2011/06/23(木) - 11:10
現在イギリスで最もマイヨジョーヌに近い男、ブラドレー・ウィギンズ(イギリス、チームスカイ)。2009年大会で総合4位に入った元トラックスターは、6月のクリテリウム・ドゥ・ドーフィネで総合優勝してみせた。コンディションのピーク到来が早過ぎるとの声も聞かれるが、本人はツール・ド・フランスでの活躍に自信を見せる。
クリテリウム・ドゥ・ドーフィネ総合表彰台 ブラドレー・ウィギンズ(イギリスが頂点に photo:Cor Vos6月12日、クリテリウム・ドゥ・ドーフィネの総合表彰台の頂点にウィギンズの姿があった。
総合2位カデル・エヴァンス(オーストラリア、BMCレーシングチーム)とのタイム差は1分26秒。個人タイムトライアルで広げたリードを山岳で危なげなく守り切った。
ドーフィネの優勝により、ツールでのウィギンズの活躍に期待する声が高まった。ヨーロッパのブックメーカーによるオッズは66:1から28:1に倍増。昨年のツール閉幕と同時に始まったウィギンズの挑戦が、成績となって現れ始めている。
ポイヤックでの決意
2010年ツール・ド・フランス ブドウ畑の中を走っていく選手 photo:Makoto Ayanoフランス南部にポイヤックという小さな街がある。ワインの産地として世界的に知られるボルドーの北に位置し、人口1200の街の周囲には3000エーカーのブドウ畑が広がっている。
そんな田舎町ポイヤックに、ラファイエット侯爵(ジョゼフ・ポール・イヴ・ロシュ・ジルベール・デュ・モティエ)の銅像はある。1777年、独立戦争が勃発したアメリカ大陸を目指し、ラファイエットは義勇軍としてポイヤックの港を出発。ジョージ・ワシントンに協力し、イギリス兵と闘いを交えた。ラフェイッテがアメリカ独立革命に残した功績は大きい。その証拠として、現在でもアメリカには彼の名前に由来する地名が多い。
2010年ツール・ド・フランス 総合24位に終わったブラドレー・ウィギンズ(イギリス、チームスカイ) photo:Makoto Ayano昨年7月24日、そんなラファイエットの銅像がポイヤックに立っていることなんて、ウィギンズは気付きもしなかっただろう。パリへの凱旋を翌日に控えた第19ステージ、最終個人タイムトライアル。総合成績を決定づける「時間との闘い」に集中していたからだ。
しかしウィギンズの闘いは、アルベルト・コンタドール(スペイン)から約40分遅れの総合24位という形で終わりを迎えた。アメリカのガーミン・スリップストリーム所属時の2009年に残した総合4位と比較すると、目も当てられない成績だ。
2009年ツール・ド・フランス モンヴァントゥーで健闘したブラドレー・ウィギンズ(イギリス、ガーミン) photo:Cor Vos2009年の冬に、ウィギンズは突如チームスカイへの移籍を決めた。イギリス純正チームとして鳴り物入りでロード界デビューし、イギリス人選手によるツール制覇を第一理念に掲げるチームスカイにとって、ウィギンズの獲得が必要不可欠だったことは想像に容易い。単独エースとしての座を確約させたウィギンズは、2010年のツールで総合4位以上の成績、つまり表彰台を狙っていた。
しかしその夢はポイヤックで絶えた。チーム初年度としては充分な成績だったとも言われるが、目標にはほど遠い成績にウィギンズらは肩を落とした。
最終個人タイムトライアルを走り終えたウィギンズはチームバスの外に一人佇んでいた。目を閉じ、タオルで顔を一拭きする。観客の多くは、アンディ・シュレク(ルクセンブルク)と8秒差の闘いを演じたコンタドールの走りを見ようと、ゴール地点へと向かっていた。
「まだこれが2回目だ」。ウィギンズは自身がツールで総合成績を狙って走った回数をポツリとこぼす。ウィギンズは2006年と2007年大会にも出場しているが、当時は総合上位に絡むような走りを鼻から狙っていない。
「昨年(2009年)のツールは自分にとってファーストアルバムだった。人々を陶酔させるような素晴らしいアルバム。2010年リリースのセカンドアルバムは、気持ちだけが先行して自分を見失ってしまったような駄作だったよ。より良いサードアルバムを生み出すには、原点に戻ることが重要だ。2011年の新作は、アプローチの方法を根本的に変えようと思う」。
ニューアルバム“The Third Coming”
ツール・ド・ロマンディに出場したブラドレー・ウィギンズ(イギリス、チームスカイ) photo:Kei Tsujiウィギンズは3度のオリンピック金メダリストである。ウィギンズは2004年のアテネ五輪トラック競技4km個人追い抜きで優勝。更に2008年の北京五輪でも同種目で優勝し、団体追い抜きの金メダルを追加した。
トラックレーサーとして活躍すると同時に、2001年以降はロードレースも両立。先日のドーフィネ総合優勝がロード選手としてのキャリア最高の勝利である。
クリテリウム・ドゥ・ドーフィネ 超級山岳クロワ・ド・フェール峠を登るマイヨジョーヌのブラドレー・ウィギンズ(イギリス、チームスカイ) photo:Cor Vosウィギンズとチームスカイは昨年と同じ過ちを冒さない。ポイヤックでの言葉通り、アプローチの方法を変えている。ツールに集中するスタンスは変更無しだが、今年はより広い視野でより多くのレースに出場している。ツアー・オブ・カリフォルニア然り、ツール・ド・ロマンディ然り。より多くのレースに出場することで、より多くの勝利がやってくる。そしてその勝利は、ツールに向けてのモチベーションアップに繋がるという好循環。
確かにドーフィネの総合優勝者がツールで勝てるとは限らない。むしろその逆だ。過去にドーフィネとツールを同年に制したのは僅かに7名。2003年にランス・アームストロング(アメリカ)が達成しているが、やはりドーフィネでコンディションのピークを迎えた選手は、7月後半に調子を落としがちだ。
しかしチームスカイはウィギンズの走りに満足している。というのも、ロードレースにおいて後進国であるイギリスにとって、世界的なステージレースでの勝利は大きな意味がある。ウィギンズ以前のイギリス人ドーフィネ総合優勝者を探すと、1990年のロバート・ミラーまで遡らなければならない。
ドーフィネを走り終えたウィギンズは「自分は自分のツールを走るだけだ。コンタドールやシュレクの走りには気を取られない。パリで表彰台に登ることは“現実的な可能性”として捉えている」と話す。
ツール表彰台の構想は、ポイヤックのチームバスの前で始まったものだ。1年間に及ぶ準備が試されるツールは7月2日、フランス西部のヴァンデ地方で開幕する。
「“第三章始まる(The Third Coming)”それが新作のタイトルだ」。ウィギンズの長い夏が始まる。
text:Gregor Brown
translation:Kei Tsuji
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総合2位カデル・エヴァンス(オーストラリア、BMCレーシングチーム)とのタイム差は1分26秒。個人タイムトライアルで広げたリードを山岳で危なげなく守り切った。
ドーフィネの優勝により、ツールでのウィギンズの活躍に期待する声が高まった。ヨーロッパのブックメーカーによるオッズは66:1から28:1に倍増。昨年のツール閉幕と同時に始まったウィギンズの挑戦が、成績となって現れ始めている。
ポイヤックでの決意
そんな田舎町ポイヤックに、ラファイエット侯爵(ジョゼフ・ポール・イヴ・ロシュ・ジルベール・デュ・モティエ)の銅像はある。1777年、独立戦争が勃発したアメリカ大陸を目指し、ラファイエットは義勇軍としてポイヤックの港を出発。ジョージ・ワシントンに協力し、イギリス兵と闘いを交えた。ラフェイッテがアメリカ独立革命に残した功績は大きい。その証拠として、現在でもアメリカには彼の名前に由来する地名が多い。
しかしウィギンズの闘いは、アルベルト・コンタドール(スペイン)から約40分遅れの総合24位という形で終わりを迎えた。アメリカのガーミン・スリップストリーム所属時の2009年に残した総合4位と比較すると、目も当てられない成績だ。
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しかしその夢はポイヤックで絶えた。チーム初年度としては充分な成績だったとも言われるが、目標にはほど遠い成績にウィギンズらは肩を落とした。
最終個人タイムトライアルを走り終えたウィギンズはチームバスの外に一人佇んでいた。目を閉じ、タオルで顔を一拭きする。観客の多くは、アンディ・シュレク(ルクセンブルク)と8秒差の闘いを演じたコンタドールの走りを見ようと、ゴール地点へと向かっていた。
「まだこれが2回目だ」。ウィギンズは自身がツールで総合成績を狙って走った回数をポツリとこぼす。ウィギンズは2006年と2007年大会にも出場しているが、当時は総合上位に絡むような走りを鼻から狙っていない。
「昨年(2009年)のツールは自分にとってファーストアルバムだった。人々を陶酔させるような素晴らしいアルバム。2010年リリースのセカンドアルバムは、気持ちだけが先行して自分を見失ってしまったような駄作だったよ。より良いサードアルバムを生み出すには、原点に戻ることが重要だ。2011年の新作は、アプローチの方法を根本的に変えようと思う」。
ニューアルバム“The Third Coming”
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トラックレーサーとして活躍すると同時に、2001年以降はロードレースも両立。先日のドーフィネ総合優勝がロード選手としてのキャリア最高の勝利である。
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確かにドーフィネの総合優勝者がツールで勝てるとは限らない。むしろその逆だ。過去にドーフィネとツールを同年に制したのは僅かに7名。2003年にランス・アームストロング(アメリカ)が達成しているが、やはりドーフィネでコンディションのピークを迎えた選手は、7月後半に調子を落としがちだ。
しかしチームスカイはウィギンズの走りに満足している。というのも、ロードレースにおいて後進国であるイギリスにとって、世界的なステージレースでの勝利は大きな意味がある。ウィギンズ以前のイギリス人ドーフィネ総合優勝者を探すと、1990年のロバート・ミラーまで遡らなければならない。
ドーフィネを走り終えたウィギンズは「自分は自分のツールを走るだけだ。コンタドールやシュレクの走りには気を取られない。パリで表彰台に登ることは“現実的な可能性”として捉えている」と話す。
ツール表彰台の構想は、ポイヤックのチームバスの前で始まったものだ。1年間に及ぶ準備が試されるツールは7月2日、フランス西部のヴァンデ地方で開幕する。
「“第三章始まる(The Third Coming)”それが新作のタイトルだ」。ウィギンズの長い夏が始まる。
text:Gregor Brown
translation:Kei Tsuji
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