2022/10/03(月) - 17:14
オーストラリアで行われたロード世界選手権を7位で終え、その直後に日本を訪れたペテル・サガン(スロバキア、トタルエネルジー)。今季限りでの引退も噂されたトップ選手に、自身の年齢や才能について、また世界選手権3連覇という偉業へ導いた、ある思考法について話を聞いた。
―今回の世界選手権の直前に「ここで世界王者になったらロードレースを引退するかもしれない」という発言から、引退の噂が広まりました。その後否定されていましたが、来年も現役を続けますよね?
もちろん。それに世界選手権で勝てなかったからね。笑
―その世界選手権は、お兄さん(ユライ・サガン)のラストレースとなりました。感傷的な思いなどありましたか?
引退することは事前に知っていたのでそんな気持ちにはならなかった。だけど彼が世界選手権という大舞台でキャリアを終えることができ、僕も嬉しかったよ。
―あなた自身の結果は7位。加わったスプリントが2位争いであることは把握していましたか?
いや、3位争いだと思っていた。
無線がないので状況でモトバイクが”2分差”と書かれたボードを見せてきたんだ。それがレムコ(エヴェネプール)であることは知らなかったが、補給所でスロバキアのスタッフから「3位スプリントになる!」と伝えられたんだ。いま考えれば正確な情報ではなかったものの、重要なメッセージは”優勝を争うスプリントではない”ということだった。
―スプリントを争う集団にはワウト・ファンアールトがいました。
あぁ。皆が彼の動きを注視していた。
―あなたも彼をマークしていましたか?
していない。(ファンアールトの動きを見るのは)最後の1周の動き次第だと思っていたから。
これまで優勝したすべての世界選手権と同じく、最終局面でチームメイトのいない僕は、誰かの背後を取らなければならない。今回も(スロバキアチームからは)僕1人しか残っていなかった。当然チームプレイをしたり展開をコントロールすることはできないので、他国の動きを予測しなければならなかった。
最も重要だったラスト周回で自分の一撃をどこで繰り出すか。早めにアタックするのか、もしくはスプリントまで溜めておくのか。それだけを考えていた。特に今年のオーストラリアはアタックが繰り広げられたことでプロトンが崩れ、いくつかのグループが形成された。でも展開を掌握し、勝利したのはたった1人。その他大勢は2位を目指し、スプリントするだけだった。
―歳を重ねるごとにコンディショニングが難しくなっていると感じますか?
もちろん、年々難しくなっているのは事実だ。特に30歳を超えてからはコンディショニングに変化が訪れた。日々難しさを感じているよ。
―その変化は一気に訪れたのでしょうか?それとも徐々に?
徐々にだね。身体の痛みも増し、ケアに費やす時間も増えた。それにいままでにない背中や脚の痛みを感じるようになった。落車した後の身体の反応も若い時とは異なっている。様々な難しさを感じてはいるものの、人間としては普通のことだ。
―アルカンシエルを懸けた世界選手権は、もちろん特別なレースだと思うのですが、その他にも”特別”と感じるレースはありますか?
ミラノ〜サンレモは僕の優勝リストに加えたいものの1つ。あとは4度目の優勝が懸かる世界選手権かな。過去のどんなレースよりも、これからやってくるレースを超える特別感はないからね。
―そのミラノ〜サンレモなどまだ優勝していないレースはありますが、あなたはすでに数々の成功を収め、すべてを手に入れてきたように感じます。それでもなお高いモチベーションで競技に取り組む理由は何なのでしょうか?純粋にレースが楽しいからですか?
レースが楽しかったのは子どもの頃までだ。いまも楽しいけれど、その種類は異なる。若い頃は経験はもちろん、周りからの期待もなく学びの過程にあった。だからこそ純粋にサイクリングを楽むことができていた。しかしそれから数年の時が経ち、期待や責任が増えていったことにより、自分が思い描くコンディションに持っていくことが難しくなっていった。
若い時は学ぶことに集中すればいいが、いまは楽しさを感じながらも、自転車競技を仕事やミッションのように考えているよ。
―身体の柔軟性や強さなども含め、過去の勝利は生まれ持った才能が大きく関わっていると思いますか?
もちろん部分的にギフト(生まれ持ったもの)な所もあるだろう。でも、その質問について僕が強調したいのは"ハードワーク(厳しい練習)によってある所まで身体を鍛えることが可能”ということ。ある地点までいとも簡単にたどり着ける人がいれば、人の何倍もの努力や時間が必要な人もいる。しかし重要なことは、皆等しくその地点までいくことができるという事実だ。
―あなた自身はその地点まで、他の選手よりも容易くたどり着くことができたと思っていますか?
ああ、絶対にそうだろうね。だからこそ、これまで積み重ねてきた数々の勝利やキャリアがある。更にそこにハードワークを積み重ねてきた結果が、僕を他とは違う選手にしたんだ。それは”タレント(才能)”という言い方もできるが、最高の選手になるためには努力が必要だという事実は変わらない。
―自分自身が他の選手よりも突出している理由は、何だと思っていますか?
僕は自分を最も特別な選手だと思ってはいないが、世界選手権で勝てるようになったのは”気にしなくなった”からだ。
―勝利に固執しなくなった、という意味ですか?
その通り。勝ちを望み過ぎると、考え過ぎてしまうんだ。そうすると逆に失敗した時の失望が大きくなる。プロになった最初の数年間は勝ちを欲し、世界選手権の優勝も心の底から望んでいた。でもその欲望を頭から消したところ、勝てるようになったんだ。
―まるで禅の思想のようにも聞こえますね。
そうだね。僕の「Why So Serious?(真面目な顔してどうしたんだ?)」と通ずるものがある。その考えで臨んだリッチモンドの世界選手権(2015年)で僕は、優勝することができたんだ。またその翌年にドーハで行われる世界選手権も、スプリンター向きの平坦レースだったこともあり勝つチャンスがあると思っていた。
ドーハでは既に1度世界選手権を制していたので、僕は完全に「Why So Serious?」のマインドで臨むことができた。その証拠に、皆がドーハの暑さに慣れるため2週間〜10日前に現地入りするなか、僕が到着したのはたったの3日前。その結果、2度目の勝利を掴むことができたんだ。
6年振りの日本での滞在で、アジア各国のインフルエンサーや日本のファンと触れ合ったサガン。帰国後は10月9日にイタリア・ヴェネトで初開催されるUCIグラベル世界選手権に参戦するという。
また、チームメイトであり盟友のダニエル・オス(イタリア、トタルエネルジー)がその舞台となるコース後半部分を試走する予定で、「彼の意見を参考にRoubaixかCRUXに乗るかを決めるつもり」なのだとか。そして「優勝できそうか?」というこちらの質問に対しサガンは、「Anything is possible(不可能なことは何もない)」と笑顔で答えてくれた。
―最後に1つだけ。マーク・カヴェンディッシュとの仲は修復できましたか?
それは、彼(カヴェンディッシュ)に聞いてくれ。笑
text:Sotaro.Arakawa
photo:So.Isobe
―今回の世界選手権の直前に「ここで世界王者になったらロードレースを引退するかもしれない」という発言から、引退の噂が広まりました。その後否定されていましたが、来年も現役を続けますよね?
もちろん。それに世界選手権で勝てなかったからね。笑
―その世界選手権は、お兄さん(ユライ・サガン)のラストレースとなりました。感傷的な思いなどありましたか?
引退することは事前に知っていたのでそんな気持ちにはならなかった。だけど彼が世界選手権という大舞台でキャリアを終えることができ、僕も嬉しかったよ。
―あなた自身の結果は7位。加わったスプリントが2位争いであることは把握していましたか?
いや、3位争いだと思っていた。
無線がないので状況でモトバイクが”2分差”と書かれたボードを見せてきたんだ。それがレムコ(エヴェネプール)であることは知らなかったが、補給所でスロバキアのスタッフから「3位スプリントになる!」と伝えられたんだ。いま考えれば正確な情報ではなかったものの、重要なメッセージは”優勝を争うスプリントではない”ということだった。
―スプリントを争う集団にはワウト・ファンアールトがいました。
あぁ。皆が彼の動きを注視していた。
―あなたも彼をマークしていましたか?
していない。(ファンアールトの動きを見るのは)最後の1周の動き次第だと思っていたから。
これまで優勝したすべての世界選手権と同じく、最終局面でチームメイトのいない僕は、誰かの背後を取らなければならない。今回も(スロバキアチームからは)僕1人しか残っていなかった。当然チームプレイをしたり展開をコントロールすることはできないので、他国の動きを予測しなければならなかった。
最も重要だったラスト周回で自分の一撃をどこで繰り出すか。早めにアタックするのか、もしくはスプリントまで溜めておくのか。それだけを考えていた。特に今年のオーストラリアはアタックが繰り広げられたことでプロトンが崩れ、いくつかのグループが形成された。でも展開を掌握し、勝利したのはたった1人。その他大勢は2位を目指し、スプリントするだけだった。
―歳を重ねるごとにコンディショニングが難しくなっていると感じますか?
もちろん、年々難しくなっているのは事実だ。特に30歳を超えてからはコンディショニングに変化が訪れた。日々難しさを感じているよ。
―その変化は一気に訪れたのでしょうか?それとも徐々に?
徐々にだね。身体の痛みも増し、ケアに費やす時間も増えた。それにいままでにない背中や脚の痛みを感じるようになった。落車した後の身体の反応も若い時とは異なっている。様々な難しさを感じてはいるものの、人間としては普通のことだ。
―アルカンシエルを懸けた世界選手権は、もちろん特別なレースだと思うのですが、その他にも”特別”と感じるレースはありますか?
ミラノ〜サンレモは僕の優勝リストに加えたいものの1つ。あとは4度目の優勝が懸かる世界選手権かな。過去のどんなレースよりも、これからやってくるレースを超える特別感はないからね。
―そのミラノ〜サンレモなどまだ優勝していないレースはありますが、あなたはすでに数々の成功を収め、すべてを手に入れてきたように感じます。それでもなお高いモチベーションで競技に取り組む理由は何なのでしょうか?純粋にレースが楽しいからですか?
レースが楽しかったのは子どもの頃までだ。いまも楽しいけれど、その種類は異なる。若い頃は経験はもちろん、周りからの期待もなく学びの過程にあった。だからこそ純粋にサイクリングを楽むことができていた。しかしそれから数年の時が経ち、期待や責任が増えていったことにより、自分が思い描くコンディションに持っていくことが難しくなっていった。
若い時は学ぶことに集中すればいいが、いまは楽しさを感じながらも、自転車競技を仕事やミッションのように考えているよ。
―身体の柔軟性や強さなども含め、過去の勝利は生まれ持った才能が大きく関わっていると思いますか?
もちろん部分的にギフト(生まれ持ったもの)な所もあるだろう。でも、その質問について僕が強調したいのは"ハードワーク(厳しい練習)によってある所まで身体を鍛えることが可能”ということ。ある地点までいとも簡単にたどり着ける人がいれば、人の何倍もの努力や時間が必要な人もいる。しかし重要なことは、皆等しくその地点までいくことができるという事実だ。
―あなた自身はその地点まで、他の選手よりも容易くたどり着くことができたと思っていますか?
ああ、絶対にそうだろうね。だからこそ、これまで積み重ねてきた数々の勝利やキャリアがある。更にそこにハードワークを積み重ねてきた結果が、僕を他とは違う選手にしたんだ。それは”タレント(才能)”という言い方もできるが、最高の選手になるためには努力が必要だという事実は変わらない。
―自分自身が他の選手よりも突出している理由は、何だと思っていますか?
僕は自分を最も特別な選手だと思ってはいないが、世界選手権で勝てるようになったのは”気にしなくなった”からだ。
―勝利に固執しなくなった、という意味ですか?
その通り。勝ちを望み過ぎると、考え過ぎてしまうんだ。そうすると逆に失敗した時の失望が大きくなる。プロになった最初の数年間は勝ちを欲し、世界選手権の優勝も心の底から望んでいた。でもその欲望を頭から消したところ、勝てるようになったんだ。
―まるで禅の思想のようにも聞こえますね。
そうだね。僕の「Why So Serious?(真面目な顔してどうしたんだ?)」と通ずるものがある。その考えで臨んだリッチモンドの世界選手権(2015年)で僕は、優勝することができたんだ。またその翌年にドーハで行われる世界選手権も、スプリンター向きの平坦レースだったこともあり勝つチャンスがあると思っていた。
ドーハでは既に1度世界選手権を制していたので、僕は完全に「Why So Serious?」のマインドで臨むことができた。その証拠に、皆がドーハの暑さに慣れるため2週間〜10日前に現地入りするなか、僕が到着したのはたったの3日前。その結果、2度目の勝利を掴むことができたんだ。
6年振りの日本での滞在で、アジア各国のインフルエンサーや日本のファンと触れ合ったサガン。帰国後は10月9日にイタリア・ヴェネトで初開催されるUCIグラベル世界選手権に参戦するという。
また、チームメイトであり盟友のダニエル・オス(イタリア、トタルエネルジー)がその舞台となるコース後半部分を試走する予定で、「彼の意見を参考にRoubaixかCRUXに乗るかを決めるつもり」なのだとか。そして「優勝できそうか?」というこちらの質問に対しサガンは、「Anything is possible(不可能なことは何もない)」と笑顔で答えてくれた。
―最後に1つだけ。マーク・カヴェンディッシュとの仲は修復できましたか?
それは、彼(カヴェンディッシュ)に聞いてくれ。笑
text:Sotaro.Arakawa
photo:So.Isobe
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