2011/09/12(月) - 12:54
ジェオックスの旗を振り回す黄緑のシャツを着たコーボ応援団が、マドリードの街を闊歩する。表彰台横のポールにはすでにスペイン国旗が真ん中に備え付けられている。フルームに総合逆転のチャンスは残されていたが、実質的に会場はコーボの祝賀ムードだった。
スペインの首都マドリード。人口320万人の大都市で、都市圏の人口は500万人を超える。街としての規模は国内第2位のバルセロナの倍近い。地下鉄が発達していて、13本の路線がある。この2週間、広大な大地を走り続けたので、余計に大都会だと感じる。
よく「マドリード」なのか「マドリッド」なのか混同してしまうが、どちらも正しく、どちらも間違っている。スペイン語の発音は「マドリー」。その語源はアラビア語である。
地理的にはちょうどスペインの国土のど真ん中。標高600mほどの高地にある。意外にも、ヨーロッパの首都の中で最も標高が高いらしい。その標高ゆえ朝晩は涼しい。でも昼間の暑さは低地と変わらない。
マドリード郊外のハラマ・サーキットに集まったのは、3週間の闘いを終えんとする167名の選手たち。やはりブエルタは世界選手権が迫っていることもあり、他のグランツールよりも完走者が少なめ(完走率が低め)だ。
終着地はマドリード中心部にあるシベレス広場。中央郵便局とスペイン銀行、そして旧陸軍省に囲まれたロータリーの真ん中に表彰台がある。周回コースはこの広場を中心にしたT字型。真ん中に留まっていれば、1周につき3回撮影チャンスがある。
沿道の客の入りはボチボチ。ジロやツール(特にシャンゼリゼ)と比べると断然観客は少ない。熱狂的なロードレースファンがコースを取り囲んでいるというより、通りがかった人、せっかくだから市内まで脚を運んだ人がバリケードにもたれかかっているような印象。
ブエルタは観客数が少ない分、それだけ選手たちとの距離は近い。ジロやツールに目がいきがちだが、観戦のしやすさの面ではブエルタが一番。
前述の通り、表彰台横の3本のポールには、イギリス国旗、スペイン国旗、イギリス国旗の順で旗が結びつけられていた。コースを挟んだ反対側には、カンタブリア州から駆けつけたと言うコーボ応援団。ジェオックス・TMCの巨大な旗を振り、そしてお揃いのTシャツを着ている。
コーボのニックネーム「ビソンテ(水牛)」に合わせて、手元でカウベルを鳴らす。応援のリズムはサッカーのスタジアムに響くそれだ。
彼らは、スタート地点からコースを辿ってきたジェオックスのチームバスに声援を送り、補給のためにコースに入ったチームスタッフを喝采し、そして16時10分、予定より遅れてやってきたジェオックス先頭のプロトンに熱狂する。
前日に土井雪広(スキル・シマノ)が「あの幅の広いコースで転んだら笑いものになる」と語っていたほど、2〜3車線の余裕のある道幅が続く大通り。ここで最後の総合争いは加熱しなかった。
チームスカイは常に集団前方に位置していたが、逃げを潰す意思も無く、そして奇襲ペースアップも行なわない。周回を重ねるに連れて、コーボ応援団の歓声が大きくなっていく。
スピードの上がった集団の後方は常に1列棒状。土井雪広は比較的前方で走り続ける。そしてゴールまで2周回を残し、チームメイトと隊列を組んで集団前方へ。最終周回には集団の先頭まで出たと言う。
結局スプリントポイントのボーナスタイムは逃げグループに、そしてゴールでのボーナスタイムはスプリンターに。ボーナスタイムによる総合逆転は起こらなかった。スタッフが慌てて国旗の順番を変える必要はなかった。
初出場のグランツールで、ステージ3勝を飾ってみせたサガン。その3本指ガッツポーズの56秒後、土井雪広がゴールにやってきた。
チームメイトのアルバート・ティマー(オランダ)と健闘を讃えながら、土井雪広が安堵の表情でゴールラインを切る。ゴールの先にある空気で肺を満たし、頬に含んでゆっくり吐き出す。土井雪広のブエルタが終わった。
「今日は自分から動くことはせず、チームとしてスプリントを狙う作戦だった。調子は良かったので、ずっと集団の前にいた。コーナーが続くコースなので、集団の後ろでもキツかったと思う。最後は隊列を組んでエーススプリンターを引き上げたけど、結果には繋がらなかった」。土井雪広は最後までチームの仕事をこなした。
「これでやっと解放される!」そう笑う土井雪広は、ここ数日間が最も苦しかったと言う。「特にバスクの2日間が辛かった。暑さにも苦しめられたけど、マドリードが近づいていたこともあり、そのことばかりを考えてしまっていた。マドリードのことを考えると気持ちが緩んで、一気に踏めなくなった」。
4月の怪我をリハビリで乗り越え、レースで結果を残し、グランツールへの出場を掴み取り、そこでチームの役割を果たし、目標の逃げに乗り、日本人初のブエルタ完走。山あり谷あり、波瀾万丈の5ヶ月間を経験した土井雪広は、自身の成長ぶりを実感する。
「精神的に強くなったと思う。またグランツールに出場したい。今回のブエルタはグランツール1年生。2年生に上がれば、気持ち的にもずっと楽になると思う。こうして闘っている姿が、若い選手たちの刺激になってくれれば」。
最終日の夜にマドリードで行なわれたパーティーに参加した土井雪広は、翌日の早朝便でオランダに戻る。オランダで約1ヶ月過ごし、3レースをこなして日本に帰国。10月のジャパンカップにはナショナルチームの一員として出場する。なお、10月にはJ-SPORTSで土井雪広のブエルタ特集が放送される予定だ。
text&photo:Kei Tsuji in Madrid, Spain
スペインの首都マドリード。人口320万人の大都市で、都市圏の人口は500万人を超える。街としての規模は国内第2位のバルセロナの倍近い。地下鉄が発達していて、13本の路線がある。この2週間、広大な大地を走り続けたので、余計に大都会だと感じる。
よく「マドリード」なのか「マドリッド」なのか混同してしまうが、どちらも正しく、どちらも間違っている。スペイン語の発音は「マドリー」。その語源はアラビア語である。
地理的にはちょうどスペインの国土のど真ん中。標高600mほどの高地にある。意外にも、ヨーロッパの首都の中で最も標高が高いらしい。その標高ゆえ朝晩は涼しい。でも昼間の暑さは低地と変わらない。
マドリード郊外のハラマ・サーキットに集まったのは、3週間の闘いを終えんとする167名の選手たち。やはりブエルタは世界選手権が迫っていることもあり、他のグランツールよりも完走者が少なめ(完走率が低め)だ。
終着地はマドリード中心部にあるシベレス広場。中央郵便局とスペイン銀行、そして旧陸軍省に囲まれたロータリーの真ん中に表彰台がある。周回コースはこの広場を中心にしたT字型。真ん中に留まっていれば、1周につき3回撮影チャンスがある。
沿道の客の入りはボチボチ。ジロやツール(特にシャンゼリゼ)と比べると断然観客は少ない。熱狂的なロードレースファンがコースを取り囲んでいるというより、通りがかった人、せっかくだから市内まで脚を運んだ人がバリケードにもたれかかっているような印象。
ブエルタは観客数が少ない分、それだけ選手たちとの距離は近い。ジロやツールに目がいきがちだが、観戦のしやすさの面ではブエルタが一番。
前述の通り、表彰台横の3本のポールには、イギリス国旗、スペイン国旗、イギリス国旗の順で旗が結びつけられていた。コースを挟んだ反対側には、カンタブリア州から駆けつけたと言うコーボ応援団。ジェオックス・TMCの巨大な旗を振り、そしてお揃いのTシャツを着ている。
コーボのニックネーム「ビソンテ(水牛)」に合わせて、手元でカウベルを鳴らす。応援のリズムはサッカーのスタジアムに響くそれだ。
彼らは、スタート地点からコースを辿ってきたジェオックスのチームバスに声援を送り、補給のためにコースに入ったチームスタッフを喝采し、そして16時10分、予定より遅れてやってきたジェオックス先頭のプロトンに熱狂する。
前日に土井雪広(スキル・シマノ)が「あの幅の広いコースで転んだら笑いものになる」と語っていたほど、2〜3車線の余裕のある道幅が続く大通り。ここで最後の総合争いは加熱しなかった。
チームスカイは常に集団前方に位置していたが、逃げを潰す意思も無く、そして奇襲ペースアップも行なわない。周回を重ねるに連れて、コーボ応援団の歓声が大きくなっていく。
スピードの上がった集団の後方は常に1列棒状。土井雪広は比較的前方で走り続ける。そしてゴールまで2周回を残し、チームメイトと隊列を組んで集団前方へ。最終周回には集団の先頭まで出たと言う。
結局スプリントポイントのボーナスタイムは逃げグループに、そしてゴールでのボーナスタイムはスプリンターに。ボーナスタイムによる総合逆転は起こらなかった。スタッフが慌てて国旗の順番を変える必要はなかった。
初出場のグランツールで、ステージ3勝を飾ってみせたサガン。その3本指ガッツポーズの56秒後、土井雪広がゴールにやってきた。
チームメイトのアルバート・ティマー(オランダ)と健闘を讃えながら、土井雪広が安堵の表情でゴールラインを切る。ゴールの先にある空気で肺を満たし、頬に含んでゆっくり吐き出す。土井雪広のブエルタが終わった。
「今日は自分から動くことはせず、チームとしてスプリントを狙う作戦だった。調子は良かったので、ずっと集団の前にいた。コーナーが続くコースなので、集団の後ろでもキツかったと思う。最後は隊列を組んでエーススプリンターを引き上げたけど、結果には繋がらなかった」。土井雪広は最後までチームの仕事をこなした。
「これでやっと解放される!」そう笑う土井雪広は、ここ数日間が最も苦しかったと言う。「特にバスクの2日間が辛かった。暑さにも苦しめられたけど、マドリードが近づいていたこともあり、そのことばかりを考えてしまっていた。マドリードのことを考えると気持ちが緩んで、一気に踏めなくなった」。
4月の怪我をリハビリで乗り越え、レースで結果を残し、グランツールへの出場を掴み取り、そこでチームの役割を果たし、目標の逃げに乗り、日本人初のブエルタ完走。山あり谷あり、波瀾万丈の5ヶ月間を経験した土井雪広は、自身の成長ぶりを実感する。
「精神的に強くなったと思う。またグランツールに出場したい。今回のブエルタはグランツール1年生。2年生に上がれば、気持ち的にもずっと楽になると思う。こうして闘っている姿が、若い選手たちの刺激になってくれれば」。
最終日の夜にマドリードで行なわれたパーティーに参加した土井雪広は、翌日の早朝便でオランダに戻る。オランダで約1ヶ月過ごし、3レースをこなして日本に帰国。10月のジャパンカップにはナショナルチームの一員として出場する。なお、10月にはJ-SPORTSで土井雪広のブエルタ特集が放送される予定だ。
text&photo:Kei Tsuji in Madrid, Spain
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