2012/07/01(日) - 16:17
まるでデジャブのようにツールのプロローグがリエージュに帰ってきた。プレゼンテーションのときから見覚えある街の光景と同じセットに、タイムスリップしたような錯覚が止まらない。
カンチェラーラが勝利した8年前を、だんだん思い出してきた
リエージュがツールのプロローグをホストするのは8年ぶり。いやむしろ、わずか8年のスパンで再び同じ都市が選ばれるのは異例のこと。これはアルデンヌクラシック、つまりリエージュ~バストーニュ~リエージュやフレーシュ・ワロンヌの開催を通じてリエージュ州とA.S.O(アモリー・スポール・オルガニザシヨン)が密接な関係を築いているからだ。その2レースの開催都市として6年契約を2006年に結び、今年再び6年契約を結び直した。ツールのプロローグは開催はその賜物だ。
リエージュはジロ、ブエルタ、ツールの3つのグランツールをホストしている。
リエージュのプロローグコースに経つと、8年前の当時のことが鮮明に思い出された。
8年前のツールのプロローグ。アームストロング、バッソ、ウルリッヒ、ハミルトン…。TTスペシャリスト=優勝候補たちの時代に、まだ名もない若いファッサボルトロのスイス人選手、ファビアン・カンチェラーラが優勝をかっさらっていった。帝王アームストロングに2秒もの大差をつけて。
もっともカンチェラーラは一般大衆に対して無名だったにすぎない。タイムトライアルのスペシャリストとして純粋培養されていることを知る自転車ファンはいつかこの日が来るのを予想していた。リエージュ市街のパヴェを自転車が割れんばかりの轟音をたてて通りすぎていったカンチェ。その音とともに、平均時速53.560㎞/hのスピードの記憶は鮮明だ。
翌朝ファッサボルトロのホテルを訪ねると、当時マッサーとしてチームで働いていた中野喜文さんが「チームはファビアンが勝つことを織り込み済みでしたよ」と言って、あらかじめ用意したあったという黄色いヘルメットを見せてくれた。
ーー リエージュのプロローグコースに経つと、8年前の当時のことが鮮明に思い出された。しかもコースは当時とまったく、ほぼ同じ。データ上では300m伸びたようだが、同じ所をスタートし、同じところにゴールする。見覚えがしっかりとある。プレゼン会場の舞台もそうだったが、8年越しの「使い回し感」は若干気になるところだ(笑)。
機材の更新、監督の交代?? プロローグの準備は忙しい
プロローグ開催で大変なのは機材だ。TTバイクは通常より念入りなセッティングがいるものなのに、ツールでのお披露目を狙って新型が投入されたりすると組み上げとセッティングの出し直し。選手はただでさえ乗りなれないバイクなので馴染むのが大変だ。ユーロップカーにもコルナゴの新型TTバイクが投入された。もともと予算が少ないチームだけにギア段数の少ないコンポを使用してきたところにフレームは最新型。人気者ヴォクレールにはやっぱり新型コンポ。
バイクに馴染むための試走を繰り返すヴォクレールは、神妙な顔つきが一層険しくなっていた。
新機材が続々と投入される近年。しかしここでデビューの予定の機材も見送られたといった話をいくつか聞く。選手からの「馴染みのバイクで走りたい」という希望が通ったというケースがあるようだ。
ギア段数が変わる新型コンポも、大きな変更を伴うため全チームが一度には交換できず、サポートする側もレース中のトラブルをすべてカバーできないため、不公平が生じることを恐れてツールには投入しないという。ツールはショーケースであると同時に、選手にとってはトラブル無く走ることが大事なので、意外にも保守的な面がある。
しかしツール前に思い切った「頭脳交換」を行ったのはコフィディス。なんと監督のエリック・ボワイエをクビにし、フェスティナ、アスタナ、FDJの監督をつとめてきたイヴォン・サンケ氏が就任。なんと開幕4日前の出来事。選手たちはいきなり新体制でツールを迎えた。
サンケ氏への交代は、チームスポンサーがより結果を求めたためだという。2008年ツールのサミュエル・ドゥムランとシルヴァン・シャヴァネルのステージ勝利を挙げた頃は良かったが、チームがプロツアー資格を失い、結果も低迷。名選手だったボワイエにスポンサーの怒りが爆発したということのようだ。
そしてレディオシャック・ニッサンも名将ヨハン・ブリュイネールがいない。アームストロングに対してのUSADAのドーピング黒判定を受けて捜査中の身。そしてチームにはアンディとフランクが来年チームを出るといった話や、給与未払い選手が3人ほどいる、あるいは選手同士や首脳陣との人間関係がギクシャクしているといったネガティブな話が耐えない。アラン・ギャロパンとディレク・デモル氏がチームを率いる。
対して、オリカ・グリーンエッジのシェイン・バナン氏がチーム創設1年でツール出場を果たした喜びを噛み締めつつ、現場で忙しく動き回っていた。日本のスポンサーであるスバルやシマノもチームについている、そしてフミが所属しているので親近感をもって接してくれる。初対面だが気配りの人だと感じた。
走り出す前に進む準備
午後2時のスタート時間から、徐々に気温が上がりだす。ファンを持ち込んでウォームアップするBMCの選手。
選手たちはスタート40分前にローラー台に乗り、30分間アップし、スタート10分前に降りてスタートへ向かう。チームの選手と選手の間隔は約20分。スタート順はチームが決められるが、スター選手はなるべく最後尾に集まるようにするのがならわしだ。
UCIの車体検査が今年も厳密に行われている。サドルの角度が水平でないといけないといった、根拠のないルール。サドルはそもそも上面が水平にはできていないので、イェンス・フォイクトが「参考までにこの場合は何ミリ角度があるか教えてくれ」と質問している。慌てふためいた昨年の経験があるから、今年は<見た範囲では>大きなトラブルがなかったように思えた。
今年の流行は「しっぽ」の短い丸いヘルメット。スペシャライズドのサポートチームはマクラーレンと開発したというヘルメットをかぶった(これは従来通りしっぽが長い)。空気抵抗に対する考え方がいろいろあって面白い。
ブルグハート「僕の誕生日に来てくれてありがとう」
笑いをとったのはマークス・ブルグハート(BMCレーシング)だ。スタート台にたっったとき、おもむろにファスナーを下げて胸をはだけた。アンダーシャツには「僕の誕生日に来てくれてありがとう」とマジック書き。(←誰もそのために来ていません)
TV放送はされたのだろうか?
喜びと元気いっぱいでスタートしたユキヤ
中盤スタートのユキヤは真剣な表情でアップをしていて、近寄りがたい雰囲気を放っていた。身体の柔らかさがはっきりとわかるストレッチを何度もして、新しい自転車の各部も点検。サインをしてスタート台にたつ。
カウントダウンが始まると、険しい表情から突然ニッコリ笑顔になって、嬉しそうに笑いながら走りだしていった。まるでうさぎがぴょんぴょん跳ねるように、元気いっぱいにリエージュの街に放たれた。
15年ツールを撮っていて、歯が見えるぐらい笑いながら走りだす選手はユキヤ以外見たことがない。2009年のツール初出場のときもそうだった、あの笑顔のスタートが今日見れた。出場が叶わなかった昨年の悔しさをすべて吹き飛ばすような笑顔。リエージュの大観衆に向けて加速する姿を見送りながら、思わず涙腺が緩んだ。
フレンチトリコロール、フランス国旗色に身を包んだシャヴァネルが登場。すごい気合で飛び出していった。
続いてリエージュ市民お待ちかねのフィリップ・ジルベールが登場。こちらはベルギー国旗3色に身を包む。恐ろしいまでに精神集中してオーラを放つ。このパンチャー二人は、第1ステージ後のマイヨジョーヌを狙っているのだ。第1ステージのゴール前は上れるパンチャー向きコース。つまりタイム差をなるべく稼いでおきたいのだ。
そして最後に近いスタートは優勝候補たち。ウィギンズがグレーのスキンスーツに身を包んで走りだしていく。爆発的ではないが、長い脚が正確に刻む綺麗なペダリング。バイクが揺れず、すっと加速していく。
リエージュ入りしてからずっと無口のカンチェラーラ。祈るような表情で静かにスタートを待つ。専属メカニックが肩を抱き、心を沈める言葉を耳元でささやいているようだ。
エヴァンスはツールのTTスタートの前には決まって落ち着きがなく、ヒステリー状態になることがあるが、この日は違った。落ち着き払って静かに構えていた。まさに昨日の記者会見で話した言葉通りの落ち着き。
最後のエヴァンスがコースに出ると、再び8年前と同じ抜け道でゴールへ向かう。そして8年前と同じカンチェラーラの勝利。53.2km/hの平均時速は8年前の53.56㎞/hよりわずかに遅いが、コースが300m伸びているのでほぼ同じ走りと言っていいだろうか。
誰もが予想はしていたものの、今回の勝利は特別だ。ロンド・ファン・フラーンデレンの落車による骨折で、春のレースを無冠で終えた。リハビリを続け、5月のレースに復帰。臨んだツール・ド・スイスの2つのタイムトライアル、第1ステージではペーター・サガンに敗れ、第7ステージではフレデリック・ケシアコフに敗れた。しかし調子を完璧に合わせ、2007年ロンドンでのプロローグ勝利、そして8年前のリエージュでの勝利の焼き直しをやり遂げた。
表彰台では喜びよりも静かな安堵の表情だと感じた。
リエージュ入りしてから開幕前記者会見でも押し黙ったまま。いつもの気の利いたコメントはなしで、マスコミの質問攻めを遠ざけていた。
勝利インタビューでは妻、家族への感謝の気持ちと、生まれてくる子どもへの気持ちを話した。
「この仕事をしていて、走れているときはいい。でも苦難の日々が訪れると、心の支えは家族と友人になるんだ。つらいとき、いつもそばに居てくれるのは彼らなんだ」。
表彰台ではこの日設定されていない山岳賞ジャージを往年の名選手ルシアン・ファン・インプが受け取った。ファンインプはツールで1971年から1983年まで6度もの山岳賞に輝いたベルギー人。エディ・メルクスに阻まれて総合優勝は1976年の一度だけに終わったが、まさにマイヨ・アポアがもっとも似合うベルギー人として招待されたのだ。
第1ステージに潜む罠
ベルギーでの数ステージの試走を終えた選手たちが一同に口にするのが第1ステージと第3ステージの危険さだ。第1ステージのゴール前3kmには急な坂と曲がりくねった細いコーナー、そしてパヴェがあるのだ。
下見してみると、15%ぐらいの急坂、そしてミュールをおとなしくしたようなパヴェ、曲がりくねった細い道。ツールにこうしたコースが取り入れられるのは珍しい。
試走したユキヤは言う「雨が降るのだけは勘弁ですね。落車の危険があるのと、タイム差がつきやすいんです。道が細いので全部のチームが位置取りのために殺到するでしょう。脚質で言えばパンチャー向きですが、上りが厳しいのでエヴァンスが本気出せば勝てると思います。ぜったい予想しないことがたくさん起こりますよ」。
photo&text: Makoto.AYANO
カンチェラーラが勝利した8年前を、だんだん思い出してきた
リエージュがツールのプロローグをホストするのは8年ぶり。いやむしろ、わずか8年のスパンで再び同じ都市が選ばれるのは異例のこと。これはアルデンヌクラシック、つまりリエージュ~バストーニュ~リエージュやフレーシュ・ワロンヌの開催を通じてリエージュ州とA.S.O(アモリー・スポール・オルガニザシヨン)が密接な関係を築いているからだ。その2レースの開催都市として6年契約を2006年に結び、今年再び6年契約を結び直した。ツールのプロローグは開催はその賜物だ。
リエージュはジロ、ブエルタ、ツールの3つのグランツールをホストしている。
リエージュのプロローグコースに経つと、8年前の当時のことが鮮明に思い出された。
8年前のツールのプロローグ。アームストロング、バッソ、ウルリッヒ、ハミルトン…。TTスペシャリスト=優勝候補たちの時代に、まだ名もない若いファッサボルトロのスイス人選手、ファビアン・カンチェラーラが優勝をかっさらっていった。帝王アームストロングに2秒もの大差をつけて。
もっともカンチェラーラは一般大衆に対して無名だったにすぎない。タイムトライアルのスペシャリストとして純粋培養されていることを知る自転車ファンはいつかこの日が来るのを予想していた。リエージュ市街のパヴェを自転車が割れんばかりの轟音をたてて通りすぎていったカンチェ。その音とともに、平均時速53.560㎞/hのスピードの記憶は鮮明だ。
翌朝ファッサボルトロのホテルを訪ねると、当時マッサーとしてチームで働いていた中野喜文さんが「チームはファビアンが勝つことを織り込み済みでしたよ」と言って、あらかじめ用意したあったという黄色いヘルメットを見せてくれた。
ーー リエージュのプロローグコースに経つと、8年前の当時のことが鮮明に思い出された。しかもコースは当時とまったく、ほぼ同じ。データ上では300m伸びたようだが、同じ所をスタートし、同じところにゴールする。見覚えがしっかりとある。プレゼン会場の舞台もそうだったが、8年越しの「使い回し感」は若干気になるところだ(笑)。
機材の更新、監督の交代?? プロローグの準備は忙しい
プロローグ開催で大変なのは機材だ。TTバイクは通常より念入りなセッティングがいるものなのに、ツールでのお披露目を狙って新型が投入されたりすると組み上げとセッティングの出し直し。選手はただでさえ乗りなれないバイクなので馴染むのが大変だ。ユーロップカーにもコルナゴの新型TTバイクが投入された。もともと予算が少ないチームだけにギア段数の少ないコンポを使用してきたところにフレームは最新型。人気者ヴォクレールにはやっぱり新型コンポ。
バイクに馴染むための試走を繰り返すヴォクレールは、神妙な顔つきが一層険しくなっていた。
新機材が続々と投入される近年。しかしここでデビューの予定の機材も見送られたといった話をいくつか聞く。選手からの「馴染みのバイクで走りたい」という希望が通ったというケースがあるようだ。
ギア段数が変わる新型コンポも、大きな変更を伴うため全チームが一度には交換できず、サポートする側もレース中のトラブルをすべてカバーできないため、不公平が生じることを恐れてツールには投入しないという。ツールはショーケースであると同時に、選手にとってはトラブル無く走ることが大事なので、意外にも保守的な面がある。
しかしツール前に思い切った「頭脳交換」を行ったのはコフィディス。なんと監督のエリック・ボワイエをクビにし、フェスティナ、アスタナ、FDJの監督をつとめてきたイヴォン・サンケ氏が就任。なんと開幕4日前の出来事。選手たちはいきなり新体制でツールを迎えた。
サンケ氏への交代は、チームスポンサーがより結果を求めたためだという。2008年ツールのサミュエル・ドゥムランとシルヴァン・シャヴァネルのステージ勝利を挙げた頃は良かったが、チームがプロツアー資格を失い、結果も低迷。名選手だったボワイエにスポンサーの怒りが爆発したということのようだ。
そしてレディオシャック・ニッサンも名将ヨハン・ブリュイネールがいない。アームストロングに対してのUSADAのドーピング黒判定を受けて捜査中の身。そしてチームにはアンディとフランクが来年チームを出るといった話や、給与未払い選手が3人ほどいる、あるいは選手同士や首脳陣との人間関係がギクシャクしているといったネガティブな話が耐えない。アラン・ギャロパンとディレク・デモル氏がチームを率いる。
対して、オリカ・グリーンエッジのシェイン・バナン氏がチーム創設1年でツール出場を果たした喜びを噛み締めつつ、現場で忙しく動き回っていた。日本のスポンサーであるスバルやシマノもチームについている、そしてフミが所属しているので親近感をもって接してくれる。初対面だが気配りの人だと感じた。
走り出す前に進む準備
午後2時のスタート時間から、徐々に気温が上がりだす。ファンを持ち込んでウォームアップするBMCの選手。
選手たちはスタート40分前にローラー台に乗り、30分間アップし、スタート10分前に降りてスタートへ向かう。チームの選手と選手の間隔は約20分。スタート順はチームが決められるが、スター選手はなるべく最後尾に集まるようにするのがならわしだ。
UCIの車体検査が今年も厳密に行われている。サドルの角度が水平でないといけないといった、根拠のないルール。サドルはそもそも上面が水平にはできていないので、イェンス・フォイクトが「参考までにこの場合は何ミリ角度があるか教えてくれ」と質問している。慌てふためいた昨年の経験があるから、今年は<見た範囲では>大きなトラブルがなかったように思えた。
今年の流行は「しっぽ」の短い丸いヘルメット。スペシャライズドのサポートチームはマクラーレンと開発したというヘルメットをかぶった(これは従来通りしっぽが長い)。空気抵抗に対する考え方がいろいろあって面白い。
ブルグハート「僕の誕生日に来てくれてありがとう」
笑いをとったのはマークス・ブルグハート(BMCレーシング)だ。スタート台にたっったとき、おもむろにファスナーを下げて胸をはだけた。アンダーシャツには「僕の誕生日に来てくれてありがとう」とマジック書き。(←誰もそのために来ていません)
TV放送はされたのだろうか?
喜びと元気いっぱいでスタートしたユキヤ
中盤スタートのユキヤは真剣な表情でアップをしていて、近寄りがたい雰囲気を放っていた。身体の柔らかさがはっきりとわかるストレッチを何度もして、新しい自転車の各部も点検。サインをしてスタート台にたつ。
カウントダウンが始まると、険しい表情から突然ニッコリ笑顔になって、嬉しそうに笑いながら走りだしていった。まるでうさぎがぴょんぴょん跳ねるように、元気いっぱいにリエージュの街に放たれた。
15年ツールを撮っていて、歯が見えるぐらい笑いながら走りだす選手はユキヤ以外見たことがない。2009年のツール初出場のときもそうだった、あの笑顔のスタートが今日見れた。出場が叶わなかった昨年の悔しさをすべて吹き飛ばすような笑顔。リエージュの大観衆に向けて加速する姿を見送りながら、思わず涙腺が緩んだ。
フレンチトリコロール、フランス国旗色に身を包んだシャヴァネルが登場。すごい気合で飛び出していった。
続いてリエージュ市民お待ちかねのフィリップ・ジルベールが登場。こちらはベルギー国旗3色に身を包む。恐ろしいまでに精神集中してオーラを放つ。このパンチャー二人は、第1ステージ後のマイヨジョーヌを狙っているのだ。第1ステージのゴール前は上れるパンチャー向きコース。つまりタイム差をなるべく稼いでおきたいのだ。
そして最後に近いスタートは優勝候補たち。ウィギンズがグレーのスキンスーツに身を包んで走りだしていく。爆発的ではないが、長い脚が正確に刻む綺麗なペダリング。バイクが揺れず、すっと加速していく。
リエージュ入りしてからずっと無口のカンチェラーラ。祈るような表情で静かにスタートを待つ。専属メカニックが肩を抱き、心を沈める言葉を耳元でささやいているようだ。
エヴァンスはツールのTTスタートの前には決まって落ち着きがなく、ヒステリー状態になることがあるが、この日は違った。落ち着き払って静かに構えていた。まさに昨日の記者会見で話した言葉通りの落ち着き。
最後のエヴァンスがコースに出ると、再び8年前と同じ抜け道でゴールへ向かう。そして8年前と同じカンチェラーラの勝利。53.2km/hの平均時速は8年前の53.56㎞/hよりわずかに遅いが、コースが300m伸びているのでほぼ同じ走りと言っていいだろうか。
誰もが予想はしていたものの、今回の勝利は特別だ。ロンド・ファン・フラーンデレンの落車による骨折で、春のレースを無冠で終えた。リハビリを続け、5月のレースに復帰。臨んだツール・ド・スイスの2つのタイムトライアル、第1ステージではペーター・サガンに敗れ、第7ステージではフレデリック・ケシアコフに敗れた。しかし調子を完璧に合わせ、2007年ロンドンでのプロローグ勝利、そして8年前のリエージュでの勝利の焼き直しをやり遂げた。
表彰台では喜びよりも静かな安堵の表情だと感じた。
リエージュ入りしてから開幕前記者会見でも押し黙ったまま。いつもの気の利いたコメントはなしで、マスコミの質問攻めを遠ざけていた。
勝利インタビューでは妻、家族への感謝の気持ちと、生まれてくる子どもへの気持ちを話した。
「この仕事をしていて、走れているときはいい。でも苦難の日々が訪れると、心の支えは家族と友人になるんだ。つらいとき、いつもそばに居てくれるのは彼らなんだ」。
表彰台ではこの日設定されていない山岳賞ジャージを往年の名選手ルシアン・ファン・インプが受け取った。ファンインプはツールで1971年から1983年まで6度もの山岳賞に輝いたベルギー人。エディ・メルクスに阻まれて総合優勝は1976年の一度だけに終わったが、まさにマイヨ・アポアがもっとも似合うベルギー人として招待されたのだ。
第1ステージに潜む罠
ベルギーでの数ステージの試走を終えた選手たちが一同に口にするのが第1ステージと第3ステージの危険さだ。第1ステージのゴール前3kmには急な坂と曲がりくねった細いコーナー、そしてパヴェがあるのだ。
下見してみると、15%ぐらいの急坂、そしてミュールをおとなしくしたようなパヴェ、曲がりくねった細い道。ツールにこうしたコースが取り入れられるのは珍しい。
試走したユキヤは言う「雨が降るのだけは勘弁ですね。落車の危険があるのと、タイム差がつきやすいんです。道が細いので全部のチームが位置取りのために殺到するでしょう。脚質で言えばパンチャー向きですが、上りが厳しいのでエヴァンスが本気出せば勝てると思います。ぜったい予想しないことがたくさん起こりますよ」。
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