2012/04/03(火) - 08:56
伝統を捨て、新しく生まれ変わったロンドのコースは賛否両論だ。レース後半に新たに取り入れられたのは、オウデ・クワレモントとパテルベルグを3回づつ含む大中小の周回コース。ミュール・カペルミュールとボスベルグがコースから外れ、ゴール地点もニノーヴからオウデナールデへの変更になった。
丘の上にある教会に向かう最大勾配20%の厳しいパヴェの坂「ミュール・カペルミュール」は、ロンドに欠かせない神聖なる場所として、また最大の勝負どころとなってきた。ミュールを越えて次に現れる長いパヴェの坂「ボスベルグ」はアイコン的な存在ではないが、ロンドの最後の坂としてレース展開の鍵を握ってきた。
長くゴール地点となってきたニノーヴの大通りから、ロンド・ファン・フラーンデレンのレースの歴史を展示した博物館「CRVV=Centrum Ronde Van Vlaanderen」のある街オーデナールデへの変更。この街はロンド名物のパヴェの石畳が集中する丘陵地帯の入り口ともいえる場所にあり、CRVV博物館があることでもレースの中心地とも言える存在の街。新しくゴールを迎える街になる理由はある。
しかしこの大きな変更はロンドを愛する人たちの反感もかった。
スポーツイベントとしての新しいチャレンジということ以外にも、変更の理由はいくつもあるようだ。今春にはフレミッシュアルデンヌ博物館がオープンし、市のPRのためにロンドのゴールを誘致したいという考え。また、観戦料収入やビール会社などのスポンサーに対する費用対効果を上げるための対応策というのもその理由のひとつだと言われている。
オウデ・クワレモントの頂上付近には、スタジアムサイズのテント村が建設され、VIPの観戦に使われた。入場の権利を得る席料や、観戦に欠かせないビールの売り上げ的にも収益は上がる。
今まで、ロンドを観戦するファンたちは様々なジレンマを抱えてきたのは事実。オウデ・クワレモントやパテルベルグ、コッペンベルグはそれまでもコースに含まれた。ここで観てから次の勝負ポイントであるカペルミュールに向け、クルマ、オートバイ、自転車などあらゆる方法でファンたちが大移動する。そしてミュールやボスベルグでレースを観ればゴールには間に合わない。レース映像を見るべく近くのカフェなどに駆け込むか、渋滞覚悟で移動し、レース終了後のニノーヴにたどり着くか。今回の変更はたしかに観戦するには便利。ゴールには間に合わなくても最後のパヴェ対決をじっくり観ることができるのだから。
しかし聖なるミュールの排除とゴール地点の変更には、ウェブアンケートの結果などでは反対派が8割超えと、圧倒的に多い。
フェイスブックにはコース変更した主催者を憎むページや、ミュールとボスベルグを守れというタイトルのブログ掲示板が開設された。オウデナールデ市長は脅迫状さえ受け取ったという。TVニュースではビールとお金に☓印をつけたイラストを掲げ反対デモをする人たちの様子などが連日放映されていた。
警察も抗議行動を警戒して、前日・前夜のコース上のパトロールを厳重に行っていた。
この日のゴールはボーネンの勝利に盛り上がったものの、ゴール両脇に詰めかけた観客はずいぶんと少ない印象を受けた。
フランドル地域の都市コルトレイクに住む元プロレーサーで現チームユーラシア監督の橋川健さんは今回の変更を好意的に捉えている。
「オウデナールデの街はロンドを歓迎する飾りがあちこちに見られ、華やいだ雰囲気になっていました。変更には政治的な力が動いているのも確かなようですが、とても良かったと思います。最初の年は反対運動が起こるのは仕方ないとしても、すぐに落ち着くでしょう。反対が多いのは組織票ではないかと思っていますよ。ミュールは聖地でしたが、オーデナールデも新しい聖地としてすぐ認識されるようになるでしょう」。
レースの観点からは、コースの厳しさと難しさは増して、終盤に集中した。レース前にはエディ・メルクス氏が「コースがレースを厳しくするんじゃない。レースを厳しくするのは選手たちだ」と言っていたが、未知のコースに結果、後半の周回路まで有力勢の誰もが勝負を待つ展開になった。
ボーネンは言う「それまでとは違った。レース前には皆がコースがどれだけ厳しくなったかということばかり話していた。僕は難しくなったと言うより、ただ違うものになったといつも言っていたんだ」「終盤に坂が増えたことで、今までとは違うレースだった。クワレモントで動く選手がいたが、一回目はそんなにきつくないのに、2回目になると多くの選手が遅れた。これからはもっとアグレッシブに走る選手も出てくるだろう。新コースでの第1回大会に優勝できて嬉しいね」。
オウデナールデのゴールの街としての契約は様子見の2年を含む6年だ。新コースがそのまま定着するのか、それとも元の聖地に戻るのか。
photo&text:Makoto.AYANO
丘の上にある教会に向かう最大勾配20%の厳しいパヴェの坂「ミュール・カペルミュール」は、ロンドに欠かせない神聖なる場所として、また最大の勝負どころとなってきた。ミュールを越えて次に現れる長いパヴェの坂「ボスベルグ」はアイコン的な存在ではないが、ロンドの最後の坂としてレース展開の鍵を握ってきた。
長くゴール地点となってきたニノーヴの大通りから、ロンド・ファン・フラーンデレンのレースの歴史を展示した博物館「CRVV=Centrum Ronde Van Vlaanderen」のある街オーデナールデへの変更。この街はロンド名物のパヴェの石畳が集中する丘陵地帯の入り口ともいえる場所にあり、CRVV博物館があることでもレースの中心地とも言える存在の街。新しくゴールを迎える街になる理由はある。
しかしこの大きな変更はロンドを愛する人たちの反感もかった。
スポーツイベントとしての新しいチャレンジということ以外にも、変更の理由はいくつもあるようだ。今春にはフレミッシュアルデンヌ博物館がオープンし、市のPRのためにロンドのゴールを誘致したいという考え。また、観戦料収入やビール会社などのスポンサーに対する費用対効果を上げるための対応策というのもその理由のひとつだと言われている。
オウデ・クワレモントの頂上付近には、スタジアムサイズのテント村が建設され、VIPの観戦に使われた。入場の権利を得る席料や、観戦に欠かせないビールの売り上げ的にも収益は上がる。
今まで、ロンドを観戦するファンたちは様々なジレンマを抱えてきたのは事実。オウデ・クワレモントやパテルベルグ、コッペンベルグはそれまでもコースに含まれた。ここで観てから次の勝負ポイントであるカペルミュールに向け、クルマ、オートバイ、自転車などあらゆる方法でファンたちが大移動する。そしてミュールやボスベルグでレースを観ればゴールには間に合わない。レース映像を見るべく近くのカフェなどに駆け込むか、渋滞覚悟で移動し、レース終了後のニノーヴにたどり着くか。今回の変更はたしかに観戦するには便利。ゴールには間に合わなくても最後のパヴェ対決をじっくり観ることができるのだから。
しかし聖なるミュールの排除とゴール地点の変更には、ウェブアンケートの結果などでは反対派が8割超えと、圧倒的に多い。
フェイスブックにはコース変更した主催者を憎むページや、ミュールとボスベルグを守れというタイトルのブログ掲示板が開設された。オウデナールデ市長は脅迫状さえ受け取ったという。TVニュースではビールとお金に☓印をつけたイラストを掲げ反対デモをする人たちの様子などが連日放映されていた。
警察も抗議行動を警戒して、前日・前夜のコース上のパトロールを厳重に行っていた。
この日のゴールはボーネンの勝利に盛り上がったものの、ゴール両脇に詰めかけた観客はずいぶんと少ない印象を受けた。
フランドル地域の都市コルトレイクに住む元プロレーサーで現チームユーラシア監督の橋川健さんは今回の変更を好意的に捉えている。
「オウデナールデの街はロンドを歓迎する飾りがあちこちに見られ、華やいだ雰囲気になっていました。変更には政治的な力が動いているのも確かなようですが、とても良かったと思います。最初の年は反対運動が起こるのは仕方ないとしても、すぐに落ち着くでしょう。反対が多いのは組織票ではないかと思っていますよ。ミュールは聖地でしたが、オーデナールデも新しい聖地としてすぐ認識されるようになるでしょう」。
レースの観点からは、コースの厳しさと難しさは増して、終盤に集中した。レース前にはエディ・メルクス氏が「コースがレースを厳しくするんじゃない。レースを厳しくするのは選手たちだ」と言っていたが、未知のコースに結果、後半の周回路まで有力勢の誰もが勝負を待つ展開になった。
ボーネンは言う「それまでとは違った。レース前には皆がコースがどれだけ厳しくなったかということばかり話していた。僕は難しくなったと言うより、ただ違うものになったといつも言っていたんだ」「終盤に坂が増えたことで、今までとは違うレースだった。クワレモントで動く選手がいたが、一回目はそんなにきつくないのに、2回目になると多くの選手が遅れた。これからはもっとアグレッシブに走る選手も出てくるだろう。新コースでの第1回大会に優勝できて嬉しいね」。
オウデナールデのゴールの街としての契約は様子見の2年を含む6年だ。新コースがそのまま定着するのか、それとも元の聖地に戻るのか。
photo&text:Makoto.AYANO
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