2024/06/22(土) - 19:00
EFエデュケーションの下部チームに所属し、今年の2月15日に現役引退を発表をした門田祐輔。昨年の全日本選手権で5位になった25歳が、ワールドチームを目指すなか感じた世界との差や若手選手に向けた想いを語った。
「2022、23年をEFで走り、今年からワールドチームに上がることを考えていました。でも叶わなかったので引退しました。もちろんあと一年ヨーロッパでやることも考えましたが、結局チームが見つからなかったので。いま25歳で今年26歳。欧州で戦うにはもっと若くないと、獲ってくれないどころか見向きもされません」
インタビューに応えてくれた門田祐輔は、引退の理由をそう語った。そこに悔しさや安堵など、言葉で表現しうる感情は見られず、ただ事実を述べているような、言うなればニュートラルな態度で話してくれた。
また日本のチームで現役を続ける選択肢はなかったのかと尋ねると、門田は「自分が日本のチームで走る姿がイメージがどうしても湧きませんでした。競技を始めたときからツール・ド・フランスが夢で、そこは変わらず、そこを目指し続けた信念のせいかもしれません」と答えた。
上を目指す自分に足りなかったもの
―ワールドチームに届かなかった理由を、ご自身ではどう分析していますか。
圧倒的な実力不足ですね。当たり前ですがヨーロッパのレベルは高く、小手先だけでは戦えません。レース経験に関しては自信があり、他のヨーロッパ出身の選手相手にも引けを取らないと思います。でもやはり脚力には差がありました。そこが何かで補えない限り、ワールドツアーでは通用しませんからね。
―その足りない力とは、具体的には何なのでしょうか。
1分や5分間におけるパワー(出力)です。新城(幸也)さんもよく言うのですが、世界はいま「500W/5分」が当たり前なんですよ。しかも最後の登りではそれ以上のパワーで登っていく。まぁ…負けますよね(笑)。位置取りとかそんなことは関係なく、出力の絶対値で敵わない。
―その差はやはりレースのカテゴリーが上に上がっていくにつれ、明確になっていくのでしょうか。
2クラスならともかく、1クラス(上から3番目)になると皆しっかり脚を使いながら、最後の局面に向かって集団の人数が絞られていきます。そこからは力勝負なので、上のレースになるにつれて騙し合いの要素は減っていきます。
日本では長い距離をずっと踏んでいるようなレースが多いですが、ヨーロッパでは、短い登りを高出力で登るような場面で勝負が決まります。
―ですが、門田さんはそういった短い登りが得意な、パンチャー寄りの脚質という印象です。アップダウンの激しい昨年の全日本選手権でも終盤まで先頭集団に残っていました。
自分は5分より10〜20分間を高出力で(ペダルを)回す方が得意でした。だからと言って「自分はクライマーだ」とは口が裂けても言えません。ヨーロッパで登りを飛ぶように駆け上がっていくコロンビア人を見ているので(笑)。
また、僕も700Wを1分間踏み続けることはできました。日本にそれぐらいを出せる選手が何人いるかは分かりませんが…それでもヨーロッパでは勝負にならないのです。
*現役時代の門田の体重は62kg
―引退までの数年間は、主にその強みを強化する練習をしていたのでしょうか
そうですね。ただ上に行けば行くほど1分間など短い時間における出力の差が明らかになっていきました。だからもっと1〜5分間で高出力を出すトレーニングに励み、具体的には4時間の練習中に1分間のオールアウトを数回入れるような練習を繰り返していました。また5分間ならば自己ベストに近い値を1発出すのではなく、何回も出せるようにするメニューを行っていました。
急速に若手へとシフトしていった自転車界
17歳の時に高校を通信コースに切り替え、単身フランスに渡った門田。その後ヒンカピー・リオモ(UCIコンチネンタルチーム)に進んだ後、かつて別府史之も所属したフランスの名門VCラポム・マルセイユに移籍。そして2022年と23年は、EFエデュケーション・イージーポストの下部チームで走った。
日本人離れした長い手脚に178cmと恵まれた身体で、2022年のツール・ド・北海道では総合優勝を果たす。また先述した昨年6月の全日本選手権ロードレースでも獲得標高差5,000mに達するサバイバルな展開のなかチーム最上位の5位とその力を見せた。
―引退理由の一つに年齢を挙げていましたが、やはり欧州で若手を重用する流れは顕著なのでしょうか。
ここ5年における自転車界の”若手へのシフト”は凄まじいものがあります。僕が自転車競技を始めた頃はまだ「30歳を越えて油が乗る」と言われていましたからね。今年もEFはエイキング(→ウノエックス・モビリティ)とクドス(→トレンガヌ・サイクリングチーム)と30歳前後の2人を切っています。クドスなんて本当に強い選手なのに…。
いまのワールドチームは30名という所属選手のうち、大体5名がエースで15名がアシスト、そして若手の枠が10名ほどまで拡大しています。でも僕はそこに入り込むことができなかった。
―昨年のさいたまクリテリウムでは、交流のあるアダム・ハンセン氏と共に各チームのスタッフと売り込む姿を見かけました。
ハンセンがアスタナ・カザフスタンに僕を紹介してくれたのですが、時期も時期でしたし(11月)、何より「移籍市場に日本人の情報がない」と言われました。なぜなら日本人で代理人を付けている人がほぼいないので「日本人に興味があっても情報がどこにもない」のだと。これは世界を目指す日本人選手全員に関係のある問題だと思っています。
世界で通用する脚質とは
―少し話は変わりますが、日本人選手が世界に挑む上でどのような選手が有利でしょうか。
宮澤(崇史)さんみたいな脚質の選手ですね。クライマーでは世界との差が歴然なのですが、宮澤さんのように「ある程度登れて集団スプリントで勝負できる選手」は世界を目指すのに有利だと思います。
そもそも日本人という時点で、ヨーロッパ出身の選手にビハインドをつけられたスタートなんですよね。彼らは幼い頃からヨーロッパでレースをこなし、レース文化に馴染んでいます。また当然言語の壁もない。日本人が若さや数値だけで太刀打ちするのは難しく、だからこそ成績という分かりやすい結果が狙える、宮澤さんのような脚質しか可能性がないとさえ思います。
―若手はスプリント向上が世界への近道だと。
そうですね。引退した僕が若手選手にアドバイスするならば「スプリントを鍛えろ」です。例えばもし独走が得意な選手がいたとしても、その強みを発揮するためには後続の選手を千切らなければならない。でもスプリントだったら”ワンチャン”ある。
ですが、それも先ほど言った5分間の高出力がライバルと同程度出せた上でのスプリントです。それではじめて「集団に食らいつけばスプリントで勝てる」という戦略が取れる。どちらも僕になかったものですけどね(笑)。
ジュニア世代は最大出力を伸ばすべき
―スプリントの力を鍛えるのは、若い時じゃないと難しいと思いますか?
神経系を必要とする最大出力値というのは18〜19歳までである程度決まってしまうのだと思います。だから中学〜高校の時は”もがく”練習が必要。若い頃は長距離を乗る練習ではなく、最大出力のキャパシティを拡げる練習が必要です。何より若い時は速筋が育つ時ですし、レースに必要な遅筋は練習していれば自然と鍛えられますからね。
僕が17歳で移り住んだフランスでは街と街の境を表す看板が立っているのですよね。グループライドではそれが見たらスプリント開始の合図。そこまでもがき、街の中に入ったらスピードを落とす。そして街を出て次の看板が見えたらまたスプリント。
そんなインターバルトレーニングを小中高校生たちと一緒にやっていました。そうやってヨーロッパの選手たちは、幼い頃から自然とスプリントに必要な脚や勘、経験などを鍛えていきます。
―引退後のキャリアとして若手の育成に興味はありますか?
もちろんありますよ。若手の練習メニューを組むのも楽しそうですし。ただいまは、どうやって上のチームを目指せばよいのかが分からない状態になっています。僕の世代だったら「アンダーで成績を残してワールドチームへ」という一般的なルートがありました。でもいまはジュニアが直接ワールドチームに行くような流れが出来上がりつつあります。
いま日本の自転車ロードレース界にいる人たちは、考えているよりも2〜3歳若い選手を育成しないと世界に出るには間に合わないと感じています。まるでフィギアスケートのような状況です。
ヨーロッパに住むだけで言語は伸びない
―日本人は選手としての能力の他に、ヨーロッパでは言語の壁に直面すると思います。門田さんはどのように克服されたのでしょうか。
英語は高校生の時から毎日英会話の勉強をしていました。一方、フランス語は独学です。EFの時はチームキャプテンをして、監督やチームメイトの話を他の日本人選手に伝えていました。「俺は通訳じゃねー!」と嫌々やっていましたけどね(笑)。
―おすすめの学習方法などはありますか。
地道にやるしかないですね。その土地に住むだけで喋れるようにはなりませんし。でも僕は外国語が好きなので、引退したいまでもオンライン英会話は続けています。また最近スペイン語も始めました。これも若手選手たちへの提言になると思うのですが、「日本にいる時に勉強しておけ」と伝えたいです。
―練習仲間とは英語での会話が多かったのでしょうか。
定期的に練習していたパウレスやヴァルグレン(共にEFエデュケーション・イージーポスト)とは英語で、たまに一緒になるウランとは覚えたてのスペイン語で話していました。でも彼のスペイン語めちゃくちゃ速くて歯が立ちませんでした(笑)。
インタビューをした当時、今後の予定については「まだ何も決まっていない」と答えた門田。自転車界に残りたいかという質問に対しては「このインタビューを読んで、声を掛けてくれる人がいれば」と笑った。
―もう現役に対する未練はないのでしょうか。
ないですね。(発表するまでの)1ヶ月間ほど悩み、ちゃんと区切りをつけることができたので。家族を含め周りからは皆「続けてほしい」と言われました。また引退を発表する直前まで、無所属のまま今年の全日本を目指し、優勝してヨーロッパに再び挑戦する考えもありました。
ですが、既に世界との実力の差は分かっていますし、年齢のこともあります。ハンセンなどにお願いしてヨーロッパのチームとも交渉はしたのですが、僕の思うような現実とは違っていました。そしてその過程のなかで、シャンゼリゼへの思いが薄れていくのを感じました。
text&photo:Sotaro.Arakawa
「2022、23年をEFで走り、今年からワールドチームに上がることを考えていました。でも叶わなかったので引退しました。もちろんあと一年ヨーロッパでやることも考えましたが、結局チームが見つからなかったので。いま25歳で今年26歳。欧州で戦うにはもっと若くないと、獲ってくれないどころか見向きもされません」
インタビューに応えてくれた門田祐輔は、引退の理由をそう語った。そこに悔しさや安堵など、言葉で表現しうる感情は見られず、ただ事実を述べているような、言うなればニュートラルな態度で話してくれた。
また日本のチームで現役を続ける選択肢はなかったのかと尋ねると、門田は「自分が日本のチームで走る姿がイメージがどうしても湧きませんでした。競技を始めたときからツール・ド・フランスが夢で、そこは変わらず、そこを目指し続けた信念のせいかもしれません」と答えた。
上を目指す自分に足りなかったもの
―ワールドチームに届かなかった理由を、ご自身ではどう分析していますか。
圧倒的な実力不足ですね。当たり前ですがヨーロッパのレベルは高く、小手先だけでは戦えません。レース経験に関しては自信があり、他のヨーロッパ出身の選手相手にも引けを取らないと思います。でもやはり脚力には差がありました。そこが何かで補えない限り、ワールドツアーでは通用しませんからね。
―その足りない力とは、具体的には何なのでしょうか。
1分や5分間におけるパワー(出力)です。新城(幸也)さんもよく言うのですが、世界はいま「500W/5分」が当たり前なんですよ。しかも最後の登りではそれ以上のパワーで登っていく。まぁ…負けますよね(笑)。位置取りとかそんなことは関係なく、出力の絶対値で敵わない。
―その差はやはりレースのカテゴリーが上に上がっていくにつれ、明確になっていくのでしょうか。
2クラスならともかく、1クラス(上から3番目)になると皆しっかり脚を使いながら、最後の局面に向かって集団の人数が絞られていきます。そこからは力勝負なので、上のレースになるにつれて騙し合いの要素は減っていきます。
日本では長い距離をずっと踏んでいるようなレースが多いですが、ヨーロッパでは、短い登りを高出力で登るような場面で勝負が決まります。
―ですが、門田さんはそういった短い登りが得意な、パンチャー寄りの脚質という印象です。アップダウンの激しい昨年の全日本選手権でも終盤まで先頭集団に残っていました。
自分は5分より10〜20分間を高出力で(ペダルを)回す方が得意でした。だからと言って「自分はクライマーだ」とは口が裂けても言えません。ヨーロッパで登りを飛ぶように駆け上がっていくコロンビア人を見ているので(笑)。
また、僕も700Wを1分間踏み続けることはできました。日本にそれぐらいを出せる選手が何人いるかは分かりませんが…それでもヨーロッパでは勝負にならないのです。
*現役時代の門田の体重は62kg
―引退までの数年間は、主にその強みを強化する練習をしていたのでしょうか
そうですね。ただ上に行けば行くほど1分間など短い時間における出力の差が明らかになっていきました。だからもっと1〜5分間で高出力を出すトレーニングに励み、具体的には4時間の練習中に1分間のオールアウトを数回入れるような練習を繰り返していました。また5分間ならば自己ベストに近い値を1発出すのではなく、何回も出せるようにするメニューを行っていました。
急速に若手へとシフトしていった自転車界
17歳の時に高校を通信コースに切り替え、単身フランスに渡った門田。その後ヒンカピー・リオモ(UCIコンチネンタルチーム)に進んだ後、かつて別府史之も所属したフランスの名門VCラポム・マルセイユに移籍。そして2022年と23年は、EFエデュケーション・イージーポストの下部チームで走った。
日本人離れした長い手脚に178cmと恵まれた身体で、2022年のツール・ド・北海道では総合優勝を果たす。また先述した昨年6月の全日本選手権ロードレースでも獲得標高差5,000mに達するサバイバルな展開のなかチーム最上位の5位とその力を見せた。
―引退理由の一つに年齢を挙げていましたが、やはり欧州で若手を重用する流れは顕著なのでしょうか。
ここ5年における自転車界の”若手へのシフト”は凄まじいものがあります。僕が自転車競技を始めた頃はまだ「30歳を越えて油が乗る」と言われていましたからね。今年もEFはエイキング(→ウノエックス・モビリティ)とクドス(→トレンガヌ・サイクリングチーム)と30歳前後の2人を切っています。クドスなんて本当に強い選手なのに…。
いまのワールドチームは30名という所属選手のうち、大体5名がエースで15名がアシスト、そして若手の枠が10名ほどまで拡大しています。でも僕はそこに入り込むことができなかった。
―昨年のさいたまクリテリウムでは、交流のあるアダム・ハンセン氏と共に各チームのスタッフと売り込む姿を見かけました。
ハンセンがアスタナ・カザフスタンに僕を紹介してくれたのですが、時期も時期でしたし(11月)、何より「移籍市場に日本人の情報がない」と言われました。なぜなら日本人で代理人を付けている人がほぼいないので「日本人に興味があっても情報がどこにもない」のだと。これは世界を目指す日本人選手全員に関係のある問題だと思っています。
世界で通用する脚質とは
―少し話は変わりますが、日本人選手が世界に挑む上でどのような選手が有利でしょうか。
宮澤(崇史)さんみたいな脚質の選手ですね。クライマーでは世界との差が歴然なのですが、宮澤さんのように「ある程度登れて集団スプリントで勝負できる選手」は世界を目指すのに有利だと思います。
そもそも日本人という時点で、ヨーロッパ出身の選手にビハインドをつけられたスタートなんですよね。彼らは幼い頃からヨーロッパでレースをこなし、レース文化に馴染んでいます。また当然言語の壁もない。日本人が若さや数値だけで太刀打ちするのは難しく、だからこそ成績という分かりやすい結果が狙える、宮澤さんのような脚質しか可能性がないとさえ思います。
―若手はスプリント向上が世界への近道だと。
そうですね。引退した僕が若手選手にアドバイスするならば「スプリントを鍛えろ」です。例えばもし独走が得意な選手がいたとしても、その強みを発揮するためには後続の選手を千切らなければならない。でもスプリントだったら”ワンチャン”ある。
ですが、それも先ほど言った5分間の高出力がライバルと同程度出せた上でのスプリントです。それではじめて「集団に食らいつけばスプリントで勝てる」という戦略が取れる。どちらも僕になかったものですけどね(笑)。
ジュニア世代は最大出力を伸ばすべき
―スプリントの力を鍛えるのは、若い時じゃないと難しいと思いますか?
神経系を必要とする最大出力値というのは18〜19歳までである程度決まってしまうのだと思います。だから中学〜高校の時は”もがく”練習が必要。若い頃は長距離を乗る練習ではなく、最大出力のキャパシティを拡げる練習が必要です。何より若い時は速筋が育つ時ですし、レースに必要な遅筋は練習していれば自然と鍛えられますからね。
僕が17歳で移り住んだフランスでは街と街の境を表す看板が立っているのですよね。グループライドではそれが見たらスプリント開始の合図。そこまでもがき、街の中に入ったらスピードを落とす。そして街を出て次の看板が見えたらまたスプリント。
そんなインターバルトレーニングを小中高校生たちと一緒にやっていました。そうやってヨーロッパの選手たちは、幼い頃から自然とスプリントに必要な脚や勘、経験などを鍛えていきます。
―引退後のキャリアとして若手の育成に興味はありますか?
もちろんありますよ。若手の練習メニューを組むのも楽しそうですし。ただいまは、どうやって上のチームを目指せばよいのかが分からない状態になっています。僕の世代だったら「アンダーで成績を残してワールドチームへ」という一般的なルートがありました。でもいまはジュニアが直接ワールドチームに行くような流れが出来上がりつつあります。
いま日本の自転車ロードレース界にいる人たちは、考えているよりも2〜3歳若い選手を育成しないと世界に出るには間に合わないと感じています。まるでフィギアスケートのような状況です。
ヨーロッパに住むだけで言語は伸びない
―日本人は選手としての能力の他に、ヨーロッパでは言語の壁に直面すると思います。門田さんはどのように克服されたのでしょうか。
英語は高校生の時から毎日英会話の勉強をしていました。一方、フランス語は独学です。EFの時はチームキャプテンをして、監督やチームメイトの話を他の日本人選手に伝えていました。「俺は通訳じゃねー!」と嫌々やっていましたけどね(笑)。
―おすすめの学習方法などはありますか。
地道にやるしかないですね。その土地に住むだけで喋れるようにはなりませんし。でも僕は外国語が好きなので、引退したいまでもオンライン英会話は続けています。また最近スペイン語も始めました。これも若手選手たちへの提言になると思うのですが、「日本にいる時に勉強しておけ」と伝えたいです。
―練習仲間とは英語での会話が多かったのでしょうか。
定期的に練習していたパウレスやヴァルグレン(共にEFエデュケーション・イージーポスト)とは英語で、たまに一緒になるウランとは覚えたてのスペイン語で話していました。でも彼のスペイン語めちゃくちゃ速くて歯が立ちませんでした(笑)。
インタビューをした当時、今後の予定については「まだ何も決まっていない」と答えた門田。自転車界に残りたいかという質問に対しては「このインタビューを読んで、声を掛けてくれる人がいれば」と笑った。
―もう現役に対する未練はないのでしょうか。
ないですね。(発表するまでの)1ヶ月間ほど悩み、ちゃんと区切りをつけることができたので。家族を含め周りからは皆「続けてほしい」と言われました。また引退を発表する直前まで、無所属のまま今年の全日本を目指し、優勝してヨーロッパに再び挑戦する考えもありました。
ですが、既に世界との実力の差は分かっていますし、年齢のこともあります。ハンセンなどにお願いしてヨーロッパのチームとも交渉はしたのですが、僕の思うような現実とは違っていました。そしてその過程のなかで、シャンゼリゼへの思いが薄れていくのを感じました。
text&photo:Sotaro.Arakawa
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