2009/07/10(金) - 09:10
北京大会では、石井雅史が男子個人追抜[CP4]で銀・男子1kmTT[CP4]で金(世界新)・男子ロードTT[CP4]で銅。藤田征樹が男子1kmTT[LC3-4]と男子個人追抜[LC3]で銀、男子ロードTT[LC3]で銅と、チームはメダル6個を獲得。大城竜之ペア[B&VI]と小川睦彦[CP2]は最高4位で惜しくもメダルには届かなかった。
■北京パラリンピックを振り返り
――北京ではメダル6、全員入賞とチームの皆さんはおおいに活躍されましたが。
栗原「チームとして北京での目標に掲げていたのは、5つ以上のメダルの獲得、出場選手全員のメダル獲得、複数の金メダリストです。結果は、金1、銀3、銅2のメダル6個で、これはよかったです。が、目標をすべて達成はできなかったのも事実です。不可解な審判判断があった、タンデムスプリントのブロンズマッチの4位は、非常に残念でした。複数の金メダリストという目標も達成できませんでした。英国が非常に強く、これに勝てなかった。」
――英国は選手層が厚く、いろいろなクラスで本当に強かったという印象があります。
栗原「英国、オーストラリア、スペインといった強豪国についてですが、森メカニックが言っていました。『強いところは、健常者のエリートチームのスタッフが来ている。見たことのあるスタッフばかりだ』と。それがグローバルスタンダードになりつつある。それに遅れない態勢、それに見合う選手の意識、競技団体の意識と態勢をしっかり作る必要があります。明らかに、既存の福祉、障害者スポーツ感覚ではだめです。国際交流という感覚でもだめです。何をしに行くのか。その意識をしっかり持つことが必要です。」
――良かったと感じる点は。
栗原「たくさんあります。藤田の銀が他の競技も含めたパラリンピック日本選手団のメダル第一号となり、石井の金は日本の金メダル第一号として、日本国内のメディアにも大変大きく扱われ、高い評価を受けました。これは、競技の認知にも役立ったと思うし、ご支援、ご声援いただいた方々にも喜んでいただけた。日本の自転車競技の大きな支援者でもある、JCFのスポンサーの皆様に対してもお返しができたかなとは思います。また、日本チームに新たな若い選手が出てきたことは、うれしかったです。選手は素晴らしかったですし、班目さん、森さんら、スタッフの皆さんも素晴らしかった。また、日本選手団本部スタッフの平松さん、競技場外サポートスタッフの権丈さんも献身的にサポートしてくれた。素晴らしいジャパン・パラサイクリング・チームでした。また、JCFやJPCの方々とも、事前準備から一緒になって戦っているという意識を持てて、とても良かったと思います。」
――しかし、北京の結果には、必ずしも満足してはいないと。
栗原「どんな時でも、100%満足、万々歳、なんて言えないですし。全員のメダル獲得がならなかったことは、やはり残念なことでした。帰国時に空港でメダリストとそうでない選手とで明暗分かれるのは知っているし、明暗分かれた姿を見たくなかった。しかしそうなってしまったことは残念です。色々な意味で、全体として少し力が足りなかったのかもしれません。常に危機感は持つ必要があります。油断したり安心できる要素はない。気のゆるみは事故や不必要なトラブルにもつながります。特に私のような立場の担当スタッフは、細心の注意を払い、簡単に喜ばず、常に緊張感を持つこと。また、選手とはある程度の距離を保って、ビジネス感覚を持つ必要がある。意識してビジネスライクでいる必要もある、と思っています。大変ですけどね。」
――また、北京大会では、栗原さんたちは選手村外スタッフとしてサポートにあたられていましたが、スタッフでなく一般観客という扱いで、競技会場のゲートで止められたり、ロードレース会場までの移動などでも随分苦労されていましたね。また、自転車競技のスタッフの一人は、日本選手団の本部スタッフ兼務と、苦心して参加されていましたが。
栗原「正式に自転車競技のスタッフとして日本選手団に参加できたのは、班目監督と森メカニックの2名だけでした。選手の人数が増えれば、参加できるスタッフも増えます。次はもっとポイントが必要です。北京は大きな成果でしたが、それはもう昔のことだと認識しています。更に上を目指して、地道にやります。」
■国を代表する選手というスタンス
栗原「五輪と同じようなスタンダードの感覚で、苦しんで苦しんで実績をあげること、五輪と同じ感覚に立つこと、その意識の共有がなければ、同じ場所に立つ資格はない、『五輪と同じに扱ってくれ』と述べる資格はない、と考えています。意識というか感覚として、障害者選手という意識よりは、『トップレベルの国を代表する選手』として責任があって、責任を果たすために全力で取り組む、と。そうでなければ、『障害者選手です』『認めろ』『受け入れてくれ』と言っても、なかなか受け入れてもらえないのではないでしょうか。そんなスタンスで、健常者のトップ団体に接しているつもりです。『日本の自転車の一員として貢献する』ということは、基本の一つだと思います。」
――その姿勢が大事ということですね。
栗原「我々のスタンスは、健常者トップのスタンダードや意識にならい、敬意をはらって、そこに追いつきたいという考えです。『やってください』ではだめで、『全部やって』なんて論外です。競技の発展、認知向上に役に立てるように、その価値を高めるようになんです。日本代表のナショナルジャージは、簡単には着られないもの。受け身ではなく、積極的に貢献する。要望や不平よりもまずは自ら汗を流し、原則はできることはできるだけ我々でまずやってみよう、という考えです。」
――では最後に、ロンドンに向けての今後の予定などをお聞かせください。
栗原「ロンドンまでの具体的なことは、正式には決まっていないのでこれからの話になりますが、2010年以降も見据えた計画を立て、すでに実行を始めています。これから期待できる、良い選手も発掘できています。これまでの戦略に続いて、これからも効率的・効果的な戦略を持ってやっていきたいです。」
――例えば、どんなことでしょうか。
栗原「例えばですが、強い選手を育て、狙った大会に集中的に派遣する。そのためにはどんなプログラムを実行したらいいか、などを考えています。今後の課題ですが、年に数回の遠征など、世界的には健常者エリートと同じような動きになっていくと思います。世界選手権の出場権を得るためにいくつもの大会に出ていく必要が生まれると言われています。健常者と同じようなシステムです。これが本当にやりくりできるのか。」
――日本チームの選手、スタッフの皆さんには、お仕事もありますから、両立が大変そうですね。
栗原「いい選手にはいろいろな大会・種目に出てほしいですが、選手たちは仕事も持っている。いい方法を考えないといけない。そして、これをできる国がいくつあるのか。それはそれで、やっていかなくてはいけない。競技団体として、組織力の強化が必要です。各種国際大会は今後あちこちで開催することになるでしょう。アジアでもやりたい、日本ではどうか、ともUCIから聞かれましたが、地道に可能性を探っていきたいと思っています。」
――たしかに、現状のマンパワーだけでは厳しそうですね。
栗原「そして、ロンドンに向けて、チームスピリットの維持向上は必須です。強いチームのマネージメントは規律であると。これは、さきに述べた原田先生が講演でされていたお話ですが、『1にディシプリン(規律)、2にディシプリン、3にディシプリン』。アテネまでのディシプリンに欠けたチームと、その後のチームスピリットの浸透したチームとでは、成績も記録も大きく違う。それから、やはり全体の利益第一で動いていくことも必須です。日本の自転車全体の利益・社会認知の向上を追求していきたいので、そのためにもチームスピリットは非常に大切です。」
――チームスピリット、規律は必須であるということですね。
栗原「それから、新しい選手の発掘も必要で、さきほど申し上げたように、良い選手もピックアップできているところです。ただ、障害者競技を転々とする“渡り鳥”的な考えで『自転車だったらパラリンピックで簡単にメダル獲れますか』などと言われてしまうと……。自転車競技はそう簡単なものではないし、『そんな簡単なものなんだ』と一般に理解されているのでは、価値がないと考えています。
我々は、自転車の価値を高めたいと思ってやっています。厳しい世界ですが、自転車に集中して取り組む人、自転車が好きな人、日本チームのスピリットを持てる真摯な人に、我々と一緒に歩んでいただければ。そして今後も日本のために、地道にやっていきたいと思います。」
――今日はどうもありがとうございました。
(完)
text:佐藤有子/フォトジャーナリスト。2006、07年のパラサイクリング世界選手権及び08年の北京パラリンピックにてUCIのオフィシャルフォトグラファーを務める。
■北京パラリンピックを振り返り
――北京ではメダル6、全員入賞とチームの皆さんはおおいに活躍されましたが。
栗原「チームとして北京での目標に掲げていたのは、5つ以上のメダルの獲得、出場選手全員のメダル獲得、複数の金メダリストです。結果は、金1、銀3、銅2のメダル6個で、これはよかったです。が、目標をすべて達成はできなかったのも事実です。不可解な審判判断があった、タンデムスプリントのブロンズマッチの4位は、非常に残念でした。複数の金メダリストという目標も達成できませんでした。英国が非常に強く、これに勝てなかった。」
――英国は選手層が厚く、いろいろなクラスで本当に強かったという印象があります。
栗原「英国、オーストラリア、スペインといった強豪国についてですが、森メカニックが言っていました。『強いところは、健常者のエリートチームのスタッフが来ている。見たことのあるスタッフばかりだ』と。それがグローバルスタンダードになりつつある。それに遅れない態勢、それに見合う選手の意識、競技団体の意識と態勢をしっかり作る必要があります。明らかに、既存の福祉、障害者スポーツ感覚ではだめです。国際交流という感覚でもだめです。何をしに行くのか。その意識をしっかり持つことが必要です。」
――良かったと感じる点は。
栗原「たくさんあります。藤田の銀が他の競技も含めたパラリンピック日本選手団のメダル第一号となり、石井の金は日本の金メダル第一号として、日本国内のメディアにも大変大きく扱われ、高い評価を受けました。これは、競技の認知にも役立ったと思うし、ご支援、ご声援いただいた方々にも喜んでいただけた。日本の自転車競技の大きな支援者でもある、JCFのスポンサーの皆様に対してもお返しができたかなとは思います。また、日本チームに新たな若い選手が出てきたことは、うれしかったです。選手は素晴らしかったですし、班目さん、森さんら、スタッフの皆さんも素晴らしかった。また、日本選手団本部スタッフの平松さん、競技場外サポートスタッフの権丈さんも献身的にサポートしてくれた。素晴らしいジャパン・パラサイクリング・チームでした。また、JCFやJPCの方々とも、事前準備から一緒になって戦っているという意識を持てて、とても良かったと思います。」
――しかし、北京の結果には、必ずしも満足してはいないと。
栗原「どんな時でも、100%満足、万々歳、なんて言えないですし。全員のメダル獲得がならなかったことは、やはり残念なことでした。帰国時に空港でメダリストとそうでない選手とで明暗分かれるのは知っているし、明暗分かれた姿を見たくなかった。しかしそうなってしまったことは残念です。色々な意味で、全体として少し力が足りなかったのかもしれません。常に危機感は持つ必要があります。油断したり安心できる要素はない。気のゆるみは事故や不必要なトラブルにもつながります。特に私のような立場の担当スタッフは、細心の注意を払い、簡単に喜ばず、常に緊張感を持つこと。また、選手とはある程度の距離を保って、ビジネス感覚を持つ必要がある。意識してビジネスライクでいる必要もある、と思っています。大変ですけどね。」
――また、北京大会では、栗原さんたちは選手村外スタッフとしてサポートにあたられていましたが、スタッフでなく一般観客という扱いで、競技会場のゲートで止められたり、ロードレース会場までの移動などでも随分苦労されていましたね。また、自転車競技のスタッフの一人は、日本選手団の本部スタッフ兼務と、苦心して参加されていましたが。
栗原「正式に自転車競技のスタッフとして日本選手団に参加できたのは、班目監督と森メカニックの2名だけでした。選手の人数が増えれば、参加できるスタッフも増えます。次はもっとポイントが必要です。北京は大きな成果でしたが、それはもう昔のことだと認識しています。更に上を目指して、地道にやります。」
【5】ロンドンへ
■国を代表する選手というスタンス
栗原「五輪と同じようなスタンダードの感覚で、苦しんで苦しんで実績をあげること、五輪と同じ感覚に立つこと、その意識の共有がなければ、同じ場所に立つ資格はない、『五輪と同じに扱ってくれ』と述べる資格はない、と考えています。意識というか感覚として、障害者選手という意識よりは、『トップレベルの国を代表する選手』として責任があって、責任を果たすために全力で取り組む、と。そうでなければ、『障害者選手です』『認めろ』『受け入れてくれ』と言っても、なかなか受け入れてもらえないのではないでしょうか。そんなスタンスで、健常者のトップ団体に接しているつもりです。『日本の自転車の一員として貢献する』ということは、基本の一つだと思います。」
――その姿勢が大事ということですね。
栗原「我々のスタンスは、健常者トップのスタンダードや意識にならい、敬意をはらって、そこに追いつきたいという考えです。『やってください』ではだめで、『全部やって』なんて論外です。競技の発展、認知向上に役に立てるように、その価値を高めるようになんです。日本代表のナショナルジャージは、簡単には着られないもの。受け身ではなく、積極的に貢献する。要望や不平よりもまずは自ら汗を流し、原則はできることはできるだけ我々でまずやってみよう、という考えです。」
――では最後に、ロンドンに向けての今後の予定などをお聞かせください。
栗原「ロンドンまでの具体的なことは、正式には決まっていないのでこれからの話になりますが、2010年以降も見据えた計画を立て、すでに実行を始めています。これから期待できる、良い選手も発掘できています。これまでの戦略に続いて、これからも効率的・効果的な戦略を持ってやっていきたいです。」
――例えば、どんなことでしょうか。
栗原「例えばですが、強い選手を育て、狙った大会に集中的に派遣する。そのためにはどんなプログラムを実行したらいいか、などを考えています。今後の課題ですが、年に数回の遠征など、世界的には健常者エリートと同じような動きになっていくと思います。世界選手権の出場権を得るためにいくつもの大会に出ていく必要が生まれると言われています。健常者と同じようなシステムです。これが本当にやりくりできるのか。」
――日本チームの選手、スタッフの皆さんには、お仕事もありますから、両立が大変そうですね。
栗原「いい選手にはいろいろな大会・種目に出てほしいですが、選手たちは仕事も持っている。いい方法を考えないといけない。そして、これをできる国がいくつあるのか。それはそれで、やっていかなくてはいけない。競技団体として、組織力の強化が必要です。各種国際大会は今後あちこちで開催することになるでしょう。アジアでもやりたい、日本ではどうか、ともUCIから聞かれましたが、地道に可能性を探っていきたいと思っています。」
――たしかに、現状のマンパワーだけでは厳しそうですね。
栗原「そして、ロンドンに向けて、チームスピリットの維持向上は必須です。強いチームのマネージメントは規律であると。これは、さきに述べた原田先生が講演でされていたお話ですが、『1にディシプリン(規律)、2にディシプリン、3にディシプリン』。アテネまでのディシプリンに欠けたチームと、その後のチームスピリットの浸透したチームとでは、成績も記録も大きく違う。それから、やはり全体の利益第一で動いていくことも必須です。日本の自転車全体の利益・社会認知の向上を追求していきたいので、そのためにもチームスピリットは非常に大切です。」
――チームスピリット、規律は必須であるということですね。
栗原「それから、新しい選手の発掘も必要で、さきほど申し上げたように、良い選手もピックアップできているところです。ただ、障害者競技を転々とする“渡り鳥”的な考えで『自転車だったらパラリンピックで簡単にメダル獲れますか』などと言われてしまうと……。自転車競技はそう簡単なものではないし、『そんな簡単なものなんだ』と一般に理解されているのでは、価値がないと考えています。
我々は、自転車の価値を高めたいと思ってやっています。厳しい世界ですが、自転車に集中して取り組む人、自転車が好きな人、日本チームのスピリットを持てる真摯な人に、我々と一緒に歩んでいただければ。そして今後も日本のために、地道にやっていきたいと思います。」
――今日はどうもありがとうございました。
(完)
text:佐藤有子/フォトジャーナリスト。2006、07年のパラサイクリング世界選手権及び08年の北京パラリンピックにてUCIのオフィシャルフォトグラファーを務める。
フォトギャラリー