2023/12/28(木) - 18:30
サイパンで開催されたヘル・オブ・マリアナで優勝した藤田涼平(さいたま那須サンブレイブ)のレポートをお届け。渡航時からトラブル頻発、しかしチームメイトとワンツー勝利で賞金1,800$を獲得、翌日は青い海でダイビングを楽しんだ。思い出に残るシーズンラストレースになったという。
「ヘル・オブ・マリアナに出てくれないか?」。こうチームから連絡が入ったのは10月上旬のことだ。マリアナ政府観光局の方とご縁があり、さいたま那須サンブレイブの選手3名が招待選手として出場することになった。シーズン後半のレース出場機会に恵まれず、今シーズンを締めるレースが無くて悩んでいた自分にとっては、この知らせは吉報だった。「シーズンラストレース決まりました!」とすぐにコーチングを頼んでいる中田コーチに連絡した。
コロナウイルスの影響でしばらく開催がされていなく、3年振りの開催となるヘル・オブ・マリアナ。さいたま那須サンブレイブはこれが初めての海外レース。我がチームのミッションはレースとサイパンのPRだ。
レースに出るからには結果を残したい。まずはこのレースについて情報収集をした。舞台は常夏の北マリアナ諸島サイパン島。12月でも気温は30度まで上がる。コースの距離は100kmとそこまで長くないが、獲得標高が1,500mあるのでかなり厳しそうだ。ツール・ド・おきなわ100kmコースを少し厳しくしたイメージか。
過去のシクロワイアードの記事や結果をみると、例年は日本のトップアマチュア選手とフィリピン選手が優勝争いをしているようだ。森本誠さんなど日本のトップクライマーも苦戦するレースとあって「これは一筋縄ではいかないな」と思った。
10月と11月はヘル・オブ・マリアナに向けてのトレーニングをしたが、思いどうりにはいかなかった。気温が下がって風邪を引き、体調を崩しがちになって長期的にコンディションが上がらない状態になってしまったのだ。それでも無理のない範囲で最善の準備をした。日本とサイパンの気温差に対応するために岩盤浴で汗をかく練習もやった。サイパン出発の1週間前に行われたもてぎエンデューロではゲストライダーの仕事をしつつ、マリアナの最終調整も兼ねて走った。ベストコンディションに持っていくことはできなかったものの、なんとかレースを走れるコンディションにしてヘル・オブ・マリアナに挑むこととなった。
今回のサイパン遠征のチームメイトは鈴木道也と重田倫一郎。道也は初めての海外なので出発前からかなりテンションが高い。重田は11月にチームに加入したばかりの新人だ。選手3名とスタッフとしてチーム代表の若杉さんが帯同してくれた。
日本からサイパンへの飛行機はユナイテッド航空を利用した。現在、ユナイテッド航空は成田から直行便を週3便運航している。サイクリストに嬉しいのが重さ23kg以内であれば自転車の追加料金がかからないところだ。輪行バッグに衣類を入れることもできるので、荷物は輪行バッグと機内持ち込みのリュック2点という軽装備で十分だった。今回は選手の3台とスペアホイール2セットを預け荷物としてサイパンに持ち込んだ。
フライト時間はたった3時間半。短いフライトだが機内食が出る。この日の機内食は「パスタorカツカレーライス」だった。自分はパスタを選択した。遅い時間なので、夕食というより夜食な感じ。機内食を食べ、保存していたアニメを数本見たらすぐに着陸体制に入った。サイパンは思ったより近かった。沖縄に行くのとあまり変わらない感覚だ。
サイパン空港に到着したのは現地時間で午前2時。入国審査→荷物受け取り→税関と進んでいく。税関のお兄さんはフレンドリーで、「レース頑張れよ!」と拳を合わせてくれた。
空港の外に出ると、マリアナ政府観光局の一倉さんと今回チームをアテンドしてくれる若杉忠昭さんが出迎えてくれた。若杉さんは普段サイパンでダイビングショップAQUA GATE SAIPANを営んでいる。偶然にもチーム代表と若杉姓かぶり。紛らわしいのでサンブレイブの若杉GMを「若さん」、サイパンの若杉さんを「杉さん」と呼び分けていた。ちなみにチームの若さんはサイパンにダイビングに行く際は杉さんにガイドを依頼する関係らしい。杉さんは超頼れる存在だ!
杉さんのピックアップトラックの荷台に自転車を載せてホテルへと向かう。今回泊まるホテルはHIMAWARI HOTELという日本人経営のエコノミーなホテルだ。1階が日本の食品や日用品を取り扱うスーパーマーケットになっていて、寿司レストランもある。日本人にとっては便利で安心できるホテルだ。
部屋に着いて、ようやく寝れると思っていたとき、重大なミスをしてしまったことに気がついた。「自転車が違うぞ…」 輪行バッグには「Saito」と書いてあるタグが付いている。バッグが同じだったのでよく確認せずに持ってきてしまっていたのだ。代わりにスペアホイールを入れた輪行バッグを空港に置いてきてしまっていた。
すぐに杉さんにお願いして空港に戻ってもらった。空港でバイクをロストして途方に暮れていた日本人参加者の齊藤雄一さんと合流して、なんとか事なきを得たが、全てが終わったのは午前4時頃。杉さんと齊藤さんには初日から大変なご迷惑をかけてしまった。
次の日、バイクを組み立てているとまたしてもトラブルが発生した。「俺、明日レース走れないっす…」と道也が知らせてきた。なんと道也のバイクが輪行時に破損していて走行不可な状態になっていたのだ。
海外あるあるではあるが、道也は飛行機輪行初心者だったので、梱包が甘かったのかもしれない。すぐにマリアナ政府観光局の方々に協力を頂いて、何とか代車を借りることができたが、代車はアルミフレームのエントリーモデルだった。サドル、ペダル、前輪などのすぐに変えられる部分は交換したが、ポジションが出ていないのでこの自転車で優勝争いするのは厳しそうだった。
軽くコースを走った後、受付へ。会場に着くとそこには前日に輪行バッグを間違えて迷惑をかけてしまった齊藤さんがいた。「いいお土産話ができた」と言ってくれたのが本当にありがたかった。
受付をすませ、ゼッケンや計測チップを受け取った後は、車でコースの下見をすることに。レース終盤の勝負どころになるであろう、島北部のアップダウン区間へ向かった。路面は白っぽくなっていて雨が降ると凄く滑りそうだ。「濡れると車でも滑るよ」と、杉さんからもサイパンの路面についてアドバイスをもらった。
北部はスーサイドクリフ、バードアイランド、グロット、バンザイクリフと観光名所が沢山ある。コースチェックをしながらサイパンの素晴らしい景色も楽しんだ。
サイパンは太平洋戦争の激戦地で、島北部にはその爪痕が今も残っている。最後にバンザイクリフの慰霊碑に手を合わせ、コース下見を終えた。
レース当日。スタートは6時15分なので、4時半に起床。杉さんの車でスタートへ向かった。朝食は前日ひまわりスーパーで買ったパン、おにぎり、大福と日本とあまり変わらないメニューだ。
日の出前の暗闇の中、レースの準備をするのはツール・ド・おきなわに似ている。暗いと忘れがちだが、サイパンのキツい日差しに備えて念入りに日焼け止めを塗る。タイヤ空気圧はスコールでウエットになることも想定して、低めの4.8気圧に。
スタートは最前列に並んだ。自分達のすぐ後ろには黒いウェアのグアムチーム「Euro Cycling Trips」の3人が並んだ。彼らが乗るバイクはメーカーが揃っていて、プロチームっぽかった。チームで参戦しているのはサンブレイブとこのチームのみ。この3人の動きには要注意だ。
参加者数は175名。そのうちトップカテゴリーのプロ/エリートクラスは15名ほどで、思っていたより少なかった。
MCのカウントダウンでレーススタート。レース序盤の20kmはほぼ平坦だ。やはり黒のグアムチームがアタックをするのでその動きをチェックする。すると集団はこの逃げを容認し4人の逃げとなった。
さすがにスタートから逃げ切るのはキツイので、後半の山岳に向けて前待ちするつもりで、なるべく脚を使わないように先頭交代をする。追い風で他の選手はイケイケモードなので、かなりスピードが速かった。しばらく4人で進み、短めの登りに差しかかると黒のグアムチームの選手が遅れた。この状況はサンブレイブにとっては好都合なのでその選手は待たずに3人で逃げ続けた。
逃げのメンバーは自分と韓国のイ・ビョンタク選手、グアムのジェイク選手。ビョンタク選手は最新のエアロロードに乗り、エアロポジションも様になっていたので強そう。ジェイク選手は大柄で平坦は速そうだが、後半の山岳は厳しいと予想。レース後に調べたところ、ジェイク選手はグアムのTTチャンピオンだったそう。
3人で順調に後続とのタイム差を広げていると、荷台にシクロワイアード綾野さんを乗せたメディアカー(杉さん車)が近づいてきた。車から「重田が追走してる。待った方がいい!」と若さんから指示が出る。たしかに重田が合流してくれれば戦略の幅が広がるし、上位を独占できれば賞金も上がるので待つことにした。
「チームメイトが来てるから引けない」とジェスチャーしながら2人に伝えると、「Oh!マジかよー」という感じなリアクションをされてしまった。
しばらくサイクリングペースで後続の選手を待つと、重田を含む集団が徐々に近づいてきた。そのメンバーを確認すると、なんと重田以外の選手は黒のグアムチームの3人だった。「おいマジかよ!」と今度は自分が思ってしまった。道也は遅れてしまったため、こちらは2人。数的不利な状態でレースは振り出しに戻ってしまった。
7人になった集団からグアムチームの選手1人がアタックした。この選手は3人の中で一番若く、パッと見では一番強そうだった。ここではあえて彼を逃げさせ、体力を消耗させる作戦にすることにした。
ビョンタク選手に「タイム、キープ」と伝え、協力してもらえることになった。これで1人が逃げ、4人が協力して追いかけ、残りのグアムチームの2人が集団の後ろで待機という形になった。
しかし、この作戦は順調にはいかなかった。自分以外の3人の体力に限界が来てしまい、前を追えなくなってしまったのだ。さらに、登りでジェイク選手が遅れてしまった。自分が7割引き、残りを重田とビョンタク選手に引いてもらうが、なかなか先頭とのタイム差が縮まらず少しずつ広がっていく。タイム差は40秒ほど。
グアム選手に「逃げてる彼は強い?」と聞くと、「He is very strong」とのこと。レース後に調べたところ、彼はグアムのナショナルチャンピオンで、U23の世界選手権にも出ている選手だった。
そんな状況でレースは進み、50kmを走ったところで重大なトラブルが発生してしまう。なんと前輪のタイヤがパンクしてしまったのだ。「重田、あとは頼んだ…」と、この時はもうレースを諦めかけていた。近くにサポートカーは走っておらず、すぐに復帰することはできなかった。
どうすることも出来ず途方に暮れていたところに遅れていた道也がやってきた。「涼平さん大丈夫ですか!車輪使いますか?」と、ホイールを交換してもらうことに。道也のバイクは代車だが、前輪は前日にスペアのカーボンホイールに変えてあったので走りには問題なかった。パンクしてから復帰するまで7分タイムロスしてしまった。順位的には8位。ここからは1人で先頭を追いかけることに。
7分は大きな差だが、体力の限界がきている選手が多かったので、頑張れば3位くらいはいけるかもしれない。そう考えながら残り50kmを継続可能なペースで踏み続けた。
残り30km。このコースで一番の難所「レーダータワーの登り」に入る。ここも一定ペース。パワーメーターを見ながら、FTPの少し下くらいで踏む。この登りは頂上で折り返しで、同じ道を下る。山頂の少し手前で先頭とすれ違った。タイム差は2、3分か。先頭の選手が見覚えのない白のジャージの選手に変わっていた。実はこの選手、序盤は道也と一緒に遅れていて、そこから5分差を1人で詰めて先頭に追いついていた。
レーダータワーを下り、最後の山場であるスーサイドクリフへ。麓でフラフラのビョンタク選手をパスする。「頑張って…」と日本語で声をかけられた。ここで雨が降ってきた。スコールでなかなかの本降りだが、自分は暑さが苦手なので恵みの雨だった。
残り20km。とうとう重田に追いついた。他の選手の落車などの影響もあり、2位を走っていた。ここからは重田と2人でトップを独走する白いジャージのライアン選手を追うことになった。
この時、道也は既にリタイアしていて、メディアカーに乗って応援と補給のサポートをしてくれた。「トップまで30秒!優勝いけるぞ!」とサポート陣のテンションも上がっていた。
スーサイドクリフの下りは雨で路面が濡れて、かなりスリッピーになっていた。頂上では30秒差あったがライアン選手との差が下りで一気に縮まった。ライアン選手は下りをかなり慎重に走っていた。速度差がかなりあったので合流せずにそのまま抜き去った。
ここからは重田とワンツー体制に。かなり長い時間を1人で走っていたので、もう脚に限界がきていてつりそうだった。足つりを誤魔化しながら走り、残り5kmくらいで勝利を確信。
藤田「ダブルガッツポーズするぞ!」
重田「両手でですか?」
藤田「当たり前だろ!」
なんて打ち合わせをしつつ、ついに100kmを走りきりワンツーフィニッシュでゴール。
ゴール後すぐに嬉しそうな道也が出迎えてくれた。道也がホイールを渡してくれなければゴールできなかったし、重田が先頭集団でペースを抑えてくれなければ追いつかなかったかもしれない。チームの力でつかんだ勝利だった。
3位でゴールしたライアン選手とも健闘を讃えあった。「お前らクレイジーだな!下りがなければ俺が勝ってたよ!」と明るく話してくれた。
レース後の夕方からは、ヘル・オブ・マリアナ恒例のアワードパーティに参加した。なんとホテルの豪華ビュッフェでビールもワインも飲み放題。しかもレース参加者は無料で参加できる。このパーティーを目的にレースに参加している人もいるのでは?
そして、この表彰を兼ねたパーティがやたら長い(笑)。50kmクラスの表彰から始まり、MTB部門まである。しかも年齢は5歳刻みで表彰される。一般カテゴリーでエントリーすれば誰でも表彰される可能性は高いかもしれない。
最後の表彰が男子プロクラスだ。登壇しての優勝者インタビューは「Hafa Adai!(現地語の挨拶) I Love Saipan! Thank you!」と、ノリで乗り切った(笑)。
ヘル・オブ・マリアナは嬉しいことに賞金が出る。優勝は1000ドル。2位は800ドル。2人で合計1800ドル頂いた。日本円で26万円くらい。この賞金はチームと選手3人で分け合った。
レース翌日は完全にフリータイム。この日はダイビングをすることにした。選手全員ダイビングは初めて。インストラクターの杉さんに丁寧にやり方を教わった。
海に入ると、透明度の高さと美しさに感動した。魚が水族館の水槽の中のようにたくさんいる。しかし、楽しかったのは最初の5分くらいまでだった。慣れない環境と波の揺れによって体調が悪くなってしまったのだ。陸に上がるとフラフラだった。道也と重田は楽しくて仕方なさそうな感じだったが、自分はそれどころではない。2回目のダイブはビーチでお留守番になった(笑)。
ダイビング後はアメリカンなハンバーガーを食べたり、「I LOVE SAIPAN」というショップでお土産を買ったりして、しっかりサイパンを満喫した。
次の日の朝の飛行機で日本へ帰国した。帰りもユナイテッド航空の直行便だ。朝一の便なので、午前10時には成田に到着した。こうして初めてのサイパン遠征が終了した。そして数日してから、来年の優勝者として招待されることが正式に決まったと通知が来た。
この記事を読んで、少しでもこのレースに出てみたいと思ってくれる方が増えたら嬉しいです。走りごたえあるレースでガチで優勝狙いで参戦するのは楽しいし、完走目標で走ったとしても楽しい素晴らしいイベントです。海で泳げるので同行の家族サービスにもバッチリです。来年は日本人グループでツアーを組んで、たくさんの方と参戦するのも面白いなと思いました。チームで計画したいと思います!
今回のヘル・オブ・マリアナ参戦は、招待して下さったマリアナ政府観光局さんを始め、たくさんの方のサポートのおかげで、無事に終えることができました。ハプニングばかりでしたが、最高の経験ができました。本当にありがとうございました!
text:Ryohei FUJITA
photo:Makoto AYANO
「ヘル・オブ・マリアナに出てくれないか?」。こうチームから連絡が入ったのは10月上旬のことだ。マリアナ政府観光局の方とご縁があり、さいたま那須サンブレイブの選手3名が招待選手として出場することになった。シーズン後半のレース出場機会に恵まれず、今シーズンを締めるレースが無くて悩んでいた自分にとっては、この知らせは吉報だった。「シーズンラストレース決まりました!」とすぐにコーチングを頼んでいる中田コーチに連絡した。
コロナウイルスの影響でしばらく開催がされていなく、3年振りの開催となるヘル・オブ・マリアナ。さいたま那須サンブレイブはこれが初めての海外レース。我がチームのミッションはレースとサイパンのPRだ。
レースに出るからには結果を残したい。まずはこのレースについて情報収集をした。舞台は常夏の北マリアナ諸島サイパン島。12月でも気温は30度まで上がる。コースの距離は100kmとそこまで長くないが、獲得標高が1,500mあるのでかなり厳しそうだ。ツール・ド・おきなわ100kmコースを少し厳しくしたイメージか。
過去のシクロワイアードの記事や結果をみると、例年は日本のトップアマチュア選手とフィリピン選手が優勝争いをしているようだ。森本誠さんなど日本のトップクライマーも苦戦するレースとあって「これは一筋縄ではいかないな」と思った。
10月と11月はヘル・オブ・マリアナに向けてのトレーニングをしたが、思いどうりにはいかなかった。気温が下がって風邪を引き、体調を崩しがちになって長期的にコンディションが上がらない状態になってしまったのだ。それでも無理のない範囲で最善の準備をした。日本とサイパンの気温差に対応するために岩盤浴で汗をかく練習もやった。サイパン出発の1週間前に行われたもてぎエンデューロではゲストライダーの仕事をしつつ、マリアナの最終調整も兼ねて走った。ベストコンディションに持っていくことはできなかったものの、なんとかレースを走れるコンディションにしてヘル・オブ・マリアナに挑むこととなった。
今回のサイパン遠征のチームメイトは鈴木道也と重田倫一郎。道也は初めての海外なので出発前からかなりテンションが高い。重田は11月にチームに加入したばかりの新人だ。選手3名とスタッフとしてチーム代表の若杉さんが帯同してくれた。
日本からサイパンへの飛行機はユナイテッド航空を利用した。現在、ユナイテッド航空は成田から直行便を週3便運航している。サイクリストに嬉しいのが重さ23kg以内であれば自転車の追加料金がかからないところだ。輪行バッグに衣類を入れることもできるので、荷物は輪行バッグと機内持ち込みのリュック2点という軽装備で十分だった。今回は選手の3台とスペアホイール2セットを預け荷物としてサイパンに持ち込んだ。
フライト時間はたった3時間半。短いフライトだが機内食が出る。この日の機内食は「パスタorカツカレーライス」だった。自分はパスタを選択した。遅い時間なので、夕食というより夜食な感じ。機内食を食べ、保存していたアニメを数本見たらすぐに着陸体制に入った。サイパンは思ったより近かった。沖縄に行くのとあまり変わらない感覚だ。
サイパン空港に到着したのは現地時間で午前2時。入国審査→荷物受け取り→税関と進んでいく。税関のお兄さんはフレンドリーで、「レース頑張れよ!」と拳を合わせてくれた。
空港の外に出ると、マリアナ政府観光局の一倉さんと今回チームをアテンドしてくれる若杉忠昭さんが出迎えてくれた。若杉さんは普段サイパンでダイビングショップAQUA GATE SAIPANを営んでいる。偶然にもチーム代表と若杉姓かぶり。紛らわしいのでサンブレイブの若杉GMを「若さん」、サイパンの若杉さんを「杉さん」と呼び分けていた。ちなみにチームの若さんはサイパンにダイビングに行く際は杉さんにガイドを依頼する関係らしい。杉さんは超頼れる存在だ!
杉さんのピックアップトラックの荷台に自転車を載せてホテルへと向かう。今回泊まるホテルはHIMAWARI HOTELという日本人経営のエコノミーなホテルだ。1階が日本の食品や日用品を取り扱うスーパーマーケットになっていて、寿司レストランもある。日本人にとっては便利で安心できるホテルだ。
部屋に着いて、ようやく寝れると思っていたとき、重大なミスをしてしまったことに気がついた。「自転車が違うぞ…」 輪行バッグには「Saito」と書いてあるタグが付いている。バッグが同じだったのでよく確認せずに持ってきてしまっていたのだ。代わりにスペアホイールを入れた輪行バッグを空港に置いてきてしまっていた。
すぐに杉さんにお願いして空港に戻ってもらった。空港でバイクをロストして途方に暮れていた日本人参加者の齊藤雄一さんと合流して、なんとか事なきを得たが、全てが終わったのは午前4時頃。杉さんと齊藤さんには初日から大変なご迷惑をかけてしまった。
次の日、バイクを組み立てているとまたしてもトラブルが発生した。「俺、明日レース走れないっす…」と道也が知らせてきた。なんと道也のバイクが輪行時に破損していて走行不可な状態になっていたのだ。
海外あるあるではあるが、道也は飛行機輪行初心者だったので、梱包が甘かったのかもしれない。すぐにマリアナ政府観光局の方々に協力を頂いて、何とか代車を借りることができたが、代車はアルミフレームのエントリーモデルだった。サドル、ペダル、前輪などのすぐに変えられる部分は交換したが、ポジションが出ていないのでこの自転車で優勝争いするのは厳しそうだった。
軽くコースを走った後、受付へ。会場に着くとそこには前日に輪行バッグを間違えて迷惑をかけてしまった齊藤さんがいた。「いいお土産話ができた」と言ってくれたのが本当にありがたかった。
受付をすませ、ゼッケンや計測チップを受け取った後は、車でコースの下見をすることに。レース終盤の勝負どころになるであろう、島北部のアップダウン区間へ向かった。路面は白っぽくなっていて雨が降ると凄く滑りそうだ。「濡れると車でも滑るよ」と、杉さんからもサイパンの路面についてアドバイスをもらった。
北部はスーサイドクリフ、バードアイランド、グロット、バンザイクリフと観光名所が沢山ある。コースチェックをしながらサイパンの素晴らしい景色も楽しんだ。
サイパンは太平洋戦争の激戦地で、島北部にはその爪痕が今も残っている。最後にバンザイクリフの慰霊碑に手を合わせ、コース下見を終えた。
レース当日。スタートは6時15分なので、4時半に起床。杉さんの車でスタートへ向かった。朝食は前日ひまわりスーパーで買ったパン、おにぎり、大福と日本とあまり変わらないメニューだ。
日の出前の暗闇の中、レースの準備をするのはツール・ド・おきなわに似ている。暗いと忘れがちだが、サイパンのキツい日差しに備えて念入りに日焼け止めを塗る。タイヤ空気圧はスコールでウエットになることも想定して、低めの4.8気圧に。
スタートは最前列に並んだ。自分達のすぐ後ろには黒いウェアのグアムチーム「Euro Cycling Trips」の3人が並んだ。彼らが乗るバイクはメーカーが揃っていて、プロチームっぽかった。チームで参戦しているのはサンブレイブとこのチームのみ。この3人の動きには要注意だ。
参加者数は175名。そのうちトップカテゴリーのプロ/エリートクラスは15名ほどで、思っていたより少なかった。
MCのカウントダウンでレーススタート。レース序盤の20kmはほぼ平坦だ。やはり黒のグアムチームがアタックをするのでその動きをチェックする。すると集団はこの逃げを容認し4人の逃げとなった。
さすがにスタートから逃げ切るのはキツイので、後半の山岳に向けて前待ちするつもりで、なるべく脚を使わないように先頭交代をする。追い風で他の選手はイケイケモードなので、かなりスピードが速かった。しばらく4人で進み、短めの登りに差しかかると黒のグアムチームの選手が遅れた。この状況はサンブレイブにとっては好都合なのでその選手は待たずに3人で逃げ続けた。
逃げのメンバーは自分と韓国のイ・ビョンタク選手、グアムのジェイク選手。ビョンタク選手は最新のエアロロードに乗り、エアロポジションも様になっていたので強そう。ジェイク選手は大柄で平坦は速そうだが、後半の山岳は厳しいと予想。レース後に調べたところ、ジェイク選手はグアムのTTチャンピオンだったそう。
3人で順調に後続とのタイム差を広げていると、荷台にシクロワイアード綾野さんを乗せたメディアカー(杉さん車)が近づいてきた。車から「重田が追走してる。待った方がいい!」と若さんから指示が出る。たしかに重田が合流してくれれば戦略の幅が広がるし、上位を独占できれば賞金も上がるので待つことにした。
「チームメイトが来てるから引けない」とジェスチャーしながら2人に伝えると、「Oh!マジかよー」という感じなリアクションをされてしまった。
しばらくサイクリングペースで後続の選手を待つと、重田を含む集団が徐々に近づいてきた。そのメンバーを確認すると、なんと重田以外の選手は黒のグアムチームの3人だった。「おいマジかよ!」と今度は自分が思ってしまった。道也は遅れてしまったため、こちらは2人。数的不利な状態でレースは振り出しに戻ってしまった。
7人になった集団からグアムチームの選手1人がアタックした。この選手は3人の中で一番若く、パッと見では一番強そうだった。ここではあえて彼を逃げさせ、体力を消耗させる作戦にすることにした。
ビョンタク選手に「タイム、キープ」と伝え、協力してもらえることになった。これで1人が逃げ、4人が協力して追いかけ、残りのグアムチームの2人が集団の後ろで待機という形になった。
しかし、この作戦は順調にはいかなかった。自分以外の3人の体力に限界が来てしまい、前を追えなくなってしまったのだ。さらに、登りでジェイク選手が遅れてしまった。自分が7割引き、残りを重田とビョンタク選手に引いてもらうが、なかなか先頭とのタイム差が縮まらず少しずつ広がっていく。タイム差は40秒ほど。
グアム選手に「逃げてる彼は強い?」と聞くと、「He is very strong」とのこと。レース後に調べたところ、彼はグアムのナショナルチャンピオンで、U23の世界選手権にも出ている選手だった。
そんな状況でレースは進み、50kmを走ったところで重大なトラブルが発生してしまう。なんと前輪のタイヤがパンクしてしまったのだ。「重田、あとは頼んだ…」と、この時はもうレースを諦めかけていた。近くにサポートカーは走っておらず、すぐに復帰することはできなかった。
どうすることも出来ず途方に暮れていたところに遅れていた道也がやってきた。「涼平さん大丈夫ですか!車輪使いますか?」と、ホイールを交換してもらうことに。道也のバイクは代車だが、前輪は前日にスペアのカーボンホイールに変えてあったので走りには問題なかった。パンクしてから復帰するまで7分タイムロスしてしまった。順位的には8位。ここからは1人で先頭を追いかけることに。
7分は大きな差だが、体力の限界がきている選手が多かったので、頑張れば3位くらいはいけるかもしれない。そう考えながら残り50kmを継続可能なペースで踏み続けた。
残り30km。このコースで一番の難所「レーダータワーの登り」に入る。ここも一定ペース。パワーメーターを見ながら、FTPの少し下くらいで踏む。この登りは頂上で折り返しで、同じ道を下る。山頂の少し手前で先頭とすれ違った。タイム差は2、3分か。先頭の選手が見覚えのない白のジャージの選手に変わっていた。実はこの選手、序盤は道也と一緒に遅れていて、そこから5分差を1人で詰めて先頭に追いついていた。
レーダータワーを下り、最後の山場であるスーサイドクリフへ。麓でフラフラのビョンタク選手をパスする。「頑張って…」と日本語で声をかけられた。ここで雨が降ってきた。スコールでなかなかの本降りだが、自分は暑さが苦手なので恵みの雨だった。
残り20km。とうとう重田に追いついた。他の選手の落車などの影響もあり、2位を走っていた。ここからは重田と2人でトップを独走する白いジャージのライアン選手を追うことになった。
この時、道也は既にリタイアしていて、メディアカーに乗って応援と補給のサポートをしてくれた。「トップまで30秒!優勝いけるぞ!」とサポート陣のテンションも上がっていた。
スーサイドクリフの下りは雨で路面が濡れて、かなりスリッピーになっていた。頂上では30秒差あったがライアン選手との差が下りで一気に縮まった。ライアン選手は下りをかなり慎重に走っていた。速度差がかなりあったので合流せずにそのまま抜き去った。
ここからは重田とワンツー体制に。かなり長い時間を1人で走っていたので、もう脚に限界がきていてつりそうだった。足つりを誤魔化しながら走り、残り5kmくらいで勝利を確信。
藤田「ダブルガッツポーズするぞ!」
重田「両手でですか?」
藤田「当たり前だろ!」
なんて打ち合わせをしつつ、ついに100kmを走りきりワンツーフィニッシュでゴール。
ゴール後すぐに嬉しそうな道也が出迎えてくれた。道也がホイールを渡してくれなければゴールできなかったし、重田が先頭集団でペースを抑えてくれなければ追いつかなかったかもしれない。チームの力でつかんだ勝利だった。
3位でゴールしたライアン選手とも健闘を讃えあった。「お前らクレイジーだな!下りがなければ俺が勝ってたよ!」と明るく話してくれた。
レース後の夕方からは、ヘル・オブ・マリアナ恒例のアワードパーティに参加した。なんとホテルの豪華ビュッフェでビールもワインも飲み放題。しかもレース参加者は無料で参加できる。このパーティーを目的にレースに参加している人もいるのでは?
そして、この表彰を兼ねたパーティがやたら長い(笑)。50kmクラスの表彰から始まり、MTB部門まである。しかも年齢は5歳刻みで表彰される。一般カテゴリーでエントリーすれば誰でも表彰される可能性は高いかもしれない。
最後の表彰が男子プロクラスだ。登壇しての優勝者インタビューは「Hafa Adai!(現地語の挨拶) I Love Saipan! Thank you!」と、ノリで乗り切った(笑)。
ヘル・オブ・マリアナは嬉しいことに賞金が出る。優勝は1000ドル。2位は800ドル。2人で合計1800ドル頂いた。日本円で26万円くらい。この賞金はチームと選手3人で分け合った。
レース翌日は完全にフリータイム。この日はダイビングをすることにした。選手全員ダイビングは初めて。インストラクターの杉さんに丁寧にやり方を教わった。
海に入ると、透明度の高さと美しさに感動した。魚が水族館の水槽の中のようにたくさんいる。しかし、楽しかったのは最初の5分くらいまでだった。慣れない環境と波の揺れによって体調が悪くなってしまったのだ。陸に上がるとフラフラだった。道也と重田は楽しくて仕方なさそうな感じだったが、自分はそれどころではない。2回目のダイブはビーチでお留守番になった(笑)。
ダイビング後はアメリカンなハンバーガーを食べたり、「I LOVE SAIPAN」というショップでお土産を買ったりして、しっかりサイパンを満喫した。
次の日の朝の飛行機で日本へ帰国した。帰りもユナイテッド航空の直行便だ。朝一の便なので、午前10時には成田に到着した。こうして初めてのサイパン遠征が終了した。そして数日してから、来年の優勝者として招待されることが正式に決まったと通知が来た。
この記事を読んで、少しでもこのレースに出てみたいと思ってくれる方が増えたら嬉しいです。走りごたえあるレースでガチで優勝狙いで参戦するのは楽しいし、完走目標で走ったとしても楽しい素晴らしいイベントです。海で泳げるので同行の家族サービスにもバッチリです。来年は日本人グループでツアーを組んで、たくさんの方と参戦するのも面白いなと思いました。チームで計画したいと思います!
今回のヘル・オブ・マリアナ参戦は、招待して下さったマリアナ政府観光局さんを始め、たくさんの方のサポートのおかげで、無事に終えることができました。ハプニングばかりでしたが、最高の経験ができました。本当にありがとうございました!
text:Ryohei FUJITA
photo:Makoto AYANO
Amazon.co.jp