2016/11/12(土) - 16:24
アダム・ハンセン(オーストラリア、ロット・ソウダル)のインタビュー後編は彼の偉大なグランツール16回出場記録や年間プログラム、プロ生活について。ヨーロッパに挑む若手へのメッセージも。(前編はこちら)
グランツールの連続出場記録を意識し始めたのはいつですか?
グランツールを6回走り終えたところで誰かに「記録がかかっているから頑張れ」と言われたんだ。でもその時は「いやいや、無理だろう」と正直に思った。落車もあるし、病気にもかかるし、12回連続出場した選手のことが信じられなかった。とにかく運が必要だと思ったし、記録については考えないようにしていたんだ。でも10回、11回と出場が進んで行くうちに「よし、ここまで来たら行けるところまで行ってやろう」と思った。
そして迎えた連続12回目のグランツール、昨年のツール・ド・フランスで落車して肩を脱臼した。酷い落車だったけど、鎖骨の骨折ではないと思ったし、チームカーの監督に言ったところで「何やってんだ」と怒られるのは目に見えていた。だからとにかくフィニッシュしてから診察を受けようと思った。
痛みをこらえて走りながら「ああ、これで記録は止まるのか。12回まで来たんだから上出来じゃないか」と自分に言い聞かせたよ。まぁ結局はただの脱臼で、次の日も走ることができたわけだけど、そこで気が楽になった。
連続出場についてチームの理解は得ていますか?
自分の記録のために走っているのではなくて、あくまでもチームとして成績を出すために走っている。その結果、ジロ・デ・イタリアとブエルタ・ア・エスパーニャでステージ優勝しているし、チームメイトの勝利に貢献できている。楽しみながら走っているよ。
初めてグランツールを連戦したのは2012年。実はその年、ジロとツールを走ったけど、ブエルタのメンバーからは外れていたんだ。そこでロットのフリソン・ヘルマン監督に「真剣に出たいと思っている」と電話をしたけど、本気で取り合ってもらえなかった。
でもしつこく説得してメンバー入り。そこでしっかりと仕事をこなしたので、それ以降は何も言わなくても同じレースプログラムが組まれるようになった。今はチームも自分もこのプログラムに満足している。42歳まで現役を続ければ記録は伸びると思うけど、運に左右されるから、この先どこまで数字を伸ばせるかはわからない。
一番思い出深いグランツールは?
16回のグランツールの中で一番の思い出はやっぱりジロとブエルタのステージ優勝かな。逃げの中から飛び出して勝ったジロよりも、集団から抜け出して独走勝利したブエルタのほうが印象深い。チームとしてトレインを組んでアンドレを勝たせるのはいつだって最高。
3つのグランツールの中でジロは自分の中で特別な存在。これまで一番苦しめられたグランツールは今年のブエルタかな。あとはツールのステージ優勝が欠けている。(現在35歳で)あまり時間がないから急がないと。
1年間で家を離れている日数は?レース日数は?
今から3〜5年前は平均して年間101日間レースに出場。でも2年前にツアー・オブ・北京がなくなって、代わりにワンデーレースをいくつか追加したので今はおよそ95日間。
「3つのグランツールに出場すると家に帰る暇がないね」と言われるけどそれは間違ってる。もしチームのクラシックプログラムに組み込まれれば3週間ベルギーに滞在して、その間に6レース前後しか走れない。逆に自分は3週間で21日間レース走っていることになる。
(1レースの日数が長くて)年間9レースしか走らないから、年間40〜50レース走る選手よりもずっと移動時間が少なくて済むんだ。他の選手はレースから帰ってきて3〜4日で次のレースに行く繰り返し。3週間の休養が1年に1回あるかないかだけど、自分は1ヶ月まるっと家にいる期間が年間4回もあるので他の選手に羨ましがられるよ。
自分の家だと感じるのはチェコ?それともオーストラリア?
家はチェコ。レースがないときは基本的にチェコで過ごしている。オーストラリアに帰国しても自宅がないから「スーツケースの中の生活」なんだ。いつも1月に帰国してオーストラリア選手権とツアー・ダウンアンダーを走り、そこから残りのシーズンはずっとヨーロッパにいる。スーツケースを片付けて家でまったりと過ごすんだ。
他の選手と同じようなプログラムだと3つのグランツールを走るなんて無理だと思う。チェコの家でリラックスする時間があるから頑張れる。まぁレース期間中は洗濯や料理や買い物から完全に解放されるから楽だけど。
オフシーズンの好きな旅行先はどこ?
レースを除けば、好きな旅行先は子供の頃に住んでいた香港かな。今でも1年間に1回は訪れているし、3週間前にも行った。アジア料理が好きなので、ヨーロッパからアクセスの良い香港によく足が伸びる。東京と同じようにテクノロジーが進歩していてガジェットに溢れ、アジア料理に不自由しないから好きなんだ。
正しい日本料理や中国料理に馴染みがあるオーストラリア出身者から見ると、多くのヨーロッパ人は正しいアジア料理に触れる機会がないので、間違った解釈をしていると思う。ツアー・オブ・北京の期間中は特に美味しくない料理が出るホテルを抜け出して、同じくアジア料理が好きなグレゴリー・ヘンダーソンとよく地元のレストランや屋台で食べていたよ。
現在コミュニケーションが取れる言語は?
英語とドイツ語、チェコ語、そしてベルギーチーム所属なのでオランダ語。まだあまり喋ることができないけどオランダ語はある程度理解できる。
ヨーロッパで走っている日本人選手はうまく英語を話すと感じているけど、一般的に日本人が言語に苦戦する姿は想像できる。自分も初めてヨーロッパに渡ったときはチンプンカンプンだった。最初はオーストリアのアマチュアチームに入ったので当然周りはドイツ語。ミーティングで何を言ってるのか分からなければ話にならないので必死に勉強した。
日本人選手や若い選手へのメッセージをお願いします
日本もオーストラリアもヨーロッパから遠く離れている。家族や友人から離れた場所で、まったく違う文化の中で生き抜かなければならない。だからヨーロッパのプロトンの中で日本人選手やアジア人の選手、若いオーストラリア人選手を見るとつい応援したくなる。問題が起こったらすぐに車で帰れる若いヨーロッパ人にはない強さが彼らにはある。同時に、ヨーロッパ人を凌駕する強さが必要だ。
これは若い選手にも言っていることだけど、後悔を残したままキャリアを終えたくないんだ。「あの時あの長さのクランクを試していれば」なんて思いながら引退したくない。一度やってみてダメだったら戻せばいいし、試すことで疑問が一つなくなる。若い選手にはもっとオープンな気持ちで色んなことを試してほしい。誰も正しい答えなんて分からないから、自分が納得するまでトライしてみたらいいんだ。
text:Kei Tsuji
グランツールの連続出場記録を意識し始めたのはいつですか?
グランツールを6回走り終えたところで誰かに「記録がかかっているから頑張れ」と言われたんだ。でもその時は「いやいや、無理だろう」と正直に思った。落車もあるし、病気にもかかるし、12回連続出場した選手のことが信じられなかった。とにかく運が必要だと思ったし、記録については考えないようにしていたんだ。でも10回、11回と出場が進んで行くうちに「よし、ここまで来たら行けるところまで行ってやろう」と思った。
そして迎えた連続12回目のグランツール、昨年のツール・ド・フランスで落車して肩を脱臼した。酷い落車だったけど、鎖骨の骨折ではないと思ったし、チームカーの監督に言ったところで「何やってんだ」と怒られるのは目に見えていた。だからとにかくフィニッシュしてから診察を受けようと思った。
痛みをこらえて走りながら「ああ、これで記録は止まるのか。12回まで来たんだから上出来じゃないか」と自分に言い聞かせたよ。まぁ結局はただの脱臼で、次の日も走ることができたわけだけど、そこで気が楽になった。
連続出場についてチームの理解は得ていますか?
自分の記録のために走っているのではなくて、あくまでもチームとして成績を出すために走っている。その結果、ジロ・デ・イタリアとブエルタ・ア・エスパーニャでステージ優勝しているし、チームメイトの勝利に貢献できている。楽しみながら走っているよ。
初めてグランツールを連戦したのは2012年。実はその年、ジロとツールを走ったけど、ブエルタのメンバーからは外れていたんだ。そこでロットのフリソン・ヘルマン監督に「真剣に出たいと思っている」と電話をしたけど、本気で取り合ってもらえなかった。
でもしつこく説得してメンバー入り。そこでしっかりと仕事をこなしたので、それ以降は何も言わなくても同じレースプログラムが組まれるようになった。今はチームも自分もこのプログラムに満足している。42歳まで現役を続ければ記録は伸びると思うけど、運に左右されるから、この先どこまで数字を伸ばせるかはわからない。
一番思い出深いグランツールは?
16回のグランツールの中で一番の思い出はやっぱりジロとブエルタのステージ優勝かな。逃げの中から飛び出して勝ったジロよりも、集団から抜け出して独走勝利したブエルタのほうが印象深い。チームとしてトレインを組んでアンドレを勝たせるのはいつだって最高。
3つのグランツールの中でジロは自分の中で特別な存在。これまで一番苦しめられたグランツールは今年のブエルタかな。あとはツールのステージ優勝が欠けている。(現在35歳で)あまり時間がないから急がないと。
1年間で家を離れている日数は?レース日数は?
今から3〜5年前は平均して年間101日間レースに出場。でも2年前にツアー・オブ・北京がなくなって、代わりにワンデーレースをいくつか追加したので今はおよそ95日間。
「3つのグランツールに出場すると家に帰る暇がないね」と言われるけどそれは間違ってる。もしチームのクラシックプログラムに組み込まれれば3週間ベルギーに滞在して、その間に6レース前後しか走れない。逆に自分は3週間で21日間レース走っていることになる。
(1レースの日数が長くて)年間9レースしか走らないから、年間40〜50レース走る選手よりもずっと移動時間が少なくて済むんだ。他の選手はレースから帰ってきて3〜4日で次のレースに行く繰り返し。3週間の休養が1年に1回あるかないかだけど、自分は1ヶ月まるっと家にいる期間が年間4回もあるので他の選手に羨ましがられるよ。
自分の家だと感じるのはチェコ?それともオーストラリア?
家はチェコ。レースがないときは基本的にチェコで過ごしている。オーストラリアに帰国しても自宅がないから「スーツケースの中の生活」なんだ。いつも1月に帰国してオーストラリア選手権とツアー・ダウンアンダーを走り、そこから残りのシーズンはずっとヨーロッパにいる。スーツケースを片付けて家でまったりと過ごすんだ。
他の選手と同じようなプログラムだと3つのグランツールを走るなんて無理だと思う。チェコの家でリラックスする時間があるから頑張れる。まぁレース期間中は洗濯や料理や買い物から完全に解放されるから楽だけど。
オフシーズンの好きな旅行先はどこ?
レースを除けば、好きな旅行先は子供の頃に住んでいた香港かな。今でも1年間に1回は訪れているし、3週間前にも行った。アジア料理が好きなので、ヨーロッパからアクセスの良い香港によく足が伸びる。東京と同じようにテクノロジーが進歩していてガジェットに溢れ、アジア料理に不自由しないから好きなんだ。
正しい日本料理や中国料理に馴染みがあるオーストラリア出身者から見ると、多くのヨーロッパ人は正しいアジア料理に触れる機会がないので、間違った解釈をしていると思う。ツアー・オブ・北京の期間中は特に美味しくない料理が出るホテルを抜け出して、同じくアジア料理が好きなグレゴリー・ヘンダーソンとよく地元のレストランや屋台で食べていたよ。
現在コミュニケーションが取れる言語は?
英語とドイツ語、チェコ語、そしてベルギーチーム所属なのでオランダ語。まだあまり喋ることができないけどオランダ語はある程度理解できる。
ヨーロッパで走っている日本人選手はうまく英語を話すと感じているけど、一般的に日本人が言語に苦戦する姿は想像できる。自分も初めてヨーロッパに渡ったときはチンプンカンプンだった。最初はオーストリアのアマチュアチームに入ったので当然周りはドイツ語。ミーティングで何を言ってるのか分からなければ話にならないので必死に勉強した。
日本人選手や若い選手へのメッセージをお願いします
日本もオーストラリアもヨーロッパから遠く離れている。家族や友人から離れた場所で、まったく違う文化の中で生き抜かなければならない。だからヨーロッパのプロトンの中で日本人選手やアジア人の選手、若いオーストラリア人選手を見るとつい応援したくなる。問題が起こったらすぐに車で帰れる若いヨーロッパ人にはない強さが彼らにはある。同時に、ヨーロッパ人を凌駕する強さが必要だ。
これは若い選手にも言っていることだけど、後悔を残したままキャリアを終えたくないんだ。「あの時あの長さのクランクを試していれば」なんて思いながら引退したくない。一度やってみてダメだったら戻せばいいし、試すことで疑問が一つなくなる。若い選手にはもっとオープンな気持ちで色んなことを試してほしい。誰も正しい答えなんて分からないから、自分が納得するまでトライしてみたらいいんだ。
text:Kei Tsuji
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