2012/07/12(木) - 17:04
今ツールで最も厳しいとされる超級山岳グラン・コロンビエール峠に挑むステージで逃げに乗ったユキヤとヴォクレール。ユキヤは自らのチャンスのためでなく、チームキャプテンのために身を捧げた。
これが休息日明け? 張り詰めた空気のマコンのスタート地点
休息日が空け、爽やかな晴天に恵まれたマコン。ツールも折り返し地点を迎え、また新たな戦いが始まる。
休息日空けのステージといえば休日の余韻を楽しむ空気が流れ、ヴィラージュがのんびりする選手たちで賑わうのがいつものこと。しかしこの日は選手たちにはあまり余裕を感じられない。多くの選手からアタックをかけることを匂わせるほど、ピリピリした緊張した空気が流れる。
超級山岳初日には、ツール初登場にしてレースディレクターのジャン・フランソワ・ペシュー氏が「フランスで最も厳しい山」と言うル・グラン・コロンビエール峠が待ち構えている。
山岳で攻撃を仕掛けなければ勝ち目のないエヴァンスとBMC、ニーバリとリクイガスらをはじめ、攻撃したい総合狙いのチームに加え、逃げやすいコースプロフィールとあって各チームの思惑がそれぞれ違う方向を向いて交錯する。失ったタイムの挽回、そしてステージ1勝を狙うアタックを企てている空気が伝わってくる。
Shut up Legs の叫びが再び聞きたい
レディオシャックのバスではイェンス・フォイクトのバイクが念入りにチェックされていた。すでに逃げることが決まっているようで、そこからの特別扱いだ。イェンシーのバイクのトップチューブ上面には名セリフ“Shut up Legs”(黙れ、脚!)を意味づける数字が並んでいる。「15年間のプロ生活で64回の優勝、クラッシュが100回、骨折は11回、体内25カ所に入ったボルト・ピン、そして食べたパスタは計3100kg...」。
ユーロップカーはスタート20分前になっても全員がチームバスから出てこず、話も聞けなかった。ユキヤも昨日のインタビューでは明日よりも今日逃げることに意欲的だったように、会議が長引いているということは、動いてくることの証。
期待を抱きつつ、集団がマコンをスタートするのを見送る。美しいソーヌ川河畔にかかる橋を渡り、ボルドーと並ぶフランスワインの大銘醸地へと走りだしていく。
予想通りスタート直後からアタックが頻発。アタック合戦は長引いたが、25人の逃げが来まり、そのなかにユキヤとヴォクレールの名前も。
ウィギンズがマイヨジョーヌを着てから明らかにイギリスのファンが沿道に増えた。ユニオンジャックを翻し、WiggoとCAVの文字が踊る。加えて日本のファンにも今日は沿道で4組ほど遭遇した。プロトンの前を先行しながら、沿道に日の丸を見つけるとユキヤがアタックに入っている旨を伝えつつ走る。「ユキヤは応えてくれますからしっかり応援してください」。
「逃げに乗ることは予定していなかった」とレース後に話したユキヤ。この日の役割は、エースのトマ・ヴォクレールが逃げに乗れるようにアシストすること。トマの乗らない逃げができればそれを潰し、トマを送り込む。しかしアタックはその時のタイミングで決まるもの。トマとユキヤのふたりが乗ったままアタックが決まった。想定外の好都合だ。
逃げのタイム差を開くべく、先頭を積極的に引くユキヤ。しかし25人もの選手が中に入ればそれぞれ思惑は違うもの。そして難しいコロンビエール峠が待っているとあっては、脚はなるべく使いたくない。
マイヨ・ヴェールのサガンとマシュー・ゴスが逃げに乗ったは面白い。サガンはニーバリのアシストのため、また中間スプリントのために。マイヨ・ヴェールをまだ諦めていないマシュー・ゴスもポイント獲得と逃げ切った場合のステージ優勝を狙う。そして”Shut up Legs”フォイクトの名も。
今年のツール最難関の峠、グラン・コロンビエール峠はこの地方で開催されるツール・ド・ランで毎年のように採用される峠であるため、フランス人選手たちにはお馴染みの峠だ。
そして6月に開催されたクリテリウム・デュ・ドーフィネの第5ステージとはゴール前数㎞を除いてまったく同じ。つまり多くの選手にとっては予行演習済みの峠だが、ツール直前レースとしてルード・デュ・スッドに回ったユキヤはまだ知らなかった。
トマをアシストするために登り口からペースを上げたユキヤ。しかし思った以上にこの峠の序盤の勾配がきつく、2kmほどしか引けなかったと言う。しかしトマは急勾配の上りでデヴェナインス(オメガファーマ・クイックステップ)、LL・サンチェス(ラボバンク)、スカルポーニ(ランプレISD)の4人で抜け出すことに成功した。
アシストとしての仕事を果たし、ラスト45kmで後方集団に飲み込まれるときにはもう一仕事。ピエール・ロランに持っているボトルを渡し、送り出した。
ヴォクレールはコロンビエールとリッシュモンのふたつの峠でポイントを獲得し、マイヨ・アポアを手に入れる。そしてゴールへ向けての牽制がはじまると、その隙にフォイクトが後方から追走して加わり、最後の勝負へ。そして再びゴール前には長い坂があったことがヴォクレールには幸いした。
先行するデヴェナインスを抜き去り、昨年マイヨジョーヌと引き換えにサンフルールの坂でステージ優勝を譲ったLL・サンチェスを振りきり、フォイクトを、スカルポーニを振り切った。ステージ、山岳、敢闘賞を総ざらい。
膝の不調でツールを諦めかけたヴォクレールの復活勝利
ヴォクレールは言う「コロンビエールで山岳ジャージを取りに行ったとき、脚が攣っていたんだ。そして皆が僕をマークした」
「でもステージ優勝も欲しかった。デヴェナインスがアタックした時、『彼を追えよ』と他の選手には言ったんだ。もし平坦ゴールだったらそのまま終わっていた」。
「僕は33歳で、これが10回目のツールなんだ。今日ボクに起こったことをかみしめているよ。上りでも下りでも、誰もが僕のことをマークした。でも僕は正しい瞬間にアタックできた。すでにジャージをバッグに入れたけど、やはりステージは絶対に欲しかった。」
「最後の上りは膝が痛んだ。全身が痛んだ。信じていたことは、この痛みが他の選手も同じように感じているということ。でもゴールラインを越えた時の感覚は素晴らしかったよ」。
ヴォクレールはツール前に膝を痛め、ツール前哨戦のルード・デュ・スッドでリタイアを喫した。本来なら調整のために走り切るのが大事なレースでだ。ドクターのすすめでその後の8日間は一切に自転車に乗らずに過ごし、ツール参加をぎりぎりになって決めた。
膝に爆弾を抱え、状態のすぐれないままスタートし、これまで連日タイムを失った。目標としたマイヨジョーヌはすでに遠いものに。「ツールが始まる前、チームはいいところにいなかった。僕は子供に向かって、彼の目に『諦めないぞ』と言ったんだ。膝が痛くても、ツールは別。これがツールである限り走ることは止めない」。
アシストとしての仕事に徹したユキヤ 苦労が報われるキャプテンの勝利
すでにヴォクレールの優勝を知ってゴールしたユキヤ。ゴールラインを切るときには、ヴォクレールが花束を受け取り、両脇の招待客に握手をして回っていたタイミング。残念ながらトマの視界にユキヤは入っていなかった。
その様子を見ながら走り抜け、停まると同時に「あ〜ぁ、疲れた!」の声をあげるユキヤ。そして一日のアシスト仕事を振りかえる。
「最初は逃げに乗る予定じゃなかったんです。アタック合戦で(ヴォクレールが)逃げに乗れなかった場合につなぐ(逃げを潰す)役割だったんです。何度もアタックをマークしてたらかなり脚を使っちゃって…。
トマは最初動いてなかったからごちゃごちゃの混乱のなかで脚を使わなかったのが良かった。逃げが決まってからはそれなりに人数がいたから、ひとりひとりはそんなに脚を使わなかった。でも僕は多めに引きました」。
話を聞いている最中に、ヴォクレールの山岳賞と敢闘賞の表彰が続く。「さすがキャプテン、決めるときは決めてくれます!」
レース中は言葉をかわす余裕はなかったと言う。「あとで僕には感謝の言葉があるかな? あるかな〜? あるといいね〜」。
チームバスではジョンルネ・ベルノドーGMが、帰ってくる選手一人一人に握手と抱擁で喜びを表していた。ヴォクレールは記者会見もあり帰りは別々だ。バスの窓にはチームスポンサーの手によってご主人より一足先に届けられた敢闘賞の「1」の盾が、ユキヤが獲得した盾と並べて飾られた。
この日はメンバーのイタリア人選手、ダヴィデ・マラカルネの誕生日。ステージ、山岳、敢闘賞、そして誕生日。チームにとっては大きな祝杯の日になった。ヴォクレールのマイヨジョーヌのチャンスはすでに潰えたが、マイヨ・アポアをシャンゼリゼまで着続けるべく闘うことになるだろう。チームは2010年にアントニー・シャルトーの山岳賞獲得で経験済みだ。
アタックにも弱みを見せなかったチームスカイ
今日も鉄壁の走りを見せたチームスカイ。ニーバリの下りでの勇敢なアタックにも動じず、エヴァンスのアタックも許さなかった。ピエール・ロラン(ユーロップカー)とユルゲン・ファンデンブロック(ロット・ベリソル)はアタックを成功させるもウィギンズ集団に対し32秒差をつけるにとどまった。
ウィギンズは言う「上りがタフなことは知っていたけど、アタックがあるとすれば下りでだと思っていた。そしてそのとおりだったね。ヴィンチェンツォのアタックにはパニックにはならなかった。彼は2分以上遅れているし、もし彼がそのまま逃げてもその先でかなりの苦労を強いられるとことを知っていたから。今日はシナリオ通りのレースだった。心配になったことは一度もなかった」。
エヴァンスはリッシュモン峠の頂上からゴールまでは距離があること、風があったことでアタックすることをためらってしまったと言う。
「チャンスは自分で作らなくてはいけない。明日はアタックした選手はより報われる日だろう。でも他のチームがどう反応するかにも注意を払って行かなければいけない。」
photo&text:Makoto.AYANO
これが休息日明け? 張り詰めた空気のマコンのスタート地点
休息日が空け、爽やかな晴天に恵まれたマコン。ツールも折り返し地点を迎え、また新たな戦いが始まる。
休息日空けのステージといえば休日の余韻を楽しむ空気が流れ、ヴィラージュがのんびりする選手たちで賑わうのがいつものこと。しかしこの日は選手たちにはあまり余裕を感じられない。多くの選手からアタックをかけることを匂わせるほど、ピリピリした緊張した空気が流れる。
超級山岳初日には、ツール初登場にしてレースディレクターのジャン・フランソワ・ペシュー氏が「フランスで最も厳しい山」と言うル・グラン・コロンビエール峠が待ち構えている。
山岳で攻撃を仕掛けなければ勝ち目のないエヴァンスとBMC、ニーバリとリクイガスらをはじめ、攻撃したい総合狙いのチームに加え、逃げやすいコースプロフィールとあって各チームの思惑がそれぞれ違う方向を向いて交錯する。失ったタイムの挽回、そしてステージ1勝を狙うアタックを企てている空気が伝わってくる。
Shut up Legs の叫びが再び聞きたい
レディオシャックのバスではイェンス・フォイクトのバイクが念入りにチェックされていた。すでに逃げることが決まっているようで、そこからの特別扱いだ。イェンシーのバイクのトップチューブ上面には名セリフ“Shut up Legs”(黙れ、脚!)を意味づける数字が並んでいる。「15年間のプロ生活で64回の優勝、クラッシュが100回、骨折は11回、体内25カ所に入ったボルト・ピン、そして食べたパスタは計3100kg...」。
ユーロップカーはスタート20分前になっても全員がチームバスから出てこず、話も聞けなかった。ユキヤも昨日のインタビューでは明日よりも今日逃げることに意欲的だったように、会議が長引いているということは、動いてくることの証。
期待を抱きつつ、集団がマコンをスタートするのを見送る。美しいソーヌ川河畔にかかる橋を渡り、ボルドーと並ぶフランスワインの大銘醸地へと走りだしていく。
予想通りスタート直後からアタックが頻発。アタック合戦は長引いたが、25人の逃げが来まり、そのなかにユキヤとヴォクレールの名前も。
ウィギンズがマイヨジョーヌを着てから明らかにイギリスのファンが沿道に増えた。ユニオンジャックを翻し、WiggoとCAVの文字が踊る。加えて日本のファンにも今日は沿道で4組ほど遭遇した。プロトンの前を先行しながら、沿道に日の丸を見つけるとユキヤがアタックに入っている旨を伝えつつ走る。「ユキヤは応えてくれますからしっかり応援してください」。
「逃げに乗ることは予定していなかった」とレース後に話したユキヤ。この日の役割は、エースのトマ・ヴォクレールが逃げに乗れるようにアシストすること。トマの乗らない逃げができればそれを潰し、トマを送り込む。しかしアタックはその時のタイミングで決まるもの。トマとユキヤのふたりが乗ったままアタックが決まった。想定外の好都合だ。
逃げのタイム差を開くべく、先頭を積極的に引くユキヤ。しかし25人もの選手が中に入ればそれぞれ思惑は違うもの。そして難しいコロンビエール峠が待っているとあっては、脚はなるべく使いたくない。
マイヨ・ヴェールのサガンとマシュー・ゴスが逃げに乗ったは面白い。サガンはニーバリのアシストのため、また中間スプリントのために。マイヨ・ヴェールをまだ諦めていないマシュー・ゴスもポイント獲得と逃げ切った場合のステージ優勝を狙う。そして”Shut up Legs”フォイクトの名も。
今年のツール最難関の峠、グラン・コロンビエール峠はこの地方で開催されるツール・ド・ランで毎年のように採用される峠であるため、フランス人選手たちにはお馴染みの峠だ。
そして6月に開催されたクリテリウム・デュ・ドーフィネの第5ステージとはゴール前数㎞を除いてまったく同じ。つまり多くの選手にとっては予行演習済みの峠だが、ツール直前レースとしてルード・デュ・スッドに回ったユキヤはまだ知らなかった。
トマをアシストするために登り口からペースを上げたユキヤ。しかし思った以上にこの峠の序盤の勾配がきつく、2kmほどしか引けなかったと言う。しかしトマは急勾配の上りでデヴェナインス(オメガファーマ・クイックステップ)、LL・サンチェス(ラボバンク)、スカルポーニ(ランプレISD)の4人で抜け出すことに成功した。
アシストとしての仕事を果たし、ラスト45kmで後方集団に飲み込まれるときにはもう一仕事。ピエール・ロランに持っているボトルを渡し、送り出した。
ヴォクレールはコロンビエールとリッシュモンのふたつの峠でポイントを獲得し、マイヨ・アポアを手に入れる。そしてゴールへ向けての牽制がはじまると、その隙にフォイクトが後方から追走して加わり、最後の勝負へ。そして再びゴール前には長い坂があったことがヴォクレールには幸いした。
先行するデヴェナインスを抜き去り、昨年マイヨジョーヌと引き換えにサンフルールの坂でステージ優勝を譲ったLL・サンチェスを振りきり、フォイクトを、スカルポーニを振り切った。ステージ、山岳、敢闘賞を総ざらい。
膝の不調でツールを諦めかけたヴォクレールの復活勝利
ヴォクレールは言う「コロンビエールで山岳ジャージを取りに行ったとき、脚が攣っていたんだ。そして皆が僕をマークした」
「でもステージ優勝も欲しかった。デヴェナインスがアタックした時、『彼を追えよ』と他の選手には言ったんだ。もし平坦ゴールだったらそのまま終わっていた」。
「僕は33歳で、これが10回目のツールなんだ。今日ボクに起こったことをかみしめているよ。上りでも下りでも、誰もが僕のことをマークした。でも僕は正しい瞬間にアタックできた。すでにジャージをバッグに入れたけど、やはりステージは絶対に欲しかった。」
「最後の上りは膝が痛んだ。全身が痛んだ。信じていたことは、この痛みが他の選手も同じように感じているということ。でもゴールラインを越えた時の感覚は素晴らしかったよ」。
ヴォクレールはツール前に膝を痛め、ツール前哨戦のルード・デュ・スッドでリタイアを喫した。本来なら調整のために走り切るのが大事なレースでだ。ドクターのすすめでその後の8日間は一切に自転車に乗らずに過ごし、ツール参加をぎりぎりになって決めた。
膝に爆弾を抱え、状態のすぐれないままスタートし、これまで連日タイムを失った。目標としたマイヨジョーヌはすでに遠いものに。「ツールが始まる前、チームはいいところにいなかった。僕は子供に向かって、彼の目に『諦めないぞ』と言ったんだ。膝が痛くても、ツールは別。これがツールである限り走ることは止めない」。
アシストとしての仕事に徹したユキヤ 苦労が報われるキャプテンの勝利
すでにヴォクレールの優勝を知ってゴールしたユキヤ。ゴールラインを切るときには、ヴォクレールが花束を受け取り、両脇の招待客に握手をして回っていたタイミング。残念ながらトマの視界にユキヤは入っていなかった。
その様子を見ながら走り抜け、停まると同時に「あ〜ぁ、疲れた!」の声をあげるユキヤ。そして一日のアシスト仕事を振りかえる。
「最初は逃げに乗る予定じゃなかったんです。アタック合戦で(ヴォクレールが)逃げに乗れなかった場合につなぐ(逃げを潰す)役割だったんです。何度もアタックをマークしてたらかなり脚を使っちゃって…。
トマは最初動いてなかったからごちゃごちゃの混乱のなかで脚を使わなかったのが良かった。逃げが決まってからはそれなりに人数がいたから、ひとりひとりはそんなに脚を使わなかった。でも僕は多めに引きました」。
話を聞いている最中に、ヴォクレールの山岳賞と敢闘賞の表彰が続く。「さすがキャプテン、決めるときは決めてくれます!」
レース中は言葉をかわす余裕はなかったと言う。「あとで僕には感謝の言葉があるかな? あるかな〜? あるといいね〜」。
チームバスではジョンルネ・ベルノドーGMが、帰ってくる選手一人一人に握手と抱擁で喜びを表していた。ヴォクレールは記者会見もあり帰りは別々だ。バスの窓にはチームスポンサーの手によってご主人より一足先に届けられた敢闘賞の「1」の盾が、ユキヤが獲得した盾と並べて飾られた。
この日はメンバーのイタリア人選手、ダヴィデ・マラカルネの誕生日。ステージ、山岳、敢闘賞、そして誕生日。チームにとっては大きな祝杯の日になった。ヴォクレールのマイヨジョーヌのチャンスはすでに潰えたが、マイヨ・アポアをシャンゼリゼまで着続けるべく闘うことになるだろう。チームは2010年にアントニー・シャルトーの山岳賞獲得で経験済みだ。
アタックにも弱みを見せなかったチームスカイ
今日も鉄壁の走りを見せたチームスカイ。ニーバリの下りでの勇敢なアタックにも動じず、エヴァンスのアタックも許さなかった。ピエール・ロラン(ユーロップカー)とユルゲン・ファンデンブロック(ロット・ベリソル)はアタックを成功させるもウィギンズ集団に対し32秒差をつけるにとどまった。
ウィギンズは言う「上りがタフなことは知っていたけど、アタックがあるとすれば下りでだと思っていた。そしてそのとおりだったね。ヴィンチェンツォのアタックにはパニックにはならなかった。彼は2分以上遅れているし、もし彼がそのまま逃げてもその先でかなりの苦労を強いられるとことを知っていたから。今日はシナリオ通りのレースだった。心配になったことは一度もなかった」。
エヴァンスはリッシュモン峠の頂上からゴールまでは距離があること、風があったことでアタックすることをためらってしまったと言う。
「チャンスは自分で作らなくてはいけない。明日はアタックした選手はより報われる日だろう。でも他のチームがどう反応するかにも注意を払って行かなければいけない。」
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