2009/04/18(土) - 08:14
フランスのレキップ紙が伝えたところによると、ドーピング検査でタイラー・ハミルトン(アメリカ、ロックレーシング)のDHEA(デヒドロエピアンドロステロン)陽性が発覚。パフォーマンス向上のためではなく、鬱(うつ)の緩和のために摂取したことを認めたハミルトン。アテネ五輪TT金メダリストは現役引退を発表した。
ツアー・オブ・カリフォルニア開幕前の2月9日に行なわれたレース外ドーピング検査で、ハミルトンのDHEA陽性が発覚。38歳ハミルトンは自らの薬物摂取を認めた。WADA(世界アンチドーピング機関)の禁止薬物に指定されているDHEAは男性ホルモンの一種で、抗うつ作用やダイエット作用、免疫強化などの作用がある(参考:国立健康栄養研究所)。
ハミルトンはパフォーマンスの向上が目的ではなく、あくまでも「うつ」の緩和のために、医師の処方せんなしで買えるDHEA含有の抗うつサプリメントを摂取したという(日本では食品として販売することは法律で禁止されている)。
レキップ紙によると「僕は禁止薬物を摂取した。処罰を受ける覚悟はできている」と語るハミルトンは、現役の引退を発表。1995年にスタートさせた15年間の現役生活に終止符を打った。ハミルトンのドーピング陽性はこれが初めてではなく、2004年には血液ドーピングの疑いで2年間の出場停止処分を受けている。
1995年にUSポスタルでプロデビューしたハミルトンは、2000年ドーフィネ・リベレで総合優勝。2001年まではアームストロング(アメリカ)のアシストとして活躍した。
CSC時代の2002年に鎖骨を骨折しながらもジロ・デ・イタリア総合2位フィニッシュ(優勝はサヴォルデッリ)。2003年にはリエージュ〜バストーニュ〜リエージュやツール・ド・フランス第16ステージで優勝を果たし、フォナックに移籍した2004年にはアテネ五輪タイムトライアルで金メダルを獲得している。
血液ドーピング陽性に伴う2年間の出場停止処分を受けたハミルトンは、2007年にティンコフで復帰。ロックレーシングに移籍した昨年は中国のツアー・オブ・チンハイレイクで総合優勝、そして全米ロードレースチャンピオンに輝いていた。
今シーズンはツアー・オブ・カリフォルニアで何度か逃げを試みたが結果は出ず、出場予定だったブエルタ・ア・カスティーリャ・イ・レオンは「気管支炎」を理由にスタートしなかった。
ツアー・オブ・カリフォルニア開幕前の2月9日に行なわれたレース外ドーピング検査で、ハミルトンのDHEA陽性が発覚。38歳ハミルトンは自らの薬物摂取を認めた。WADA(世界アンチドーピング機関)の禁止薬物に指定されているDHEAは男性ホルモンの一種で、抗うつ作用やダイエット作用、免疫強化などの作用がある(参考:国立健康栄養研究所)。
ハミルトンはパフォーマンスの向上が目的ではなく、あくまでも「うつ」の緩和のために、医師の処方せんなしで買えるDHEA含有の抗うつサプリメントを摂取したという(日本では食品として販売することは法律で禁止されている)。
レキップ紙によると「僕は禁止薬物を摂取した。処罰を受ける覚悟はできている」と語るハミルトンは、現役の引退を発表。1995年にスタートさせた15年間の現役生活に終止符を打った。ハミルトンのドーピング陽性はこれが初めてではなく、2004年には血液ドーピングの疑いで2年間の出場停止処分を受けている。
1995年にUSポスタルでプロデビューしたハミルトンは、2000年ドーフィネ・リベレで総合優勝。2001年まではアームストロング(アメリカ)のアシストとして活躍した。
CSC時代の2002年に鎖骨を骨折しながらもジロ・デ・イタリア総合2位フィニッシュ(優勝はサヴォルデッリ)。2003年にはリエージュ〜バストーニュ〜リエージュやツール・ド・フランス第16ステージで優勝を果たし、フォナックに移籍した2004年にはアテネ五輪タイムトライアルで金メダルを獲得している。
血液ドーピング陽性に伴う2年間の出場停止処分を受けたハミルトンは、2007年にティンコフで復帰。ロックレーシングに移籍した昨年は中国のツアー・オブ・チンハイレイクで総合優勝、そして全米ロードレースチャンピオンに輝いていた。
今シーズンはツアー・オブ・カリフォルニアで何度か逃げを試みたが結果は出ず、出場予定だったブエルタ・ア・カスティーリャ・イ・レオンは「気管支炎」を理由にスタートしなかった。