2022/04/22(金) - 20:35
昨年の全日本選手権、U23の個人タイムトライアルで優勝した松田祥位は、その約半年前に選手引退も考えていたという。ジュニア時代からその実力を認められ、フランスでの活躍ぶりも伝わってきていた松田に何が起きていたのか?
往復60kmを自転車通学した高校時代
松田祥位が自転車競技を始めたのは高校生になってから。それまではサッカー少年だったが、持久系のスポーツは得意だったという。驚くのは、自宅から高校まで往復60kmを自転車通学していたことだ。
「朝4時に起きていたんですけど、母親は3時に起きておにぎり作ってくれてたんです・・・本当に感謝してます。幸運だったのは、自宅から高校まではほぼ平坦で、行きは若干の下りだったことです」
それに加えて自転車部の練習をこなしていたと聞けば、タイムトライアルに強い松田のベースはこの頃作られたのだろうと想像できる。
岐阜第一高校在学中の2016年、松田はジュニアの全日本選手権ロードレースで優勝。2017年には全日本選手権個人タイムトライアルで優勝。インターハイでも主力メンバーとして活躍した。2017年の世界選手権ではジュニアで28位完走。高校卒業後は浅田監督率いるエカーズに加入した。
「自転車を始めた時からヨーロッパに行きたいと思っていましたが、大学に行く気は無かったんです。それでコーチに相談したらエカーズを勧められたので、決めました」
2018年のアジア選手権では、U23の個人タイムトライアル3位。同年初開催された「おおいたアーバンクラシック」では、格上のエリート選手達を相手に石上優大と1-2フィニッシュを決めた。2019年も、ネイションズカップ総合7位をはじめ、フランスの個人タイムトライアル大会「クロノ・シャテルロデ」で優勝するなど、その力を発揮し始めていた。
エカーズ加入当時の松田について、浅田顕監督は「タイムトライアルと、短い上りで仕掛ける力が同世代の選手よりも勝っていた」と振り返る。
浅田監督「タイムトライアルに強いという点は日本では少ないタイプの選手ですね。トントン拍子ではないけれど、苦戦しながらも少しずつ伸ばしていたのが1年目、2年目の松田でした」
松田自身も「相手と駆け引きで勝負するよりも力勝負が好きなので、タイムトライアルは得意」と言う
「ヨーロッパでは力勝負の上に駆け引きがあるので、そういうレースは好きです。エリートナショナルのレースで強い選手達に喰らい付いて行って10位くらいに入った時は圧倒されました。登りで『俺が引くから』と言われてそのまま千切られましたから(笑)。でもあそこまで走れたらカッコいいし楽しいだろうなと思いました」
ズレ始めた歯車
2020年、松田はフランスの名門アマチュアチーム「AVCAIX」に加入。エクス=アン=プロヴァンスにホームステイしてレース活動をすることになった。しかし新型コロナウィルスの感染拡大がフランス全土で進み、年明け早々からいくつかのレースに出場したものの、3月後半以降はレースが無い状態に。さらにロックダウンのため外での練習が出来なくなってしまった。
「1月にはマスクなしで合宿もしていて、3月まではレースも開催されていました。4月にイタリアのレースを走る予定だったんですがキャンセルになり、7月中旬に再開するまでは外で練習も出来ないのでローラー回してるしかなかったです。それでも、帰国する10月まで20レース以上走ることは出来ました。僕がいた地域だけでも平日と土日合わせて月に10レースほどありますから、その点は日本より恵まれてましたね」
「日本では『今週末レースがあるぞ』と、構える感じですが、フランスでは集まって移動してレース走ったらサッと撤収して帰る…という流れが、普段の延長でレースに出場する感じでした。親御さんが手伝ってくれて補給やってくれたりするんです。日本の少年野球やサッカーみたいですね。そういうことも含め、現地で得た経験と知識は大きいです」
そんな松田の歯車がズレてきたのは9月の初め。
「ちょっと精神的にヤバいかなという感じになってきていたのですが、まだフランスでやっていけると思っていました。でも練習が出来なくなって、力が入らなくなってしまって…踏めないから乗っていても楽しくないし、気持ちよく走れない。それでも少し自転車から離れれば…1ヶ月くらい休めばまた出来ると考えていました」
2020年10月に帰国した後も「まったく乗りたくなかった」と振り返る。その原因は何だったのだろうか?
「現地の人達のアジア人に向ける視線と言うか…普段の生活で自分に向けられる視線というか。自分ではそこまで深刻に捉えていないつもりだったのだけれど、そういうものにジワジワとダメージを受けていたんだと思います。多分、コロナが無くてもあまり関係無かったと思います」
浅田監督も、「コロナはキッカケにはなったけれど直接的な原因ではないです」と言う。
浅田監督「異国の地でやっていくには、気持ちの面でも体の面でも整っていないと力を出せません。自分の力をぶつけてみて、返ってきた手応えで自分の進むべき道を選んでいると思うので、本当のところ松田自身がどう思っていたのかは何とも言えないです。
松田はすごく優秀とまでは言えないけれど、引き上げる必要があるというレベルでもなかった。だからもうちょっと粘って欲しかったとも思います。日本に戻って体制を整え直して、自分の得意な分野で力を伸ばして、満足できる結果が出たら次を考えるのではないかと思っています」
帰国 -バイト生活 -選手復帰
「帰国してしばらくは何もしてませんでしたね…2021年初めにトラックで走ってみたりもしましたが、でもやっぱり気分が落ちてしまって。それでスーパーでバイトを始めてみたりして…レジ打ちとか品出しとか。初めてのバイトだったので、すごく楽しかったです」
その間も自転車に乗ることはなく、「(自転車は)玄関に置いてあったけど、バイトから帰っても素通りして自分の部屋でゲームしてるような生活だった」と言う。そんな松田に転機が訪れたのは2021年の夏頃だった。
「国内のチームから2022年加入のお誘いがありました。いくつかあった中から、どうせなら次の五輪を目指そうと思い、チームブリヂストンサイクリングを選びました。それで9月から来て良いと言われたので、早速三島に引っ越しました」
復帰戦となった9月のJプロツアー南魚沼大会以降、松田はレースに出場しつつ徐々に感覚を取り戻していく。それまでの自転車から完全に離れていた生活から、スイッチが切り替わったように選手としての生活を取り戻した。「単純なんですよ」と松田は笑って話す。
「お誘い頂いたからには中途半端にやりたくないし、マジでやろうと。それで『弱いな』と言われるのもイヤですから」
そして復帰2ヶ月で迎えた全日本選手権、U23の個人タイムトライアルで優勝。ジュニア以来5年ぶりのタイトルを獲得した。
「1週間前のかすみがうらタイムトライアル(Jプロツアーかすみがうら大会)で走って、これはキツいなと。これでは全日本は勝てないなと思い、必要な練習だけに絞って全日本に備えました。勝てた時はホッとしましたね…勝てないのはやはり嫌だし、2ヶ月の練習で勝ったって言いたいし(笑)。タイムトライアルに関してはこれで出来ると再確認出来て自信になりました」
「まだ諦めていない」
2022年、正式にチームブリヂストンサイクリングの一員となった松田。シーズンインしてここまでは「歯車がガチっとはまった感じ」と表現する。
「ナショナルチームコーチのクレイグ・グリフィンに練習を見てもらっていますが、徐々に五輪に向けて上げていく感じなんだろうなと。今まではただがむしゃらに練習して、練習時間いっぱい踏めるだけ踏むようなことをしていました。そのやり方ではある程度ベースは出来るけれど、弱い部分がうやむやになってしまう。今のやり方は自分の弱点が明確になるので、面白いなと思ってメニューをやってます」
それは目標が明確になったから感じることだとも言う。
「以前はワールドツアーが目標とは言っていたけれど、全てが手探りしているような状態でした。今は五輪という明確な目標があって、それに向けて組み立てていくという感じです。ロジックって改めて大事だなと実感してます」
そんな松田の今年の目標は、トラックの個人追い抜きで4分15秒を切ることと、ロードで1勝することだ。ちなみに、2021年11月の全日本選手権優勝の今村駿介のタイムは4分17秒台。同大会3位の松田は4分24秒台だった。
「ナショナルチームの団抜きメンバーに入ることも目標ですが、まずは4分15秒を切ること…コーチにも言われたことですが、それが目標です。今村(駿介)さんも窪木(一茂)さんも橋本(英也)さんも黙ってないと思うので、切磋琢磨して行きたいですね。ロードはどこかで1勝したいです」
もし、昨年夏に国内チームからの打診が無かったら、松田はどうしていたのだろうか?
「自転車乗る気も無かったし、選手に復帰することもなくニートしてたかもしれません。帰国しておよそ半年という、復帰するにはギリギリのところだったのも良かったですが、こんなにうまくいくことがあるのかと思いました」
そしてこう付け加えた。
「ヨーロッパはまだ諦めていません。今はやる気に満ち溢れているので」
text:Satoru Kato
往復60kmを自転車通学した高校時代
松田祥位が自転車競技を始めたのは高校生になってから。それまではサッカー少年だったが、持久系のスポーツは得意だったという。驚くのは、自宅から高校まで往復60kmを自転車通学していたことだ。
「朝4時に起きていたんですけど、母親は3時に起きておにぎり作ってくれてたんです・・・本当に感謝してます。幸運だったのは、自宅から高校まではほぼ平坦で、行きは若干の下りだったことです」
それに加えて自転車部の練習をこなしていたと聞けば、タイムトライアルに強い松田のベースはこの頃作られたのだろうと想像できる。
岐阜第一高校在学中の2016年、松田はジュニアの全日本選手権ロードレースで優勝。2017年には全日本選手権個人タイムトライアルで優勝。インターハイでも主力メンバーとして活躍した。2017年の世界選手権ではジュニアで28位完走。高校卒業後は浅田監督率いるエカーズに加入した。
「自転車を始めた時からヨーロッパに行きたいと思っていましたが、大学に行く気は無かったんです。それでコーチに相談したらエカーズを勧められたので、決めました」
2018年のアジア選手権では、U23の個人タイムトライアル3位。同年初開催された「おおいたアーバンクラシック」では、格上のエリート選手達を相手に石上優大と1-2フィニッシュを決めた。2019年も、ネイションズカップ総合7位をはじめ、フランスの個人タイムトライアル大会「クロノ・シャテルロデ」で優勝するなど、その力を発揮し始めていた。
エカーズ加入当時の松田について、浅田顕監督は「タイムトライアルと、短い上りで仕掛ける力が同世代の選手よりも勝っていた」と振り返る。
浅田監督「タイムトライアルに強いという点は日本では少ないタイプの選手ですね。トントン拍子ではないけれど、苦戦しながらも少しずつ伸ばしていたのが1年目、2年目の松田でした」
松田自身も「相手と駆け引きで勝負するよりも力勝負が好きなので、タイムトライアルは得意」と言う
「ヨーロッパでは力勝負の上に駆け引きがあるので、そういうレースは好きです。エリートナショナルのレースで強い選手達に喰らい付いて行って10位くらいに入った時は圧倒されました。登りで『俺が引くから』と言われてそのまま千切られましたから(笑)。でもあそこまで走れたらカッコいいし楽しいだろうなと思いました」
ズレ始めた歯車
2020年、松田はフランスの名門アマチュアチーム「AVCAIX」に加入。エクス=アン=プロヴァンスにホームステイしてレース活動をすることになった。しかし新型コロナウィルスの感染拡大がフランス全土で進み、年明け早々からいくつかのレースに出場したものの、3月後半以降はレースが無い状態に。さらにロックダウンのため外での練習が出来なくなってしまった。
「1月にはマスクなしで合宿もしていて、3月まではレースも開催されていました。4月にイタリアのレースを走る予定だったんですがキャンセルになり、7月中旬に再開するまでは外で練習も出来ないのでローラー回してるしかなかったです。それでも、帰国する10月まで20レース以上走ることは出来ました。僕がいた地域だけでも平日と土日合わせて月に10レースほどありますから、その点は日本より恵まれてましたね」
「日本では『今週末レースがあるぞ』と、構える感じですが、フランスでは集まって移動してレース走ったらサッと撤収して帰る…という流れが、普段の延長でレースに出場する感じでした。親御さんが手伝ってくれて補給やってくれたりするんです。日本の少年野球やサッカーみたいですね。そういうことも含め、現地で得た経験と知識は大きいです」
そんな松田の歯車がズレてきたのは9月の初め。
「ちょっと精神的にヤバいかなという感じになってきていたのですが、まだフランスでやっていけると思っていました。でも練習が出来なくなって、力が入らなくなってしまって…踏めないから乗っていても楽しくないし、気持ちよく走れない。それでも少し自転車から離れれば…1ヶ月くらい休めばまた出来ると考えていました」
2020年10月に帰国した後も「まったく乗りたくなかった」と振り返る。その原因は何だったのだろうか?
「現地の人達のアジア人に向ける視線と言うか…普段の生活で自分に向けられる視線というか。自分ではそこまで深刻に捉えていないつもりだったのだけれど、そういうものにジワジワとダメージを受けていたんだと思います。多分、コロナが無くてもあまり関係無かったと思います」
浅田監督も、「コロナはキッカケにはなったけれど直接的な原因ではないです」と言う。
浅田監督「異国の地でやっていくには、気持ちの面でも体の面でも整っていないと力を出せません。自分の力をぶつけてみて、返ってきた手応えで自分の進むべき道を選んでいると思うので、本当のところ松田自身がどう思っていたのかは何とも言えないです。
松田はすごく優秀とまでは言えないけれど、引き上げる必要があるというレベルでもなかった。だからもうちょっと粘って欲しかったとも思います。日本に戻って体制を整え直して、自分の得意な分野で力を伸ばして、満足できる結果が出たら次を考えるのではないかと思っています」
帰国 -バイト生活 -選手復帰
「帰国してしばらくは何もしてませんでしたね…2021年初めにトラックで走ってみたりもしましたが、でもやっぱり気分が落ちてしまって。それでスーパーでバイトを始めてみたりして…レジ打ちとか品出しとか。初めてのバイトだったので、すごく楽しかったです」
その間も自転車に乗ることはなく、「(自転車は)玄関に置いてあったけど、バイトから帰っても素通りして自分の部屋でゲームしてるような生活だった」と言う。そんな松田に転機が訪れたのは2021年の夏頃だった。
「国内のチームから2022年加入のお誘いがありました。いくつかあった中から、どうせなら次の五輪を目指そうと思い、チームブリヂストンサイクリングを選びました。それで9月から来て良いと言われたので、早速三島に引っ越しました」
復帰戦となった9月のJプロツアー南魚沼大会以降、松田はレースに出場しつつ徐々に感覚を取り戻していく。それまでの自転車から完全に離れていた生活から、スイッチが切り替わったように選手としての生活を取り戻した。「単純なんですよ」と松田は笑って話す。
「お誘い頂いたからには中途半端にやりたくないし、マジでやろうと。それで『弱いな』と言われるのもイヤですから」
そして復帰2ヶ月で迎えた全日本選手権、U23の個人タイムトライアルで優勝。ジュニア以来5年ぶりのタイトルを獲得した。
「1週間前のかすみがうらタイムトライアル(Jプロツアーかすみがうら大会)で走って、これはキツいなと。これでは全日本は勝てないなと思い、必要な練習だけに絞って全日本に備えました。勝てた時はホッとしましたね…勝てないのはやはり嫌だし、2ヶ月の練習で勝ったって言いたいし(笑)。タイムトライアルに関してはこれで出来ると再確認出来て自信になりました」
「まだ諦めていない」
2022年、正式にチームブリヂストンサイクリングの一員となった松田。シーズンインしてここまでは「歯車がガチっとはまった感じ」と表現する。
「ナショナルチームコーチのクレイグ・グリフィンに練習を見てもらっていますが、徐々に五輪に向けて上げていく感じなんだろうなと。今まではただがむしゃらに練習して、練習時間いっぱい踏めるだけ踏むようなことをしていました。そのやり方ではある程度ベースは出来るけれど、弱い部分がうやむやになってしまう。今のやり方は自分の弱点が明確になるので、面白いなと思ってメニューをやってます」
それは目標が明確になったから感じることだとも言う。
「以前はワールドツアーが目標とは言っていたけれど、全てが手探りしているような状態でした。今は五輪という明確な目標があって、それに向けて組み立てていくという感じです。ロジックって改めて大事だなと実感してます」
そんな松田の今年の目標は、トラックの個人追い抜きで4分15秒を切ることと、ロードで1勝することだ。ちなみに、2021年11月の全日本選手権優勝の今村駿介のタイムは4分17秒台。同大会3位の松田は4分24秒台だった。
「ナショナルチームの団抜きメンバーに入ることも目標ですが、まずは4分15秒を切ること…コーチにも言われたことですが、それが目標です。今村(駿介)さんも窪木(一茂)さんも橋本(英也)さんも黙ってないと思うので、切磋琢磨して行きたいですね。ロードはどこかで1勝したいです」
もし、昨年夏に国内チームからの打診が無かったら、松田はどうしていたのだろうか?
「自転車乗る気も無かったし、選手に復帰することもなくニートしてたかもしれません。帰国しておよそ半年という、復帰するにはギリギリのところだったのも良かったですが、こんなにうまくいくことがあるのかと思いました」
そしてこう付け加えた。
「ヨーロッパはまだ諦めていません。今はやる気に満ち溢れているので」
text:Satoru Kato
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