リッチー・ポート(オーストラリア、イネオス・グレナディアーズ)の現役ラストレースとなったのは、エリザベス2世の死去で急遽レース中断となった9月のツアー・オブ・ブリテン第5ステージだった。引退する理由やキャリアの思い出など、ポートの言葉を紹介する。



2022年をもって引退するリッチー・ポート(オーストラリア、イネオス・グレナディアーズ)2022年をもって引退するリッチー・ポート(オーストラリア、イネオス・グレナディアーズ) photo:CorVos
「この時はまさか、これが選手生活で最後のレース前サインになるとは思わなかった。これで13年に及ぶ(自転車選手としての)章と、数々の忘れがたい思い出が終わりを迎えた」とリッチー・ポート(オーストラリア、イネオス・グレナディアーズ)はSNSに綴った。

現役最終レースとして出場したツアー・オブ・ブリテン(UCI.Pro)だったが、第5ステージが行われた夜にイギリスのエリザベス女王が死去。そのためレースは急遽中止となり、ポートは突然その13年の選手生活を締めくくることとなった。

「タスマニアで生まれ育った男の子が、自転車を通し世界中を旅することになるとは思ってもいなかった。世界の強豪と呼ばれるチームに所属し、たくさんの素晴らしい人々と出会うことができた。引退を労うコメントやツアー・オブ・ブリテンの沿道からの応援に感謝する。人生の次なる章に向けての準備は整っている。フォレスト・ガンプのセリフにあるように『とても疲れた。帰ろうと思う』」。

ツアー・ダウンアンダーの名物丘であるウィランガヒルを6年連続で制覇したリッチー・ポート(オーストラリア、当時トレック・セガフレード)ツアー・ダウンアンダーの名物丘であるウィランガヒルを6年連続で制覇したリッチー・ポート(オーストラリア、当時トレック・セガフレード) photo:CorVos
遅れがちなゲラント・トーマスをリッチー・ポートが引く遅れがちなゲラント・トーマスをリッチー・ポートが引く photo:Makoto.AYANO2017年のジャパンカップに出場したリッチー・ポート(当時BMCレーシング)2017年のジャパンカップに出場したリッチー・ポート(当時BMCレーシング) photo:Makoto.AYANO

サクソ・バンクにて24歳と比較的遅い年齢でプロデビュー(2010年)を果たしたポートは、2012年にスカイプロサイクリング(現イネオス・グレナディアーズ)に移籍。その年のツール・ド・フランスではブラドレー・ウィギンスのイギリス人初となる総合優勝に貢献するなど、山岳アシストとして3度に渡りツール総合優勝に尽力した。

その後ポートは総合エースに挑戦すべく2016年にBMCレーシングへ移籍したものの、度重なる怪我や落車よって本来の力を発揮できない時期が続いた。イネオスがツアー・オブ・ブリテンの開幕に合わせ公開したポートのインタビュー動画では、苦い記憶として落車リタイアとなった2017年ツールの第9ステージを挙げている。

「時速70kmで落車した僕に、駆けつけた救急スタッフは首にコルセットを装着したんだ。子どもがいるいまならわかることだが、タスマニアでレースを観ていた両親がどれだけ心配したことか。いま思うと(両親に対して)申し訳ない気持ちでいっぱいだ」とポート。一方で良い記憶としては「ツールで総合優勝したブラッド・ウィギンスやクリス・フルームといった素晴らしいチームメイトたち。また、共にパリ〜ニースを制したニコラ・ポルタルも僕のキャリアには大きな部分を占めている」と語った。

2020年ツールで総合表彰台に上がったリッチー・ポート(オーストラリア)2020年ツールで総合表彰台に上がったリッチー・ポート(オーストラリア) photo:Kei Tsuji
キャリア終盤の2020年にはツールで総合表彰台(総合3位入賞)を射止めたポートは「ずっと目標にしてきたツールのポディウムは最高だったね」と振り返る。そして引退を決断した理由を「勝利への意欲を失ったわけではないが、大きな理由は来年で5歳になる息子の学校が始まること。その事実が僕に大きな考え方の変化をもたらした」と説明した。

来年の予定は「何も決まっていない」のだと言うポート。母国オーストラリアに戻って1年ほどゆっくり過ごすことを視野に、子どもの学校の送り迎えや犬を飼うなど「普通のことがしたい」と長らく叶わないでいた願望を口にした。

text:Sotaro.Arakawa