2011/05/11(水) - 00:38
ジロ・デ・イタリア第3ステージの3級山岳の下りで落車し、命を落としたワウテル・ウェイラント(ベルギー、レオパードトレック)。翌第4ステージは競い合わない追悼レースとなった。現地で取材を続けるジャーナリストのグレゴー・ブラウンが、その2日間の体験を綴る。
ベルギー、ヘント出身の26歳のウェイラントは昨日この世を去った。ウェイラントはこのグランツール史上4人目のレース中に亡くなった選手となった。
僕(グレゴー・ブラウン)がウェイラントと最後に話したのは、4月末のクラシックレースの合間の平日のことだった(今回のジロではまだ話が出来ていなかった)。
彼は出身地に近い街オウデンナールデで行われたアマチュア対象のライドに顔を出し、子供たちや僕のようなアマチュアライダーと一緒に楽しく走ってくれた。それはいい思い出だった。
それが昨日、ティレーノ海岸のラパッロのプレスルームに座っているとき、レオパード・トレックの選手が落車したという情報が飛び込んできた。プレスルームは静まり返り、それがウェイラントであることをRAIテレビのアナウンサー、アウロ・ブルバレッリ氏が告げた。
ブルバレッリ氏が言う情報では、CPR(心肺蘇生)が彼を救えなかったことを伝えていた。しかしRAIテレビはそのままレースの放送を続行していた。
アンヘル・ビシオソ(スペイン、アンドローニ・ジョカトリ)がゴールに飛び込み、デーヴィッド・ミラー(イギリス、ガーミンサーヴェロ)がマリアローザを獲得したが、ゴール地点には大きな拍手は起こらなかった。観客たちもすでにウェイラントのデリケートな状況、死が訪れたことを察していたのだ。沈黙は、彼らがウェイラントに払った敬意とも言えそうだ。
僕はゴール後、マリアローザを獲得したコメントを取ろうとミラーを探していた。するとタイラー・ファラーから声がかかった。
「グレゴー! 何が起こったか知っているか?」 泣きそうなファラーの声が僕を捉えた。
僕も、ファラーがヘントを拠点にしていて、ウェイラントとは兄弟のような存在だということを知っていた。そして僕は、彼の親友がほとんど死にかけていることを知っていた。
「CPRは役に立たなかったようだ。彼は生きられるかどうか分からない」 僕はそれぐらいのことしかうまく言えなかった。
彼はがっくりと頭を落とした。僕は「すまない」と一言だけ謝って、チームバスのなかへ入れてもらった。表彰式に戻っても、表彰式は行われることはなかった。ポディウムガールもいない、盛り上げてくれるDJもいない。ただ静かだった。ファンと警備員だけがポディウム上のTVモニターを見つめていた。奇妙な光景だった。
ふと顔をあげたとき、アナウンサーのブルバレッリ氏がウェイラントが死んだことを告げた。僕の腕には鳥肌が立った。
そのニュースをすぐにツィートしながら、僕は2年前のツアー・オブ・カタールでの出来事を思い出していた。第5ステージの朝目覚めると、すぐ上の階で若きベルギー人選手のフレデリック・ノルフが死去したことが判った。
デーヴィッド・ミラーに会えたが、祝福はごくわずかだった。
ミラーは言う。「このことが皆にこのスポーツがいかに危険な面があるかを改めて思い出させてくれることを希望するよ。防護パッドのないスキンスーツで時速90kmで曲がりくねったダウンヒルを走る。すごく危険なスポーツだ」。
ミラーが言うように、ウェイラントは落車の危険は十分知っていたはずだ。彼は4月6日のシュヘルデプライスでゴール前150mで親友ファラーと絡んで落車し、大きな怪我を負った。ガールフレンドのアン・ソフィーさんは、ファラーにこう諭した。「もっと注意して、父親になる責任を自覚して。昨年ジロで味わったような喜びだけを追い求めているのなら、ヘントの運河に浮かべたボートの上でも喜びは分かちあえるのよ」。
第4ステージの朝 追悼レースをオーガナイズしたミラー
マリアローザを着るミラーは、第3ステージで事故死したウェイラントの追悼走行となる第4ステージを取りまとめる役をかってでた。ミラーは今日の走り方と、今の気持ちを語ってくれた。
選手たちはスタート前に1分間の黙祷を行い、リヴォルノへ向けてジェノヴァをスタートする。そして各チームが代わる代わる集団の前を走り、残り10kmからゴールまではレオパード・トレックが前を走る。
ミラーは言う。「今日は、順位を争ったりレースをしたりする日じゃない。我々はただゴールに辿り着けばいい。ゴールまではなるべく早く到着したい。ただ時速30km/hで流すだけじゃない。ウェイラントの思い出へのリスペクトを込めて走るんだ」。
ウェイラントはゴール前23kmのパッソ・デル・ボッコ(ボッコ峠)で落車した。彼のクラッシュに気がつかなかった選手も多い。ミラーは4人の先頭グループを追って下りを走っていた。そしてマーク・カヴェンディッシュ(HTCハイロード)からマリアローザを奪うのに十分なタイムを稼ぎ出した。そしてアンヘル・ビシオソ(スペイン、アンドローニ・ジョカトリ)に次いで2位になった。
ミラーはマリアローザを獲得した史上3番目のイギリス人になり、さらに3つのグランツールすべてのリーダージャージを着た初めてのイギリス人となった。彼は昨日、第4ステージでマリアローザを着るかどうか定かでないと話していたが、今朝ミラーは確かにマリアローザを着てスタート地点に現れた。
ミラーはレオパード・トレックのチームバスへ立ち寄り、ゼネラルマネジャーのブライアン・ニガード氏と10分間ほど話した。そしてスタートサインを行った。すべての音楽はキャンセルされ、ただ選手の名前を呼ぶアナウンスだけが会場に響きわたっていた。
「コイツはいつもとなんの違いもないのに」。ミラーは自ら着たマリアローザについて話し始めた。ただ、昨日あんなことさえ起こらなければ、こんな大きな違いはなかったんだ。ヤツは死んだんだ。彼の思い出を忘れないように、走り続けたいと思う」。
望むことなら、僕たちはこのことから学びたい。僕らがしている自転車レースが危険と隣り合わせな仕事だってことを。これはいつだって起こりうるんだ。僕らプロ選手は自転車の世界では最高の存在かも知れない。しかし、それは世界一ミスを起こしやすいということでもあるんだ。
ミラーのチームメイトのタイラー・ファラーはスタート地点でシートにサインした。しかしそれは彼にとってこのジロで最後のサインになりそうだ。
「チームにはウェイラントのもっとも親しい友人がいるんだ。(タイラー・)ファラーだ。彼は今夜家に帰る。彼にとってこれはあんまりな出来事だ。悲しすぎる」
タイラー・ファラー(アメリカ、ガーミン・サーヴェロ)は、ベルギーのヘントを拠点としている。そこで彼はウェイラントの親友になった。ミラーは他のガーミンの選手はレースを続けると言う。第5ステージはオルヴィエートへのストラーデ・ビアンケを走るレースだ。
レオパード・トレックはどれだけの選手がレースを続けるか分からない。ウェイラントのガールフレンドのアン・ソフィーさんは今日、「レースを続けて欲しい」とチームに懇願したという。彼女は昨夜セストリ・レヴァンテに飛び、第4ステージの朝にボッコ峠の現場へ献花に向かったという。彼女は最初の子供を身ごもっており、9月に出産予定だった。
ミラーは今年中にマリアローザをヘントに捧げに行くつもりだという。
text by Gregor Brown in Genova
translation:Makoto.AYANO
Gregor.Brown (グレゴー・ブラウン)
イタリア・レッコ在住のアメリカ人プロサイクリング・ジャーナリスト。2005、2006年ジロ・デ・イタリアとツール・ド・フランス、春のクラシック等で綾野 真(シクロワイアード編集長/フォトジャーナリスト)に帯同し、取材活動を行う。2007年よりサイクリングニュース(イギリス)の主筆ジャーナリストとして活躍後、フリーランスに。2009年12月よりシクロワイアード契約ジャーナリストとなる。今後、主にイタリア・英語圏プロサイクリングメディアに活動の舞台を移す。
ベルギー、ヘント出身の26歳のウェイラントは昨日この世を去った。ウェイラントはこのグランツール史上4人目のレース中に亡くなった選手となった。
僕(グレゴー・ブラウン)がウェイラントと最後に話したのは、4月末のクラシックレースの合間の平日のことだった(今回のジロではまだ話が出来ていなかった)。
彼は出身地に近い街オウデンナールデで行われたアマチュア対象のライドに顔を出し、子供たちや僕のようなアマチュアライダーと一緒に楽しく走ってくれた。それはいい思い出だった。
それが昨日、ティレーノ海岸のラパッロのプレスルームに座っているとき、レオパード・トレックの選手が落車したという情報が飛び込んできた。プレスルームは静まり返り、それがウェイラントであることをRAIテレビのアナウンサー、アウロ・ブルバレッリ氏が告げた。
ブルバレッリ氏が言う情報では、CPR(心肺蘇生)が彼を救えなかったことを伝えていた。しかしRAIテレビはそのままレースの放送を続行していた。
アンヘル・ビシオソ(スペイン、アンドローニ・ジョカトリ)がゴールに飛び込み、デーヴィッド・ミラー(イギリス、ガーミンサーヴェロ)がマリアローザを獲得したが、ゴール地点には大きな拍手は起こらなかった。観客たちもすでにウェイラントのデリケートな状況、死が訪れたことを察していたのだ。沈黙は、彼らがウェイラントに払った敬意とも言えそうだ。
僕はゴール後、マリアローザを獲得したコメントを取ろうとミラーを探していた。するとタイラー・ファラーから声がかかった。
「グレゴー! 何が起こったか知っているか?」 泣きそうなファラーの声が僕を捉えた。
僕も、ファラーがヘントを拠点にしていて、ウェイラントとは兄弟のような存在だということを知っていた。そして僕は、彼の親友がほとんど死にかけていることを知っていた。
「CPRは役に立たなかったようだ。彼は生きられるかどうか分からない」 僕はそれぐらいのことしかうまく言えなかった。
彼はがっくりと頭を落とした。僕は「すまない」と一言だけ謝って、チームバスのなかへ入れてもらった。表彰式に戻っても、表彰式は行われることはなかった。ポディウムガールもいない、盛り上げてくれるDJもいない。ただ静かだった。ファンと警備員だけがポディウム上のTVモニターを見つめていた。奇妙な光景だった。
ふと顔をあげたとき、アナウンサーのブルバレッリ氏がウェイラントが死んだことを告げた。僕の腕には鳥肌が立った。
そのニュースをすぐにツィートしながら、僕は2年前のツアー・オブ・カタールでの出来事を思い出していた。第5ステージの朝目覚めると、すぐ上の階で若きベルギー人選手のフレデリック・ノルフが死去したことが判った。
デーヴィッド・ミラーに会えたが、祝福はごくわずかだった。
ミラーは言う。「このことが皆にこのスポーツがいかに危険な面があるかを改めて思い出させてくれることを希望するよ。防護パッドのないスキンスーツで時速90kmで曲がりくねったダウンヒルを走る。すごく危険なスポーツだ」。
ミラーが言うように、ウェイラントは落車の危険は十分知っていたはずだ。彼は4月6日のシュヘルデプライスでゴール前150mで親友ファラーと絡んで落車し、大きな怪我を負った。ガールフレンドのアン・ソフィーさんは、ファラーにこう諭した。「もっと注意して、父親になる責任を自覚して。昨年ジロで味わったような喜びだけを追い求めているのなら、ヘントの運河に浮かべたボートの上でも喜びは分かちあえるのよ」。
第4ステージの朝 追悼レースをオーガナイズしたミラー
マリアローザを着るミラーは、第3ステージで事故死したウェイラントの追悼走行となる第4ステージを取りまとめる役をかってでた。ミラーは今日の走り方と、今の気持ちを語ってくれた。
選手たちはスタート前に1分間の黙祷を行い、リヴォルノへ向けてジェノヴァをスタートする。そして各チームが代わる代わる集団の前を走り、残り10kmからゴールまではレオパード・トレックが前を走る。
ミラーは言う。「今日は、順位を争ったりレースをしたりする日じゃない。我々はただゴールに辿り着けばいい。ゴールまではなるべく早く到着したい。ただ時速30km/hで流すだけじゃない。ウェイラントの思い出へのリスペクトを込めて走るんだ」。
ウェイラントはゴール前23kmのパッソ・デル・ボッコ(ボッコ峠)で落車した。彼のクラッシュに気がつかなかった選手も多い。ミラーは4人の先頭グループを追って下りを走っていた。そしてマーク・カヴェンディッシュ(HTCハイロード)からマリアローザを奪うのに十分なタイムを稼ぎ出した。そしてアンヘル・ビシオソ(スペイン、アンドローニ・ジョカトリ)に次いで2位になった。
ミラーはマリアローザを獲得した史上3番目のイギリス人になり、さらに3つのグランツールすべてのリーダージャージを着た初めてのイギリス人となった。彼は昨日、第4ステージでマリアローザを着るかどうか定かでないと話していたが、今朝ミラーは確かにマリアローザを着てスタート地点に現れた。
ミラーはレオパード・トレックのチームバスへ立ち寄り、ゼネラルマネジャーのブライアン・ニガード氏と10分間ほど話した。そしてスタートサインを行った。すべての音楽はキャンセルされ、ただ選手の名前を呼ぶアナウンスだけが会場に響きわたっていた。
「コイツはいつもとなんの違いもないのに」。ミラーは自ら着たマリアローザについて話し始めた。ただ、昨日あんなことさえ起こらなければ、こんな大きな違いはなかったんだ。ヤツは死んだんだ。彼の思い出を忘れないように、走り続けたいと思う」。
望むことなら、僕たちはこのことから学びたい。僕らがしている自転車レースが危険と隣り合わせな仕事だってことを。これはいつだって起こりうるんだ。僕らプロ選手は自転車の世界では最高の存在かも知れない。しかし、それは世界一ミスを起こしやすいということでもあるんだ。
ミラーのチームメイトのタイラー・ファラーはスタート地点でシートにサインした。しかしそれは彼にとってこのジロで最後のサインになりそうだ。
「チームにはウェイラントのもっとも親しい友人がいるんだ。(タイラー・)ファラーだ。彼は今夜家に帰る。彼にとってこれはあんまりな出来事だ。悲しすぎる」
タイラー・ファラー(アメリカ、ガーミン・サーヴェロ)は、ベルギーのヘントを拠点としている。そこで彼はウェイラントの親友になった。ミラーは他のガーミンの選手はレースを続けると言う。第5ステージはオルヴィエートへのストラーデ・ビアンケを走るレースだ。
レオパード・トレックはどれだけの選手がレースを続けるか分からない。ウェイラントのガールフレンドのアン・ソフィーさんは今日、「レースを続けて欲しい」とチームに懇願したという。彼女は昨夜セストリ・レヴァンテに飛び、第4ステージの朝にボッコ峠の現場へ献花に向かったという。彼女は最初の子供を身ごもっており、9月に出産予定だった。
ミラーは今年中にマリアローザをヘントに捧げに行くつもりだという。
text by Gregor Brown in Genova
translation:Makoto.AYANO
Gregor.Brown (グレゴー・ブラウン)
イタリア・レッコ在住のアメリカ人プロサイクリング・ジャーナリスト。2005、2006年ジロ・デ・イタリアとツール・ド・フランス、春のクラシック等で綾野 真(シクロワイアード編集長/フォトジャーナリスト)に帯同し、取材活動を行う。2007年よりサイクリングニュース(イギリス)の主筆ジャーナリストとして活躍後、フリーランスに。2009年12月よりシクロワイアード契約ジャーナリストとなる。今後、主にイタリア・英語圏プロサイクリングメディアに活動の舞台を移す。
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