2022/11/23(水) - 19:34
初出場のツール・ド・おきなわ市民210kmで3位表彰台を獲得した南広樹さん(TeamZenko)のレポート。未経験の長距離レースで、おきなわを知り尽くした強者たちに対し負けない気持ちで挑戦。最後まで勝負することを諦めなかった。
私が今回のツール・ド・おきなわに出ようと決めたのは8月でした。6年ほど前からホビーレースに出始め、昨年からTeamZenkoというチームでJBCFのレースに参戦してきました。今シーズンはJBCFのE1や全日本マスターなどで上位に入ることを目標にしていましたが、春先の落車などで思うようにレースを走ったり、結果を出したりすることができず、消化不良の状態が続いていました。
そんななか、今年は3年ぶりにツール・ド・おきなわが開催されることを知り、レディース50kmの部に出場する妻とともに、シーズンの集大成として沖縄行きを決めたのです。
ツール・ド・おきなわに向けて特別な取り組みはしませんでしたが、これまで以上に長距離の乗り込みや食生活の節制を心がけ、徐々に調子も上がってきました。ただ、直前の10月に同じ市民210kmに出場する有力選手たちと走らせてもらう機会があり、その時のみんなの仕上がり具合やおきなわへの熱量がものすごく、自分がどれくらい戦えるか自信は持てませんでした。
どれくらい勝負ができるか分からないけど、出し切るようなレースがしたい。最後まで踏みやめないレースがしたい。そんな思いで沖縄に向かいました。
沖縄には前日の土曜昼に到着。試走をしたかったのですが、雨脚が強く断念し、レース終盤となる慶佐次以降を車で下見したのみでした。
このレースは出場経験があるほうが相当有利だと思いますが、できるだけ効率的にトラブルなく走れるように、過去のブログや記事を読み込み、勝負のかかる登りや、トイレ休憩のタイミング、補給の取り方などを頭の中で何度もシュミレーションをしておきました。
少し余分には持っていきましたが、結果的に摂った補給は、エネ餅4つ・ピットインジェル5つ・ソフトフラスクにメイタンジェル2つとパラチノースを溶かしたもの、でした。ボトルは750ml(ポカリ500cc+水250ccにMag-Onの顆粒を溶かしたもの)を2本で走りました。
7時27分、雨に濡れる名護の街からレースが始まりました。比較的前列に並ぶことができたので、有力選手の後ろで序盤の落車などトラブル回避に努めようと考えていました。しかし美ら海水族館前でいきなりのチェーン落ち。何人かの選手が背中を押してくれますが、走りながらでは戻らず、降車して直しました。遠ざかる集団に焦りましたが、しばらく全力走をして集団最後尾に復帰。また徐々に前方にポジションを上げていきました。
北の海岸線沿いに出て、予定通りのトイレストップ。初めてレースでトイレストップしましたが、割とみんなゆったりなさるので、落ち着いて集団に合流し、補給などもしっかり行うことができました。
さあ、まずは1回目の普久川ダムです。やはりそこまでペースは上がりません。集団は落ち着いており、淡々と登ってクリアします。下りはハーフウェット気味ですが、みんな安全に降っている様子で、無事補給ポイントを通過し、東側北上ルートへ入りました。
このあたりは非常にゆっくりのペースで、2回目のトイレストップもありました。奥の登りにさしかかり、やや強度が上がって抜け出す選手も現れます。その後、このレースでの決定的な瞬間を迎えました。優勝候補の高岡選手の抜け出しです。
軽いギアでジョークのようなもがき方で集団から飛び出し、後ろを振り返りニヤっと笑われました。
『ちょっとペースが遅いからそろそろ上げていこうぜ』という意思表示かと、集団も一瞬和やかなムードになりました。しかし、その後徐々に高岡選手の背中が遠ざかっていきます。当然集団も追いかけ始めますが、完全に協調して追いかける体勢ではなく、私自身も『ここから逃げるつもりなのか?』と半信半疑の心境で走っていました。
西部の海岸線を集団もかなりのペースで南下しましたが、高岡選手を含めた逃げ集団は見えません。逃げの状況が把握しきれないまま2回目の普久川ダムに突入しました。
「ここから勝負が始まるぞ」と、気を引き締めて登り始めます。強力なクライマー陣が明らかに1回目とは違うペースを刻みます。前方で登っていたので分かりませんが、かなり人数も絞れてきていたのではないでしょうか。キツいけどガマン出来なくは無い、でもキツいというペースです。
気がつくと雨がしっかりと降っていました。高強度に加えて雨での視界悪化もあってか、もう少しで登り切りという地点で、私のすぐ右後方で落車が発生しました。足止めをくった選手もかなり多くいそうです。
その後、集団の前方で登りをなんとかクリアし下りに入りました。1回目の下りと同じ感覚でいましたが、降り出した雨でフルウェットの路面になっており、さらに勝負が始まった状況で、全体的にオーバースピードだったように感じます。
左コーナーでリアが滑ります。危険だなと思った直後、前方の右コーナーで複数が絡む落車が発生していました。左に複数の落車、右でも自転車が跳ねています。ぎりぎりのブレーキングですり抜けられましたが、自分のバイクにもグリップ感がまるでありません。多少の遅れは覚悟してセーフティファーストで下るようにします。先頭付近も気持ちは同じだったのか、補給ポイントで合流することができ、下り切ったところで20名ほどになっていました。
高岡選手が1〜2分程度の差で単独逃げ。後方は約20名の追走集団。
先ほどまでが嘘のように晴れてきて、ここから名護に向いてアップダウンのコースを南下して行きます。本来なら集団が一気に活性化していくところなのでしょうが、集団は妙な雰囲気でした。背筋の凍るようなダウンヒルをくぐって、アドレナリンが洗い流されたような様子です。
『みんなで追った方が速いから協調していこう』というような趣旨の声がかかったこともあり、学校坂もそこまでペースが上がらず、平坦下りもふわっとしたペースです。ロードレースの常と言えるかもしれませんが、逃げを捕まえたい選手・脚を使いたくない選手・もう脚がない選手・落車やメカトラを抱えた選手が入り混じって、ローテーションは回りません。
私も追いつくことを諦めたわけではありませんでしたが、高江のアップダウン区間で緩む集団を見ながら、『これは追いつかないな』と感じていました。
それでも繰り返されるアップダウンに人数を削られながら集団は進みます。ときおりインフォモトが高岡選手とのタイムギャップを伝えてきますが、縮まるどころかじわじわ拡大傾向。慶佐次をすぎ、有銘の登りで有力選手の井上選手がメカトラで離脱したあとは、もはや「追走集団」ではなく完全に2位争いの集団になっていました。
カヌチャリゾートの登りを耐え切ると、集団はサイクリングペースになりました。生き残っていたのは11人でした。羽地を登るとゴールの名護はすぐそこです。
最後の勝負の登りを前に、カフェイン入りのジェルを飲み干し、シューズのダイヤルを目一杯締めました。まだ脚に力は感じていましたが、身体をほぐそうと軽くダンシングしたところ、両脚の内転筋が攣りそうな感触がきます。
『ああ、そうだよな。でもあと10分ちょいだから、もってくれよ』と、脚をゲンコツでバシバシ叩きます。すると他の選手も数名がバシバシやっていて、みんな限界なんだな、と気持ちが少し和みました。
羽地もこれまでの登り同様、忌々しいクライマーたちがペースアップしてふるい落としにかかります。諦めそうになる気持ちを奮い立たせて、もう少しもう少しだけと踏み続けました。ひとりずつ遅れていく選手がいます。
番越トンネルを抜けたところで7人になっていました。ピークに向かい、前で最後のアタックがかかりましたが、この時点でもう遅れる気はしませんでした。下ハンでもがいてピークを通過します。この7人で表彰台をかけたスプリントです。
名護の街への下りをハイスピードで飛ばします。私は後ろから2番目。前を離さないように気を使いつつ、下り切って右折すると大通りに出て、ゴールまでは直線1kmちょっと。
7人が道路右端に寄って、2人・2人・3人という隊列だったように思います。この中でスプリントがあるのはあの選手とあの選手…などと考えながら進みます。
踏み遅れないこと、後悔の無いように踏み切ることを意識していました。
残り300mの看板を過ぎ、みんなが踏み始める気配を感じた瞬間、自分からワンテンポ早く飛び出しました。一瞬で先頭に出ますが、限界でフォームもバラバラ。スピードも乗り切っていないように感じます。
右から北野選手が抜き去っていきます。ゴールが遠い。それでも最後までもがき続けます。左から池川選手のホイールが迫るのが見えます。ゴールラインが見え、押し込むようにハンドルを投げました。
『3か4』
ゴール後は放心状態でいましたが、出迎えてくれた妻の顔を見て、無事に帰れたことを安堵しました。さらに3位だと知り、憧れの沖縄で表彰台に乗れた喜びを噛み締めました。「長いレースだったけど、最後まで踏み止めなかったな。自分自身を裏切らないレースはできたな」と思うと、込み上げてくるものがありました。
レース後は沖縄の食事や観光を楽しんで、翌日帰路に着きました。妻はレディース50kmで優勝して、初のツールドおきなわは素晴らしい結果になりました。
ツール・ド・おきなわにはここにしか無い何かがあるように感じます。また走りたいなぁ。
text:南 広樹(Team Zenko)
私が今回のツール・ド・おきなわに出ようと決めたのは8月でした。6年ほど前からホビーレースに出始め、昨年からTeamZenkoというチームでJBCFのレースに参戦してきました。今シーズンはJBCFのE1や全日本マスターなどで上位に入ることを目標にしていましたが、春先の落車などで思うようにレースを走ったり、結果を出したりすることができず、消化不良の状態が続いていました。
そんななか、今年は3年ぶりにツール・ド・おきなわが開催されることを知り、レディース50kmの部に出場する妻とともに、シーズンの集大成として沖縄行きを決めたのです。
ツール・ド・おきなわに向けて特別な取り組みはしませんでしたが、これまで以上に長距離の乗り込みや食生活の節制を心がけ、徐々に調子も上がってきました。ただ、直前の10月に同じ市民210kmに出場する有力選手たちと走らせてもらう機会があり、その時のみんなの仕上がり具合やおきなわへの熱量がものすごく、自分がどれくらい戦えるか自信は持てませんでした。
どれくらい勝負ができるか分からないけど、出し切るようなレースがしたい。最後まで踏みやめないレースがしたい。そんな思いで沖縄に向かいました。
沖縄には前日の土曜昼に到着。試走をしたかったのですが、雨脚が強く断念し、レース終盤となる慶佐次以降を車で下見したのみでした。
このレースは出場経験があるほうが相当有利だと思いますが、できるだけ効率的にトラブルなく走れるように、過去のブログや記事を読み込み、勝負のかかる登りや、トイレ休憩のタイミング、補給の取り方などを頭の中で何度もシュミレーションをしておきました。
少し余分には持っていきましたが、結果的に摂った補給は、エネ餅4つ・ピットインジェル5つ・ソフトフラスクにメイタンジェル2つとパラチノースを溶かしたもの、でした。ボトルは750ml(ポカリ500cc+水250ccにMag-Onの顆粒を溶かしたもの)を2本で走りました。
7時27分、雨に濡れる名護の街からレースが始まりました。比較的前列に並ぶことができたので、有力選手の後ろで序盤の落車などトラブル回避に努めようと考えていました。しかし美ら海水族館前でいきなりのチェーン落ち。何人かの選手が背中を押してくれますが、走りながらでは戻らず、降車して直しました。遠ざかる集団に焦りましたが、しばらく全力走をして集団最後尾に復帰。また徐々に前方にポジションを上げていきました。
北の海岸線沿いに出て、予定通りのトイレストップ。初めてレースでトイレストップしましたが、割とみんなゆったりなさるので、落ち着いて集団に合流し、補給などもしっかり行うことができました。
さあ、まずは1回目の普久川ダムです。やはりそこまでペースは上がりません。集団は落ち着いており、淡々と登ってクリアします。下りはハーフウェット気味ですが、みんな安全に降っている様子で、無事補給ポイントを通過し、東側北上ルートへ入りました。
このあたりは非常にゆっくりのペースで、2回目のトイレストップもありました。奥の登りにさしかかり、やや強度が上がって抜け出す選手も現れます。その後、このレースでの決定的な瞬間を迎えました。優勝候補の高岡選手の抜け出しです。
軽いギアでジョークのようなもがき方で集団から飛び出し、後ろを振り返りニヤっと笑われました。
『ちょっとペースが遅いからそろそろ上げていこうぜ』という意思表示かと、集団も一瞬和やかなムードになりました。しかし、その後徐々に高岡選手の背中が遠ざかっていきます。当然集団も追いかけ始めますが、完全に協調して追いかける体勢ではなく、私自身も『ここから逃げるつもりなのか?』と半信半疑の心境で走っていました。
西部の海岸線を集団もかなりのペースで南下しましたが、高岡選手を含めた逃げ集団は見えません。逃げの状況が把握しきれないまま2回目の普久川ダムに突入しました。
「ここから勝負が始まるぞ」と、気を引き締めて登り始めます。強力なクライマー陣が明らかに1回目とは違うペースを刻みます。前方で登っていたので分かりませんが、かなり人数も絞れてきていたのではないでしょうか。キツいけどガマン出来なくは無い、でもキツいというペースです。
気がつくと雨がしっかりと降っていました。高強度に加えて雨での視界悪化もあってか、もう少しで登り切りという地点で、私のすぐ右後方で落車が発生しました。足止めをくった選手もかなり多くいそうです。
その後、集団の前方で登りをなんとかクリアし下りに入りました。1回目の下りと同じ感覚でいましたが、降り出した雨でフルウェットの路面になっており、さらに勝負が始まった状況で、全体的にオーバースピードだったように感じます。
左コーナーでリアが滑ります。危険だなと思った直後、前方の右コーナーで複数が絡む落車が発生していました。左に複数の落車、右でも自転車が跳ねています。ぎりぎりのブレーキングですり抜けられましたが、自分のバイクにもグリップ感がまるでありません。多少の遅れは覚悟してセーフティファーストで下るようにします。先頭付近も気持ちは同じだったのか、補給ポイントで合流することができ、下り切ったところで20名ほどになっていました。
高岡選手が1〜2分程度の差で単独逃げ。後方は約20名の追走集団。
先ほどまでが嘘のように晴れてきて、ここから名護に向いてアップダウンのコースを南下して行きます。本来なら集団が一気に活性化していくところなのでしょうが、集団は妙な雰囲気でした。背筋の凍るようなダウンヒルをくぐって、アドレナリンが洗い流されたような様子です。
『みんなで追った方が速いから協調していこう』というような趣旨の声がかかったこともあり、学校坂もそこまでペースが上がらず、平坦下りもふわっとしたペースです。ロードレースの常と言えるかもしれませんが、逃げを捕まえたい選手・脚を使いたくない選手・もう脚がない選手・落車やメカトラを抱えた選手が入り混じって、ローテーションは回りません。
私も追いつくことを諦めたわけではありませんでしたが、高江のアップダウン区間で緩む集団を見ながら、『これは追いつかないな』と感じていました。
それでも繰り返されるアップダウンに人数を削られながら集団は進みます。ときおりインフォモトが高岡選手とのタイムギャップを伝えてきますが、縮まるどころかじわじわ拡大傾向。慶佐次をすぎ、有銘の登りで有力選手の井上選手がメカトラで離脱したあとは、もはや「追走集団」ではなく完全に2位争いの集団になっていました。
カヌチャリゾートの登りを耐え切ると、集団はサイクリングペースになりました。生き残っていたのは11人でした。羽地を登るとゴールの名護はすぐそこです。
最後の勝負の登りを前に、カフェイン入りのジェルを飲み干し、シューズのダイヤルを目一杯締めました。まだ脚に力は感じていましたが、身体をほぐそうと軽くダンシングしたところ、両脚の内転筋が攣りそうな感触がきます。
『ああ、そうだよな。でもあと10分ちょいだから、もってくれよ』と、脚をゲンコツでバシバシ叩きます。すると他の選手も数名がバシバシやっていて、みんな限界なんだな、と気持ちが少し和みました。
羽地もこれまでの登り同様、忌々しいクライマーたちがペースアップしてふるい落としにかかります。諦めそうになる気持ちを奮い立たせて、もう少しもう少しだけと踏み続けました。ひとりずつ遅れていく選手がいます。
番越トンネルを抜けたところで7人になっていました。ピークに向かい、前で最後のアタックがかかりましたが、この時点でもう遅れる気はしませんでした。下ハンでもがいてピークを通過します。この7人で表彰台をかけたスプリントです。
名護の街への下りをハイスピードで飛ばします。私は後ろから2番目。前を離さないように気を使いつつ、下り切って右折すると大通りに出て、ゴールまでは直線1kmちょっと。
7人が道路右端に寄って、2人・2人・3人という隊列だったように思います。この中でスプリントがあるのはあの選手とあの選手…などと考えながら進みます。
踏み遅れないこと、後悔の無いように踏み切ることを意識していました。
残り300mの看板を過ぎ、みんなが踏み始める気配を感じた瞬間、自分からワンテンポ早く飛び出しました。一瞬で先頭に出ますが、限界でフォームもバラバラ。スピードも乗り切っていないように感じます。
右から北野選手が抜き去っていきます。ゴールが遠い。それでも最後までもがき続けます。左から池川選手のホイールが迫るのが見えます。ゴールラインが見え、押し込むようにハンドルを投げました。
『3か4』
ゴール後は放心状態でいましたが、出迎えてくれた妻の顔を見て、無事に帰れたことを安堵しました。さらに3位だと知り、憧れの沖縄で表彰台に乗れた喜びを噛み締めました。「長いレースだったけど、最後まで踏み止めなかったな。自分自身を裏切らないレースはできたな」と思うと、込み上げてくるものがありました。
レース後は沖縄の食事や観光を楽しんで、翌日帰路に着きました。妻はレディース50kmで優勝して、初のツールドおきなわは素晴らしい結果になりました。
ツール・ド・おきなわにはここにしか無い何かがあるように感じます。また走りたいなぁ。
text:南 広樹(Team Zenko)
Amazon.co.jp