2017/12/05(火) - 08:54
22番札所までの巡礼を終え編集部に戻った前回。しかし秩父札所は34番まである訳で、気を取り直してもう一度この秩父の地にやってきた。それでは23番音楽寺より秩父札所巡り再開です。
今回も会社から秩父までエンジン移動し、駅前の駐車場からスタート。最初の目的地である23番音楽寺までは2.5km道のりだ。綺麗に整備された駅前市街地を抜け、”あの花”の聖地である秩父橋の3倍以上の大きさを誇る秩父公園橋を通過と順調な滑り出しである。
秩父札所も残すとこ12箇所ということで、1日で22番まで回った前回の札所巡りとは違い、楽勝な1日になるだろう。と気楽な気持ちで走っていると、清々しい陽気とは裏腹に不穏な空気が道路に立ち込めているではないか。
「会長、この先結構登っていますが、本当にここを行くんですか?」と尋ねると「何を言ってるんだ?音楽寺はこのミューズパークの上だぞ。これくらい軽々登れないと自転車メディアの編集部員として失格なんじゃないのか?」 と言われてしまった。確かにその通りであるが、編集部イチ自転車に乗っていない私にとっては非常に苦しい勾配を持つ登坂路だ。
そんな坂道をメタボ会長はおかしなことに軽々登っていく。確かに前回32Tのビックギアが装着してあったのは確認しているが、それを持ってしてもこの傾斜はキツイはずだ。と会長のバイクをよく見ると、スプロケットのローギア側に青いサードパーティー製ワイドギアを装着しているじゃないか!
それもロードバイクのそれとは思えないほどの大きさである。秩父札所巡りの後半は登りが結構多くなるとは聞いていたが、コースに合わせてセッティングを変更し華麗に振る舞うことこそが”大人の嗜み”ということのようだ。
そんな発見をしてしまった私を見ながら「前回も言っただろう?何事も準備が大切なんだよ。」とニヤケ顔で語るメタボ会長。本当にこの人は何事にも用意周到であり準備万端であるが、この”何事にも万全に備える”ということこそが会長という今の地位を築き上げたと考えると、ミューズパークの激坂を登りながら、もっと私も余裕を持って生きたいなんて悟ってみる。
秩父ミューズパークの北端にある秩父札所二十三番”音楽寺(おんがくじ)”は秩父地方屈指の景観地。この音楽寺という名前は、札所を開いた13人の聖者が山の松風の音を菩薩の音楽に聞こえたからというもので、現在でも歌手を志すアーティストがヒット祈願に来るそうだ。明治17年(1884年)11月2日に起こった秩父事件では、武装蜂起した農民の集結場所として使用され、境内の右側にある梵鐘を打ち鳴らして、秩父市内へ侵攻したという。
そんな歴史深い札所であるが、手水場は赤外線センサーに手をかざすと龍の石像の口から水が出る仕組みで無駄にハイテクなのがツボだ。何はともあれ標高が少し高いこともあってか、青空も近く感じ、朝一番に最適な晴れやかな気持ちになるお寺である。
ミューズパークの登りを下って3kmほど行ったところにある秩父札所二十四番”法泉寺(ほうせんじ)”は初っ端から壁のような階段が出迎えてくれるお寺。117段あるという石段は非常に急勾配であるが、石段自体は綺麗に整備されており、ビンディングシューズでも問題なく登ることが出来る。ただ、もしも落っこちたらと考えると冷たいものが背中を流れる感じはするが。
観音堂は江戸中期の建立で、珍しいことに観音堂に山門が組み込まれたような構造となっており、門の両サイドには仁王像がしっかりと納められているのだ。確かに山門を建てるスペースは境内にはなさそうだが、素人目にも珍しい構造だというのがすぐ分かる。本尊は聖観世音菩薩で室町時代の作だという。
ここの手水場も赤外線センサー式の自動タイプではないにしろ、竜の口から水が出る構造は音楽寺と同じ。気になって調べてみると、どうやら竜は水の守護神であり、その竜から出る水は”ご神水”ということで非常に清いということらしい。確かに昔ベイブレード全盛期に好きだった青竜は青を司る神獣でなんとなく水のイメージがあったなぁと思い出してきた。家に帰ったら水道の蛇口を竜に出来るアイテムをAmazonで調べてみよう。
続く秩父札所二十五番”久昌寺(きゅうしょうじ)”までは林の中を走り抜け、3kmほど走ったところで到着。この札所は山門と本堂が道路1本挟んで離れているのが特徴で、観音堂の裏側には弁天池を擁する。観音堂の左側にはダイナミックな岩壁がそびえ立っているのだ。因みに本尊は室町時代の作という聖観音である。
納経は観音堂の裏にある土手を登り、弁天池の淵の先にある納経所にて行う。因みに会長曰くこの弁天池は普段であれば古代蓮が池全面に咲き乱れているらしいが、今回はほぼ無くなってしまっていた。たぶん前回の台風で流されてしまったんだろうとのことで、水も確かに濁り気味である。それでも池があるというのはなかなか風情のある光景であり、日本の原風景といった感じだ。
そこから荒川をまたぎ3.5kmほど行ったところには秩父札所二十六番”円融寺(えんゆうじ)”の本堂がある。といっても、ここは他の札所と比べると本当に何も無い所で、大きな本堂で納経ができ、本尊として聖観世音菩薩が安置されている。まぁ一応紅葉が綺麗なので写真を撮っていると、メタボ会長が「これからこの秩父札所の中で一番素晴らしい所に連れて行ってやるよ!」と息巻いているではないか。「なるほど27番はそんなに凄いのですね。」と返すと「違うんだけどな。まぁついてきなよ。」といっておもむろに自転車にまたがり始める。私も遅れまいと自転車にまたがり追いかける。
そのままついていくと工場の中に入っていくではないか!「会長!不法侵入はダメですよ。」と普段はそんなこと殿上人たる会長には言えないが、さすがに自分の所属する会社の長が不法行為を働くのを見過ごすわけにはいかず慌てて制止する。「なに言ってるんだ!ここは入っていいんだよ。ほら警備室の人も良いって言ってるだろう。」そんなバカなと思い警備室の方を見ると、”どうぞ”と手招きしているではないか。
私1人ではこの物々しい工場の中に入る気には更々ならないが、警備室の人が言うのであれば大丈夫なのだろう。この記事を読んで岩井堂を訪ねてみたい方も参考にして欲しい。そのまま工場を突っ切ると、鳥居の姿が見える。自転車を停め「ここまで歩いて登山をするぞ。」といきなり脇にあった案内板を指差し突拍子も無いことを云うオッサン。いやいや、登山ってビンディングペダルだし…と躊躇している私を尻目にどんどん先に進んでいるではないか!
まぁ案内板にもあったようにちょっとした雑木林の中を行くだけだろうと、しょうがなく追いかけると、思ったより奥深くに進んでいくメタボ会長。正直、MTBビンディングシューズだと足元が不安定過ぎて不安なほどになってきた。しかしそれとは反対に回りの雰囲気はどこか神秘的な、ゲームやファンタジーの世界にいるような素晴らしい雰囲気があたり一辺を包みだす。
特に途中から現れたまっすぐに伸びる石段といったら、これこそ今流行のインスタ映えするロケーションというものだろう。今日の前半に行った法泉寺の石段など目ではない幻想的な雰囲気を醸し出している。ちょっと感動しながら、回りの空気を噛み締めながら登る。ただ、そんな素晴らしい空間でも石段の辛さは変わらないのが悲しいところ。そうして登り続けると現れるのが岩井堂である。
円融寺の奥の院という位置づけであり、本来であれば観音堂として機能する岩井堂。江戸中期の建築と云われている建物は京都の清水寺に似た舞台造りで、こんな山奥にこんな大きな建物をどうやって建築したのか不思議でならない。建物自体は岩場の上に建てられており、左手には大きな岩に囲まれるような場所になっている。
「僕は秩父札所の中でここが一番好きなんだよ。正直他の札所はコレの余興だね。」とメタボ会長が語るほどの出来栄えであり、申し訳ないが私もその考えには私も同感せざる得ない。しんと静まった山林の中に突如として現れるその姿は回りの木々や苔生した情景により洗練されており、非常に美しい。紅葉の時期になると更に美しいそうで、これは是非見てみたいと思わせてくれる。因みに帰りの石段は急勾配で非常に怖い。
岩井堂から山沿いに進んだ所にある秩父札所二十七番”大渕寺(だいえんじ)”。先程の岩井堂から見れば見劣りしてしまうのかもしれないが、山門に観音堂に本堂と全てが綺麗に揃う札所である。なんと観音堂は度々火事にて焼失してしまったため、現在は平成8年に再建された築21年と非常に新しい建物となっている。
そしてここには延命水なる”いかにも”な名前の湧き水が途切れること無く湧いており、1口飲むと33日長生きができるそうだ。そんな水を前にして「1年長生きするためには11口飲まなきゃいけないな。」とごくごく飲むメタボ会長。会長の地位にのし上がるには多少のがめつさも必要なんだなと勉強になる。私も1口頂いておいた。
大渕寺から1.5kmほど進んだところにあるのが秩父札所二十八番”橋立堂(はしだてどう)”。ここは馬頭観世音という馬にまつわる観音様が祀られており、境内にも栗毛と白馬の彫像が祀られた馬堂を有するお寺。そういった特徴もありながら、札所に着くとダイナミックにそそり立つ岩壁が目に入る。高さは80mにも及び、その迫力といったら圧巻である。橋立堂の観音堂はその真下に建てられている。
更にこの札所は全長200mにも及ぶ鍾乳洞があるため、札所巡りのみならず鍾乳洞の観光で来る人も多いスポット。我々が札所に着いたときも丁度、小学生の集団が社会科見学に来ており、これから鍾乳洞を見学するそうだ。入場料も200円と安いため少し中を見ていきたいところだが、会長の「次行くぞ!」の声にしぶしぶ自転車にまたがり次のお寺へ。
秩父札所二十九番”長泉院(ちょうせんいん)”はそこから3.5kmほど離れたところにある札所。開山は平安時代中期と非常に古い。参道の入り口には大きな枝垂れ桜が立っており、その参道の左右には枯山水の日本庭園が広がる由緒正しいお寺である。本堂は間口の広い大きな建物で、聖観世音菩薩が安置されているのだ。本堂横の小さなお堂には”おびんずる様”と呼ばれるショウヅカのお婆さんが祀られており、お詣りすれば三途の川でお守りをしてくれるという。
実は私、枯山水の水面を表現した石庭が大好きで、中学生の修学旅行で初めて京都に行く際には、班行動で龍安寺を候補として提案(つまらないと却下された)したこともあるほどだ。しかしこんな秩父の山奥のお寺でしっかりとした枯山水が見られるとは驚きである。会長も龍安寺の石庭は大好きらしいが、曰く、ここの山水は枯れていないからまだまだらしい。思わぬところで枯山水好きの共通点を見つけ会長が少し身近な存在に感じる。
ここからは7kmほど離れた秩父札所三十番”法雲寺(ほううんじ)”までハイペースで駆け抜ける。移動時間は短いほど良いと言うのは会長の常套句だが、お寺までのラスト500mは2番札所並の急勾配で一気にペースダウン。力を振り絞り登ると、自転車で来る人も多いのかバイクラックが整備されているサイクリストに優しい札所だ。この法雲寺は秩父札所一の浄土庭園が見所で、小振りな池を中心にツツジやサツキ、アジサイ、牡丹など四季折々の草花が隙間なく植生する趣ある境内になっている。
観音堂はその浄土庭園から石段で少し上がった所に建っており、朱色に染まった唐様造りの仏閣となっている。回廊も巡らされており、左側には「飛竜の松」と称した竜の頭に似た松の根が展示されているのだ。綺麗に整えられた庭園や苔生した古木、周りを山に囲まれたロケーションなど京都の仏閣に似た雰囲気で、非常い落ち着いた気持ちになるお寺でここも中々いいところである。
なんだか秩父札所は後半になるに従って見所の多い良いお寺が増えてくるなぁという感じである。これなら1番から巡らず、34番から回った方が良いのでは?なんて会長に言ってみると「それじゃ最初の方の札所を回らなくなってしまうだろ。後半の見所が多いのは、1番からしっかり巡ってきた人へのご褒美みたいなもんなんだよ。」ほう。その通りである。その意見には全くもって異論はない。
ここで会長の携帯電話が鳴り、何か忙しそうに話しているではないか。電話が終わると「今日は1日フリーの予定だったんだがな、今すぐ会社に戻らなきゃいけない仕事が入っちゃったから、悪いけど今日はココで終わりだ。」なんだって!今日の1日で札所の最後まで取材出来ると思っていたのに。残りたった4つの札所を残して再取材決定である。会長にとっては戻らなければいけない大切な仕事かも知れないが、私にとってもこの秩父ロケは今日で終わらせるべき仕事である訳で、いくら会長の仕事が重要だからといって釈然としない気持ちが芽生えてくる。
確かに、普通のサラリーマンであれば休日にいきなり仕事が入るなんてことは稀な事態で、社会から求められる人であればあるほど、こうやって仕事が舞い込んでくるのかもしれない。そう思うと、このメタボ腹のおっさんは私なぞ手の届かない凄い人なのであろうと思う部分もある。しかしこちらだって仕事で来ているのだ。短い時間でどれだけの成果を挙げられるかが良い仕事の基本だと言うのに、これでは効率が下がるばっかりではないか。そんなことを思ったが、やっぱり会社に帰らないわけにも行かないので渋々撤収することに。
そんな少しモヤモヤした気持ちを抱えながら、メタボ会長の高速平坦巡航で秩父駅まで戻ったのだった。
次回はここまで来たら最後まで巡りたいですね。
メタボ会長連載のバックナンバーは こちら です
今回も会社から秩父までエンジン移動し、駅前の駐車場からスタート。最初の目的地である23番音楽寺までは2.5km道のりだ。綺麗に整備された駅前市街地を抜け、”あの花”の聖地である秩父橋の3倍以上の大きさを誇る秩父公園橋を通過と順調な滑り出しである。
秩父札所も残すとこ12箇所ということで、1日で22番まで回った前回の札所巡りとは違い、楽勝な1日になるだろう。と気楽な気持ちで走っていると、清々しい陽気とは裏腹に不穏な空気が道路に立ち込めているではないか。
「会長、この先結構登っていますが、本当にここを行くんですか?」と尋ねると「何を言ってるんだ?音楽寺はこのミューズパークの上だぞ。これくらい軽々登れないと自転車メディアの編集部員として失格なんじゃないのか?」 と言われてしまった。確かにその通りであるが、編集部イチ自転車に乗っていない私にとっては非常に苦しい勾配を持つ登坂路だ。
そんな坂道をメタボ会長はおかしなことに軽々登っていく。確かに前回32Tのビックギアが装着してあったのは確認しているが、それを持ってしてもこの傾斜はキツイはずだ。と会長のバイクをよく見ると、スプロケットのローギア側に青いサードパーティー製ワイドギアを装着しているじゃないか!
それもロードバイクのそれとは思えないほどの大きさである。秩父札所巡りの後半は登りが結構多くなるとは聞いていたが、コースに合わせてセッティングを変更し華麗に振る舞うことこそが”大人の嗜み”ということのようだ。
そんな発見をしてしまった私を見ながら「前回も言っただろう?何事も準備が大切なんだよ。」とニヤケ顔で語るメタボ会長。本当にこの人は何事にも用意周到であり準備万端であるが、この”何事にも万全に備える”ということこそが会長という今の地位を築き上げたと考えると、ミューズパークの激坂を登りながら、もっと私も余裕を持って生きたいなんて悟ってみる。
秩父ミューズパークの北端にある秩父札所二十三番”音楽寺(おんがくじ)”は秩父地方屈指の景観地。この音楽寺という名前は、札所を開いた13人の聖者が山の松風の音を菩薩の音楽に聞こえたからというもので、現在でも歌手を志すアーティストがヒット祈願に来るそうだ。明治17年(1884年)11月2日に起こった秩父事件では、武装蜂起した農民の集結場所として使用され、境内の右側にある梵鐘を打ち鳴らして、秩父市内へ侵攻したという。
そんな歴史深い札所であるが、手水場は赤外線センサーに手をかざすと龍の石像の口から水が出る仕組みで無駄にハイテクなのがツボだ。何はともあれ標高が少し高いこともあってか、青空も近く感じ、朝一番に最適な晴れやかな気持ちになるお寺である。
ミューズパークの登りを下って3kmほど行ったところにある秩父札所二十四番”法泉寺(ほうせんじ)”は初っ端から壁のような階段が出迎えてくれるお寺。117段あるという石段は非常に急勾配であるが、石段自体は綺麗に整備されており、ビンディングシューズでも問題なく登ることが出来る。ただ、もしも落っこちたらと考えると冷たいものが背中を流れる感じはするが。
観音堂は江戸中期の建立で、珍しいことに観音堂に山門が組み込まれたような構造となっており、門の両サイドには仁王像がしっかりと納められているのだ。確かに山門を建てるスペースは境内にはなさそうだが、素人目にも珍しい構造だというのがすぐ分かる。本尊は聖観世音菩薩で室町時代の作だという。
ここの手水場も赤外線センサー式の自動タイプではないにしろ、竜の口から水が出る構造は音楽寺と同じ。気になって調べてみると、どうやら竜は水の守護神であり、その竜から出る水は”ご神水”ということで非常に清いということらしい。確かに昔ベイブレード全盛期に好きだった青竜は青を司る神獣でなんとなく水のイメージがあったなぁと思い出してきた。家に帰ったら水道の蛇口を竜に出来るアイテムをAmazonで調べてみよう。
続く秩父札所二十五番”久昌寺(きゅうしょうじ)”までは林の中を走り抜け、3kmほど走ったところで到着。この札所は山門と本堂が道路1本挟んで離れているのが特徴で、観音堂の裏側には弁天池を擁する。観音堂の左側にはダイナミックな岩壁がそびえ立っているのだ。因みに本尊は室町時代の作という聖観音である。
納経は観音堂の裏にある土手を登り、弁天池の淵の先にある納経所にて行う。因みに会長曰くこの弁天池は普段であれば古代蓮が池全面に咲き乱れているらしいが、今回はほぼ無くなってしまっていた。たぶん前回の台風で流されてしまったんだろうとのことで、水も確かに濁り気味である。それでも池があるというのはなかなか風情のある光景であり、日本の原風景といった感じだ。
そこから荒川をまたぎ3.5kmほど行ったところには秩父札所二十六番”円融寺(えんゆうじ)”の本堂がある。といっても、ここは他の札所と比べると本当に何も無い所で、大きな本堂で納経ができ、本尊として聖観世音菩薩が安置されている。まぁ一応紅葉が綺麗なので写真を撮っていると、メタボ会長が「これからこの秩父札所の中で一番素晴らしい所に連れて行ってやるよ!」と息巻いているではないか。「なるほど27番はそんなに凄いのですね。」と返すと「違うんだけどな。まぁついてきなよ。」といっておもむろに自転車にまたがり始める。私も遅れまいと自転車にまたがり追いかける。
そのままついていくと工場の中に入っていくではないか!「会長!不法侵入はダメですよ。」と普段はそんなこと殿上人たる会長には言えないが、さすがに自分の所属する会社の長が不法行為を働くのを見過ごすわけにはいかず慌てて制止する。「なに言ってるんだ!ここは入っていいんだよ。ほら警備室の人も良いって言ってるだろう。」そんなバカなと思い警備室の方を見ると、”どうぞ”と手招きしているではないか。
私1人ではこの物々しい工場の中に入る気には更々ならないが、警備室の人が言うのであれば大丈夫なのだろう。この記事を読んで岩井堂を訪ねてみたい方も参考にして欲しい。そのまま工場を突っ切ると、鳥居の姿が見える。自転車を停め「ここまで歩いて登山をするぞ。」といきなり脇にあった案内板を指差し突拍子も無いことを云うオッサン。いやいや、登山ってビンディングペダルだし…と躊躇している私を尻目にどんどん先に進んでいるではないか!
まぁ案内板にもあったようにちょっとした雑木林の中を行くだけだろうと、しょうがなく追いかけると、思ったより奥深くに進んでいくメタボ会長。正直、MTBビンディングシューズだと足元が不安定過ぎて不安なほどになってきた。しかしそれとは反対に回りの雰囲気はどこか神秘的な、ゲームやファンタジーの世界にいるような素晴らしい雰囲気があたり一辺を包みだす。
特に途中から現れたまっすぐに伸びる石段といったら、これこそ今流行のインスタ映えするロケーションというものだろう。今日の前半に行った法泉寺の石段など目ではない幻想的な雰囲気を醸し出している。ちょっと感動しながら、回りの空気を噛み締めながら登る。ただ、そんな素晴らしい空間でも石段の辛さは変わらないのが悲しいところ。そうして登り続けると現れるのが岩井堂である。
円融寺の奥の院という位置づけであり、本来であれば観音堂として機能する岩井堂。江戸中期の建築と云われている建物は京都の清水寺に似た舞台造りで、こんな山奥にこんな大きな建物をどうやって建築したのか不思議でならない。建物自体は岩場の上に建てられており、左手には大きな岩に囲まれるような場所になっている。
「僕は秩父札所の中でここが一番好きなんだよ。正直他の札所はコレの余興だね。」とメタボ会長が語るほどの出来栄えであり、申し訳ないが私もその考えには私も同感せざる得ない。しんと静まった山林の中に突如として現れるその姿は回りの木々や苔生した情景により洗練されており、非常に美しい。紅葉の時期になると更に美しいそうで、これは是非見てみたいと思わせてくれる。因みに帰りの石段は急勾配で非常に怖い。
岩井堂から山沿いに進んだ所にある秩父札所二十七番”大渕寺(だいえんじ)”。先程の岩井堂から見れば見劣りしてしまうのかもしれないが、山門に観音堂に本堂と全てが綺麗に揃う札所である。なんと観音堂は度々火事にて焼失してしまったため、現在は平成8年に再建された築21年と非常に新しい建物となっている。
そしてここには延命水なる”いかにも”な名前の湧き水が途切れること無く湧いており、1口飲むと33日長生きができるそうだ。そんな水を前にして「1年長生きするためには11口飲まなきゃいけないな。」とごくごく飲むメタボ会長。会長の地位にのし上がるには多少のがめつさも必要なんだなと勉強になる。私も1口頂いておいた。
大渕寺から1.5kmほど進んだところにあるのが秩父札所二十八番”橋立堂(はしだてどう)”。ここは馬頭観世音という馬にまつわる観音様が祀られており、境内にも栗毛と白馬の彫像が祀られた馬堂を有するお寺。そういった特徴もありながら、札所に着くとダイナミックにそそり立つ岩壁が目に入る。高さは80mにも及び、その迫力といったら圧巻である。橋立堂の観音堂はその真下に建てられている。
更にこの札所は全長200mにも及ぶ鍾乳洞があるため、札所巡りのみならず鍾乳洞の観光で来る人も多いスポット。我々が札所に着いたときも丁度、小学生の集団が社会科見学に来ており、これから鍾乳洞を見学するそうだ。入場料も200円と安いため少し中を見ていきたいところだが、会長の「次行くぞ!」の声にしぶしぶ自転車にまたがり次のお寺へ。
秩父札所二十九番”長泉院(ちょうせんいん)”はそこから3.5kmほど離れたところにある札所。開山は平安時代中期と非常に古い。参道の入り口には大きな枝垂れ桜が立っており、その参道の左右には枯山水の日本庭園が広がる由緒正しいお寺である。本堂は間口の広い大きな建物で、聖観世音菩薩が安置されているのだ。本堂横の小さなお堂には”おびんずる様”と呼ばれるショウヅカのお婆さんが祀られており、お詣りすれば三途の川でお守りをしてくれるという。
実は私、枯山水の水面を表現した石庭が大好きで、中学生の修学旅行で初めて京都に行く際には、班行動で龍安寺を候補として提案(つまらないと却下された)したこともあるほどだ。しかしこんな秩父の山奥のお寺でしっかりとした枯山水が見られるとは驚きである。会長も龍安寺の石庭は大好きらしいが、曰く、ここの山水は枯れていないからまだまだらしい。思わぬところで枯山水好きの共通点を見つけ会長が少し身近な存在に感じる。
ここからは7kmほど離れた秩父札所三十番”法雲寺(ほううんじ)”までハイペースで駆け抜ける。移動時間は短いほど良いと言うのは会長の常套句だが、お寺までのラスト500mは2番札所並の急勾配で一気にペースダウン。力を振り絞り登ると、自転車で来る人も多いのかバイクラックが整備されているサイクリストに優しい札所だ。この法雲寺は秩父札所一の浄土庭園が見所で、小振りな池を中心にツツジやサツキ、アジサイ、牡丹など四季折々の草花が隙間なく植生する趣ある境内になっている。
観音堂はその浄土庭園から石段で少し上がった所に建っており、朱色に染まった唐様造りの仏閣となっている。回廊も巡らされており、左側には「飛竜の松」と称した竜の頭に似た松の根が展示されているのだ。綺麗に整えられた庭園や苔生した古木、周りを山に囲まれたロケーションなど京都の仏閣に似た雰囲気で、非常い落ち着いた気持ちになるお寺でここも中々いいところである。
なんだか秩父札所は後半になるに従って見所の多い良いお寺が増えてくるなぁという感じである。これなら1番から巡らず、34番から回った方が良いのでは?なんて会長に言ってみると「それじゃ最初の方の札所を回らなくなってしまうだろ。後半の見所が多いのは、1番からしっかり巡ってきた人へのご褒美みたいなもんなんだよ。」ほう。その通りである。その意見には全くもって異論はない。
ここで会長の携帯電話が鳴り、何か忙しそうに話しているではないか。電話が終わると「今日は1日フリーの予定だったんだがな、今すぐ会社に戻らなきゃいけない仕事が入っちゃったから、悪いけど今日はココで終わりだ。」なんだって!今日の1日で札所の最後まで取材出来ると思っていたのに。残りたった4つの札所を残して再取材決定である。会長にとっては戻らなければいけない大切な仕事かも知れないが、私にとってもこの秩父ロケは今日で終わらせるべき仕事である訳で、いくら会長の仕事が重要だからといって釈然としない気持ちが芽生えてくる。
確かに、普通のサラリーマンであれば休日にいきなり仕事が入るなんてことは稀な事態で、社会から求められる人であればあるほど、こうやって仕事が舞い込んでくるのかもしれない。そう思うと、このメタボ腹のおっさんは私なぞ手の届かない凄い人なのであろうと思う部分もある。しかしこちらだって仕事で来ているのだ。短い時間でどれだけの成果を挙げられるかが良い仕事の基本だと言うのに、これでは効率が下がるばっかりではないか。そんなことを思ったが、やっぱり会社に帰らないわけにも行かないので渋々撤収することに。
そんな少しモヤモヤした気持ちを抱えながら、メタボ会長の高速平坦巡航で秩父駅まで戻ったのだった。
次回はここまで来たら最後まで巡りたいですね。
メタボ会長連載のバックナンバーは こちら です
メタボ会長
身長 : 172cm 体重 : 84kg 自転車歴 : 8年目
当サイト運営法人の代表取締役。平成元年に現法人を設立、平成17年に社長を辞し会長職に退くも、平成20年に当サイトが属するメディア事業部の責任者兼務となったことをキッカケに自転車に乗り始める。豊富な筋肉量を生かした瞬発力はかなりのモノだが、こと登坂となるとその能力はべらぼうに低い。日本一登れない男だ。
身長 : 172cm 体重 : 84kg 自転車歴 : 8年目
当サイト運営法人の代表取締役。平成元年に現法人を設立、平成17年に社長を辞し会長職に退くも、平成20年に当サイトが属するメディア事業部の責任者兼務となったことをキッカケに自転車に乗り始める。豊富な筋肉量を生かした瞬発力はかなりのモノだが、こと登坂となるとその能力はべらぼうに低い。日本一登れない男だ。
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