2017/10/16(月) - 09:02
いま私は埼玉県秩父市の秩父駅前駐車場に来ている。勘のいい読者さんならもうお判りだろうが、皆さんのご明察の通り、メタボ会長の願掛け巡礼にお供することになってしまったのだ。
「最近の会長って自転車乗ってるのかな?」マンネリ化した編集会議の場で編集長が何気なく発した言葉に対し、会長担当の出川先輩が口を開く。「前回同行した時には秩父の霊場巡りに行くって言ってましたね。なんでも自転車で巡れるんだとかなんとか……とは言えレポートには不向きな題材ですな。」
ここで編集長の悪いクセが出る。「秩父霊場巡り?案外面白いかも知れないね。若者層には伝わらないだろうけど、年配の読者層に向けて案外いいんじゃないかな?ダメもとで構わないから誰か一緒に行っておいでよ。」自分の手は汚さずに無理難題を吹っ掛けるいつものヤツだ。そしてこのムチャ振りを押し付けられたのが私カマタである。
正直、お寺巡りでレポ記事が書けるとは思えない。たとえ私の並外れた文才を駆使しようとも、無理なものは無理である。そもそも会長と二人きりの取材となると新人の私には荷が重すぎる。ただし出勤扱いになるのであれば私にも妥協の余地はある。取り合えず同行したけどやっぱりレポートにはなりませんでしたと報告すれば良いだけの話なのだから……。
会社から秩父までは会長の自家用車でエンジン移動し、駅前の駐車場から自転車で”秩父札所巡り”とやらが始まる。まず乗っけからメタボ会長の”出で立ち”が頂けない。走りがメインではないため普段着なのは理解できるが、その普段着の上に白衣と輪袈裟を羽織り、ヘルメットにビンディングを合わせるという罰当たり極まりないスタイルなのだ。
「札所巡りの時はいつもこの格好だし、同じ格好をして自転車で回ってる人も結構いるぜ。」と本人は至って涼しい表情を浮かべているのだが、私には1ミリも理解できない。”いやいや白装束にヘルメットはおかしいだろ!”と思わず声に出しそうになる。
朝八時前、秩父駅前から走り出した私たちは、まだ車通りの少ない国道140号・彩甲斐街道を北上する。最初の目的地である1番札所までは約6kmの道のりだが、勝手の分らない私は”金魚のフン”のごとく前を行くメタボ会長に張り付いて行くしかない。程無くして1番札所が現れる。
秩父札所一番 ”四萬部寺(しまぶじ)”。元禄10年(1697年)に建立された四萬部寺は別名”妙音寺”とも呼ばれ、境内に立つ八角輪蔵の”施餓鬼堂”で毎年8月24日に行われる”四万部の施餓鬼”は、関東三大施餓鬼の一つとしても知られ、施餓鬼(炊き出し)を訪れた人々に分け隔てなく施すのだそうだ。
この前までスペインでヨーロッパな建物ばかりを見てきた私にとっては久しぶりのお寺。秩父の田舎にあるお寺なんてオンボロだろうと高を括っていたが中々いい雰囲気である。西洋の建物のようにダイナミックではないけれど、こぢんまりと神聖な空気の漂う仏閣はこれぞ日本のお寺というものだ。多くの人が来訪する記念すべき1番札所ということもあって、綺麗に管理され落ち着く境内となっている。そんな少しのんびりモードになっている私とは対象的にメタボ会長は早々と自転車に跨る。
「次の真福寺までの2.1kmが秩父札所巡りのクライマックスだから、頑張って付いてきなよ。」とまだ始まって2つ目の寺だというのにクライマックスとは意味が分からない。頭の中クエスチョンマークいっぱいになりつつ付いて行くと、なにやら登坂路が出現。
「ほーら、ここからがクライマックスだ。」なるほど、こんな程度の坂でもあのメタボ会長にとってはクライマックスなんだと納得する私。ぱっと見7%ほどの大したことない勾配だし、たった2.1kmだ。いくら私が自転車に乗っていないとしてもこんなの楽勝である。会長の後ろで余裕ぶっこいて登りながらコーナーを曲がると勾配が壁のようになる。
あれ?おかしいなー、こんな激坂あるって聞いてなかったぞ?これじゃまるでこの前スペインで見て来たエル・インフェルノ(地獄)ことアングリル峠じゃないか!私の足と顔色がどんどん険しくなる。実際、その勾配は10%を軽く超えている。にも関わらずメタボ会長は何故かすまし顔で登っている。
会長は登れないという先輩の話とは違うじゃないか!と前を行くバイクをよく見るとスプロケットに32Tあたりだろう、明らかなビックギアが付いている。コンパクトクランクの34Tに合わせたら1対1のギア比に迫る勢いだ。対して私のバイクは39T-25T。私の怪訝そうな視線に気づいた会長から「釜田君、何事も準備が大切だよ。」と一言。してやられてしまった。そして想定外の難コースに集中してしまい道中の写真を取り忘れるという失態を犯してしまった。
そんな苦行をやっとクリアし、わりと本当にクライマックスな気分で着いたのが札所二番 ”真福寺(しんぷくじ)”。山の中にある真福寺は昔、観音堂のほかに、本堂、札堂、仁王門、羅漢堂、稲荷神社、諏訪社などの建物を持つ立派なお寺だったそうだが、火災に見舞われ、現在はこの観音堂だけが残っているだけだとか。ちなみに、江戸時代には33番までだった札所に新しく加えられたのがこの真福寺なのだそうだ。
人里離れた山の中にひっそりと建つ真福寺は、どこか神秘的で不思議な雰囲気。華々しさは無いが、ずっとそこに何百年もあったような歴史の重みを感じる佇まいである。鬱蒼と茂る杉林がマイナスイオンを発しているようで居心地が良い。なお真福寺は無人なため、納経は3番へ向かう途中にある光明寺で行う。
登ってきた激坂は下るときも牙を向くので注意して下る。会長のバイクはディスクブレーキだが、私のバイクはリムブレーキ。こちらが恐る恐る下っているのを尻目に楽々下っている会長の姿を見ているとディスクブレーキロードが欲しくなってしまう。いかんいかん。そして危険を感じるほどの下り坂にまたもや写真を撮り忘れる。今日の私はダメダメじゃないか。
しばらく下ると納経が行われる光明寺に到着。両脇の金剛力士像が睨みつけてくる。ここは札所ではないので納経だけ済ませ3番へ。
横瀬川にかかる山田橋を越えれば札所三番 ”常泉寺(じょうせんじ)”だ。2番から此処までの距離は2.5km。本日2回目の金剛力士像に睨みつけられながら境内に入ると最初にある大きな建物が本堂。その軒下には子授けの御利益があると言われる子持ち石が置いてある。その向かいにはこのお寺の由来となった”長命水”が鎮座する。
万病に効くと云われる長命水。会長いわく「前回は飲めた」そうだが、この日に限っては「環境の変化に伴い飲用不可」の立て看板が置かれている。味見をしてみたい好奇心からちょっと残念な反面、特に体調を崩しているわけでもないので、別に気にはならない。
観音堂は奥の階段を登った先。1870年に秩父神社にあった薬師堂を移築したもので、虹梁には龍や鳳凰などの美しいかご掘りが目を見張る出来栄え。江戸時代の名工、飯田和泉の手により掘られたということだが、当時の技術力に驚くばかりだ。あらかた撮影を終え、出発しようとすると会長から札所巡りの地図を手渡される。
「勝手も分かっただろうし、ここからは君が案内してくれよ。」会長の秩父三十四観音札所巡りにただ同行して撮影をこなしていればいいと思ってノコノコやってきた私にとっては寝耳に水の事態だ。根本的に仕事が1つ増えたし、道を間違えれば罵倒されること間違い無しだ。リスクだらけじゃないか。そんな私の腹の中を知ってか知らずか「次はどこだい?」とつぶやく会長。もちろん我が社において殿上人たる会長に新米の私如きが”はい”以外言えるはずもなく、「この先真っ直ぐですね」と道案内する。
幸い4番までの道のりは先程渡った横瀬川を渡り直す簡単なルート。程なくして札所四番 ”金昌寺(きんしょうじ)”に到着。3番から此処までの距離は1.4km。朱色に塗られた立派な山門に、これまた大きなわらじが掛けられているのが特徴的な金昌寺。石仏の寺として江戸時代には3800対の石像があったとのことだ。現在は1319体まで数を減らしてしまったということだが、それでも多くの石仏が並んでいる。
この金昌寺は他の札所と違い少し大きな仏閣が印象的なお寺。こじんまりとした田舎のお寺が多い中ダイナミックな山門に少しだけ圧倒される。観音堂までの参道も、境内の斜面にずらりと並ぶ石像も同じく迫力がある大きな寺院という感じだ。ここはなかなか良い。ちょっとした充実感を覚えながら、次を目指す。
この先の道案内ももちろん私の仕事だ。地図を見ると5番札所までは単純に一本道の模様だが、なんと途中でT字路が出現。右か左か焦りながら悩んでいる私を見て会長は薄笑いを浮かべている。ニヤニヤしながら「これじゃあ今日は休日扱いだな」と言われてしまった。なんてことだ。予想通りのデメリットを享受してしまったではないか。失意に暮れながらスマホで検索していると「左だよ」と教えてくれた。
ミニハプニングに反して札所五番 ”語歌堂(ごかどう)”はすぐに現れた。4番から此処までの距離は1.3km。この語歌堂を建てたのは本間孫八という人物。ある夜、孫八は訪ねてきた旅僧と夜を徹して和歌を詠みあったのだが、朝になると僧の姿はなかったという。孫八はその僧が観音の化身であったと悟り、この堂を語歌堂と名付け信仰するようになったとか。
そういったエピソードもあってか、境内は周りとの生け垣がなく、来る人を拒まない近所の公園のような親しみやすさがある札所となっている。逆に言ってしまえばシンプルすぎて何もないとも言える。4番の金昌寺とは大違いだ。また無人であるため納経は250mほど離れたところにある長興寺にて行う。正直見るものは無いので写真を撮りサクッと通過し、長興寺で納経だけ済ませる。
渡された地図に記された江戸巡礼古道に習って進む裏街道は、穏やかに上り続ける。山門手前の距離50m、勾配20%ほどの激坂を登ると秩父札所六番 ”卜雲寺(ぼくうんじ)”に到着だ。5番から此処までの距離は2.7km。高台に位置する卜雲寺に見どころは少ないが、ここから望む武甲山は見晴らし良い景色だ。ここもさらりとお参りを済ませ、再びアップダウンの続く裏街道に戻る。
今回初めて会長と一緒に走る私だが、さっきから引っ掛かっている事がある。先輩方からは”とにかく会長は坂が大嫌い”と聞いていたのだが、当のオジサンは先の2番での登坂やこの裏街道の結構なアップダウンでも文句ひとつ漏らさずに登っているのだ。思い切ってその疑問を投げてみると、怪訝な表情を浮かべながら
「君も変な事を訊くね?目的の札所が坂の上にあるんだから誰でも登るだろ?避けてたら札所巡りが成立しなくなっちゃうよ。私は目的もなく坂道を登るのが嫌いなだけだよ。」これはごもっとも回答である。さらに言葉が続く。「私にしてみれば坂の上に目的地も無いのに、いつも登ってる君たちのほうがよっぽど不思議だけどな。」おっしゃる通りでございます。
卜雲寺から0.7kmほどの場所にある秩父札所七番 ”法長寺(ほうちょうじ)”。美しい山門には”不許葷酒入山門”の石柱が立っている。要は酔っ払い立入禁止だ。手入れの行き届いた境内に立つ堂々とした本堂は、エレキテルで有名な平賀源内が設計したそうだ。信じるか信じないかはアナタ次第ですが・・。
法長寺でのお参りを終えた時点でまだ11時半。出発から3時間半しか経っていないし、走行距離もまだ20kmほどでしかない。札所巡りなんてお堅くつまらないだろうと思っていたが、なかなかどうして結構楽しいじゃないか。札所巡りの勝手も掴めてきたし、せっかくなら34箇所全部を巡りコンプリートしてみたいとすら感じ始めている自分がいる。
そうそう秩父にはアニメの聖地もあるようでそこにも立ち寄らねば!ということで、次回は札所8番・西善寺から札所15番・少林寺までを巡ります。
メタボ会長連載のバックナンバーは こちら です
「最近の会長って自転車乗ってるのかな?」マンネリ化した編集会議の場で編集長が何気なく発した言葉に対し、会長担当の出川先輩が口を開く。「前回同行した時には秩父の霊場巡りに行くって言ってましたね。なんでも自転車で巡れるんだとかなんとか……とは言えレポートには不向きな題材ですな。」
ここで編集長の悪いクセが出る。「秩父霊場巡り?案外面白いかも知れないね。若者層には伝わらないだろうけど、年配の読者層に向けて案外いいんじゃないかな?ダメもとで構わないから誰か一緒に行っておいでよ。」自分の手は汚さずに無理難題を吹っ掛けるいつものヤツだ。そしてこのムチャ振りを押し付けられたのが私カマタである。
正直、お寺巡りでレポ記事が書けるとは思えない。たとえ私の並外れた文才を駆使しようとも、無理なものは無理である。そもそも会長と二人きりの取材となると新人の私には荷が重すぎる。ただし出勤扱いになるのであれば私にも妥協の余地はある。取り合えず同行したけどやっぱりレポートにはなりませんでしたと報告すれば良いだけの話なのだから……。
会社から秩父までは会長の自家用車でエンジン移動し、駅前の駐車場から自転車で”秩父札所巡り”とやらが始まる。まず乗っけからメタボ会長の”出で立ち”が頂けない。走りがメインではないため普段着なのは理解できるが、その普段着の上に白衣と輪袈裟を羽織り、ヘルメットにビンディングを合わせるという罰当たり極まりないスタイルなのだ。
「札所巡りの時はいつもこの格好だし、同じ格好をして自転車で回ってる人も結構いるぜ。」と本人は至って涼しい表情を浮かべているのだが、私には1ミリも理解できない。”いやいや白装束にヘルメットはおかしいだろ!”と思わず声に出しそうになる。
朝八時前、秩父駅前から走り出した私たちは、まだ車通りの少ない国道140号・彩甲斐街道を北上する。最初の目的地である1番札所までは約6kmの道のりだが、勝手の分らない私は”金魚のフン”のごとく前を行くメタボ会長に張り付いて行くしかない。程無くして1番札所が現れる。
秩父札所一番 ”四萬部寺(しまぶじ)”。元禄10年(1697年)に建立された四萬部寺は別名”妙音寺”とも呼ばれ、境内に立つ八角輪蔵の”施餓鬼堂”で毎年8月24日に行われる”四万部の施餓鬼”は、関東三大施餓鬼の一つとしても知られ、施餓鬼(炊き出し)を訪れた人々に分け隔てなく施すのだそうだ。
この前までスペインでヨーロッパな建物ばかりを見てきた私にとっては久しぶりのお寺。秩父の田舎にあるお寺なんてオンボロだろうと高を括っていたが中々いい雰囲気である。西洋の建物のようにダイナミックではないけれど、こぢんまりと神聖な空気の漂う仏閣はこれぞ日本のお寺というものだ。多くの人が来訪する記念すべき1番札所ということもあって、綺麗に管理され落ち着く境内となっている。そんな少しのんびりモードになっている私とは対象的にメタボ会長は早々と自転車に跨る。
「次の真福寺までの2.1kmが秩父札所巡りのクライマックスだから、頑張って付いてきなよ。」とまだ始まって2つ目の寺だというのにクライマックスとは意味が分からない。頭の中クエスチョンマークいっぱいになりつつ付いて行くと、なにやら登坂路が出現。
「ほーら、ここからがクライマックスだ。」なるほど、こんな程度の坂でもあのメタボ会長にとってはクライマックスなんだと納得する私。ぱっと見7%ほどの大したことない勾配だし、たった2.1kmだ。いくら私が自転車に乗っていないとしてもこんなの楽勝である。会長の後ろで余裕ぶっこいて登りながらコーナーを曲がると勾配が壁のようになる。
あれ?おかしいなー、こんな激坂あるって聞いてなかったぞ?これじゃまるでこの前スペインで見て来たエル・インフェルノ(地獄)ことアングリル峠じゃないか!私の足と顔色がどんどん険しくなる。実際、その勾配は10%を軽く超えている。にも関わらずメタボ会長は何故かすまし顔で登っている。
会長は登れないという先輩の話とは違うじゃないか!と前を行くバイクをよく見るとスプロケットに32Tあたりだろう、明らかなビックギアが付いている。コンパクトクランクの34Tに合わせたら1対1のギア比に迫る勢いだ。対して私のバイクは39T-25T。私の怪訝そうな視線に気づいた会長から「釜田君、何事も準備が大切だよ。」と一言。してやられてしまった。そして想定外の難コースに集中してしまい道中の写真を取り忘れるという失態を犯してしまった。
そんな苦行をやっとクリアし、わりと本当にクライマックスな気分で着いたのが札所二番 ”真福寺(しんぷくじ)”。山の中にある真福寺は昔、観音堂のほかに、本堂、札堂、仁王門、羅漢堂、稲荷神社、諏訪社などの建物を持つ立派なお寺だったそうだが、火災に見舞われ、現在はこの観音堂だけが残っているだけだとか。ちなみに、江戸時代には33番までだった札所に新しく加えられたのがこの真福寺なのだそうだ。
人里離れた山の中にひっそりと建つ真福寺は、どこか神秘的で不思議な雰囲気。華々しさは無いが、ずっとそこに何百年もあったような歴史の重みを感じる佇まいである。鬱蒼と茂る杉林がマイナスイオンを発しているようで居心地が良い。なお真福寺は無人なため、納経は3番へ向かう途中にある光明寺で行う。
登ってきた激坂は下るときも牙を向くので注意して下る。会長のバイクはディスクブレーキだが、私のバイクはリムブレーキ。こちらが恐る恐る下っているのを尻目に楽々下っている会長の姿を見ているとディスクブレーキロードが欲しくなってしまう。いかんいかん。そして危険を感じるほどの下り坂にまたもや写真を撮り忘れる。今日の私はダメダメじゃないか。
しばらく下ると納経が行われる光明寺に到着。両脇の金剛力士像が睨みつけてくる。ここは札所ではないので納経だけ済ませ3番へ。
横瀬川にかかる山田橋を越えれば札所三番 ”常泉寺(じょうせんじ)”だ。2番から此処までの距離は2.5km。本日2回目の金剛力士像に睨みつけられながら境内に入ると最初にある大きな建物が本堂。その軒下には子授けの御利益があると言われる子持ち石が置いてある。その向かいにはこのお寺の由来となった”長命水”が鎮座する。
万病に効くと云われる長命水。会長いわく「前回は飲めた」そうだが、この日に限っては「環境の変化に伴い飲用不可」の立て看板が置かれている。味見をしてみたい好奇心からちょっと残念な反面、特に体調を崩しているわけでもないので、別に気にはならない。
観音堂は奥の階段を登った先。1870年に秩父神社にあった薬師堂を移築したもので、虹梁には龍や鳳凰などの美しいかご掘りが目を見張る出来栄え。江戸時代の名工、飯田和泉の手により掘られたということだが、当時の技術力に驚くばかりだ。あらかた撮影を終え、出発しようとすると会長から札所巡りの地図を手渡される。
「勝手も分かっただろうし、ここからは君が案内してくれよ。」会長の秩父三十四観音札所巡りにただ同行して撮影をこなしていればいいと思ってノコノコやってきた私にとっては寝耳に水の事態だ。根本的に仕事が1つ増えたし、道を間違えれば罵倒されること間違い無しだ。リスクだらけじゃないか。そんな私の腹の中を知ってか知らずか「次はどこだい?」とつぶやく会長。もちろん我が社において殿上人たる会長に新米の私如きが”はい”以外言えるはずもなく、「この先真っ直ぐですね」と道案内する。
幸い4番までの道のりは先程渡った横瀬川を渡り直す簡単なルート。程なくして札所四番 ”金昌寺(きんしょうじ)”に到着。3番から此処までの距離は1.4km。朱色に塗られた立派な山門に、これまた大きなわらじが掛けられているのが特徴的な金昌寺。石仏の寺として江戸時代には3800対の石像があったとのことだ。現在は1319体まで数を減らしてしまったということだが、それでも多くの石仏が並んでいる。
この金昌寺は他の札所と違い少し大きな仏閣が印象的なお寺。こじんまりとした田舎のお寺が多い中ダイナミックな山門に少しだけ圧倒される。観音堂までの参道も、境内の斜面にずらりと並ぶ石像も同じく迫力がある大きな寺院という感じだ。ここはなかなか良い。ちょっとした充実感を覚えながら、次を目指す。
この先の道案内ももちろん私の仕事だ。地図を見ると5番札所までは単純に一本道の模様だが、なんと途中でT字路が出現。右か左か焦りながら悩んでいる私を見て会長は薄笑いを浮かべている。ニヤニヤしながら「これじゃあ今日は休日扱いだな」と言われてしまった。なんてことだ。予想通りのデメリットを享受してしまったではないか。失意に暮れながらスマホで検索していると「左だよ」と教えてくれた。
ミニハプニングに反して札所五番 ”語歌堂(ごかどう)”はすぐに現れた。4番から此処までの距離は1.3km。この語歌堂を建てたのは本間孫八という人物。ある夜、孫八は訪ねてきた旅僧と夜を徹して和歌を詠みあったのだが、朝になると僧の姿はなかったという。孫八はその僧が観音の化身であったと悟り、この堂を語歌堂と名付け信仰するようになったとか。
そういったエピソードもあってか、境内は周りとの生け垣がなく、来る人を拒まない近所の公園のような親しみやすさがある札所となっている。逆に言ってしまえばシンプルすぎて何もないとも言える。4番の金昌寺とは大違いだ。また無人であるため納経は250mほど離れたところにある長興寺にて行う。正直見るものは無いので写真を撮りサクッと通過し、長興寺で納経だけ済ませる。
渡された地図に記された江戸巡礼古道に習って進む裏街道は、穏やかに上り続ける。山門手前の距離50m、勾配20%ほどの激坂を登ると秩父札所六番 ”卜雲寺(ぼくうんじ)”に到着だ。5番から此処までの距離は2.7km。高台に位置する卜雲寺に見どころは少ないが、ここから望む武甲山は見晴らし良い景色だ。ここもさらりとお参りを済ませ、再びアップダウンの続く裏街道に戻る。
今回初めて会長と一緒に走る私だが、さっきから引っ掛かっている事がある。先輩方からは”とにかく会長は坂が大嫌い”と聞いていたのだが、当のオジサンは先の2番での登坂やこの裏街道の結構なアップダウンでも文句ひとつ漏らさずに登っているのだ。思い切ってその疑問を投げてみると、怪訝な表情を浮かべながら
「君も変な事を訊くね?目的の札所が坂の上にあるんだから誰でも登るだろ?避けてたら札所巡りが成立しなくなっちゃうよ。私は目的もなく坂道を登るのが嫌いなだけだよ。」これはごもっとも回答である。さらに言葉が続く。「私にしてみれば坂の上に目的地も無いのに、いつも登ってる君たちのほうがよっぽど不思議だけどな。」おっしゃる通りでございます。
卜雲寺から0.7kmほどの場所にある秩父札所七番 ”法長寺(ほうちょうじ)”。美しい山門には”不許葷酒入山門”の石柱が立っている。要は酔っ払い立入禁止だ。手入れの行き届いた境内に立つ堂々とした本堂は、エレキテルで有名な平賀源内が設計したそうだ。信じるか信じないかはアナタ次第ですが・・。
法長寺でのお参りを終えた時点でまだ11時半。出発から3時間半しか経っていないし、走行距離もまだ20kmほどでしかない。札所巡りなんてお堅くつまらないだろうと思っていたが、なかなかどうして結構楽しいじゃないか。札所巡りの勝手も掴めてきたし、せっかくなら34箇所全部を巡りコンプリートしてみたいとすら感じ始めている自分がいる。
そうそう秩父にはアニメの聖地もあるようでそこにも立ち寄らねば!ということで、次回は札所8番・西善寺から札所15番・少林寺までを巡ります。
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メタボ会長
身長 : 172cm 体重 : 84kg 自転車歴 : 8年目
当サイト運営法人の代表取締役。平成元年に現法人を設立、平成17年に社長を辞し会長職に退くも、平成20年に当サイトが属するメディア事業部の責任者兼務となったことをキッカケに自転車に乗り始める。豊富な筋肉量を生かした瞬発力はかなりのモノだが、こと登坂となるとその能力はべらぼうに低い。日本一登れない男だ。
身長 : 172cm 体重 : 84kg 自転車歴 : 8年目
当サイト運営法人の代表取締役。平成元年に現法人を設立、平成17年に社長を辞し会長職に退くも、平成20年に当サイトが属するメディア事業部の責任者兼務となったことをキッカケに自転車に乗り始める。豊富な筋肉量を生かした瞬発力はかなりのモノだが、こと登坂となるとその能力はべらぼうに低い。日本一登れない男だ。
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