2014/05/25(日) - 14:24
ピエモンテ州の山間に、立派な大聖堂がある。ユネスコ世界遺産に指定されている巡礼地サクロモンテ(聖なる山)の一つ、サントゥアリオ・オローパだ。標高1160mに位置するこの聖地を、ジロ・デ・イタリアは7年ぶりに訪れる。
365日24時間静かな巡礼地オローパに、かなり場違いな大音響のキャラバン隊が到着した。頂上には石造りの立派な大聖堂があり、その下にはリストランテやバール、土産物屋が並ぶ。巡礼地であると同時に、オローパは観光地としても有名だ。
1級山岳オローパの登り自体は景色が良いわけでもなく、こう言っては何だが、特に面白みがあるものではない。
そもそも平日でも大勢のサイクリストが観戦に訪れるが、土曜日なのでサイクリストの数がドッと増え、ロードバイク率も上がった。
オローパがジロに初登場したのは1963年で、1993年と1999年、2007年にも登場している。つまり今年が5回目の登場となる。
パンターニにまつわるエピソードは数多くあるが、中でもオローパでの激走は有名だ。1999年の第15ステージ、残り8kmでチェーンを落としたパンターニは、そこからチームメイトにアシストされてポジションを上げ、実に49人をごぼう抜きにしてステージ優勝を果たした。
現在では"不可能に思える"走りだが、ファン間では伝説的な走りとして語り継がれている。
ちなみに当時のパンターニと、おそらくこの日最も速くオローパを登ったナイロ・キンタナ(コロンビア、モビスター)の登坂タイムを比較すると、パンターニは17分05秒、キンタナは18分33秒で頂上手前6.6km(平均勾配8%)を駆け抜けている。
パンターニの平均スピードは23.3km/hで、キンタナは21.5km/h。VAM(平均登坂速度)は1879m/hと1730m/h。何を意味しているかは汲み取って下さい。
この日のレース後半、TV中継カメラバイクが交通整理をしていたボランティアと衝突。かなりショッキングな映像が世界に配信された。衝突された55歳の男性は、すぐさまヘリコプターでトリノの病院に搬送され、現在は人工的な昏睡状態に置かれているという。
毎日200km前後のコースの沿道には、蛍光色の制服を着た地元のボランティアが無数に立っている。一日につきおそらく千人規模のボランティアが、それぞれのコミュニティに派遣される形でジロに携わり、ポリツィア(警察)とカラビニエーリ(憲兵)、オルガニッツァトーリ(主催者)と協力して選手や観客の安全を守っている。目立たないところでジロの根底を支えていた男性の一刻も早い回復を祈らずにはいられない。
朝、アリエのスタート地点にいつもより早く別府史之(トレックファクトリーレーシング)がやってきた。しつこく現地レポートで「選手がなかなか出走サインにやってこない」と愚痴を書き続けた成果がようやく出た。
イヴァン・バッソ(イタリア、キャノンデール)からの助言を得て、別府は34Tのインナーリングを装着したマドンで登場。リアカセットは最大28Tなので完全に山仕様だ。最終週のモンテゾンコランのステージでは最大30Tのリアカセットを使用することも考えているという。
全長164kmコースの後半に差し掛かる前に、新城幸也(ユーロップカー)が落車したとラジオコルサ(競技無線)は伝えた。一緒に落車した選手たちのリタイアが伝えられる中、その後の情報が入って来なかったので心配した(チームスタッフに聞いても分からなかった)が、険しい表情の新城はグルペット内でフィニッシュした。
ジャージやショーツが破れていないため、スペアバイク(コルナゴM10)に乗っていることに気付かなければ落車したことが分からないほど、綺麗な身体でフィニッシュした新城。しかしそのショーツの下では身体が悲鳴を上げていた。前回の落車で痛めた尾てい骨を再び打ってしまった。
「ロータリーで前を走るシウトソウが落車して、前転して腰から落ちました。やってしまったと思った。腰が砕けた感じで、骨の奥がキーンと痛い。しばらく立ち上がれなかった。治まっていた痛みが戻ってきて、前より酷くなった感じです。途中で何度もやめようかと思った」。落車のダメージからの回復がフリダシに戻ったばかりか、それよりも酷い状態に陥っている。
「(落車から回復まで1週間かかったので)またこの落車から立ち直るのに1週間かかってしまう。こんなことを繰り返していたらジロが終わっちゃいますよ」と新城は充血した眼で笑いながら下山の準備を進める。やりきれない表情で下山のためのチームバンに乗り込んだ。
text&photo:Kei Tsuji in Oropa, Italy
365日24時間静かな巡礼地オローパに、かなり場違いな大音響のキャラバン隊が到着した。頂上には石造りの立派な大聖堂があり、その下にはリストランテやバール、土産物屋が並ぶ。巡礼地であると同時に、オローパは観光地としても有名だ。
1級山岳オローパの登り自体は景色が良いわけでもなく、こう言っては何だが、特に面白みがあるものではない。
そもそも平日でも大勢のサイクリストが観戦に訪れるが、土曜日なのでサイクリストの数がドッと増え、ロードバイク率も上がった。
オローパがジロに初登場したのは1963年で、1993年と1999年、2007年にも登場している。つまり今年が5回目の登場となる。
パンターニにまつわるエピソードは数多くあるが、中でもオローパでの激走は有名だ。1999年の第15ステージ、残り8kmでチェーンを落としたパンターニは、そこからチームメイトにアシストされてポジションを上げ、実に49人をごぼう抜きにしてステージ優勝を果たした。
現在では"不可能に思える"走りだが、ファン間では伝説的な走りとして語り継がれている。
ちなみに当時のパンターニと、おそらくこの日最も速くオローパを登ったナイロ・キンタナ(コロンビア、モビスター)の登坂タイムを比較すると、パンターニは17分05秒、キンタナは18分33秒で頂上手前6.6km(平均勾配8%)を駆け抜けている。
パンターニの平均スピードは23.3km/hで、キンタナは21.5km/h。VAM(平均登坂速度)は1879m/hと1730m/h。何を意味しているかは汲み取って下さい。
この日のレース後半、TV中継カメラバイクが交通整理をしていたボランティアと衝突。かなりショッキングな映像が世界に配信された。衝突された55歳の男性は、すぐさまヘリコプターでトリノの病院に搬送され、現在は人工的な昏睡状態に置かれているという。
毎日200km前後のコースの沿道には、蛍光色の制服を着た地元のボランティアが無数に立っている。一日につきおそらく千人規模のボランティアが、それぞれのコミュニティに派遣される形でジロに携わり、ポリツィア(警察)とカラビニエーリ(憲兵)、オルガニッツァトーリ(主催者)と協力して選手や観客の安全を守っている。目立たないところでジロの根底を支えていた男性の一刻も早い回復を祈らずにはいられない。
朝、アリエのスタート地点にいつもより早く別府史之(トレックファクトリーレーシング)がやってきた。しつこく現地レポートで「選手がなかなか出走サインにやってこない」と愚痴を書き続けた成果がようやく出た。
イヴァン・バッソ(イタリア、キャノンデール)からの助言を得て、別府は34Tのインナーリングを装着したマドンで登場。リアカセットは最大28Tなので完全に山仕様だ。最終週のモンテゾンコランのステージでは最大30Tのリアカセットを使用することも考えているという。
全長164kmコースの後半に差し掛かる前に、新城幸也(ユーロップカー)が落車したとラジオコルサ(競技無線)は伝えた。一緒に落車した選手たちのリタイアが伝えられる中、その後の情報が入って来なかったので心配した(チームスタッフに聞いても分からなかった)が、険しい表情の新城はグルペット内でフィニッシュした。
ジャージやショーツが破れていないため、スペアバイク(コルナゴM10)に乗っていることに気付かなければ落車したことが分からないほど、綺麗な身体でフィニッシュした新城。しかしそのショーツの下では身体が悲鳴を上げていた。前回の落車で痛めた尾てい骨を再び打ってしまった。
「ロータリーで前を走るシウトソウが落車して、前転して腰から落ちました。やってしまったと思った。腰が砕けた感じで、骨の奥がキーンと痛い。しばらく立ち上がれなかった。治まっていた痛みが戻ってきて、前より酷くなった感じです。途中で何度もやめようかと思った」。落車のダメージからの回復がフリダシに戻ったばかりか、それよりも酷い状態に陥っている。
「(落車から回復まで1週間かかったので)またこの落車から立ち直るのに1週間かかってしまう。こんなことを繰り返していたらジロが終わっちゃいますよ」と新城は充血した眼で笑いながら下山の準備を進める。やりきれない表情で下山のためのチームバンに乗り込んだ。
text&photo:Kei Tsuji in Oropa, Italy
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