2014/05/24(土) - 15:06
荒れたマリアローザ争いを占うような?ピエモンテの荒々しい天気がジロ・デ・イタリアを迎えた。単純な平坦ステージになると思われていた矢先の大粒の雹と雨。この先の山岳ステージでは一体どんな天気が待ち構えているのか心配になる。
マリアローザのリゴベルト・ウラン(コロンビア、オメガファーマ・クイックステップ)を迎えたフォッサーノのカステッロ広場は、清々しい空気に包まれていた。遠くのチームバス駐車場から、石畳の小道を通って選手たちが出走サインにやってくる。
みな出走サインの締め切り時間ぎりぎりにやってくるため、サイン台には長蛇の列が出来る。マイクを握るMCは、サインの際に一人一人の経歴を超早口で紹介(その知識には感心させられる)。もっと早めに出走サインに来れば、混雑を避けてゆっくりと紹介されるのにとつくづく思う。
ジロのコース設定は、まずスタート地点とフィニッシュ地点を決めることから始まる。毎年多くの街がスタート&フィニッシュに立候補し、レース主催者RCSスポルトがジロ全体の流れを考慮して選び出す。ジロのステージ招致にかかる金額は明らかにされていないが、ざっくり言って数千万円とされている(ツール・ド・フランスだとその何倍もかかる)。
コースはもちろん二つの街を適当に結んだものではなく、交通整理の面やコースの安全面など、様々な要因を受けて曲がりくねっている。毎年10月のコース発表時と実際のステージ全長に数キロの差があるのは、そう言った細かな修正が行なわれているためだ。
どうして幹線道路を外れて小道を進むのか疑問に思っていたら、突然沿道に大会スポンサーの本社が現れたりする。そんな目線でジロのコースを見てみるのも面白い。考える以上にコースは政治的な要因を含んでいる。
2006年の冬季オリンピックの舞台トリノをかすめるようにして、ジロ・デ・イタリアは北に向かう。ピエモンテ州の平原からは白いアルプス山脈が見える。厳しい山の決戦が近づいていることを感じずにはいられない。
朝方はクリアに見えていたアルプス山脈は、午後にかけて分厚い雲によって遮られた。選手たちの行く手にはもくもくとした積乱雲が鎮座する。曲がりくねったコースは、そんな積乱雲の中へと入って行く。アシスト選手たちは忙しなくチームカーに戻ってエースのレインジャケットを受け取った。
フィニッシュ地点の南の空には下降気流の発生を意味する不気味な乳房雲が広がり、北の空には稲妻が真横に走る。ビー玉より少し大きな雹が敷き詰められたコースをクリアした選手たちは、激しい雨こそ免れたものの、局地的な大雨によって完全にウェットになったコースを進む。
しかし奇跡的にフィニッシュ地点だけ降られなかった。
新城幸也(ユーロップカー)はフィニッシュするや否や「反対側の車線は(雹で)真っ白でしたよ!ジロではまだまだ驚くことがいっぱい起こりますね!」と目を丸くしながら笑みを浮かべた。
イタリアに入ってから新城はパールピンクのコルナゴC60に乗っていたが、ポジションがしっくりこないという理由でこの日からメインバイクを白いC59に戻している。落車による臀部の痛みはほとんどなく、この日も大人数の逃げには乗る予定だったという。結果的にアンジェロ・テュリク(フランス、ユーロップカー)が逃げたため、新城に出番は回って来なかった。テュリクの3位という結果を心底悔しがっていた。
同じく「10人以上なら逃げに乗るように指示があった」と言うのは別府史之(トレックファクトリーレーシング)だ。「最初の5人を見送った時はグッと気持ちを抑えていた」。そのフラストレーションを晴らすように、ハイスピードな集団の先頭に立ってスプリンターのための仕事をこなした。
オローパとモンテカンピオーネの2連続山岳フィニッシュがジロ第2週のハイライトだ。第12ステージの個人タイムトライアルでウランの好調ぶりが目立ったが、カデル・エヴァンス(オーストラリア、BMCレーシング)が全てを失ったわけでは全くない。
ウランとエヴァンスのタイム差は37秒。残る8ステージのうち実に6ステージが1級山岳の山頂フィニッシュ。トラブルやコンディション一つで簡単にタイム差はひっくり返ってしまう。逆に言うと簡単にタイム差は広がってしまう。いよいよアルプスとドロミティの闘いが始まる。
text&photo:Kei Tsuji in Rivarolo Canavese, Italy
マリアローザのリゴベルト・ウラン(コロンビア、オメガファーマ・クイックステップ)を迎えたフォッサーノのカステッロ広場は、清々しい空気に包まれていた。遠くのチームバス駐車場から、石畳の小道を通って選手たちが出走サインにやってくる。
みな出走サインの締め切り時間ぎりぎりにやってくるため、サイン台には長蛇の列が出来る。マイクを握るMCは、サインの際に一人一人の経歴を超早口で紹介(その知識には感心させられる)。もっと早めに出走サインに来れば、混雑を避けてゆっくりと紹介されるのにとつくづく思う。
ジロのコース設定は、まずスタート地点とフィニッシュ地点を決めることから始まる。毎年多くの街がスタート&フィニッシュに立候補し、レース主催者RCSスポルトがジロ全体の流れを考慮して選び出す。ジロのステージ招致にかかる金額は明らかにされていないが、ざっくり言って数千万円とされている(ツール・ド・フランスだとその何倍もかかる)。
コースはもちろん二つの街を適当に結んだものではなく、交通整理の面やコースの安全面など、様々な要因を受けて曲がりくねっている。毎年10月のコース発表時と実際のステージ全長に数キロの差があるのは、そう言った細かな修正が行なわれているためだ。
どうして幹線道路を外れて小道を進むのか疑問に思っていたら、突然沿道に大会スポンサーの本社が現れたりする。そんな目線でジロのコースを見てみるのも面白い。考える以上にコースは政治的な要因を含んでいる。
2006年の冬季オリンピックの舞台トリノをかすめるようにして、ジロ・デ・イタリアは北に向かう。ピエモンテ州の平原からは白いアルプス山脈が見える。厳しい山の決戦が近づいていることを感じずにはいられない。
朝方はクリアに見えていたアルプス山脈は、午後にかけて分厚い雲によって遮られた。選手たちの行く手にはもくもくとした積乱雲が鎮座する。曲がりくねったコースは、そんな積乱雲の中へと入って行く。アシスト選手たちは忙しなくチームカーに戻ってエースのレインジャケットを受け取った。
フィニッシュ地点の南の空には下降気流の発生を意味する不気味な乳房雲が広がり、北の空には稲妻が真横に走る。ビー玉より少し大きな雹が敷き詰められたコースをクリアした選手たちは、激しい雨こそ免れたものの、局地的な大雨によって完全にウェットになったコースを進む。
しかし奇跡的にフィニッシュ地点だけ降られなかった。
新城幸也(ユーロップカー)はフィニッシュするや否や「反対側の車線は(雹で)真っ白でしたよ!ジロではまだまだ驚くことがいっぱい起こりますね!」と目を丸くしながら笑みを浮かべた。
イタリアに入ってから新城はパールピンクのコルナゴC60に乗っていたが、ポジションがしっくりこないという理由でこの日からメインバイクを白いC59に戻している。落車による臀部の痛みはほとんどなく、この日も大人数の逃げには乗る予定だったという。結果的にアンジェロ・テュリク(フランス、ユーロップカー)が逃げたため、新城に出番は回って来なかった。テュリクの3位という結果を心底悔しがっていた。
同じく「10人以上なら逃げに乗るように指示があった」と言うのは別府史之(トレックファクトリーレーシング)だ。「最初の5人を見送った時はグッと気持ちを抑えていた」。そのフラストレーションを晴らすように、ハイスピードな集団の先頭に立ってスプリンターのための仕事をこなした。
オローパとモンテカンピオーネの2連続山岳フィニッシュがジロ第2週のハイライトだ。第12ステージの個人タイムトライアルでウランの好調ぶりが目立ったが、カデル・エヴァンス(オーストラリア、BMCレーシング)が全てを失ったわけでは全くない。
ウランとエヴァンスのタイム差は37秒。残る8ステージのうち実に6ステージが1級山岳の山頂フィニッシュ。トラブルやコンディション一つで簡単にタイム差はひっくり返ってしまう。逆に言うと簡単にタイム差は広がってしまう。いよいよアルプスとドロミティの闘いが始まる。
text&photo:Kei Tsuji in Rivarolo Canavese, Italy
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