そろそろお時間のようです。今日はどうもありがとうございました。メルシー、ムッシュー・イノー。
ウイ、ジュブサンプリ、メルシー・ボクー。またフランスに来て下さい。ぜひツールでお会いしましょう。
ベルナール・イノー Bernard Hinault
1954年11月14日生まれ。フランス、ブルターニュ地方出身。1974年20歳にプロデビュー。ツール・ド・フランス5勝(1978年、1979年、1981年、1982年、1985年)をはじめ、ジロ・デ・イタリア3勝(1980年、1982年、1985年)、ブエルタ・ア・エスパーニャ2勝(1978年、1983年)、世界選手権ロード優勝(1980年)、パリ〜ルーベ、ジロ・ディ・ロンバルディア、アムステルゴールドレース等メジャーレースの多くで勝利をあげているフランスの英雄。1986年に引退し、ツール・ド・フランスの運営会社A.S.O(アモリースポーツオルガニザシヨン)の渉外責任者としてツール・ド・フランスの運営に関わる。ツールでは表彰式のプレゼンターをつとめるほか、敢闘賞の選考委員などもつとめた。
interview&text:Makoto.AYANO
photo:CorVos,Makoto.AYANO
Thanks to Ayako.HOSONO,Akiko.KAWACHI
ASOが日本でのイベントを企画中?
- 今回で何度目の来日になりますか?
確か4度か5度目だと思います。最近では2007年ですね。
- その年には神宮外苑の学生クリテリウムを走られましたね。日本には友人が沢山いますか?
たくさんかどうかはわからないけれど、自転車に乗って走る人は皆が私の友人です。モナミ!ですよ。
- 確か日本のグループが毎年あなたが後援しているレース「Courir pour la Paix=平和祈念自転車レース」にグループで走りに行っているという話を聞いたことがあります。
よくご存知ですね。毎年、今年も日本から10人ほどの友人がフランスで走りましたよ。ブルゴーニュあたりで開催されるレースです。競争というよりツーリングですが。
-同行している ASOの関係者から、日本の沖縄で何か自転車のイベントを開催する可能性について調べているというお話を伺いました。それはいったいどのような内容なのでしょうか。
まだ何も決まったわけではありませんが、何ができるか調べているというだけの段階です。本当に何も決まっていません。
同行のASO関係者: オキナワではムッシュー・ミウラ(三浦恭資さん)が優勝したんですよね!
- ツール・ド・おきなわのことですね(笑)。※この関係者は三浦氏と親交が深く、一同しばしこの話題で盛り上がる。
もしフジヤマ(富士山)でレースが出来れば、ツールで言うところのツールマレー峠になるはずですよ。どれぐらい上りが厳しいんですか?
- ツアー・オブ・ジャパンで使われているコースのことですね。20%から厳しいところでは22%はあります。12kmほどで。
それは十分厳しいですね! 走りがいがありそうだ。
日本人に初めて認識されたツールの英雄
- 日本では1985年に初めてナショナルテレビジョンのNHKがツールの放送を開始しました。だから日本人にとって最初のツールのヒーローは貴方なんです。そのことを知っていましたか?
もちろん、NHKが来たから僕は勝ったんだ(笑)。というのは冗談だけれど、その年は日本とアメリカのテレビカメラが初めて現場に入った年で、何か有るんだろうと時間をとって取材に対応したのを覚えているよ。
- だから私にとってのテレビで見た最初のヒーローは貴方なんです。今日はこうしてお目にかかれてとても光栄です。なにしろまだ私は高校生でしたから。
chouchou(シュシュ)だね(笑)。子供にとってのヒーローはそう呼ぶんだ。英語なら「アイドル」といったところかな。だから私は君のシュシュだったということだね(笑)。
2010ツールはフルコースメニューに似て
- ではさっそく2010年ツールについていろいろお話を聞かせてください。まずコース全体を見回して、どういうものになっていると思いますか? バランスはとれていますか?
一言で言って「闘って勝ちたいという人のためのコース」と言えるね。レストランのムニュ(MENU:フランス語で定食、英語の「コースメニュー」の意味)のように、勝つための選択肢があるんだ。
- フランスでのムニュは前菜、メイン、デザートなど、それぞれいくつかの選択肢から選んで注文しますね?
そう、タイムトライアル、山岳、そして戦略的に走るステージが用意されている。それを自分で選んで組み合わせるんだ。
私だったら3つ選ぶだろうね。自分で一番だと思うものを選んで組み合わせて取るんだ。自分を表現できるところがたくさんあるね。
風と石畳の危険がチャンスを生む 後半は「山岳の祭」
- 全体のプロフィールと重要なポイントを教えてください。
オランダのロッテルダムをスタートしてから、海に近い堤防沿いを18km走るステージがある。そこではもしかすると強い風が吹くだろう。ということは、風に強くない敵を排除するチャンスがあるということだ。コンタドールは風に強い選手ではない。
そして次にはパヴェがある。パリ~ルーベでも使われるコースで、たしかたった13kmほどだ。しかしツールに出る選手はパヴェに慣れていない選手が多い。危険なセクターで、そこでは一番前にいることがとても重要になってくる。ここでもコンタドールを排除することができる。
そしてもちろんいつものように山岳が一番重要だ。アルプスのモルジンヌの山岳ステージは本当のステージになるだろう。コロンビエール、セジエ、マドレーヌを経てサンジャン・ド・モリエンヌへゴールする峠の多いステージは、本当にハードなステージだ。
アルプスが終わるとピレネーが待っている。ツールマレー峠を2度登るステージは厳しい。初めてのツールマレー峠山頂ゴールだ。
実は来年は、ツールがツールマレー峠を初めて通過してから100周年の記念すべき年なんだ。だから意識してツールマレー周辺に山岳を集めた。そのためにチームタイムトライアルをなくしたんだ。タイムトライアルはプロローグとボルドーでの51kmだけ。山を集めて山岳のお祭りにしたというわけだよ。
- 「山岳のお祭り」が2010ツールのテーマということですか。
他にもある。オランダはビール、ブルゴーニュ、ボルドー、シャンパーニュ、そしてピレネーのジロンというワインの名所を訪ねるんだ。さしずめ「ツール・ド・アルコール」だね(笑)。
前半はコンタドールよりもアームストロング向き
ー マイヨジョーヌを決めるのはどのステージになるのでしょう?
いつもどおり山岳が重要になることは変わらないだろう。しかし序盤の平地でもアタックが可能だ。パヴェ、そしてリエージュ~バストーニュ~リエージュでも採用されるコースを通る。ロッテルダムからモルジンヌまではコンタドールよりもアームストロングに向いたコースだろう。
- 興味深い話です。山岳を待つ前に、平地で総合争いの勝負ができるとおっしゃるわけですね?
序盤の平地では戦略を使うことができる。罠にかけることができるんだ。
強い風が斜めに吹くとき、スピードを上げて集団をバラバラにすることができる。スピードを上げた集団で、風下にいて道路の端に選手を追いやることで風を受けさせ、突き落とすことができるんだ。
- 「エシュロン(※)」ですね。
※向かい風や横風のなかスピードを上げ、集団を分断していく戦術。前の選手の風下につこうとする選手が斜め一列となり、道路端の選手が風圧に煽られて中切れを起こしてしまう。
戦い方によっては山を待たずして平地でも大きな差をつけられる可能性がある。でも今はそういう戦略を取ることができる選手がいなくなった。クライマーとしてのコンタドールは素晴らしい選手だ。しかし風に強い選手ではない。そこにつけこまなくてはいけない。
相手の弱みを見逃すな
もし自分が山で一番だという確証が持てないのなら、他の解決法を探すべきだ。山がくるまで待っていては、コンタドールが勝ってしまうよ! 私なら自ら攻撃を仕掛けるだろう。
ひとつ例を挙げようか。私が走っていた頃、コロンビアの選手が山に非常に強いという話を聞いて皆が恐れていた。しかし私たちは風を利用して彼らを排除し、序盤のステージで12分の差をつけてしまったことがある。ちょうどそのときも北から始まるツールだった。
- カフェドコロンビアのルイス・ヘレラたちのことですね。山岳王にはなったが、優勝はできなかった。
あなたはかつて「平坦路でも決してペダルを踏む力を緩めず、どこでもアタックし、しかし非常に戦略的に走る選手」と形容されていましたね?
ツールに勝つには力も必要だが、インテリジェンスも必要だ。
もっと頭を使え!
今、集団では無線機が使われている。そんな変なモノはすぐ捨てて、自分で考えて走ることだ。いつも自分の周りの選手のことを観察して、隙があればそいつに罠をかけるように走り込んでいく。無線など使わないでいい。
例を挙げると、ウルリッヒは力があったがインテリジェンスに欠けた。だからあまり勝てなかったんだ。自転車選手は力と頭脳、その両方を駆使してゲームする悦びを感じて走らなければいけない。
チャンピオンは他の選手を食べてしまうんだ。いつも食うか食われるか。虎がいて、羊がいる。虎になれ、ガオッ!(牙を剥くフリをする)
ブルターニュの穴熊
- あなたにはかつてル・ブレアロ(穴熊)というあだ名がありましたね。その由来はそういった走りからつけられたものですか?
ハハハ、それは最初、選手たちがお互いを呼びかけ合う「掛け言葉」みたいなものだったんだ。「ブレアロ、ブレアロ」と。ちょうど「ヤァ、ヤァ」という具合だね。そのうち2人のチームメイトが「これはイノーにぴったりだ」
と言い出したんだ。そしてそれを聞きつけたピエール・シャニーというジャーナリストがレキップ紙に「ブレアロ、イノー」と書いたんだ。それで私のあだ名になったというわけさ。
- 穴熊はきっと凶暴で強いんでしょうが、少し弱いところもあるようなイメージですが?
いいところをついているとは思うね。ちょうど、選手が負けたり失敗した時、意地悪なジャーナリストにコテンパンに書かれるんだ。そうするとすごすごと自分の穴に戻るんだ。そしてしばらく考えて、また強くなって帰ってくるんだ。そんなところが自転車選手っぽいとも言えるね。
でも、言葉には流行り廃りがあって、ブレアロは、今はもう使う人がいないね。一時期流行ったファム(女性)をムファと読み替えたりするアソビが廃れたのと同じこと。ハヤリだね。使われなくなった。
- お話を伺っていると、やはりあなたには穴熊よりも虎の方がしっくりくるような気がしますが? 穴熊は気に入っていないでしょう?
そうだね、虎のほうがいいね。虎は獲物をじっと観察して、待って待って、追い詰めて一気に仕留める。レースも同じだ。le tue(殺し屋)だね(笑)。
- その言葉で今思い出すのは、2年前にサミュエル・ドゥムラン(コフィディス)がステージ優勝を遂げて表彰台に登ったときに、不届き者が彼の前に立ちはだかった。そのとき、あなたはとっさに突き飛ばしましたね。見事な素早さでした。皆が拍手喝采しました。「イノーはまだ老いちゃいない!」と。
2回目だったんだ。今年のツールでもあったね。そのときはヤド外務・人権担当相(フランスで話題になった黒人の若い女性大臣)が表彰台にいたから、余計神経質になっていたんだ。
- その俊敏さを保つ秘訣は自転車に乗っていることでしょうか? 今はどれぐらい乗っているのですか?
毎日ではなく、週に2,3回だね。家の近くを3時間走るようにしている。だいたい100kmぐらいだね。
各賞候補、そして優勝者を予想
- 楽しいお話の脱線でしたが、来年のツールの話に戻りましょう。それぞれ各賞の候補を上げて欲しいのですが。マイヨヴェール、マイヨ・アポア、マイヨ・ブランは誰が候補ですか?
マイヨジョーヌ候補のコンタドール以外は予想するのは難しいね。ちょっと予想がつかない。今年のマイヨ・アポア(ペリツォッティ)も、誰が彼が勝つことを予想できた? 誰もが意外だというとおり、誰にでも可能性がある。可能性が多すぎて絞れないんだ。2,3ポイントづつ細かく集めれば、真のクライマーでなくとも山岳賞を取ることは可能なんだ。
マイヨヴェールはカヴェンディッシュが順当だろう。ウショフ(フースホフト)は難しいのではないか。
- マイヨジョーヌはやはりコンタドールでしょうか? アームストロングは来年強くなって戻ってくるはずですが、優勝はできないと?
それは分からない。あのアメリカ人は全力を尽くしてトレーニングしてくるだろう。それは確かだ。しかし来年のツールはいささか山岳が多く、タイムトライアルが少ない。アームストロングには山岳が多すぎる。ランスならやりかねない。しかし確かなことは、来年になったら彼はまた1つ歳をとるということ。
- 山岳ではかなわないからこそ、序盤にコンタドールを蹴落とそうとランスは攻撃を仕掛けてくる?
そのとおり。序盤にコンタドールを痛めつけることができればランスは勝つことができるかもしれない。今の選手は風を使わなくなったのと、計算しすぎるのも良くないところだ。計算しすぎて攻撃することができず、山がくるのを待ってしまう。賢すぎることがチャンスを逸することになっている。
山岳やタイムトライアルで勝てるという確信がないのなら、他のステージで攻撃を仕掛けなくてどうするのか? 自分が勝てるチャンスを作り出すことができなければ、負けるんだ。
- アンディ・シュレクはどうすればツールに勝てますか?
ノン。彼はツールには勝てないよ。タイムトライアルが弱い。
- もう一度聞きますが、 アームストロングはコンタドールに勝てると思いますか?
ちょっと難しいだろうと思っている。やはりいつものツールのようにもっとも大事なのは山岳だ。総合順位は山で決まるだろうと思っている。上位は今年と似たような選手が並ぶことになるだろう。
- あなた以来、フランス人が勝てない状態が続きますね。トップチームも減りました(コフィディスとブイグテレコムがプロコンチに降格し、アグリチュベルが解散)。
それは私もおおいに心配なところだ。今の若い選手は、監督が厳しいことをいうとすぐにチームを辞めてしまうので、うかつなことが言えない。困ったものだ。
無線機のこともそうだ。自分で考えずに指示ばかり待っている。言われるまで走り方を考えないし、負けても監督のせいにして、責任をとらなくていいと喜んでいる選手もいるんだ。
新城、別府、そしてエキップアサダ
- ところで、今年のツールでは別府と新城の2人の日本人が完走をしました。どのように見ましたか?
とても良いことだ。ただ完走しただけでなくアタックをかけていた。ツールに日本人がいるという存在感を示していた。
- 2人をそれぞれどう評価しますか。
ベップのほうがアラシロより少し強いだろうか? しかしそんなことはどうでもよく、来年は分からない。次は勝つ事だ。
- 日本のチームのエキップアサダ「メイタン」はご存じですか?フランスで走っていて、ツール・ド・フランスに出ることだけを目標に走っている日本人中心のチームです。しかし来年はスポンサーがなく、チーム活動はお休み。再来年からまたツールに出るために走るようです。どう思われますか? 馬鹿げていますか?
ツールに出ない理由などない(=つまり「出ればいい」)。それだけだね。
なるほど、もっともです(笑)。
さて、そろそろお時間のようです。今日はどうもありがとうございました。メルシー、ムッシュー・イノー。
ウイ、ジュブサンプリ、メルシー・ボクー。またフランスに来て下さい。ぜひツールでお会いしましょう。
ベルナール・イノー Bernard Hinault
1954年11月14日生まれ。フランス、ブルターニュ地方出身。1974年20歳にプロデビュー。ツール・ド・フランス5勝(1978年、1979年、1981年、1982年、1985年)をはじめ、ジロ・デ・イタリア3勝(1980年、1982年、1985年)、ブエルタ・ア・エスパーニャ2勝(1978年、1983年)、世界選手権ロード優勝(1980年)、パリ〜ルーベ、ジロ・ディ・ロンバルディア、アムステルゴールドレース等メジャーレースの多くで勝利をあげているフランスの英雄。1986年に引退し、ツール・ド・フランスの運営会社A.S.O(アモリースポーツオルガニザシヨン)の渉外責任者としてツール・ド・フランスの運営に関わる。ツールでは表彰式のプレゼンターをつとめるほか、敢闘賞の選考委員などもつとめた。
interview&text:Makoto.AYANO
photo:CorVos,Makoto.AYANO
Thanks to Ayako.HOSONO,Akiko.KAWACHI
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