2015/07/21(火) - 20:31
2度めの休息日を前にしたツール第2週の締めは、2003年に落車したベロキをアームストロングがCXスタイルで回避したことなど数々の逸話がある名所マンス峠。ギャップへ向けて逃げたプラサが不遇のイタリアンチームに勝利をもたらし、サガンは今日も最強ぶりを見せつけた。
イゼール川沿いの美しい古都ブール・ド・ペアージュを発ったプロトンは、南フランスらしいぶどう畑の間に伸びるのどかな道を抜け、プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏へ。2週間前にオランダを発ち、春のクラシックの舞台のノール地方から南下を始めたツールのプロトンは、ピレネーと中央山塊を経てついに決戦の舞台アルプスへと駒を進める。
イゼール川を挟みロマン・シュル・イゼールの街と対をなす存在のドローム県の街ブール・ド・ペアージュ。スタート地点では今日も多くのチームがウォームアップをしてから走りだした。眩しい陽光。暑くとも湿度が低いため不快さは感じないフランスの山間地らしい夏の気候が帰ってきた。
今日も0km地点からスタートしてすぐに繰り広げられたアタック合戦。86.5km地点に設定された中間スプリントを取るためにペーター・サガン(ティンコフ・サクソ)が約12人の逃げの陣頭指揮を取る。それを追う約12人。このツールで数少ない逃げ切りの可能性があるステージに、まだ勝利に絡めていないチームは逃げにトライしない選択肢はない。
プロトンは最初から超高速で、分断しながら長く伸びる。前半が登り基調、2級山岳を2つ含くという平坦コースではまったくないこのレースコースで、最初の1時間を平均53.6km/h、結果的には一日の平均時速で46.4km/hという超高速レースになった。
「紙の上ではイージーなコースでも、レースの厳しさを決めるのは選手やその走り。コースそのものじゃない。昨日のステージも難易度が低いにもかかわらず今ツールでもタフな部類の厳しいレースになったのは、誰もがチャンスを求めて逃げたがったから。そして今日もそうなるのは判っていた」とフルームはレース後に話す。
チームスカイ以外、ほとんどすべてのチームが逃げに絡みたいという思惑をもつ状況で、決まるべきアタックに乗ることはどの選手にとっても至難の業だ。そのなかで連日の逃げに加わるサガンはタフとしか言いようがない。激戦を予想はしたものの、予想通過時刻を大幅に上回るほど思った以上のハイペースで進むレースに追いかけるプレス、関係者は戸惑う面もある。
危険なエピソードに事欠かないマンス峠へ
逃げた2つの2ダースの逃げにはいずれも総合を脅かす選手は入っていない。スカイはフルームを護衛すれど逃げを捕まえる意志はなく、タイム差が大きく開くことを許した。
岩肌が荒々しいアルプスならではの景観が広がるなか、一度かすめたギャップ市街北部の小山へと登る。2級のマンス峠は登坂距離8.9km、平均勾配5.6%と数字からすればさほど難しい山ではない。下り区間の危険さでその名を知られる名所だ。
決まって語られるエピソードは、2003年の100周年記念ツールでのホセバ・ベロキの落車。その脇を間一髪すり抜けたアームストロングが草むらをシクロクロススタイルで走りぬけ、コースに舞い戻ったという話。
近年では2013年にコンタドールがフルームに対して下りで攻撃を仕掛け、オーバースピードになってフルームを巻き込みそうになり、フルームはペダルを外してそれを回避。あわやベロキ落車の二の舞いになりかけたこと。ほかにもトマ・ヴォクレールがオーバースピードでコースアウトして沿道の民家の庭に飛び降り、ふたたびコースに戻ったことなど、肝を冷やすエピソードには事欠かない。
舗装品質の低い農道のため、熱暑でアスファルトが溶けてタイヤに粘りつくのも原因だ。くねくねと曲がるコーナーが続くが、しかし今年は補修されたことで道がやや綺麗になった。気温もそうは上がらず、熱がアスファルトを溶かすことはなかった。しかし、危険は繰り返したが。
逃げ切りを許された集団はマンス峠でアタックバトルを繰り返した。逃げグループで最強はスプリント力があるサガン。そしてサガンは下りも得意。サガンを連れて行ってはゴールスプリントで勝ち目はない。逃げグループのなかで誰もがサガンマークのレースに徹した。
とくに勾配自体が緩いマンス峠の頂上付近でアタックを成功させたのはルーベン・プラサ(スペイン、ランプレ・メリダ)。10年前のブエルタ・ア・エスパーニャで個人TTを制した35歳のベテランが、サガンの動きを見合ってけん制する逃げグループを置き去りにした。得意の個人TTスタイルでハイスピードを保ち、下りに入るまでに1分以上のマージンを稼ぎだした。
プラサがマンス峠の下りでホイールをロックさせ、「あわやベロキ」になりかける一方、サガンは誰よりも速いダウンヒルを披露した。テクニカルな区間でもエアロダイナミクスを最大にするよう、身体を小さく折りたたんでハンドルに身を預け、BMXやMTBで身につけたハンドルさばきを駆使して、転がり落ちるように掛け抜けた。異次元の速さは一緒に下った誰も追いつけない差を開いた。
しかし、前を行くプラサもリスクをとって飛ばし、頂上で得た1分のマージンを半分に減らしつつもサガンの猛追に30秒差に守った。エースのルイ・コスタのリタイアで大きな目標を失っていたランプレ・メリダ。
ギャップはコスタが2年前のツールで逃げ切りで制したフィニッシュだ。その地でかつてコスタと共に過ごしたモビスターから移籍した35歳が、チームに明るさを取り戻した。2005年のブエルタの個人TTでグランツールの勝利を挙げて以来、10年ぶりの勝利。「35歳でツールに勝てたことは、僕が最後にブエルタのTTで優勝した25歳の時よりも嬉しいものだね」。
スーパー・サガン再び またも2位、しかし大満足
プラサには追いつけなかったが、ダウンヒルで誰も追いつけないスピードとテクニックを披露し、胸を叩きながらフィニッシュしたサガン。フィニッシュエリアには今日も大勢のサポーターと、奥さん、そしてティンコフ氏が待っていた。
ツールいち大会で5度の2位というちょっと残念なリザルトは、1999年のアレックス・ツッレの記録に並ぶ。しかしポディウムに立つサガンは力を出し切ったからだろう、ポディウムに詰めかけたファンに向け、自らの胸を腕で叩くポーズを披露した。
花束を受け取ったサガンの奥さん。そして団体でツールに帯同するサガン応援団たち。(この日、日本人の観戦ツアーの人たちも最前列に詰めかけ、その勢には負けていなかった。日本人選手が出場していないにもかかわらず!)
表彰台脇でマイヨヴェールと再びの敢闘賞の授与式を見守ったオレグ・ティンコフ氏も満面の笑顔。レース後のTVインタビューでも「サガンはこのツールでもっとも強い選手。フルームより強い!」と改めて強調した。ステージに勝てないまでも、パナシュある走りは観客たちにとってもジャーナリストにとっても賞賛の対象だ。もはや誰もあざ笑う人はいない。
見送られたニーバリのアタック コンタドールの脚試し
マイヨジョーヌ集団のバトルは約20分近く遅れてマンス峠で繰り広げられた。先頭に立ちペースを上げたコンタドール。そして頂上手前でアタックを繰り出したニーバリとバルベルデ。バルベルデは捕まったが、ニーバリはそのまま逃げ切りが許された。
フルームは総合で大きくに遅れていたニーバリに対し、リスクを犯してまで追う必要はないとしてこれに応じず、見送った。下りの得意なニーバリのアタックは予想の範囲だった。上り調子のコンタドールは脚の仕上がり具合を少し披露したが、捨て身の攻撃には出なかった。
「コンタドール、ニーバリ、バルベルデのアタックはこれからのアルプスで予想される彼らのアタックの小さなプレ版だね」とフルーム。
危険さを増す要因はコースのみにあらず、はこの下り区間にも言えたこと。マンス峠が危険な逸話を生み出してきたのは、いずれもギャップの街への下りフィニッシュへと先を急ぐ選手たちのオーバースピードに起因する。
実際、通過して感じたのは、近年、舗装の補修を新たにしたことで荒れた区間が減ってコースそれ自体の危険は少なくなったようだった。しかし、危険な事態はお約束のようにマイヨジョーヌ集団を襲った。
オーバースピードに陥ったワレン・バーギル(ジャイアント・アルペシン)に弾き飛ばされたゲラント・トーマス(チームスカイ)がコース脇の電柱にぶつかり、そして路肩にコースアウト。行動力ある観客の素早い救助でレースに復帰し、幸いにして怪我もなかった。「あなたの名は?」電柱にぶつかったことを心配するドクターに対し、「クリス・フルーム」というジョークで返した。
囲まれたバーギルに対し、事故が起こった状況を理解できないまでも怒っていないことを記者たちに話していたトーマスだが、チームスカイのピット周辺に居合わせた辻啓氏によれば、総合争いにおいて貴重なタイム差を失ったことでバーギルのことを許せないという雰囲気はやはりあったようだ。
text:Makoto.AYANO in FRANCE
photo:Makoto.AYANO,Kei Tsuji,Tim de Waele,CorVos
イゼール川沿いの美しい古都ブール・ド・ペアージュを発ったプロトンは、南フランスらしいぶどう畑の間に伸びるのどかな道を抜け、プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏へ。2週間前にオランダを発ち、春のクラシックの舞台のノール地方から南下を始めたツールのプロトンは、ピレネーと中央山塊を経てついに決戦の舞台アルプスへと駒を進める。
イゼール川を挟みロマン・シュル・イゼールの街と対をなす存在のドローム県の街ブール・ド・ペアージュ。スタート地点では今日も多くのチームがウォームアップをしてから走りだした。眩しい陽光。暑くとも湿度が低いため不快さは感じないフランスの山間地らしい夏の気候が帰ってきた。
今日も0km地点からスタートしてすぐに繰り広げられたアタック合戦。86.5km地点に設定された中間スプリントを取るためにペーター・サガン(ティンコフ・サクソ)が約12人の逃げの陣頭指揮を取る。それを追う約12人。このツールで数少ない逃げ切りの可能性があるステージに、まだ勝利に絡めていないチームは逃げにトライしない選択肢はない。
プロトンは最初から超高速で、分断しながら長く伸びる。前半が登り基調、2級山岳を2つ含くという平坦コースではまったくないこのレースコースで、最初の1時間を平均53.6km/h、結果的には一日の平均時速で46.4km/hという超高速レースになった。
「紙の上ではイージーなコースでも、レースの厳しさを決めるのは選手やその走り。コースそのものじゃない。昨日のステージも難易度が低いにもかかわらず今ツールでもタフな部類の厳しいレースになったのは、誰もがチャンスを求めて逃げたがったから。そして今日もそうなるのは判っていた」とフルームはレース後に話す。
チームスカイ以外、ほとんどすべてのチームが逃げに絡みたいという思惑をもつ状況で、決まるべきアタックに乗ることはどの選手にとっても至難の業だ。そのなかで連日の逃げに加わるサガンはタフとしか言いようがない。激戦を予想はしたものの、予想通過時刻を大幅に上回るほど思った以上のハイペースで進むレースに追いかけるプレス、関係者は戸惑う面もある。
危険なエピソードに事欠かないマンス峠へ
逃げた2つの2ダースの逃げにはいずれも総合を脅かす選手は入っていない。スカイはフルームを護衛すれど逃げを捕まえる意志はなく、タイム差が大きく開くことを許した。
岩肌が荒々しいアルプスならではの景観が広がるなか、一度かすめたギャップ市街北部の小山へと登る。2級のマンス峠は登坂距離8.9km、平均勾配5.6%と数字からすればさほど難しい山ではない。下り区間の危険さでその名を知られる名所だ。
決まって語られるエピソードは、2003年の100周年記念ツールでのホセバ・ベロキの落車。その脇を間一髪すり抜けたアームストロングが草むらをシクロクロススタイルで走りぬけ、コースに舞い戻ったという話。
近年では2013年にコンタドールがフルームに対して下りで攻撃を仕掛け、オーバースピードになってフルームを巻き込みそうになり、フルームはペダルを外してそれを回避。あわやベロキ落車の二の舞いになりかけたこと。ほかにもトマ・ヴォクレールがオーバースピードでコースアウトして沿道の民家の庭に飛び降り、ふたたびコースに戻ったことなど、肝を冷やすエピソードには事欠かない。
舗装品質の低い農道のため、熱暑でアスファルトが溶けてタイヤに粘りつくのも原因だ。くねくねと曲がるコーナーが続くが、しかし今年は補修されたことで道がやや綺麗になった。気温もそうは上がらず、熱がアスファルトを溶かすことはなかった。しかし、危険は繰り返したが。
逃げ切りを許された集団はマンス峠でアタックバトルを繰り返した。逃げグループで最強はスプリント力があるサガン。そしてサガンは下りも得意。サガンを連れて行ってはゴールスプリントで勝ち目はない。逃げグループのなかで誰もがサガンマークのレースに徹した。
とくに勾配自体が緩いマンス峠の頂上付近でアタックを成功させたのはルーベン・プラサ(スペイン、ランプレ・メリダ)。10年前のブエルタ・ア・エスパーニャで個人TTを制した35歳のベテランが、サガンの動きを見合ってけん制する逃げグループを置き去りにした。得意の個人TTスタイルでハイスピードを保ち、下りに入るまでに1分以上のマージンを稼ぎだした。
プラサがマンス峠の下りでホイールをロックさせ、「あわやベロキ」になりかける一方、サガンは誰よりも速いダウンヒルを披露した。テクニカルな区間でもエアロダイナミクスを最大にするよう、身体を小さく折りたたんでハンドルに身を預け、BMXやMTBで身につけたハンドルさばきを駆使して、転がり落ちるように掛け抜けた。異次元の速さは一緒に下った誰も追いつけない差を開いた。
しかし、前を行くプラサもリスクをとって飛ばし、頂上で得た1分のマージンを半分に減らしつつもサガンの猛追に30秒差に守った。エースのルイ・コスタのリタイアで大きな目標を失っていたランプレ・メリダ。
ギャップはコスタが2年前のツールで逃げ切りで制したフィニッシュだ。その地でかつてコスタと共に過ごしたモビスターから移籍した35歳が、チームに明るさを取り戻した。2005年のブエルタの個人TTでグランツールの勝利を挙げて以来、10年ぶりの勝利。「35歳でツールに勝てたことは、僕が最後にブエルタのTTで優勝した25歳の時よりも嬉しいものだね」。
スーパー・サガン再び またも2位、しかし大満足
プラサには追いつけなかったが、ダウンヒルで誰も追いつけないスピードとテクニックを披露し、胸を叩きながらフィニッシュしたサガン。フィニッシュエリアには今日も大勢のサポーターと、奥さん、そしてティンコフ氏が待っていた。
ツールいち大会で5度の2位というちょっと残念なリザルトは、1999年のアレックス・ツッレの記録に並ぶ。しかしポディウムに立つサガンは力を出し切ったからだろう、ポディウムに詰めかけたファンに向け、自らの胸を腕で叩くポーズを披露した。
花束を受け取ったサガンの奥さん。そして団体でツールに帯同するサガン応援団たち。(この日、日本人の観戦ツアーの人たちも最前列に詰めかけ、その勢には負けていなかった。日本人選手が出場していないにもかかわらず!)
表彰台脇でマイヨヴェールと再びの敢闘賞の授与式を見守ったオレグ・ティンコフ氏も満面の笑顔。レース後のTVインタビューでも「サガンはこのツールでもっとも強い選手。フルームより強い!」と改めて強調した。ステージに勝てないまでも、パナシュある走りは観客たちにとってもジャーナリストにとっても賞賛の対象だ。もはや誰もあざ笑う人はいない。
見送られたニーバリのアタック コンタドールの脚試し
マイヨジョーヌ集団のバトルは約20分近く遅れてマンス峠で繰り広げられた。先頭に立ちペースを上げたコンタドール。そして頂上手前でアタックを繰り出したニーバリとバルベルデ。バルベルデは捕まったが、ニーバリはそのまま逃げ切りが許された。
フルームは総合で大きくに遅れていたニーバリに対し、リスクを犯してまで追う必要はないとしてこれに応じず、見送った。下りの得意なニーバリのアタックは予想の範囲だった。上り調子のコンタドールは脚の仕上がり具合を少し披露したが、捨て身の攻撃には出なかった。
「コンタドール、ニーバリ、バルベルデのアタックはこれからのアルプスで予想される彼らのアタックの小さなプレ版だね」とフルーム。
危険さを増す要因はコースのみにあらず、はこの下り区間にも言えたこと。マンス峠が危険な逸話を生み出してきたのは、いずれもギャップの街への下りフィニッシュへと先を急ぐ選手たちのオーバースピードに起因する。
実際、通過して感じたのは、近年、舗装の補修を新たにしたことで荒れた区間が減ってコースそれ自体の危険は少なくなったようだった。しかし、危険な事態はお約束のようにマイヨジョーヌ集団を襲った。
オーバースピードに陥ったワレン・バーギル(ジャイアント・アルペシン)に弾き飛ばされたゲラント・トーマス(チームスカイ)がコース脇の電柱にぶつかり、そして路肩にコースアウト。行動力ある観客の素早い救助でレースに復帰し、幸いにして怪我もなかった。「あなたの名は?」電柱にぶつかったことを心配するドクターに対し、「クリス・フルーム」というジョークで返した。
囲まれたバーギルに対し、事故が起こった状況を理解できないまでも怒っていないことを記者たちに話していたトーマスだが、チームスカイのピット周辺に居合わせた辻啓氏によれば、総合争いにおいて貴重なタイム差を失ったことでバーギルのことを許せないという雰囲気はやはりあったようだ。
text:Makoto.AYANO in FRANCE
photo:Makoto.AYANO,Kei Tsuji,Tim de Waele,CorVos