2010/09/06(月) - 10:28
2010年9月5日、イタリアで第85回ジロ・デッラ・ロマーニャ(UCI1.1)が開催され、中島康晴(チームNIPPO)が序盤から2人逃げを敢行。しかし逃げはゴールまで距離を残して吸収され、ラスト50kmでポッツォヴィーヴォ(コルナゴ・CSFイノックス)と抜け出したパトリック・シンケウィッツ(ドイツ、ISD・ネーリ)が優勝した。
1910年に第1回大会が開催され、今年で開催100回目を迎えるジロ・デッラ・ロマーニャ。レースにはリクイガスとランプレのプロツアー2チームの他、ISD・ネーリやデローザ・スタックプラスティック、コルナゴ・CSFイノックス、ヴァカンソレイユなどのプロコンチネンタルチームが出場した。
ヴァカンソレイユに移籍したリカルド・リッコ(イタリア)や、ミケで再起をかけるステファン・シューマッハー(ドイツ)ら、ドーピングによる出場停止から復帰した選手たちも出場。チームNIPPOにとってはヨーロッパ最終戦となる。
ジロでもお馴染みのモンテ・トレッビオが取り入れられた起伏のあるコースで、序盤からの激しいアタック合戦をくぐり抜けて42km地点で逃げグループを形成したのは2名。ダニエーレ・ラット(イタリア、カルミオオーロ・NGC)と中島康晴が2人で逃げた。
ラットと中島康晴は最大9分05秒のアドバンテージ。しかしメイン集団のペースアップによってタイム差は縮まり、最大の難所モンテ・トレッビオまでに全ての逃げは吸収されてしまう。
するとゴールまで50kmを残してシンケウィッツとドメニコ・ポッツォヴィーヴォ(イタリア、コルナゴ・CSFイノックス)がアタック。最後は後続集団を振り切った2人によるスプリント勝負に持ち込まれ、シンケウィッツが先着した。58秒遅れの集団先頭はシンケウィッツのチームメイトでイタリアチャンピオンのジョヴァンニ・ヴィスコンティ(イタリア、ISD・ネーリ)が穫った。
シンケウィッツは2004年ジャパンカップの優勝者(当時クイックステップ所属)。2003年大会でも2位に入っており、日本にも馴染みのある選手だ。
しかしTモバイル時代の2007年にテストステロンが陽性を示し、後に血液ドーピングを自供。出場停止処分を経て2009年にPSKウィールプールで復帰し、今年からイタリアのISD・ネーリで走っていた。
シンケウィッツはガゼッタ紙のインタビューの中で「出場停止処分を軽く見ている選手がいるけど、自分は違う。チェコの小チームで再スタートを切り、今年ISD・ネーリに移った。これがイタリアレースでの初勝利。でもここで止まりたくない。ジロ・ディ・ロンバルディアで優勝したいと思う。そして、3度出場したツールでもなく、2度出場したブエルタでもなく、ジロ・デ・イタリアに出場したい」と語っている。
注目を集めていたリッコは集団内の25位でフィニッシュ。シューマッハーはDNF。この日は144名がスタートし、完走者は63名。チームNIPPOはヴィンチェンツォ・ガロフォロ(イタリア)を39位に送り込んだが、その他の日本人選手はリタイアに終わった。
日本チャンピオンの宮澤崇史は自身のTwitterの中で「山に入り下りで集団が分かれ、30人の集団に残るも150km地点で切れてしまった。 今日はスプリンター向けのコースではなかったが、上りの感触は良い」とコメントしている。ヨーロッパ最終レースを戦い終えたチームNIPPOは帰国し、ツール・ド・北海道に出場する予定。宮澤は昨年北海道で大会連覇を達成しており、今年3連覇が懸かっている。
レース展開ならびに選手コメントはガゼッタ紙より。
ジロ・デッラ・ロマーニャ2010結果
1位 パトリック・シンケウィッツ(ドイツ、ISD・ネーリ) 5h08'00"
2位 ドメニコ・ポッツォヴィーヴォ(イタリア、コルナゴ・CSFイノックス) +02"
3位 ジョヴァンニ・ヴィスコンティ(イタリア、ISD・ネーリ) +58"
4位 ペーター・サガン(スロバキア、リクイガス)
5位 マルコ・マルカート(イタリア、ヴァカンソレイユ)
6位 シモーネ・ポンツィ(イタリア、ランプレ)
7位 パオロ・バイレッティ(イタリア、チェラミカ・フラミニア)
8位 アレッサンドロ・ベルトリーニ(イタリア、アンドローニ・ジョカトーリ)
9位 フランチェスコ・ガヴァッツィ(イタリア、ランプレ)
10位 アンドレア・トンティ(イタリア、カルミオオーロ・NGC)
text:Kei Tsuji
photo:Cor Vos, Riccardo Scanferla
1910年に第1回大会が開催され、今年で開催100回目を迎えるジロ・デッラ・ロマーニャ。レースにはリクイガスとランプレのプロツアー2チームの他、ISD・ネーリやデローザ・スタックプラスティック、コルナゴ・CSFイノックス、ヴァカンソレイユなどのプロコンチネンタルチームが出場した。
ヴァカンソレイユに移籍したリカルド・リッコ(イタリア)や、ミケで再起をかけるステファン・シューマッハー(ドイツ)ら、ドーピングによる出場停止から復帰した選手たちも出場。チームNIPPOにとってはヨーロッパ最終戦となる。
ジロでもお馴染みのモンテ・トレッビオが取り入れられた起伏のあるコースで、序盤からの激しいアタック合戦をくぐり抜けて42km地点で逃げグループを形成したのは2名。ダニエーレ・ラット(イタリア、カルミオオーロ・NGC)と中島康晴が2人で逃げた。
ラットと中島康晴は最大9分05秒のアドバンテージ。しかしメイン集団のペースアップによってタイム差は縮まり、最大の難所モンテ・トレッビオまでに全ての逃げは吸収されてしまう。
するとゴールまで50kmを残してシンケウィッツとドメニコ・ポッツォヴィーヴォ(イタリア、コルナゴ・CSFイノックス)がアタック。最後は後続集団を振り切った2人によるスプリント勝負に持ち込まれ、シンケウィッツが先着した。58秒遅れの集団先頭はシンケウィッツのチームメイトでイタリアチャンピオンのジョヴァンニ・ヴィスコンティ(イタリア、ISD・ネーリ)が穫った。
シンケウィッツは2004年ジャパンカップの優勝者(当時クイックステップ所属)。2003年大会でも2位に入っており、日本にも馴染みのある選手だ。
しかしTモバイル時代の2007年にテストステロンが陽性を示し、後に血液ドーピングを自供。出場停止処分を経て2009年にPSKウィールプールで復帰し、今年からイタリアのISD・ネーリで走っていた。
シンケウィッツはガゼッタ紙のインタビューの中で「出場停止処分を軽く見ている選手がいるけど、自分は違う。チェコの小チームで再スタートを切り、今年ISD・ネーリに移った。これがイタリアレースでの初勝利。でもここで止まりたくない。ジロ・ディ・ロンバルディアで優勝したいと思う。そして、3度出場したツールでもなく、2度出場したブエルタでもなく、ジロ・デ・イタリアに出場したい」と語っている。
注目を集めていたリッコは集団内の25位でフィニッシュ。シューマッハーはDNF。この日は144名がスタートし、完走者は63名。チームNIPPOはヴィンチェンツォ・ガロフォロ(イタリア)を39位に送り込んだが、その他の日本人選手はリタイアに終わった。
日本チャンピオンの宮澤崇史は自身のTwitterの中で「山に入り下りで集団が分かれ、30人の集団に残るも150km地点で切れてしまった。 今日はスプリンター向けのコースではなかったが、上りの感触は良い」とコメントしている。ヨーロッパ最終レースを戦い終えたチームNIPPOは帰国し、ツール・ド・北海道に出場する予定。宮澤は昨年北海道で大会連覇を達成しており、今年3連覇が懸かっている。
レース展開ならびに選手コメントはガゼッタ紙より。
ジロ・デッラ・ロマーニャ2010結果
1位 パトリック・シンケウィッツ(ドイツ、ISD・ネーリ) 5h08'00"
2位 ドメニコ・ポッツォヴィーヴォ(イタリア、コルナゴ・CSFイノックス) +02"
3位 ジョヴァンニ・ヴィスコンティ(イタリア、ISD・ネーリ) +58"
4位 ペーター・サガン(スロバキア、リクイガス)
5位 マルコ・マルカート(イタリア、ヴァカンソレイユ)
6位 シモーネ・ポンツィ(イタリア、ランプレ)
7位 パオロ・バイレッティ(イタリア、チェラミカ・フラミニア)
8位 アレッサンドロ・ベルトリーニ(イタリア、アンドローニ・ジョカトーリ)
9位 フランチェスコ・ガヴァッツィ(イタリア、ランプレ)
10位 アンドレア・トンティ(イタリア、カルミオオーロ・NGC)
text:Kei Tsuji
photo:Cor Vos, Riccardo Scanferla
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