自転車日本縦断ギネス世界記録に挑戦し、新記録を達成した篠さんが報告会を開き、走行した6日間+の模様をサポーターとともに振り返った。その篠さんに一問一答、改めてチャレンジの経緯や詳細、成功の秘訣や苦労話などを語ってもらった。報告会は篠さんの地元・埼玉県飯能市のStudio TECOLIにて有志が開催した。


毎日のライドについて説明する篠さん


篠さんの自転車日本縦断ギネス世界記録 結果
・2024年5月21日に佐多岬を出発し、5月27日に宗谷岬に到着
・記録は148時間48分(6日と4時間48分)
・元女子レコードの180時間18分(7日と12時間18分)を31時間30分更新(男子を含めた歴代2位の記録)
・総距離2536km、獲得標高15,641m
・グロス(睡眠、休憩時間を含む)平均時速 17.04km/h
・平均走行距離 409km/日

※ギネスチャレンジの詳細については関連記事を参照してください。


報告会ではチャレンジについてダイジェストで説明され、その詳細が説明された。以下、質問に答えるかたちで話された内容から抜粋して紹介する。

ー いつチャレンジすることを決めましたか?

篠:決意したのは昨年の秋でした。最後の一押しは高岡亮寛さんのギネス報告会で、そのときに「篠さんもやってみないか」と話を振られ、それから前向きに考えるようになりました。そして高岡さんのサポートスタッフの皆さんからの惜しみないノウハウ提供が後押しになりました。

司会をつとめた網野優介さん(ツール・ド・ニッポン)もサポーターとして帯同した
報告会ではギネスチャレンジの詳細が説明された



ー チャレンジしようと思った理由は?

篠:それまで惰性でヒルクライムなどに出ていたんですが、新しいことに挑戦してみたくなったんです。そして、日本にはまだ走っていないところがあることにも気づいて。
自転車を始めて10年。始めたときの無謀さや、後先を考えずに走れるだけ走っていた頃の初心を取り戻したいと思ったんです。もともと止まらずに長く走り続けることは得意だと自覚していました。そして丸一日走った翌日にも疲れが残らないんです。ただこんなにも走る続けるというのはやったことがないので、やってみたかった。

地元・飯能での報告会にはサポーターの皆さんが駆けつけた

ー そもそもなんでこんなに苦しいことをやろうと考えたんですか?

篠:自分には雲の上のような話だったけど、高岡さんの記録を落合祐介さんが1日ぐらいの差で超えて「こんなロングを走る人がいるんだ」とわかって。自分で計算してみたら、自分もうまく走れば届かなくはないな、ということが分かってきた。それまで無理だと決めつけていたことが、頑張ればできるかも、と変わった。過去の経験からできると思えたので、だったらやらないテはないな、と。今回は走っていて楽しかった。「自分の限界はここだな」というのもわかりました。

佐多岬を出発する際の証明写真。地名と時計が映り込んでいることが条件だった

ー 挑戦日までどのようなトレーニングをして備えましたか?

篠:とりあえず連日走り続けることをやってみました。200kmといった距離を連日コンスタントに走ることをやってみました。ただ、練習で数日間走り続けるということをやっても燃え尽きるだけだろうと思っていたので、それは本番にとっておこうと考えました。
自宅の近郊の峠への往復を単純に繰り返して一日で200km走り続けるとか。走行時間を稼ぐことと、脚を止めずに長く走り続ける練習を意識しました。特別なトレーニングというより、毎日乗り込んで精神修行した感じです(笑)。

食事に関するトレーニングが難点でした。以前、チバイチ(千葉県一周)や大阪-東京キャノンボールをやったときは「米もの」しか食べれなかったんです。お米と和菓子メインで、洋菓子系や脂質の多い食べ物は避けていました。今回よく食べたハンバーガーは自分でも意外でした(笑)。

ハンバーガーをほおばりながら走る篠さん

ー 補給はおもにハンバーガーだった(笑)ということですが、野菜は摂りましたか?

篠:野菜はハンバーガーに入っています(笑)。いえ、野菜は食べていないですね。エネルギーゼリーでビタミンを摂るようにしていましたから。今考えると野菜スティックはいいかも? ディップをつけて走りながら食べるとか(笑)。消化酵素が含まれているバナナを食べることで身体は少し回復する気がしました。

ハンバーガーをくわえながら再出発
コンビニでファミチキをほおばる。以前は脂質の補給食は食べなかったが...



ー 飲み物で気をつけたことは?

篠:身体を冷やさないように冷たい飲み物や氷水を避けていたのは良かったと思います。冷やさないことで胃腸の動きが悪くならなかったのが良かった。朝起きたときと寝る前には白湯を飲んでいました。走っているときのボトルは常温でACTIVIKEのグランフォンドウォーターを溶いて飲んでいましたが、途中で足りなくなってしまいました。しかしなんとACTIVIKE西谷代表夫婦が旅先でそれを知って、新潟まで届けに来てくれました!

ー 走行ペースや距離の配分はどのようにしましたか?

6日間の日本縦断走行ルート
篠:縦断の最中だと走るのに飽きてくることがあるだろうから、それを距離じゃなくて時間の経過として受け入れられるように練習していたと思います。

今回の挑戦では、日ごとに走る距離を100km間隔で区切って考えていました。100kmの走行に要する時間はだいたい4時間20分から5時間の間。「次の休憩ポイントまで5時間」というように計算して、距離でなく時間でペースを考えました。だから先の長い距離に対しては緊張することがなかったです。

心がけたのは身体に不調が出ないようにすること。低強度で走っていても膝の軌道がぶれないように、フォームが崩れないよう気をつけて走っていました。リタイアすることがあるなら身体が不調になるか心が折れるかのどちらか。心は持ち直せるから、身体が不調に陥らなければ走り切れる自信はありました。

ー 後になって「こっちのルートを走ったほうが良かった」「記録を短縮できた」といったことは?

篠:もう一度走るとしても、まったく同じ条件だったら短縮できる要素はあると思うけど、同じ条件にはならないから、今回走った以上のことはできなかったと思います。休憩についてもサポートの人と話したり、チリツモ(塵も積もれば山となる)で予想より20か30分長く停まっていた計算です。でもそれが悪いとも言えなくて、それがあったから気分転換ができたり、精神的に休めていることにつながっているから、これ以上は短縮できなかったと思います。

もっとも厳しい区間となった宗谷岬へのラスト90km。強い向かい風だった

ー もっとも厳しかった区間は?

篠:北海道での最終90km区間です。暴風雨で最低気温は7℃ほど、道路は川のようになっていました。嵐のような向かい風との戦いで、前に進み続けることが難しかった。でも、フィニッシュの宗谷岬になんとかたどり着きました。

暴風雨のなか走った北海道のラスト90km区間がもっとも厳しかった photo:Nobuhiro Toya

ー もっとも交通量が多くて走りにくかったという国道2号線(下関-防府-広島-岡山-姫路)ですが、瀬戸内海側でなく日本海側ルートのほうが良かったということはないんですか?

交通量の多い幹線道路を走る photo:Nobuhiko Toya

挑戦中、ピリピリしたところが一切無かったという
篠:もっともストレスを感じた国道2号線ですが、ルートに関しては事前に検討を重ねて決めました。日本海側の山陰ルートは明るいうちならいいけど暗くなると動物が飛び出すことがあるとも聞きました。コンビニが少なく補給が難しい区間が長く、駅や空港からのアクセスの問題でサポート隊が入れ替わることが難しくなるため瀬戸内側のルートになりました。サポーターが仕事が終わってから合流、なんてことができないのです。

ー(サポーターの網野さん) サポートしていても、ピリピリしたことが一切なかったんです。篠さんはあまりにも普段通りだった。精神面としてもベストだったんでしょう。まったくストレスを貯めることなく日々を走れていた様子です。

篠:マイナス方向に考えないように、何かあってもプラスにもっていくようにしていました。私はメンタルが弱いので、少しでも予定がずれると焦ってしまうので、そうならないように先手を打って対策をまとめたり、と。

ー 今回走ったルートでいちばん心に残った景色はどこですか?

日が暮れた。しかし今日の予定はまだ先。まだ走る photo:Nobuhiko Toya

篠:ベストは越前海岸でした。夜の漁火も綺麗でしたね。もう一回走りたいのはオロロンラインです。利尻島と礼文島が左側に見えるはずだったんですが、ずっと霧で真っ白でした。晴れたとき、景色が良いときにまた走りたいですね。

フォトグラファーとして全日程を追ったNOBさんこと戸谷信博さん(左)
ー ハイエースで撮影に帯同したNOBさん(戸谷信博)に質問。 撮り直せるとしたらもう一度撮りたいところはどこですか? また撮影の苦労は?

NOB:鳥海山ですね。残念ながら山上にモヤがかかってクリアでなかったから。帯同中はとにかく追いかけるのが大変でした。10kmぐらい先行していれば撮影には余裕があるけど、篠さんは進むのが速いから、少しぐらいの追走では追いつけない。100kmで3回撮れるか撮れないか。でもとにかく運転中に眠くなることも多くて、少し休憩しちゃうと追いつくのに1、2時間ぐらい必要で。

篠:NOBさんが三脚立てているところを通り過ぎたりして、悪いと思いながら戻るわけにもいかなくて(笑)。でも走りながらNOBさんがあちこちで撮ってくれるのに気づいていました。撮ってくれたどの写真も入念にロケハンして何度も走り直して撮ったように見えるかもしれないですが、シャッターチャンスは一度きりです。

今回のチャレンジはオルベアORCAとラピエールXELIUSを乗り換えながら走った photo:Nobuhiko Toya

ー パンクやメカトラは?

篠:パンクは1回もしていません。メカトラブルもほぼなかった。後半はポジション調整を細かく行っていました。腰にくるからハンドルを下げたんです。

ー(サポーターの網野さん)普通は肩や腰が痛くなってハンドルを上げるのに、下げていましたね(笑)。

篠:走っているときはハンドルを押したり・引いたりする力を使わず、脚を踏みおろすだけなので。私は反り腰気味なので、ハンドルを下げたほうが肩と腰が楽だったのかな?

バイクはオルベアORCA+DHバーとラピエールXELIUSの2台体制

ー 自転車2台を乗り換えて走ったということでしたが、どのように乗り換えたんですか?

篠:オルベアORCAはDHバーありきのポジションにして、ラピエールXELIUSは山岳仕様でした。でも気分転換のために1日1回は乗り換えていましたね。

ー(アドバイザーの福田さん/高岡さんのスタッフ) WUCAのルール変更前は自転車を乗り換えてはいけなかったんです。高岡のときはスペシャライズドのTARMACとSiV(TTバイク)を用意しましたが、どちらも硬いバイクでストレスが溜まっっていったと思っています。篠さんの速いバイクと快適なバイクの2台のチョイスは良い選択だったのかもしれませんね。

篠:どっちも自分の走り方にあっているバイクだったのは良かったと思います。

ギネス認定を祝う花束を贈呈してもらった篠さん

ー これから新たに挑戦したいことは?

篠:すぐにではないけどロング系のチャレンジはまたやりたいですね。RAAM(Race Across America=アメリカ横断5000kmレース・)には興味があります。でも準備が大掛かりになるのと、別のスキルも必要になるでしょうから。ブルベもあるけど、普段走らない道を走ることも楽しいですね。自分の好きな道ばかり走るんじゃなく、日本の外周も走ってみたいし、走ったことがない道を旅するように走ってみたいです。

報告会に駆けつけたサポーターのみなさんと

今回のチャレンジは、後になってみれば本当にやって良かったと思えるものでした。毎日スタッフに支えられて、自分は自転車のことだけを考えて、ただ乗るだけでした。こんなに贅沢な体験ができて本当に幸せそのものでした。

このようなチャレンジがこの先またできるかは分かりませんが、自転車にはいろんな楽しみ方があると改めて知ることができたので、今後もやりたいと思えることを自分らしく突き詰められるように進んでいきたいと思います。応援よろしくお願いします。

記念のケーキをプレゼントしてもらった篠さん



自転車日本縦断ギネスワールドレコードの定義
・本土最南端の岬である佐多岬を出発し、門司、下関、青森、函館を通過の後に、北海道本島最北端の宗谷岬までの公道を、ロードバイクもしくは徒歩のみで走行した、スタートからゴールまでの合計時間を計測した記録。
・指定場所さえ通過すればルートのアレンジは自由
・全行程おおよそ2,600km
・男女でカテゴリーが分かれる(今回は女子の記録に挑戦)

2021年よりギネス世界記録の自転車長距離チャレンジはWorld Ultra Cycling Associationの認定になった為、日本縦断ギネス世界記録の認定申請をするためには過去のチャレンジとは違うレギュレーションとなった。主には以下のようなルールが課される。

・全行程サポートカーが必須
・サポートカーに対する規定(低速車マーク、「自転車が前方走行中」のメッセージを表示する)
・WUCAのofficialテストに合格した有資格者のみ認定員が務められる
・Official有資格者の勤務時間の制限(1人1日18時間まで)
・細かなログの記録が必要

text&photo:Makoto AYANO
photo:Nobuhiro TOYA

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