ツール・ド・フランス7連覇のレジェンド、ランス・アームストロング(アメリカ、レディオシャック)が「2度目の現役引退」を発表した。当初アメリカ国内のレースに出場する予定だったが、それを前倒ししての引退発表。海外最終レースとして出場したツアー・ダウンアンダーが現役最終レースとなった。

ランス・アームストロング(アメリカ、レディオシャック)ランス・アームストロング(アメリカ、レディオシャック) photo:Kei Tsuji「家族や癌撲滅キャンペーン、そしてツール初制覇前に立ち上げた基金にフルタイムで従事するため、本日、現役引退をここに発表する。」

2月16日、アームストロングは2010年に自ら立ち上げたレディオシャックの公式サイトの中で引退を発表した。

2009年ツアー・ダウンアンダーで復帰したランス・アームストロング(アメリカ、当時アスタナ)2009年ツアー・ダウンアンダーで復帰したランス・アームストロング(アメリカ、当時アスタナ) photo:Cor Vosアームストロングは1971年9月18日、アメリカ・テキサス生まれ。1992年にプロ入りし、翌年21歳の若さで世界選手権ロードレース制覇を果たした。

ワンデーレースを中心に成績を残すロードレーサーとして注目を集めたが、1996年に精巣癌が発覚する。生存率50%と言われる中、厳しい化学療法とリハビリトレーニングを乗り越え、1998年にUSポスタルで復帰。死の淵から這い上がったアームストロングは、そこから怒濤の活躍を見せた。

2009年ツール・ド・フランスで総合3位に入ったランス・アームストロング(アメリカ、当時アスタナ)2009年ツール・ド・フランスで総合3位に入ったランス・アームストロング(アメリカ、当時アスタナ) photo:Makoto Ayano1999年にツール・ド・フランスで初総合優勝を飾り、その後は隙を見せない圧倒的な強さで前人未到のツール7連覇を達成する。癌キャンペーンの一環として黄色いリブストロングのリストバンドを世に広め、2005年のツールを最後に現役から身を退いた。

引退後は癌撲滅のチャリティー活動に従事していたが、2008年9月に突然の現役復帰を発表し、世界を驚かせた。ツール7連覇を支えたヨハン・ブリュイネール監督が率いるアスタナ入りを決め、癌という病の恐ろしさを世に伝えるために、2009年1月のツアー・ダウンアンダーで復帰している。

2010年ツール・ド・フランス 精彩を欠いて総合23位に終わったランス・アームストロング(アメリカ、レディオシャック)2010年ツール・ド・フランス 精彩を欠いて総合23位に終わったランス・アームストロング(アメリカ、レディオシャック) photo:Cor Vos同年、4年ぶりの出場となったツールで総合3位に入り、健在ぶりをアピール。しかし新生レディオシャックのエースとして挑んだ「最後のツール」では、相次ぐトラブルによって総合23位に終わっている。

今年1月のツアー・ダウンアンダーを「海外最終レース」と位置づけ、3年連続出場。アメリカ国内でのレース活動を継続する予定だったが、この度自身2度目の引退を発表した。結果的にキャリア最終レースとなったツアー・ダウンアンダーの成績は総合67位。ステージ最高位は第2ステージの42位だった。

1月のツアー・ダウンアンダーに出場したランス・アームストロング(アメリカ、レディオシャック)1月のツアー・ダウンアンダーに出場したランス・アームストロング(アメリカ、レディオシャック) photo:Kei Tsujiツール7連覇の偉業と癌基金の功績が讃えられるアームストロングだが、そのキャリアは度重なるドーピング疑惑との闘いでもあった。

近年だけでも複数のドーピング疑惑が浮上している。2009年にはアスタナチームの廃棄物の中から注射器や輸血を疑わせる医療器具が発見。さらに元チームメイトのフロイド・ランディス(アメリカ)がUSポスタル内のドーピングを暴露し、アメリカ食品医薬品局のジェフ・ノヴィツキー捜査官が現在も捜査を続けている。なお、アームストロングからは一度もドーピング陽性反応が検出されたことはない。

アームストロングはAP通信のインタビューに対し「(現役引退について)何も後悔はしていない。現在、プロトンの中には内紛や妬み、恨みが渦巻いている。それが選手をこき下ろし、走りの邪魔をするんだ」と語っている。自らのパフォーマンス低下だけではなく、そう言った「走りにくさ」も引退に繋がったようだ。

「これからの目標は、5人の子どもを育て、リブストロングのミッションを進めること。サポートしてくれる企業と力を合わせ、癌と闘うベンチャー企業の成長に寄与したい。」

20年間のキャリアに終止符を打ったアームストロング。かつて自らを苦しめた癌との闘いはまだまだ終わらない。

text:Kei Tsuji