2015/06/05(金) - 17:52
今年2月のアジア選手権、女子ジュニアで5種目の金メダルを獲得した梶原悠未。高校に入ってから自転車競技を始め、2年足らずでアジアの頂点に立った。自転車を始めた当初から梶原に注目していた筆者、フォトグラファーの加藤 智がお話を伺った。
筑波大付属坂戸高校に入学して自転車競技を始めた梶原。2歳の時から水泳をやっていたというが、なぜ自転車を始めようと思ったのか?
高校3年間だけやろうと思っていた自転車競技
ー 高校生になってから自転車を始めようと思ったのはなぜ?
梶原:水泳では小学4年の時から中学2年まで全国大会に出続けていたんですけど、中学3年の時は関東大会2位で終わってしまったんです。それが悔しくて、高校ではまったく違う種目をやってみようと思ったんです。
ー 水泳の種目は何をやっていたの?
梶原:自由形の中距離です。主に100mをやってました。
ー 自転車選手には水泳経験者が多いけど、中距離ってのは珍しいね。それにしても、なぜ自転車競技を選んだの?
梶原:最初は陸上部と自転車部で迷ったんです。自転車はまったく未知の世界だったんですけど、自転車部顧問の安達先生の説明を聞いていたら面白そうだな、と。先生の熱心な説明を聞いて、やってみようと決めました。でもあくまで高校3年間だけやる部活として考えてました。
安達昌宏先生に梶原が入部した当時の事を聞くと、「競技に対する意識が強い子だった」と第一印象を話す。
安達先生:梶原は最初からインターハイに行きたいという意思を強く持っていました。ウチの部ではまずローラー台に乗せてみるんですけど、フォームとかペダリングとか体幹とか、教えないうちにある程度出来ている。これは出来る子だなと感じました。
安達先生の感じた事を裏付けるように、梶原は1年目からインターハイ出場を果たす。でも水泳のことが抜けきらなかったと梶原は言う。
梶原:安達先生に「自転車を好きになれ」って言われていたんですけど、水泳のことが頭のどこかに残っていました。インターハイでは落車してしまって、「自転車イヤだなー」って思う事もありました。でも都道府県大会(2013年第48回全国都道府県対抗大会・長崎県で開催)のポイントレースで3位に入って、自転車競技の面白さがわかってきました。
ー どんなところが面白いと思えるようになった?
梶原:水泳はタイムを競うものだけれど、自転車は勝つための作戦があって、展開次第で勝つ事も負ける事もあるところですね。水泳はベストタイムが出た時も、なかなかタイムが伸びない時も、その原因がわからない事があります。でも自転車は練習した事がそのまま結果に出る。それが一番の違いですね。
「夢」をみつけた2014年
梶原は、高校1年最後のレース「全国高等学校選抜自転車競技大会」で優勝。これをきっかけに梶原をとりまく環境は大きく変わっていく。ナショナルチームの柿木孝之コーチの目にとまり、強化指定選手となった。
高校2年になって最初のレース「チャレンジサイクルロードレース」で優勝。5月にカザフスタンで行われたアジア選手権では、ロードレースとタイムトライアルで2位。6月の全日本選手権では、ロードレースとタイムトライアルの両方で優勝。そして9月にはロードレースの世界選手権に出場した。
ー 昨年1年間はどんな感じだった?
梶原:漢字一文字で表すなら「夢」ですね。アジア選手権や世界選手権という、夢なんじゃないかって大舞台で走らせてもらいました。東京オリンピック出場という夢も見つけました。とにかく2014年はいろんな経験をさせてもらって、とても充実した1年でした。
ー 世界選手権の前にスイスで合宿に参加したと聞いたけど?
梶原:スイスのWCC(ワールドサイクリングセンター)で行われたジュニアの合宿です。世界中から集まった10人くらいの選手と1ヶ月間一緒に過ごしました。みんな世界選手権に出場するような強い選手ばかりでとてもよい刺激になりましたし、世界選手権本番にも活かせました。
ー初めての世界選手権はどうだった?
梶原:周りは体が大きい選手ばかりだし、スピードも違うし...。でも、この人達に勝てるようにならないといけないんだな、と。そうしないと東京オリンピックでも勝てないんだな、と。それまでは漠然と考えていた東京オリンピックが、具体的に見えるようになりました。
エリートのレベルを垣間見て
世界選手権から帰国後、梶原はジャパンカップのオープンレース女子に出場。初めてエリートの選手と同じ土俵でレースをした。
ー エリートの選手と走ってみてどうだった?
梶原:ジャパンカップの時は世界選手権からの帰国直後で、カゼをひいて体調を崩していたんです。登りが全然登れなくて、エリートの選手に全然ついて行けなかった。とても悔しかったです。
ー それでも、昨年の全日本選手権のタイムトライアルのタイムをエリートに当てはめると、入賞圏内に十分入るだけの速さはあると思うけど?
梶原:いろんな人にそう言われます。でも私はまだジュニアだし経験も少ない。今年4月のトラックの全日本選手権ではエリートで出させてもらったけれど、上野みなみさんと塚越さくらさん(鹿屋体育大学)は強かった。集団走行とか自転車をコントロールする技術とか、身につけなければならない事はたくさんあると思ってます。
5冠を獲ったアジア選手権の教訓は「タイのアリは食べられる?」
そして2015年2月、タイで行われたアジア選手権。梶原はポイントレース、個人追抜き、団体追抜き、タイムトライアル、ロードレースの5種目で優勝。5枚の金メダルを持ち帰った。
ー 5冠獲れると思っていた?
梶原:思ってなかったです。最初に出場したポイントレースは一番狙っていた種目だったんですけれど、そこで金メダルを獲れました。その後の個人追抜きと団体追抜きでも金メダルを獲れたので、5冠いけるかなって思い始めました。
ロードレースでは一緒に出場した舞織さん(内村舞織:南大隅高校)がサポートしてくれたおかげもあって、残り2周を独走に持ち込めました。自分の得意な展開が出来たのは一番良かった点です。でも、個々の種目では色々課題も見つかりました。それは今後変えていかなければならないですね。
ー ところで、アジア選手権は現地に行ってみないとわからない事が多いと聞くけど、タイでは何かあった?
梶原:今回は特に問題もなく、ホテルは良いところだったし、食事も問題ありませんでした。でも、ひとつだけハプニングがあって……。一緒に行った選手が、持ってきていたお菓子の袋を開けたままにしていたんです。それをみんなで食べていたんですけど、アリが寄ってきていたのを気づかずに食べてしまっていて……。みんな慌てて口から出したんですけど、いくつかは飲み込んでしまって、これは明日ヤバイかなって。でもなんともなかったので、タイのアリは食べても大丈夫だってことがわかりました(笑)。
ニュージーランドでロードレースの洗礼を受ける
タイでのアジア選手権を終え、梶原はそのままニュージーランドに向かい、ナショナルチームの一員として「Women’s Tour of NZ」という女子エリートのステージレースに出場した。初のステージレースだったが、2日目に落車に巻き込まれてリタイアとなってしまった。
梶原:エリートでも上のクラスのレースだと聞いていたので、スタート前は不安もありました。第2ステージで落車に巻き込まれて前歯を折ってしまったんです。立ち上がってまた走るつもりでいたんですけど、口の中に石が入ってると思って吐き出したんです。
そしたら自分の歯が出てきて……。それを見た時はショックでした。その後病院に行って応急処置をしてもらったんですけど、言葉は通じないし、痛いし…。でもすぐに帰ることも出来ず、レースが終わってから帰国してすぐに歯医者に行きました。
ー 立ち直るのに時間はかかった?
梶原:それほどかからなかったです。「これが自転車競技なんだな」って思いました。歯を直して神経を抜いてしまったので、次に同じような事があってもそのまま走れるようになったなって(笑)。
ー でもアジア選手権の写真が、自分の歯での最後の写真になってしまったね。
梶原:そうですね。折る前で良かったです(笑)。
練習熱心
梶原にレースの話を聞いていると、勝ったレースでも負けたレースでも、何かしら反省点を見つけて考えていることが伺える。それが梶原の強みだ、と安達先生は話す。
安達先生:問題点を反省して修正して次のレースに活かすことができる。指導したこと、失敗したことを次の日には修正する。同じ失敗はしない。それを自分で解決する力を持っているのが梶原の強みです。
ー 先日、トラックでの練習を見させてもらいました。男子と同じメニューをこなしていたね。
梶原:そうですね。いつもは男子の後ろについて走ってます。トラックは大会前でないと入れないので、普段はロード練習が多いです。
ー 自主的に朝練を始めたと聞いたけど?
梶原:学校の方針が「自由・自立・自覚」なので、安達先生もそういう方針なんです。朝練もやりたい人が集まってやるという感じです。正月休みとか男子の練習がオフの時も、安達先生につきあってもらってます。
ー 通学は自転車?
梶原:一度やってみたんですけど、道に迷ってしまって…。電話でSOSしたことがあるんです。それ以来、通学は電車にして、その分早く学校に来て練習するようにしています。そうすれば電車の中で勉強も出来ますし。
「勉強」という言葉が出たところで、梶原が高校生である事を改めて思い出した。
これからの事
ー 高校3年生というと、卒業後の進路が気になるところだね?
梶原:そうですね。学校の友達とも、どうする?って話してます。
ー 高校卒業後どうするかは決めてる?
梶原:まずは大学進学を考えています。自転車だけでなく、文武両道できるようにやっていきたいです。スポーツって頭を使うところもあるので、しっかり勉強もしていきたいし、自分がやりたいことをできるようになるためにも、その土台を作れるような勉強ができる大学に進みたいです。でも、オリンピックで勝つためには海外でレースを経験しなければという想いもあります。なので、夏休みなどを利用して海外レースに出ることも考えています。
ー 種目はトラックとロードどちらに重点を?
梶原:萩原選手(萩原麻由子:ウィグル・ホンダ)や上野選手は、トラックもロードも両方走れて両方強い。そんな先輩方と対等に走れるようになりたいと思ってます。
インタビューの間、こちらからあえてオリンピックの話題を振らなかったが、梶原の口から自然と東京オリンピックという単語が出てきた。それが単なる夢物語ではなく、現実的な目標として語っていることが言葉の端々に感じられた。
5年後と言えば梶原は23歳。女子エリートの中核を担う世代になる。その時に梶原がどんな選手になっているのか、これからも注目していきたい。
梶原悠未(筑波大坂戸高校)
1997年埼玉県出身
身長155cm
好きな食べ物はうどんと果物。特に桃や巨峰は大好物。最近はピンクグレープフルーツなど柑橘系にハマっている。一方で、牛乳はにおいが苦手で飲めないとも。勝った時や満足な結果が出た時に身につけていたものは、狙ったレースの時に再び身につけることでゲン担ぎをしている。それが安心感と自信になり、気合いも入るのだとか。
写真&インタビュー:加藤 智(Satoru.KATO)
「2分47秒20」
2013年6月、埼玉県自転車競技選手権大会で記録した、梶原悠未(かじはらゆうみ)の2km個人追抜きのタイム。これだけ見れば平凡なタイムだ。しかし、自転車競技を始めて2ヶ月も経ってない高校1年生の女子が、ポジションも満足に出せていない借り物の自転車で出した記録と聞いたらどうだろう? 自転車を始めたばかりの女子高校生なら、3分を切れれば御の字だ。筑波大付属坂戸高校に入学して自転車競技を始めた梶原。2歳の時から水泳をやっていたというが、なぜ自転車を始めようと思ったのか?
高校3年間だけやろうと思っていた自転車競技
ー 高校生になってから自転車を始めようと思ったのはなぜ?
梶原:水泳では小学4年の時から中学2年まで全国大会に出続けていたんですけど、中学3年の時は関東大会2位で終わってしまったんです。それが悔しくて、高校ではまったく違う種目をやってみようと思ったんです。
ー 水泳の種目は何をやっていたの?
梶原:自由形の中距離です。主に100mをやってました。
ー 自転車選手には水泳経験者が多いけど、中距離ってのは珍しいね。それにしても、なぜ自転車競技を選んだの?
梶原:最初は陸上部と自転車部で迷ったんです。自転車はまったく未知の世界だったんですけど、自転車部顧問の安達先生の説明を聞いていたら面白そうだな、と。先生の熱心な説明を聞いて、やってみようと決めました。でもあくまで高校3年間だけやる部活として考えてました。
安達昌宏先生に梶原が入部した当時の事を聞くと、「競技に対する意識が強い子だった」と第一印象を話す。
安達先生:梶原は最初からインターハイに行きたいという意思を強く持っていました。ウチの部ではまずローラー台に乗せてみるんですけど、フォームとかペダリングとか体幹とか、教えないうちにある程度出来ている。これは出来る子だなと感じました。
安達先生の感じた事を裏付けるように、梶原は1年目からインターハイ出場を果たす。でも水泳のことが抜けきらなかったと梶原は言う。
梶原:安達先生に「自転車を好きになれ」って言われていたんですけど、水泳のことが頭のどこかに残っていました。インターハイでは落車してしまって、「自転車イヤだなー」って思う事もありました。でも都道府県大会(2013年第48回全国都道府県対抗大会・長崎県で開催)のポイントレースで3位に入って、自転車競技の面白さがわかってきました。
ー どんなところが面白いと思えるようになった?
梶原:水泳はタイムを競うものだけれど、自転車は勝つための作戦があって、展開次第で勝つ事も負ける事もあるところですね。水泳はベストタイムが出た時も、なかなかタイムが伸びない時も、その原因がわからない事があります。でも自転車は練習した事がそのまま結果に出る。それが一番の違いですね。
「夢」をみつけた2014年
梶原は、高校1年最後のレース「全国高等学校選抜自転車競技大会」で優勝。これをきっかけに梶原をとりまく環境は大きく変わっていく。ナショナルチームの柿木孝之コーチの目にとまり、強化指定選手となった。
高校2年になって最初のレース「チャレンジサイクルロードレース」で優勝。5月にカザフスタンで行われたアジア選手権では、ロードレースとタイムトライアルで2位。6月の全日本選手権では、ロードレースとタイムトライアルの両方で優勝。そして9月にはロードレースの世界選手権に出場した。
ー 昨年1年間はどんな感じだった?
梶原:漢字一文字で表すなら「夢」ですね。アジア選手権や世界選手権という、夢なんじゃないかって大舞台で走らせてもらいました。東京オリンピック出場という夢も見つけました。とにかく2014年はいろんな経験をさせてもらって、とても充実した1年でした。
ー 世界選手権の前にスイスで合宿に参加したと聞いたけど?
梶原:スイスのWCC(ワールドサイクリングセンター)で行われたジュニアの合宿です。世界中から集まった10人くらいの選手と1ヶ月間一緒に過ごしました。みんな世界選手権に出場するような強い選手ばかりでとてもよい刺激になりましたし、世界選手権本番にも活かせました。
ー初めての世界選手権はどうだった?
梶原:周りは体が大きい選手ばかりだし、スピードも違うし...。でも、この人達に勝てるようにならないといけないんだな、と。そうしないと東京オリンピックでも勝てないんだな、と。それまでは漠然と考えていた東京オリンピックが、具体的に見えるようになりました。
エリートのレベルを垣間見て
世界選手権から帰国後、梶原はジャパンカップのオープンレース女子に出場。初めてエリートの選手と同じ土俵でレースをした。
ー エリートの選手と走ってみてどうだった?
梶原:ジャパンカップの時は世界選手権からの帰国直後で、カゼをひいて体調を崩していたんです。登りが全然登れなくて、エリートの選手に全然ついて行けなかった。とても悔しかったです。
ー それでも、昨年の全日本選手権のタイムトライアルのタイムをエリートに当てはめると、入賞圏内に十分入るだけの速さはあると思うけど?
梶原:いろんな人にそう言われます。でも私はまだジュニアだし経験も少ない。今年4月のトラックの全日本選手権ではエリートで出させてもらったけれど、上野みなみさんと塚越さくらさん(鹿屋体育大学)は強かった。集団走行とか自転車をコントロールする技術とか、身につけなければならない事はたくさんあると思ってます。
5冠を獲ったアジア選手権の教訓は「タイのアリは食べられる?」
そして2015年2月、タイで行われたアジア選手権。梶原はポイントレース、個人追抜き、団体追抜き、タイムトライアル、ロードレースの5種目で優勝。5枚の金メダルを持ち帰った。
ー 5冠獲れると思っていた?
梶原:思ってなかったです。最初に出場したポイントレースは一番狙っていた種目だったんですけれど、そこで金メダルを獲れました。その後の個人追抜きと団体追抜きでも金メダルを獲れたので、5冠いけるかなって思い始めました。
ロードレースでは一緒に出場した舞織さん(内村舞織:南大隅高校)がサポートしてくれたおかげもあって、残り2周を独走に持ち込めました。自分の得意な展開が出来たのは一番良かった点です。でも、個々の種目では色々課題も見つかりました。それは今後変えていかなければならないですね。
ー ところで、アジア選手権は現地に行ってみないとわからない事が多いと聞くけど、タイでは何かあった?
梶原:今回は特に問題もなく、ホテルは良いところだったし、食事も問題ありませんでした。でも、ひとつだけハプニングがあって……。一緒に行った選手が、持ってきていたお菓子の袋を開けたままにしていたんです。それをみんなで食べていたんですけど、アリが寄ってきていたのを気づかずに食べてしまっていて……。みんな慌てて口から出したんですけど、いくつかは飲み込んでしまって、これは明日ヤバイかなって。でもなんともなかったので、タイのアリは食べても大丈夫だってことがわかりました(笑)。
ニュージーランドでロードレースの洗礼を受ける
タイでのアジア選手権を終え、梶原はそのままニュージーランドに向かい、ナショナルチームの一員として「Women’s Tour of NZ」という女子エリートのステージレースに出場した。初のステージレースだったが、2日目に落車に巻き込まれてリタイアとなってしまった。
梶原:エリートでも上のクラスのレースだと聞いていたので、スタート前は不安もありました。第2ステージで落車に巻き込まれて前歯を折ってしまったんです。立ち上がってまた走るつもりでいたんですけど、口の中に石が入ってると思って吐き出したんです。
そしたら自分の歯が出てきて……。それを見た時はショックでした。その後病院に行って応急処置をしてもらったんですけど、言葉は通じないし、痛いし…。でもすぐに帰ることも出来ず、レースが終わってから帰国してすぐに歯医者に行きました。
ー 立ち直るのに時間はかかった?
梶原:それほどかからなかったです。「これが自転車競技なんだな」って思いました。歯を直して神経を抜いてしまったので、次に同じような事があってもそのまま走れるようになったなって(笑)。
ー でもアジア選手権の写真が、自分の歯での最後の写真になってしまったね。
梶原:そうですね。折る前で良かったです(笑)。
練習熱心
梶原にレースの話を聞いていると、勝ったレースでも負けたレースでも、何かしら反省点を見つけて考えていることが伺える。それが梶原の強みだ、と安達先生は話す。
安達先生:問題点を反省して修正して次のレースに活かすことができる。指導したこと、失敗したことを次の日には修正する。同じ失敗はしない。それを自分で解決する力を持っているのが梶原の強みです。
ー 先日、トラックでの練習を見させてもらいました。男子と同じメニューをこなしていたね。
梶原:そうですね。いつもは男子の後ろについて走ってます。トラックは大会前でないと入れないので、普段はロード練習が多いです。
ー 自主的に朝練を始めたと聞いたけど?
梶原:学校の方針が「自由・自立・自覚」なので、安達先生もそういう方針なんです。朝練もやりたい人が集まってやるという感じです。正月休みとか男子の練習がオフの時も、安達先生につきあってもらってます。
ー 通学は自転車?
梶原:一度やってみたんですけど、道に迷ってしまって…。電話でSOSしたことがあるんです。それ以来、通学は電車にして、その分早く学校に来て練習するようにしています。そうすれば電車の中で勉強も出来ますし。
「勉強」という言葉が出たところで、梶原が高校生である事を改めて思い出した。
これからの事
ー 高校3年生というと、卒業後の進路が気になるところだね?
梶原:そうですね。学校の友達とも、どうする?って話してます。
ー 高校卒業後どうするかは決めてる?
梶原:まずは大学進学を考えています。自転車だけでなく、文武両道できるようにやっていきたいです。スポーツって頭を使うところもあるので、しっかり勉強もしていきたいし、自分がやりたいことをできるようになるためにも、その土台を作れるような勉強ができる大学に進みたいです。でも、オリンピックで勝つためには海外でレースを経験しなければという想いもあります。なので、夏休みなどを利用して海外レースに出ることも考えています。
ー 種目はトラックとロードどちらに重点を?
梶原:萩原選手(萩原麻由子:ウィグル・ホンダ)や上野選手は、トラックもロードも両方走れて両方強い。そんな先輩方と対等に走れるようになりたいと思ってます。
インタビューの間、こちらからあえてオリンピックの話題を振らなかったが、梶原の口から自然と東京オリンピックという単語が出てきた。それが単なる夢物語ではなく、現実的な目標として語っていることが言葉の端々に感じられた。
5年後と言えば梶原は23歳。女子エリートの中核を担う世代になる。その時に梶原がどんな選手になっているのか、これからも注目していきたい。
梶原悠未(筑波大坂戸高校)
1997年埼玉県出身
身長155cm
好きな食べ物はうどんと果物。特に桃や巨峰は大好物。最近はピンクグレープフルーツなど柑橘系にハマっている。一方で、牛乳はにおいが苦手で飲めないとも。勝った時や満足な結果が出た時に身につけていたものは、狙ったレースの時に再び身につけることでゲン担ぎをしている。それが安心感と自信になり、気合いも入るのだとか。
写真&インタビュー:加藤 智(Satoru.KATO)
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