2011/12/15(木) - 10:28
J SPORTSが開催した2012ツール・ド・フランス東京プレゼンテーションのために来日したベルナール・イノー氏にインタビュー。今年のツール、そして来年のツールについて、ツール5勝の英雄はどのような考えを持っているのか。
― 本日はこのような機会を与えてくださり、ありがとうございました。まずは今年のツール・ド・フランスについてお話をお聞かせください。全体を通した印象はいかがでしたか?
“最高だった!”の一言に尽きるよ。素晴らしいコースで、選手たちはそれを生かした素晴らしいレースをしてくれ、非常に情熱的だったと思っています。
― 具体的に“情熱的”とはどのような状況を指していますか?
まず始めの第1ステージで、絶対的優勝候補と言われていたコンタドールが落車しましたね。そして1分30秒をロスしました。この出来事は、いったいツールがどんなふうに進んでいくんだろう? とドキドキさせてくれたました。
彼のことを言うなら、選択肢が正しくなかったんだろうね。ジロ・デ・イタリアに出たことは、彼にとって調整レースのつもりだったのかもしれないが、そこで力を出し切ってしまったという印象を受けたよ。ジロでの負荷は大きすぎたんだ。もし、彼が万全の体調なら、疲れが溜まっていなければ、こんなタイムロスはありえないことでしたから。
さらに、エヴァンスがレースを自分の手中にしましたね。ようやく優勝を掴んだエヴァンスと、彼の走りに付いていけなかったアンディ・シュレク。彼らはレースを盛り上げてくれました。
私たちフランス人のなかからは、2人の大活躍した選手が出ましたね。1人目はマイヨジョーヌを着用し、果敢な走りで盛り上げてくれたトマ・ヴォクレール。もう1人は若手であるピエール・ロラン。彼らの走りにフランス人は熱狂しました。
そうした様々な出来事が今年のツールを熱狂的にしてくれたんだと思います。自分たちが思い描いた以上のツールになりました。
― 100回目のツール・ド・フランスを迎えようとしていますが、将来的にツールはどう変わっていくと思いますか?
ツールはツールのまま、その良さを保ち続けることになると思いますが、この先変わっていくとするなら、それは技術的な要素になると思います。とくにメディアや情報伝達分野での技術革新がツールを躍進させると思います。しかし、基本的なことは変わらないでしょう。
― 何かメディアの進化を感じさせる出来事はありますか?
やはりサテライト(衛星)を使う放送技術の発達によって、今までは困難だった山頂に、機材をたくさん運ばずともゴール地点に設定できるようになりました。たとえば、トゥールマレー峠やガリビエ峠がその典型的な例です。技術の発達があったこそのコース設定だったのです。この技術により、私たち主催者も新しい峠を発掘し、コースに取り入れることができるようになったのです。
― メディアという観点からは、今年はオートバイやクルマが選手と接触するという大変ショッキングな事故がありましたが、その件はどう思われていますか?
今年はバイクとクルマ、2回の事故がありました。でもこれは、ツールという競技が抱えている1つのリスクだと考えています。やはり1つのコースに選手やバイク、クルマがひしめき合うわけですから、それぞれが自分の立場を明確にしておく必要がありますね。
こういう事故が残念ながら起こってしまったことに対して、より私たちも気を引き締めて、ルールがしっかりと守られるよう、意識しないといけません。
今年事故を起こしてしまった運転手は、今年初めてツールのドライバーを務めた未経験者でした。今後は自転車レースでの運転経験があるドライバーしか起用しないという制限を設けることも考えていますし、事故以降はコースに入るクルマの数を大幅に削減しました。
理想的には、コースに入るクルマの運転手は元選手に限るべきだと思っています。各チームの監督はほぼ元選手です。現在メディアには、そのようなことはないので、理想をいえば、メディアにもそのルールが広がって欲しいと考えています。選手がどんな動きをするか、熟知している人でなければ、本来入ってはいけない場所なんです。
― 現在、ツール・ド・フランスは興行としてどのような立場にありますか?
まずA.S.Oが売り上げとして公表しているのは1億6500万ユーロです。そのうち3分の2はツールで達成されているものですね。ASOはツールだけでなく、ダカールラリーやゴルフ、パリマラソンなどの年間40のイベントを開催し、年間220日の競技を運営しています。自転車競技は延べ100日です。今も昔もツールはA.S.Oにとってメインの事業です。
この売り上げ金額は年々、少しづつアップしているものの、放映権の相場上昇率とリンクしている程度です。収入のうちわけは、テレビの放映権、商品の売り上げ、スポンサー収入、招致する街が払う金額です。街が払う金額は、海外のグランデパールとなると、経費がかかるので、その分がプラスになりますが、基本的にはどこの街も変わりません。
― ちなみにいくら用意すれば、日本にグランデパールを呼ぶことができるのでしょう?
まず絶対条件として、時速5000kmで飛ぶ飛行機を開発しないといけませんね(笑)。だから、それまでの時間とコストと手間を考えると、日本ではツールではない、何か別の最高なレースを企画したほうがいいと思います。もちろんA.S.Oはタイアップなどのバックアップをすることは可能ですので。現在、ロシアやインドネシアでのA.S.Oがサポートするレースを企画しています。自分たちは非常にオープンなスタンスでいますので、世界各国からイベントの提案をいただいて、それが開催およびサポートがOKかどうかを検討しているんです。
― 世界各国でイベント開催が検討されているとのことですが、今年はアジア初の第1ディビジョンのレース、ツアー・オブ・北京が開催されました。A.S.Oも開催に携わったと伺っていますが、どのような印象を受けましたか?
北京は“スポーツ競技の技術サポート”という点で、A.S.OはでUCI主催のレースをサポートしました。残念ながら、私は現場には行っていませんが、帰国したスタッフたちは非常に喜んでいました。マイナス点はなにもなかったように思います。初めての開催でしたが、すべてのスタッフは満足していましたし、地元中国の組織も運営も素晴らしかったです。
食物汚染や大気汚染の問題があるかもしれませんが、選手たちからのクレームは私のところには上がってきていません。唯一言えることは、誰かに無理強いさせられたわけでもなく、行きたい選手だけが行き、彼らの満足度は高かったということです。
中国のレースは、予算的にまったく問題ありません。いくらでも予算が取れるという印象です。中国の躍進は大きいので、数年後には中国のチームが生まれ、そこからいい選手が輩出される可能性はありますね。しかし予算面の条件がいいから、という理由で私たちからオファーをしたわけではありません。向こうからオファーがきて、開催に至ったという背景です。来年も同じように、さらにいい形で開催されると思いますよ。
― 話を変えて、日本の自転車環境や日本人選手についてお話を伺いたいと思います。
来日されて、東京の自転車環境を見られたと思いますが、率直にどう感じていますか?
日本では自転車が歩道を走っていますよね…。以前に日本で自転車に乗った(明治神宮クリテリウムに参加した)こともありますので、そのことはよく知っています。これから自転車活用の伸びを期待するならば、やはり歩道ではなく、自転車が走れる車道の整備が必要ですね。
日本は本来、クライマーが育つ土壌があるはずなんです。地理的に日本は山岳地帯ですよね? ですから、たくさんの優秀なクライマーが育つべき国なんです。もし道路事情が悪いのであれば、日本にある、サイクルスポーツセンターのようなサーキットを利用するのも、選手を育てる、強く点では非常にいいことだと思います。
― 日本で強くなりたいと思う選手は、高校を卒業してヨーロッパに渡るケースが多くなっています。この方法はどう思われますか?
いい方法だと思います。そこでとても優秀な選手と出会うことによって、自分のレベルを自覚できます。強くなるためには、強い選手と一戦を交えることが、もっとも大切なことだと思います。ほかの選手と戦うほかに、道はないのです。
― 若い日本の選手にメッセージをいただけますか。
後発、新しく自転車競技をスタートした国にはみんな同じことが言えるのですが、いまアフリカや中国も注目されていますが、そのような国の選手が強くなるには、やはり世界を見ないといけないんです。いい選手と戦って、そこからたくさんの学びを得ることが、強くなる近道だと思いますよ!
― 最後に…、現在も自転車にたくさん乗られているそうですが、イノーさんにとって、自転車の魅力とは何でしょう?
"喜び"だと思います。自転車に乗っているその瞬間、自然と触れあい、何か発見があるときにそう強く感じますね。自分と向き合い、自分の体調を知ることもできる素晴らしいものだと思っています。
― 本日は、貴重なお話を本当にありがとうございました。これからのツール・ド・フランス、および多くの素晴らしい自転車レースを日本のファンは楽しみにしています。
interview&photo:Sonoko.TANAKA
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― 本日はこのような機会を与えてくださり、ありがとうございました。まずは今年のツール・ド・フランスについてお話をお聞かせください。全体を通した印象はいかがでしたか?
“最高だった!”の一言に尽きるよ。素晴らしいコースで、選手たちはそれを生かした素晴らしいレースをしてくれ、非常に情熱的だったと思っています。
― 具体的に“情熱的”とはどのような状況を指していますか?
まず始めの第1ステージで、絶対的優勝候補と言われていたコンタドールが落車しましたね。そして1分30秒をロスしました。この出来事は、いったいツールがどんなふうに進んでいくんだろう? とドキドキさせてくれたました。
彼のことを言うなら、選択肢が正しくなかったんだろうね。ジロ・デ・イタリアに出たことは、彼にとって調整レースのつもりだったのかもしれないが、そこで力を出し切ってしまったという印象を受けたよ。ジロでの負荷は大きすぎたんだ。もし、彼が万全の体調なら、疲れが溜まっていなければ、こんなタイムロスはありえないことでしたから。
さらに、エヴァンスがレースを自分の手中にしましたね。ようやく優勝を掴んだエヴァンスと、彼の走りに付いていけなかったアンディ・シュレク。彼らはレースを盛り上げてくれました。
私たちフランス人のなかからは、2人の大活躍した選手が出ましたね。1人目はマイヨジョーヌを着用し、果敢な走りで盛り上げてくれたトマ・ヴォクレール。もう1人は若手であるピエール・ロラン。彼らの走りにフランス人は熱狂しました。
そうした様々な出来事が今年のツールを熱狂的にしてくれたんだと思います。自分たちが思い描いた以上のツールになりました。
― 100回目のツール・ド・フランスを迎えようとしていますが、将来的にツールはどう変わっていくと思いますか?
ツールはツールのまま、その良さを保ち続けることになると思いますが、この先変わっていくとするなら、それは技術的な要素になると思います。とくにメディアや情報伝達分野での技術革新がツールを躍進させると思います。しかし、基本的なことは変わらないでしょう。
― 何かメディアの進化を感じさせる出来事はありますか?
やはりサテライト(衛星)を使う放送技術の発達によって、今までは困難だった山頂に、機材をたくさん運ばずともゴール地点に設定できるようになりました。たとえば、トゥールマレー峠やガリビエ峠がその典型的な例です。技術の発達があったこそのコース設定だったのです。この技術により、私たち主催者も新しい峠を発掘し、コースに取り入れることができるようになったのです。
― メディアという観点からは、今年はオートバイやクルマが選手と接触するという大変ショッキングな事故がありましたが、その件はどう思われていますか?
今年はバイクとクルマ、2回の事故がありました。でもこれは、ツールという競技が抱えている1つのリスクだと考えています。やはり1つのコースに選手やバイク、クルマがひしめき合うわけですから、それぞれが自分の立場を明確にしておく必要がありますね。
こういう事故が残念ながら起こってしまったことに対して、より私たちも気を引き締めて、ルールがしっかりと守られるよう、意識しないといけません。
今年事故を起こしてしまった運転手は、今年初めてツールのドライバーを務めた未経験者でした。今後は自転車レースでの運転経験があるドライバーしか起用しないという制限を設けることも考えていますし、事故以降はコースに入るクルマの数を大幅に削減しました。
理想的には、コースに入るクルマの運転手は元選手に限るべきだと思っています。各チームの監督はほぼ元選手です。現在メディアには、そのようなことはないので、理想をいえば、メディアにもそのルールが広がって欲しいと考えています。選手がどんな動きをするか、熟知している人でなければ、本来入ってはいけない場所なんです。
― 現在、ツール・ド・フランスは興行としてどのような立場にありますか?
まずA.S.Oが売り上げとして公表しているのは1億6500万ユーロです。そのうち3分の2はツールで達成されているものですね。ASOはツールだけでなく、ダカールラリーやゴルフ、パリマラソンなどの年間40のイベントを開催し、年間220日の競技を運営しています。自転車競技は延べ100日です。今も昔もツールはA.S.Oにとってメインの事業です。
この売り上げ金額は年々、少しづつアップしているものの、放映権の相場上昇率とリンクしている程度です。収入のうちわけは、テレビの放映権、商品の売り上げ、スポンサー収入、招致する街が払う金額です。街が払う金額は、海外のグランデパールとなると、経費がかかるので、その分がプラスになりますが、基本的にはどこの街も変わりません。
― ちなみにいくら用意すれば、日本にグランデパールを呼ぶことができるのでしょう?
まず絶対条件として、時速5000kmで飛ぶ飛行機を開発しないといけませんね(笑)。だから、それまでの時間とコストと手間を考えると、日本ではツールではない、何か別の最高なレースを企画したほうがいいと思います。もちろんA.S.Oはタイアップなどのバックアップをすることは可能ですので。現在、ロシアやインドネシアでのA.S.Oがサポートするレースを企画しています。自分たちは非常にオープンなスタンスでいますので、世界各国からイベントの提案をいただいて、それが開催およびサポートがOKかどうかを検討しているんです。
― 世界各国でイベント開催が検討されているとのことですが、今年はアジア初の第1ディビジョンのレース、ツアー・オブ・北京が開催されました。A.S.Oも開催に携わったと伺っていますが、どのような印象を受けましたか?
北京は“スポーツ競技の技術サポート”という点で、A.S.OはでUCI主催のレースをサポートしました。残念ながら、私は現場には行っていませんが、帰国したスタッフたちは非常に喜んでいました。マイナス点はなにもなかったように思います。初めての開催でしたが、すべてのスタッフは満足していましたし、地元中国の組織も運営も素晴らしかったです。
食物汚染や大気汚染の問題があるかもしれませんが、選手たちからのクレームは私のところには上がってきていません。唯一言えることは、誰かに無理強いさせられたわけでもなく、行きたい選手だけが行き、彼らの満足度は高かったということです。
中国のレースは、予算的にまったく問題ありません。いくらでも予算が取れるという印象です。中国の躍進は大きいので、数年後には中国のチームが生まれ、そこからいい選手が輩出される可能性はありますね。しかし予算面の条件がいいから、という理由で私たちからオファーをしたわけではありません。向こうからオファーがきて、開催に至ったという背景です。来年も同じように、さらにいい形で開催されると思いますよ。
― 話を変えて、日本の自転車環境や日本人選手についてお話を伺いたいと思います。
来日されて、東京の自転車環境を見られたと思いますが、率直にどう感じていますか?
日本では自転車が歩道を走っていますよね…。以前に日本で自転車に乗った(明治神宮クリテリウムに参加した)こともありますので、そのことはよく知っています。これから自転車活用の伸びを期待するならば、やはり歩道ではなく、自転車が走れる車道の整備が必要ですね。
日本は本来、クライマーが育つ土壌があるはずなんです。地理的に日本は山岳地帯ですよね? ですから、たくさんの優秀なクライマーが育つべき国なんです。もし道路事情が悪いのであれば、日本にある、サイクルスポーツセンターのようなサーキットを利用するのも、選手を育てる、強く点では非常にいいことだと思います。
― 日本で強くなりたいと思う選手は、高校を卒業してヨーロッパに渡るケースが多くなっています。この方法はどう思われますか?
いい方法だと思います。そこでとても優秀な選手と出会うことによって、自分のレベルを自覚できます。強くなるためには、強い選手と一戦を交えることが、もっとも大切なことだと思います。ほかの選手と戦うほかに、道はないのです。
― 若い日本の選手にメッセージをいただけますか。
後発、新しく自転車競技をスタートした国にはみんな同じことが言えるのですが、いまアフリカや中国も注目されていますが、そのような国の選手が強くなるには、やはり世界を見ないといけないんです。いい選手と戦って、そこからたくさんの学びを得ることが、強くなる近道だと思いますよ!
― 最後に…、現在も自転車にたくさん乗られているそうですが、イノーさんにとって、自転車の魅力とは何でしょう?
"喜び"だと思います。自転車に乗っているその瞬間、自然と触れあい、何か発見があるときにそう強く感じますね。自分と向き合い、自分の体調を知ることもできる素晴らしいものだと思っています。
― 本日は、貴重なお話を本当にありがとうございました。これからのツール・ド・フランス、および多くの素晴らしい自転車レースを日本のファンは楽しみにしています。
interview&photo:Sonoko.TANAKA
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