2010/07/21(水) - 00:57
青・白・赤のトリコロールに身を包んだ人気者のヴォクレールが、ピレネー難関山岳ステージで逃げ切りを演じ、フランス人によるステージ5勝目をもたらした。マイヨジョーヌを獲得したコンタドールはアンディのメカトラにつけこんだアタックでブーイングを浴びる。不文律と紳士協定、このケースでは何が正しい?
ピレネー山岳決戦2日目
パミエからバニエール・ド・ルションまでの187.5kmで争われる第15ステージは、4つのピレネー山岳ステージの中では難易度が低め。山頂ゴールでないため総合上位陣にとっては勝負を決する日ではないはずだった。
ツール史上2度目の登場となる超級山岳バレ峠は、登坂距離19.3km・平均勾配6.1%という厳しさ。緑に包まれた山を縫うように伸びる道幅の狭い道。雄大なアルプスの山岳路とは違ったピレネー独特の風景が続く。
バレ峠頂上からバニエール・ド・ルションのゴール地点までは急勾配の下り。山頂ゴールと違い、下りで差のつくコースだ。「山頂ゴールでないならアルベルト・コンタドール(アスタナ)とアンディ・シュレク(サクソバンク)のマイヨジョーヌ争いは今日はお預けだろう」という事前予想。しかしそれに反して異変は起こった。コンタドールがマイヨジョーヌを獲得したのは昨年も7月19日。それから最終ステージまで維持してシャンゼリゼに到達しているが、果たして今年も?
2時間に及んだアタック合戦
厳しい山岳ステージだというのに、スタート直後から始まったアタック合戦は実に2時間以上の長きに渡って続いた。逃げては捕まりを繰り返す集団。総合争いから遠ざかった選手たちのステージ優勝を狙う意気込みはとどまるところを知らない。
翌日にも難関山岳ステージを控えながら、疲れることを恐れないタフなアタッカーたち。「明日は休息日じゃない!」
アタックは90km以上を走ってようやく決まった。決まるときは0km地点での一発のアタックで決まる。決まらないときは2時間もアタックが続くというのは、なんとも不可解。
プロトンが洞窟の真っ暗闇の中を通る!
スタート49km地点に石器時代のコスチュームを着た人の群れが現れた。背後には巨大な岩壁がそそり立つ。そしてぽっかりと開いた穴。そこにあるのは"マス・ダジルの洞窟"。
なんとコースはこの観光名所にもなっている洞窟の中を通るというのだ。その区間100mほど。岩盤のなかに突如広がる巨大な空間。ひんやり・真っ暗な岩のトンネルの中を、ツールが通る。自然の地形を生かした道路とはいえ、洞窟のなかを通る道なんて初めてだ。
このユニークな洞窟の道で撮影しようとプロトンを待つ。アタックが繰り返されて高速化したままのツールが真っ暗闇に突入するということに恐怖を感じつつ。
道路の両脇には足元を照らすライトが点いているものの、光量は心もとない。プロトンは高速で突入するが、無事落車なく通過した。(それとも古代人に襲われてひとり減った?)
もちろん選手にはラジオツールで注意喚起がされたようだが、「ウォウォ~」と声をあげながら通過する選手たち。突然のことに驚いていた様子だった。
トリコロールを着たトマの栄光
トリコロールを着た人気者、トマ・ヴォクレール(フランス、Bboxブイグテレコム)が難関バレ峠で10人の逃げ集団から単独アタックを敢行。逃げきり優勝を果たした。
ツールでのステージ優勝は昨年に続いて2年連続2回目。ペルピニャンにゴールした昨年の第5ステージの勝利は、ゴール前のアタックの攻防の末の、追走を振りきってのぎりぎりの勝利だった。しかし今回は自分を祝福する余裕がたっぷりある独走勝利だ(しかしジャージを直し損ねておへそが出ている!)。まさかの難関山岳ステージでの逃げ切り!
フランスチャンピオンジャージを着てのツールのステージ優勝は、1994年のジャッキー・デュランの勝利以来。フランス人選手によるステージ優勝もこれで通算5勝目となった。たとえ総合を狙えるフランス人が現れないとしても、フランス人ファンたちの満足度はこれで十分なほど高まった。
ヴォクレールは今ツールに最高のコンディションをもって乗り込んできていた。チームメイトのユキヤ曰く、『トマは今までとは明らかに違うすごい脚をしている。フランス選手権も絶対勝つと思っていた』と言うほど。しかし、勝利の順番はなかなか回ってこなかった。
チャンスがあったのはヴィノクロフがステージ優勝を挙げた第13ステージ。下りで飛び出してヴィノを追走するが、あと一歩で届かなかった。
ピレネー初日の昨ステージではユキヤとともに遅れて走り、来るチャンスに向けて力を温存した。
トマはフランスいちの人気者
ヴォクレールが一躍有名になったのは、2004年ツールでマイヨジョーヌを着たときから。第5ステージで5人の逃げに乗って、メイン集団に12分というタイム差を稼ぎ、アームストロングからマイヨジョーヌを奪った。当時まだフランスでも無名の選手だったヴォクレールがある日突然有名人に。
(日本でもTV解説者が英語読みした「トーマス・ボエックラー」が、しばらくの間定着してしまう。本来の発音に戻ったのは、その後他のレースでも活躍しだしてからだ)
偶然の産物と思われたマイヨジョーヌを、しかしヴォクレールは山岳ステージでも先頭集団に喰らいつき、遅れながらも必至の走りを発揮して、第14ステージまで着続けることになる。いつも困ったような顔で、「マイヨジョーヌマジック」と言えるがむしゃらな走りを続ける様子がフランス人たちのハートを掴んだ。今やシャヴァネルと並びフランスきっての人気選手だ。
ブイグのチーム力でシャルトーのマイヨアポアを守れ!
この日、Bboxブイグテレコムは序盤からピエリック・フェドリゴとセバスチャン・テュルゴー、そしてヴォクレールが逃げに乗り、山岳ポイントを積極的に取りに行った。4つの山岳ポイントのうちひとつめをフォフェドリゴが、残り3つをヴォクレールが先頭通過し、1位通過はすべてブイグが抑えた。テュルゴーは2つ目と3つ目の山岳ポイントをヴォクレールに続いて2位通過するという独占ぶり。ライバルチームの選手に山岳ポイントを取らせないという作戦で、シャルトーのマイヨアポアを守りきった。
実力的には歴代の山岳賞獲得選手に劣るように見えるシャルトーだが、コンタドールやアンディをはじめ山岳の得意な選手は総合争いに没頭中だ。山岳スペシャリストと呼べる選手でここまでに山岳ポイントを稼いできた選手が(うっかり)いないという幸運な状況だ。
ヴォクレール自身が総合3位につけることで、依然として23点差で2位に続くジェローム・ピノー(クイックステップ)が最大のライバルだ。ヴォクレールと2枚看板で、チーム全体で狙うマイヨアポア。それは果たして可能だろうか?
アンディのメカトラに付け込んだコンタドール
総合争いはお預けという予想に反し、マイヨジョーヌが移動した。最後のバレ峠の山頂間際、チェーンを噛み込んで立ち止まったアンディに対してスピードアップを図ったコンタドールがゴールまでに39秒差をつけた。31秒負っていたアンディとのタイム差は、8秒差のアドバンテージとなってマイヨジョーヌを獲得した。メカトラブルに乗じたアタックとして、表彰台にのぼったコンタドールにはブーイングも浴びせられた。
レースには「マイヨジョーヌの選手に落車、パンク、メカトラなどの不運があったときはスピードを上げずに待つ」という不文律が確かに存在する。「紳士協定」ともいうべき約束事だ。しかしコンタドールはそれを守ることなくアンディに対してアタックした。
アンディは明らかに怒っている。ゴールしてすぐにアスタナのイタリア人チームスタッフに対して「ブラーボ」と皮肉を込めた言葉を吐き捨てた。(その後、その行為をテレビで謝罪している)
コンタドールはゴール後の会見でアンディがスローダウンしたのは見たが、トラブルを抱えていたことは知らなかったと弁明した。
しかしアンディは不満を爆発させた。
「"クソったれな出来事"が起こった。2度目のアタックを掛けたときチェーンが挟まって、それを直すためにバイクを降りなければいけなかった。そうしたら彼らはアタックした。
一日中調子が良く、ヤル気に満ち溢れていた。チームも素晴らしい働きで僕を最後の上りで完璧な位置まで引き上げてくれた。
それなのに、いったいなんて言えばいいのか、彼は僕がメカトラにあると分かった途端、全力でアタックした。僕が決めることじゃないが、僕ならマイヨジョーヌにはアタックしない。そんな状況にあるレースリーダーにアタックはしない。彼が僕を引き離したとしても問題じゃない。でもこのやりかたはない」。
怒るアンディは、闘争心に火が点いている。「僕らは皆違うカルチャーをもっているんだろう。個人的には僕はそんな走りはしない。腹の中が煮えくりかえっている。ただ次のチャンスを待つだけだ。トゥールマレーでリベンジするよ」。
トラブルを抱えたアンディに対してアタックしたと批判されるコンタドール。やはり待つべきだったのか?
問題を抱えたマイヨジョーヌは待つべき?
近年において「トラブルを抱えたマイヨジョーヌを待つ」という紳士協定が発揮されたのは、2003年ツール第15ステージにおいて。マイヨジョーヌのアームストロングが沿道の観客が持つサコッシュにハンドルを引っ掛けて落車。そのとき先頭グループにいたヤン・ウルリヒ(ドイツ、当時ビアンキ)は、スピードを上げずにアームストロングの復帰を待った。
アームストロングは集団に復帰するが、今度は踏み込んだペダルから足が外れてしまう。このトラブルを見て、他の選手たちを制止したのはタイラー・ハミルトン(アメリカ、当時CSC)。アームストロングを続けて襲ったトラブルに、ライバル選手たちはアタックせず復帰を待った。結局はその後アームストロングがアタックして山頂ゴールでステージ優勝を挙げている。
遡ること2001年ツールでは、アームストロングと共に逃げを追ってダウンヒルで飛ばしたウルリヒが、オーバースピードでガードレールの脇をすり抜けて草むらに突っ込んでしまう。アームストロングはスローダウンしてウルリヒの復帰を待った(この時は2人ともマイヨジョーヌは着ていない)。
プロトン内でおそらく唯一、この紳士協定を身を持って知る人物であるアームストロングは、コメントを求められてこう答えている。
「2001年にウルリヒが道から落ちたとき、僕は彼を待った。でもそれとは多分違うだろう。今回のは最後の上りで、レースは始まっていた。
後ろにいたので情報だけでしか知らないが、レースの決定的な動きがある局面では必ずしも待たなければいけないというものではない。誰も『コンタドールは待つべきだった』とは言えない。
アンディも石畳(第3ステージ)で(落車で分裂した集団の後方に取り残され遅れた)コンタドールを待たなかった。
レース状況は秒刻みで刻々と変わる。確かなのはレースの最終局面だったということ。メンショフとサンチェスがいて、『僕はマイヨジョーヌを待つよ』と言えただろうか? もしそれが頂上の60m手前で起こったのならアルベルトは待てたかもしれない。それなら一緒に下ろう、と。でもビデオを観るまでは断定的なジャッジはできない」。
アンディのチェーンに故障はなかった
レース後、スペインに移動してホテルを探した。ビエルハの街でサクソバンクが泊まるホテルを見つけ立ち寄ってみる。メカニックトラックの前には問題を起こしたアンディの黄色いスペシャライズドがラックにかけてあった。もう明日からはノーマルカラーのバイクを使うから、整備をするのは次に使うときだ。
チェーンのどこにトラブルがあったのかメカニシャンに尋ねてみた。「チェックしてみたけどとくに問題はなく、問題が見つからない。変速するときにチェーンが引っかかっただけだろう。次に使う前にはたぶん交換するけれど、直す箇所はないから縁起を担いでの交換だね」。
明日から乗るルクセンブルグの紋章のライオン柄のバイクを組み立てるメカニシャンが残念そうにそう話してくれた。
photo&text:Makoto.AYANO
photo:CorVos
※山間部のため通信環境が見つからず、日をまたいでの掲載になりました。遅延をお詫びいたします。
ピレネー山岳決戦2日目
パミエからバニエール・ド・ルションまでの187.5kmで争われる第15ステージは、4つのピレネー山岳ステージの中では難易度が低め。山頂ゴールでないため総合上位陣にとっては勝負を決する日ではないはずだった。
ツール史上2度目の登場となる超級山岳バレ峠は、登坂距離19.3km・平均勾配6.1%という厳しさ。緑に包まれた山を縫うように伸びる道幅の狭い道。雄大なアルプスの山岳路とは違ったピレネー独特の風景が続く。
バレ峠頂上からバニエール・ド・ルションのゴール地点までは急勾配の下り。山頂ゴールと違い、下りで差のつくコースだ。「山頂ゴールでないならアルベルト・コンタドール(アスタナ)とアンディ・シュレク(サクソバンク)のマイヨジョーヌ争いは今日はお預けだろう」という事前予想。しかしそれに反して異変は起こった。コンタドールがマイヨジョーヌを獲得したのは昨年も7月19日。それから最終ステージまで維持してシャンゼリゼに到達しているが、果たして今年も?
2時間に及んだアタック合戦
厳しい山岳ステージだというのに、スタート直後から始まったアタック合戦は実に2時間以上の長きに渡って続いた。逃げては捕まりを繰り返す集団。総合争いから遠ざかった選手たちのステージ優勝を狙う意気込みはとどまるところを知らない。
翌日にも難関山岳ステージを控えながら、疲れることを恐れないタフなアタッカーたち。「明日は休息日じゃない!」
アタックは90km以上を走ってようやく決まった。決まるときは0km地点での一発のアタックで決まる。決まらないときは2時間もアタックが続くというのは、なんとも不可解。
プロトンが洞窟の真っ暗闇の中を通る!
スタート49km地点に石器時代のコスチュームを着た人の群れが現れた。背後には巨大な岩壁がそそり立つ。そしてぽっかりと開いた穴。そこにあるのは"マス・ダジルの洞窟"。
なんとコースはこの観光名所にもなっている洞窟の中を通るというのだ。その区間100mほど。岩盤のなかに突如広がる巨大な空間。ひんやり・真っ暗な岩のトンネルの中を、ツールが通る。自然の地形を生かした道路とはいえ、洞窟のなかを通る道なんて初めてだ。
このユニークな洞窟の道で撮影しようとプロトンを待つ。アタックが繰り返されて高速化したままのツールが真っ暗闇に突入するということに恐怖を感じつつ。
道路の両脇には足元を照らすライトが点いているものの、光量は心もとない。プロトンは高速で突入するが、無事落車なく通過した。(それとも古代人に襲われてひとり減った?)
もちろん選手にはラジオツールで注意喚起がされたようだが、「ウォウォ~」と声をあげながら通過する選手たち。突然のことに驚いていた様子だった。
トリコロールを着たトマの栄光
トリコロールを着た人気者、トマ・ヴォクレール(フランス、Bboxブイグテレコム)が難関バレ峠で10人の逃げ集団から単独アタックを敢行。逃げきり優勝を果たした。
ツールでのステージ優勝は昨年に続いて2年連続2回目。ペルピニャンにゴールした昨年の第5ステージの勝利は、ゴール前のアタックの攻防の末の、追走を振りきってのぎりぎりの勝利だった。しかし今回は自分を祝福する余裕がたっぷりある独走勝利だ(しかしジャージを直し損ねておへそが出ている!)。まさかの難関山岳ステージでの逃げ切り!
フランスチャンピオンジャージを着てのツールのステージ優勝は、1994年のジャッキー・デュランの勝利以来。フランス人選手によるステージ優勝もこれで通算5勝目となった。たとえ総合を狙えるフランス人が現れないとしても、フランス人ファンたちの満足度はこれで十分なほど高まった。
ヴォクレールは今ツールに最高のコンディションをもって乗り込んできていた。チームメイトのユキヤ曰く、『トマは今までとは明らかに違うすごい脚をしている。フランス選手権も絶対勝つと思っていた』と言うほど。しかし、勝利の順番はなかなか回ってこなかった。
チャンスがあったのはヴィノクロフがステージ優勝を挙げた第13ステージ。下りで飛び出してヴィノを追走するが、あと一歩で届かなかった。
ピレネー初日の昨ステージではユキヤとともに遅れて走り、来るチャンスに向けて力を温存した。
トマはフランスいちの人気者
ヴォクレールが一躍有名になったのは、2004年ツールでマイヨジョーヌを着たときから。第5ステージで5人の逃げに乗って、メイン集団に12分というタイム差を稼ぎ、アームストロングからマイヨジョーヌを奪った。当時まだフランスでも無名の選手だったヴォクレールがある日突然有名人に。
(日本でもTV解説者が英語読みした「トーマス・ボエックラー」が、しばらくの間定着してしまう。本来の発音に戻ったのは、その後他のレースでも活躍しだしてからだ)
偶然の産物と思われたマイヨジョーヌを、しかしヴォクレールは山岳ステージでも先頭集団に喰らいつき、遅れながらも必至の走りを発揮して、第14ステージまで着続けることになる。いつも困ったような顔で、「マイヨジョーヌマジック」と言えるがむしゃらな走りを続ける様子がフランス人たちのハートを掴んだ。今やシャヴァネルと並びフランスきっての人気選手だ。
ブイグのチーム力でシャルトーのマイヨアポアを守れ!
この日、Bboxブイグテレコムは序盤からピエリック・フェドリゴとセバスチャン・テュルゴー、そしてヴォクレールが逃げに乗り、山岳ポイントを積極的に取りに行った。4つの山岳ポイントのうちひとつめをフォフェドリゴが、残り3つをヴォクレールが先頭通過し、1位通過はすべてブイグが抑えた。テュルゴーは2つ目と3つ目の山岳ポイントをヴォクレールに続いて2位通過するという独占ぶり。ライバルチームの選手に山岳ポイントを取らせないという作戦で、シャルトーのマイヨアポアを守りきった。
実力的には歴代の山岳賞獲得選手に劣るように見えるシャルトーだが、コンタドールやアンディをはじめ山岳の得意な選手は総合争いに没頭中だ。山岳スペシャリストと呼べる選手でここまでに山岳ポイントを稼いできた選手が(うっかり)いないという幸運な状況だ。
ヴォクレール自身が総合3位につけることで、依然として23点差で2位に続くジェローム・ピノー(クイックステップ)が最大のライバルだ。ヴォクレールと2枚看板で、チーム全体で狙うマイヨアポア。それは果たして可能だろうか?
アンディのメカトラに付け込んだコンタドール
総合争いはお預けという予想に反し、マイヨジョーヌが移動した。最後のバレ峠の山頂間際、チェーンを噛み込んで立ち止まったアンディに対してスピードアップを図ったコンタドールがゴールまでに39秒差をつけた。31秒負っていたアンディとのタイム差は、8秒差のアドバンテージとなってマイヨジョーヌを獲得した。メカトラブルに乗じたアタックとして、表彰台にのぼったコンタドールにはブーイングも浴びせられた。
レースには「マイヨジョーヌの選手に落車、パンク、メカトラなどの不運があったときはスピードを上げずに待つ」という不文律が確かに存在する。「紳士協定」ともいうべき約束事だ。しかしコンタドールはそれを守ることなくアンディに対してアタックした。
アンディは明らかに怒っている。ゴールしてすぐにアスタナのイタリア人チームスタッフに対して「ブラーボ」と皮肉を込めた言葉を吐き捨てた。(その後、その行為をテレビで謝罪している)
コンタドールはゴール後の会見でアンディがスローダウンしたのは見たが、トラブルを抱えていたことは知らなかったと弁明した。
しかしアンディは不満を爆発させた。
「"クソったれな出来事"が起こった。2度目のアタックを掛けたときチェーンが挟まって、それを直すためにバイクを降りなければいけなかった。そうしたら彼らはアタックした。
一日中調子が良く、ヤル気に満ち溢れていた。チームも素晴らしい働きで僕を最後の上りで完璧な位置まで引き上げてくれた。
それなのに、いったいなんて言えばいいのか、彼は僕がメカトラにあると分かった途端、全力でアタックした。僕が決めることじゃないが、僕ならマイヨジョーヌにはアタックしない。そんな状況にあるレースリーダーにアタックはしない。彼が僕を引き離したとしても問題じゃない。でもこのやりかたはない」。
怒るアンディは、闘争心に火が点いている。「僕らは皆違うカルチャーをもっているんだろう。個人的には僕はそんな走りはしない。腹の中が煮えくりかえっている。ただ次のチャンスを待つだけだ。トゥールマレーでリベンジするよ」。
トラブルを抱えたアンディに対してアタックしたと批判されるコンタドール。やはり待つべきだったのか?
問題を抱えたマイヨジョーヌは待つべき?
近年において「トラブルを抱えたマイヨジョーヌを待つ」という紳士協定が発揮されたのは、2003年ツール第15ステージにおいて。マイヨジョーヌのアームストロングが沿道の観客が持つサコッシュにハンドルを引っ掛けて落車。そのとき先頭グループにいたヤン・ウルリヒ(ドイツ、当時ビアンキ)は、スピードを上げずにアームストロングの復帰を待った。
アームストロングは集団に復帰するが、今度は踏み込んだペダルから足が外れてしまう。このトラブルを見て、他の選手たちを制止したのはタイラー・ハミルトン(アメリカ、当時CSC)。アームストロングを続けて襲ったトラブルに、ライバル選手たちはアタックせず復帰を待った。結局はその後アームストロングがアタックして山頂ゴールでステージ優勝を挙げている。
遡ること2001年ツールでは、アームストロングと共に逃げを追ってダウンヒルで飛ばしたウルリヒが、オーバースピードでガードレールの脇をすり抜けて草むらに突っ込んでしまう。アームストロングはスローダウンしてウルリヒの復帰を待った(この時は2人ともマイヨジョーヌは着ていない)。
プロトン内でおそらく唯一、この紳士協定を身を持って知る人物であるアームストロングは、コメントを求められてこう答えている。
「2001年にウルリヒが道から落ちたとき、僕は彼を待った。でもそれとは多分違うだろう。今回のは最後の上りで、レースは始まっていた。
後ろにいたので情報だけでしか知らないが、レースの決定的な動きがある局面では必ずしも待たなければいけないというものではない。誰も『コンタドールは待つべきだった』とは言えない。
アンディも石畳(第3ステージ)で(落車で分裂した集団の後方に取り残され遅れた)コンタドールを待たなかった。
レース状況は秒刻みで刻々と変わる。確かなのはレースの最終局面だったということ。メンショフとサンチェスがいて、『僕はマイヨジョーヌを待つよ』と言えただろうか? もしそれが頂上の60m手前で起こったのならアルベルトは待てたかもしれない。それなら一緒に下ろう、と。でもビデオを観るまでは断定的なジャッジはできない」。
アンディのチェーンに故障はなかった
レース後、スペインに移動してホテルを探した。ビエルハの街でサクソバンクが泊まるホテルを見つけ立ち寄ってみる。メカニックトラックの前には問題を起こしたアンディの黄色いスペシャライズドがラックにかけてあった。もう明日からはノーマルカラーのバイクを使うから、整備をするのは次に使うときだ。
チェーンのどこにトラブルがあったのかメカニシャンに尋ねてみた。「チェックしてみたけどとくに問題はなく、問題が見つからない。変速するときにチェーンが引っかかっただけだろう。次に使う前にはたぶん交換するけれど、直す箇所はないから縁起を担いでの交換だね」。
明日から乗るルクセンブルグの紋章のライオン柄のバイクを組み立てるメカニシャンが残念そうにそう話してくれた。
photo&text:Makoto.AYANO
photo:CorVos
※山間部のため通信環境が見つからず、日をまたいでの掲載になりました。遅延をお詫びいたします。
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