2018/05/14(月) - 18:12
今大会3つ目の山頂フィニッシュを迎えたグランサッソ・ディタリア。パンターニ所縁の登りでタイムを得たイェーツと、少しタイムを失ったデュムランと、大きくタイムを失ったフルーム。休息日前の雪山決戦の模様を現地からお届けします。
イタリアには北部のアルプス山脈以外にも標高3,000m級の山が2つある。1つが第6ステージのフィニッシュ地点になったシチリア島のエトナ火山(標高3,350m)で、もう1つが第9ステージを締めくくるイタリア中部アペニン山脈のグランサッソ(標高2,914m)だ。グランサッソの最高峰コルノグランデ付近にはヨーロッパ最南端の氷河もあり、その真下を高速道路24号線の長さ10.175kmのトンネルが貫いている。
イタリア半島の背骨を形成するアペニン山脈はアフリカプレートとユーラシアプレートの衝突による隆起で生まれた山岳地帯。プレートが交わるこの地域は地震多発地帯として知られており、2009年にはグランサッソの麓の町ラクイラがマグニチュード6.3の地震に見舞われ、300人以上が亡くなっている。イタリアは日本と同じ地震国でありながら、お世辞にも建物が地震に強いとは言えない。
ジロ第9ステージのフィニッシュ地点は1級山岳グランサッソ・ディタリアのカンポ・インペラトーレ。そのまま直訳すると「イタリアの大きな石にある皇帝の高原」。標高1,500〜1,900mに広がる高原は「小さなチベット」とも呼ばれ、立派な天文台が建ち、冬場はスキー客が訪れる。
ここから2段落は表記問題についてなので流し読みしてください。御察しの通りディタリアはd'Italiaで、これは英語のofを意味する前置詞diとItaliaがつながったもの。なので同じくd'Italiaと書くジロ・デ・イタリアは本来ジロ・ディタリアと書くべき。百歩譲ってジロ・ディ・イタリア。
日本で誰が初めにディではなくデ表記を使用したのかは分からないが、ツール・ド・フランスとの整合性を含めて、イタリアという言葉を残してイタリアのレースだと分かりやすくした配慮だと思われる。確かにジロ・ディタリアと言われて直感的にイタリアだとは分かりにくい。細かくカタカナで表すならばジーロ・ディターリアではあるけども。
1級山岳グランサッソ・ディタリアは第101回大会の「モンターニャ・パンターニ」に指定された。ジロに登場するのは19年ぶり。最後に登場した1999年の第8ステージで、253kmという極めて長いステージの最後にマルコ・パンターニがアタックを成功させ、ライバルたちを置き去りにしてマリアローザを獲得した場所だ。
当時パンターニはグランサッソとサントゥアリオ・ディ・オローパ、アルペ・ディ・パンペアーゴ、マドンナ・ディ・カンピリオでステージ4勝を飾る活躍を見せてマリアローザを着続け、総合2位のパオロ・サヴォルデッリに5分38秒差をつけて総合優勝に向けて邁進していた。しかし残り2ステージを迎えようとした6月5日、ヘマトクリット値オーバーが発覚して出場停止処分を受けている。
ピラータ(海賊)の愛称を持つパンターニはイタリア国内で神聖化されている。今でもメルカトーネウーノの黄色いジャージを着てバンダナを巻いたサイクリストを見かけるし、グランサッソのフィニッシュ地点にもピラータの路上ペイントや黄色や黒の海賊の旗が風になびく。ドーピング違反により出場停止処分を受け、コカインの過剰摂取で最期を迎えたという過去がありながらも、イタリアでは英雄扱いを受けている。
その一方で、当時のライバルでマイヨジョーヌを争ったランス・アームストロングはジロから出禁を食らっている。UCIから生涯出場停止処分を受けているという理由で、ポッドキャスト収録のためイスラエル入りしたアームストロングにはプレスパスさえ発行されなかった。
マリアローザのサイモン・イェーツ(イギリス、ミッチェルトン・スコット)は飛ぶ鳥を落とす勢いだ。イェーツはマリアローザ着用4日目で、これはマーク・カヴェンディッシュに並ぶ数字。イギリス人選手としては他にもデーヴィッド・ミラーとブラドリー・ウィギンズが1日ずつマリアローザを着ている。
ミッチェルトン・スコットはスヴェイン・タフト(カナダ)とサム・ビューリー(ニュージーランド)、クリストファー・ユールイェンセン(デンマーク)という心強いボディーガードが集団牽引を担い、ミケル・ニエベ(スペイン)やロマン・クロイツィゲル(チェコ)、ジャック・ヘイグ(オーストラリア)が山岳で集団の前に立つ。そしてエステバン・チャベス(コロンビア)が総合2位。ミッチェルトン・スコットが文句なしの強さを見せている。
この日12秒遅れたトム・デュムラン(オランダ、サンウェブ)は総合2位から総合3位に順位を下げた。総合1位イェーツとのタイム差は38秒。第16ステージの34.2kmタイムトライアルを見据えて、イェーツはインタビューのたびに「少なくともデュムランから3分のリードは欲しい」と答えている。
実際に昨年の第9ステージ(ブロックハウス山頂フィニッシュ)を終えた時点の総合順位を見ると、1位キンタナ、+28秒で総合2位ピノ、+30秒で総合3位デュムラン。最終的にタイムトライアルでデュムランが逆転して総合優勝している。つまりイェーツやチャベスはこの先の山岳ステージでデュムランに数分差をつける必要がある。
フィニッシュ後、下山のためのロープウェイを待ちながらインタビューに答えていたデュムランには、どこか余裕が感じられた。ディフェンディングチャンピオンは不敵な笑みを浮かべながらゆったりと「まだまだジロは終わっていない」と答えていた。
誰もが驚いたクリストファー・フルーム(イギリス、チームスカイ)の脱落。本人もチームも「まだ勝つための挑戦を続ける」とコメントしているが、大会が折り返し地点を迎えた段階で2分27秒の遅れはあまりにも大きい。2度の落車の影響かどうかは定かではないが、脱落後の苦しいペダリングを見る限り、3週目に復活してどんでん返しを起こす雰囲気には見えない。ちなみにこの日もチームスカイはヘリで下山し、休息の地ペスカラにいち早く移動している。
そう、グランサッソ・ディタリアのフィニッシュ地点から麓のチームバス駐車場ならびにプレスセンターまで、選手や関係者、一般の観客全員がロープウェイで下山しなければならなかった。1934年に完成したイタリア語でフニヴィアと呼ばれるロープウェイは全長3,008m、高低差1,003mの行程を約7分で結ぶ。1台につき100人を収容できるが、2台が行ったり来たりする往復方式なのでとにかく効率が悪い。
当然レースを終えたばかりの選手たちが最優先で下山したが、それでも頂上の寒さに震えながら30分以上待たなければならない選手もいた。選手の次はパスを持った大会関係者のはずが、チケットを購入した一般客から批判が噴出したため、大会関係者と一般客が半々ずつ乗車する方針で下山。午後6時をすぎ、気温が急降下する中、誰もが苛立ちを見せ、今にも暴動が起きそうな雰囲気だった。
イスラエルで開幕してすでに10日が経過。そしてローマ閉幕まで残り14日。選手も関係者も「今年のジロはなんか長くね?」と口をそろえる。
text&photo:Kei Tsuji in Montesilvano, Italy
イタリアには北部のアルプス山脈以外にも標高3,000m級の山が2つある。1つが第6ステージのフィニッシュ地点になったシチリア島のエトナ火山(標高3,350m)で、もう1つが第9ステージを締めくくるイタリア中部アペニン山脈のグランサッソ(標高2,914m)だ。グランサッソの最高峰コルノグランデ付近にはヨーロッパ最南端の氷河もあり、その真下を高速道路24号線の長さ10.175kmのトンネルが貫いている。
イタリア半島の背骨を形成するアペニン山脈はアフリカプレートとユーラシアプレートの衝突による隆起で生まれた山岳地帯。プレートが交わるこの地域は地震多発地帯として知られており、2009年にはグランサッソの麓の町ラクイラがマグニチュード6.3の地震に見舞われ、300人以上が亡くなっている。イタリアは日本と同じ地震国でありながら、お世辞にも建物が地震に強いとは言えない。
ジロ第9ステージのフィニッシュ地点は1級山岳グランサッソ・ディタリアのカンポ・インペラトーレ。そのまま直訳すると「イタリアの大きな石にある皇帝の高原」。標高1,500〜1,900mに広がる高原は「小さなチベット」とも呼ばれ、立派な天文台が建ち、冬場はスキー客が訪れる。
ここから2段落は表記問題についてなので流し読みしてください。御察しの通りディタリアはd'Italiaで、これは英語のofを意味する前置詞diとItaliaがつながったもの。なので同じくd'Italiaと書くジロ・デ・イタリアは本来ジロ・ディタリアと書くべき。百歩譲ってジロ・ディ・イタリア。
日本で誰が初めにディではなくデ表記を使用したのかは分からないが、ツール・ド・フランスとの整合性を含めて、イタリアという言葉を残してイタリアのレースだと分かりやすくした配慮だと思われる。確かにジロ・ディタリアと言われて直感的にイタリアだとは分かりにくい。細かくカタカナで表すならばジーロ・ディターリアではあるけども。
1級山岳グランサッソ・ディタリアは第101回大会の「モンターニャ・パンターニ」に指定された。ジロに登場するのは19年ぶり。最後に登場した1999年の第8ステージで、253kmという極めて長いステージの最後にマルコ・パンターニがアタックを成功させ、ライバルたちを置き去りにしてマリアローザを獲得した場所だ。
当時パンターニはグランサッソとサントゥアリオ・ディ・オローパ、アルペ・ディ・パンペアーゴ、マドンナ・ディ・カンピリオでステージ4勝を飾る活躍を見せてマリアローザを着続け、総合2位のパオロ・サヴォルデッリに5分38秒差をつけて総合優勝に向けて邁進していた。しかし残り2ステージを迎えようとした6月5日、ヘマトクリット値オーバーが発覚して出場停止処分を受けている。
ピラータ(海賊)の愛称を持つパンターニはイタリア国内で神聖化されている。今でもメルカトーネウーノの黄色いジャージを着てバンダナを巻いたサイクリストを見かけるし、グランサッソのフィニッシュ地点にもピラータの路上ペイントや黄色や黒の海賊の旗が風になびく。ドーピング違反により出場停止処分を受け、コカインの過剰摂取で最期を迎えたという過去がありながらも、イタリアでは英雄扱いを受けている。
その一方で、当時のライバルでマイヨジョーヌを争ったランス・アームストロングはジロから出禁を食らっている。UCIから生涯出場停止処分を受けているという理由で、ポッドキャスト収録のためイスラエル入りしたアームストロングにはプレスパスさえ発行されなかった。
マリアローザのサイモン・イェーツ(イギリス、ミッチェルトン・スコット)は飛ぶ鳥を落とす勢いだ。イェーツはマリアローザ着用4日目で、これはマーク・カヴェンディッシュに並ぶ数字。イギリス人選手としては他にもデーヴィッド・ミラーとブラドリー・ウィギンズが1日ずつマリアローザを着ている。
ミッチェルトン・スコットはスヴェイン・タフト(カナダ)とサム・ビューリー(ニュージーランド)、クリストファー・ユールイェンセン(デンマーク)という心強いボディーガードが集団牽引を担い、ミケル・ニエベ(スペイン)やロマン・クロイツィゲル(チェコ)、ジャック・ヘイグ(オーストラリア)が山岳で集団の前に立つ。そしてエステバン・チャベス(コロンビア)が総合2位。ミッチェルトン・スコットが文句なしの強さを見せている。
この日12秒遅れたトム・デュムラン(オランダ、サンウェブ)は総合2位から総合3位に順位を下げた。総合1位イェーツとのタイム差は38秒。第16ステージの34.2kmタイムトライアルを見据えて、イェーツはインタビューのたびに「少なくともデュムランから3分のリードは欲しい」と答えている。
実際に昨年の第9ステージ(ブロックハウス山頂フィニッシュ)を終えた時点の総合順位を見ると、1位キンタナ、+28秒で総合2位ピノ、+30秒で総合3位デュムラン。最終的にタイムトライアルでデュムランが逆転して総合優勝している。つまりイェーツやチャベスはこの先の山岳ステージでデュムランに数分差をつける必要がある。
フィニッシュ後、下山のためのロープウェイを待ちながらインタビューに答えていたデュムランには、どこか余裕が感じられた。ディフェンディングチャンピオンは不敵な笑みを浮かべながらゆったりと「まだまだジロは終わっていない」と答えていた。
誰もが驚いたクリストファー・フルーム(イギリス、チームスカイ)の脱落。本人もチームも「まだ勝つための挑戦を続ける」とコメントしているが、大会が折り返し地点を迎えた段階で2分27秒の遅れはあまりにも大きい。2度の落車の影響かどうかは定かではないが、脱落後の苦しいペダリングを見る限り、3週目に復活してどんでん返しを起こす雰囲気には見えない。ちなみにこの日もチームスカイはヘリで下山し、休息の地ペスカラにいち早く移動している。
そう、グランサッソ・ディタリアのフィニッシュ地点から麓のチームバス駐車場ならびにプレスセンターまで、選手や関係者、一般の観客全員がロープウェイで下山しなければならなかった。1934年に完成したイタリア語でフニヴィアと呼ばれるロープウェイは全長3,008m、高低差1,003mの行程を約7分で結ぶ。1台につき100人を収容できるが、2台が行ったり来たりする往復方式なのでとにかく効率が悪い。
当然レースを終えたばかりの選手たちが最優先で下山したが、それでも頂上の寒さに震えながら30分以上待たなければならない選手もいた。選手の次はパスを持った大会関係者のはずが、チケットを購入した一般客から批判が噴出したため、大会関係者と一般客が半々ずつ乗車する方針で下山。午後6時をすぎ、気温が急降下する中、誰もが苛立ちを見せ、今にも暴動が起きそうな雰囲気だった。
イスラエルで開幕してすでに10日が経過。そしてローマ閉幕まで残り14日。選手も関係者も「今年のジロはなんか長くね?」と口をそろえる。
text&photo:Kei Tsuji in Montesilvano, Italy
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