2022/10/22(土) - 19:35
走る哲学者と称されるギヨーム・マルタン(フランス、コフィディス)。ロードレースを言葉で表現できる稀有な存在でもあり、兼ねてから話を聞きたかった選手でもある。COVID-19によりツールを前半でリタイヤした彼に、ジャパンカップで来日したタイミングで、小俣雄風太が話を聞いた。
―今シーズンを振り返ってみて、いかがでしたか?
ちょっと奇妙なシーズンだったと言えるかもしれません。いい瞬間もありました。ツール・ド・ランでステージ優勝と総合優勝できましたし。でもジロのようにがっかりする瞬間もまたありました。体の調子が良くないなりにいいステージもありましたが、悪いステージもあり、最終的には良くない結果でした。
ツールは好調で望みましたが、COVID-19のせいで続けられず。そこから立ち直るのに苦労しましたから……奇妙なシーズンでしたね。まだ終わっていませんし、日曜日のジャパンカップではいい結果を出したいと思っています。
―試走をしてみて、ジャパンカップのコースの印象は?
毎周回で踏まなければならない厳しいコースですね。難しい。シーズン終盤でみんな疲れているということもあり、誰もがどの動きにどう反応するべきか、当日までわからないでしょう。いい走りをしたいと思いますが。(かつてジャパンカップを走ったことのある)チームメイトのレミ・ロシャスは下りに気をつけろと言っていました。テクニックが要ると。いずれにせよ走ってみないとわかりません。
父は合気道の師範
―昨年の東京五輪に続いての来日ですが、その時はおそらく日本を見る時間は無かったかと想像します。再来日を果たして、ここまで日本の印象はいかがですか?
昨年のオリンピックでは悔しい思いをしましたし、バブルもあって日本をほとんど見ることができませんでした。なので移動もしやすくなったこの状況で日本へ戻ってこれたことは嬉しいです。ジャパンカップの後は、パートナーと3週間日本に滞在する予定。ようやくちゃんと旅ができます。父が合気道の師範をしていることもあり、日本のことは良く聞かされる国だったんです。
―そうだったんですね、それは知りませんでした。
父は3回ほど日本には行ったことがあって、そのうちの1度は1年間滞在して、各地の合気道の「センセイ」を訪ねて回ったそうです。合気道の中心地であった茨城の岩間流で多くの時間を過ごしたと聞いています。地図で見ましたが、ここから70kmくらいのところです。だから父はよく日本のことを話したし、私自身も10年ほど合気道に取り組んだから、多少は日本の文化も知っているつもりです。
―合気道は自分に合っていましたか?
ええ、ただ試合のないスポーツという意味では奇妙に感じました。自転車選手は、勝ち負けはっきりしているのが好きですからね(笑)。父はよく続けていたなと思います。父はノルマンディーにもドージョーも建てたんですよ。そこには多くの教え子がいます。
―合気道を止めたのはだいぶ前のことですか?
14歳の頃に止めました。好きだったのは、杖術のカタ(型)です。徒手でのそれよりも気に入っていました。
「走る哲学者」に聞く哲学のこと
―フランスでは高校生の頃に哲学を学ぶといいます。哲学の修士号を持ち、「走る哲学者」と称されるあなたの哲学との出会いを教えて下さい。
高校の必修教科であることで、多くの生徒が哲学に苦手意識を持っていると思っています。それに教員の質もしばしばよくないのです。そんな訳で、多くの人が哲学にいい思い出がないのでしょう。ところが実際のところ、我々はみな哲学者なのです。とりわけ小さな子どもたちはみんな。
なぜなら哲学とは自分自身や存在に対して問いを投げかける営みであり、みなそうしているからです。あるいはそれは哲学ではないと言われるかもしれませんが、私にとっては、それは少なくとも哲学の基礎にあるものです。
時として専門用語によってその輝きが損なわれることがあります。例えばハイデガーなどは、ものすごく複雑です。概念を説明するためだけに発明された言葉があって、鍵となる思考方法を伴わないと、それは掴みどころのないものです。だからこそ、その鍵を与えてくれるよい教師がいることがとても重要であり、私自身としては、より多くの人について話す、よりわかりやすい哲学を示すべく奮闘しています。
―あなた自身は、よい哲学教師に恵まれましたか?
よい先生もいれば、そうでない先生もいました。何人かのよい先生が私の進む道を後押してくれたおかげで成長できたと思います。個人的にはニーチェの哲学に、親しさを覚えています。とても具体的で、日常生活と結びついているように思われます。
著作『自転車に乗るソクラテス』について
―1冊目の著書『自転車に乗るソクラテス』*はとても興味深い内容と構成でした。いかにして着想したのでしょうか。(*訳注:ギリシャナショナルチームがツール・ド・フランスに出場するという設定で、ソクラテスを始めとした哲学者が自転車競技を通してその思想をつまびらかにする。途中途中でマルタン自身の自転車哲学も語られる、という構成)
私はちょっとのユーモアと遊び心を交えて哲学を語ってみたかったのです。哲学者たちを登場させ、彼らに自身の思想を語らせる場としてツール・ド・フランスを設定するのは愉快なことでした。少しユニークな方法だったと思いますが、同時に自転車のことも語りたかった。そんな訳で、自転車が好きな人のために哲学の話を描きたかったのです。それに本や哲学が好きな人のために、自転車の話も描きたかった。この2種類の人を結びつけようという試みです。
―本を出版してみて、改めて自作の意義とは何だったと思いますか?
読んだ人からは「自転車はそんなに好きではない」といったリアクションもあり、私自身学ぶところもありました。反対に、自転車好きの人から「哲学に対してのハードルが下がった」という反応も。「以前は哲学が怖かったけど、今はだいぶ良くなりました」といった具合です。
この意味ではいい評価を得たと言えるでしょう。そしてこうしたもののすべてが、私の考えることと合致しています。というのも、人間存在というのは決して体だけの、あるいは精神だけの存在ではないということです。それこそがこの本の中で私が言いたい唯一のことでもあります。
―プロトンの選手たちで、この本を読んだ人もいたのでしょうか?
ええ、コフィディスの中にも他チームの中にも読んでくれた選手はいますよ。レースのスタート地点で「今君の本を読んでるところだよ」なんて言いに来てくれる選手もいましたね。エステバン・チャベスのことですが。ジョージ・ベネットも……いや、彼のチームメイトでしたが、「君の本は英語に訳されているの?」と聞かれたことも。数カ国後に訳されているので、外国人選手も読んでくれているようです。
―この本は日本語に翻訳されるべきだと個人的に思っています。
そうなるといいですね。すでに中国語には訳されていますし、韓国語にもなっているはずです。今は日本語はありませんから。ところで、日本語がわかると韓国語も理解できるのですか?
―文法は近いと言いますが、文字体系が違うので理解はできないですね。
文字が違うんですね。中国語はどうですか?
―今度は文法が違います。文字に共通のものはあり、意味がわかることもありますが……
カンジ、ですね。
マルタンとの哲学対話
―あなたの人生における哲学的テーマとはなんですか?
これは……大きな問いかけですね。存在する私自身、とでも言いましょうか。私自身は「動きの哲学」を生きていると思います。私にとって哲学することは、雲の中に入ってしまうことではなく、深く考えることではなく、現実と切り離されることでもない。逆に、この「現在」に存在することなのです。であるからこの意味において、肉体を持つ私がスポーツをすることは哲学をすることでもあります。肉体と折り合いをつけているのです。そこにこそ、肉体の哲学、動きの哲学があると言えるでしょう。
―この先本を書く予定はありますか?
すでに2冊目の『プロトン社会』を上梓しており、頭の中には3冊目の構想がすでにあります。
―少しでもどんな本になるか教えてもらえますか?
いや、まだ言えません(笑)。導入部を考えているところです。
―いま日本にいるということで、東洋思想への興味についても教えて下さい。
残念ながら私が受けたフランスの哲学教育の中では、東洋思想に触れる機会がありませんでした。フランスやドイツの哲学は学びますが、別の意味では学んでいないことも多いのです。だからその理解はほとんど無いと言えます。父から聞いたことや、本を読み理解に努めようとはしましたが東洋思想の直感や思考について、私の知識はとても限られたものです。
―触れようと努めたということは、東洋思想の重要性を感じていたのでしょうか?
もちろんです。それに、世界を別の視点から見ることは豊かさをもたらします。そうでなければ、自分たちのパターンや思考方法に凝り固まってしまいます。そうでなければ実際に、フランスやヨーロッパを全く違った世界だと見ることができるのです。
私達は概念や分析、カテゴリーに囚われ、事象や思想の分断の中にいます。東洋哲学においては、流れや動きといったテーマが多く語られているという印象があります。ですから、もし私がこれらの哲学に通じていれば、より自らの思想を高められたかもしれません。というのも、私は「動きの哲学」について語っているからです。ニーチェは東洋哲学に惹かれていました。師匠のショーペンハウワーが仏教を学んでいたからです。
―「動きと哲学」といったテーマは、アンリ・ベルクソンのそれを想起させますが、彼の思想についてはどうお考えですか?
彼の思想は新しい考え方をもたらしました。例えば、「持続」の概念もそうですね。秒に切り分けられる客観的な時間というものに対して、経験された時間としての持続がある。これは動きや流れといったものの捉え方でもあり、この持続という概念はとても面白いものです。ベルクソンは個の立場から物事を考えようとした人なのではないかと私は考えています。個がどのように世界を知覚するか、というところから。
ツールでのリベンジに向けて
―哲学の話は興味深いですが、そろそろお時間につき最後の質問です。来シーズンの展望をお聞かせください。
ツール・ド・フランスにおけるリベンジですね。おそらく他のグランツールは走りません。今年は思い通りにいかずもどかしい思いをしたので、全てをツールに捧げるつもりです。
エピローグ
賢人は決して自らの知性を振りかざさない。ギヨーム・マルタンとのインタビューを通じて、改めてそのことを考えさせられた。こちらの語学力に合わせた言葉を選び、丁寧に、しかしユーモアを交えながらの応答。そして世界や事象への尽きぬ興味。今後彼がレースで、あるいは紙面で、自転車のある種の真実を描く日が来るかもしれない。
text:Yufta Omata
―今シーズンを振り返ってみて、いかがでしたか?
ちょっと奇妙なシーズンだったと言えるかもしれません。いい瞬間もありました。ツール・ド・ランでステージ優勝と総合優勝できましたし。でもジロのようにがっかりする瞬間もまたありました。体の調子が良くないなりにいいステージもありましたが、悪いステージもあり、最終的には良くない結果でした。
ツールは好調で望みましたが、COVID-19のせいで続けられず。そこから立ち直るのに苦労しましたから……奇妙なシーズンでしたね。まだ終わっていませんし、日曜日のジャパンカップではいい結果を出したいと思っています。
―試走をしてみて、ジャパンカップのコースの印象は?
毎周回で踏まなければならない厳しいコースですね。難しい。シーズン終盤でみんな疲れているということもあり、誰もがどの動きにどう反応するべきか、当日までわからないでしょう。いい走りをしたいと思いますが。(かつてジャパンカップを走ったことのある)チームメイトのレミ・ロシャスは下りに気をつけろと言っていました。テクニックが要ると。いずれにせよ走ってみないとわかりません。
父は合気道の師範
―昨年の東京五輪に続いての来日ですが、その時はおそらく日本を見る時間は無かったかと想像します。再来日を果たして、ここまで日本の印象はいかがですか?
昨年のオリンピックでは悔しい思いをしましたし、バブルもあって日本をほとんど見ることができませんでした。なので移動もしやすくなったこの状況で日本へ戻ってこれたことは嬉しいです。ジャパンカップの後は、パートナーと3週間日本に滞在する予定。ようやくちゃんと旅ができます。父が合気道の師範をしていることもあり、日本のことは良く聞かされる国だったんです。
―そうだったんですね、それは知りませんでした。
父は3回ほど日本には行ったことがあって、そのうちの1度は1年間滞在して、各地の合気道の「センセイ」を訪ねて回ったそうです。合気道の中心地であった茨城の岩間流で多くの時間を過ごしたと聞いています。地図で見ましたが、ここから70kmくらいのところです。だから父はよく日本のことを話したし、私自身も10年ほど合気道に取り組んだから、多少は日本の文化も知っているつもりです。
―合気道は自分に合っていましたか?
ええ、ただ試合のないスポーツという意味では奇妙に感じました。自転車選手は、勝ち負けはっきりしているのが好きですからね(笑)。父はよく続けていたなと思います。父はノルマンディーにもドージョーも建てたんですよ。そこには多くの教え子がいます。
―合気道を止めたのはだいぶ前のことですか?
14歳の頃に止めました。好きだったのは、杖術のカタ(型)です。徒手でのそれよりも気に入っていました。
「走る哲学者」に聞く哲学のこと
―フランスでは高校生の頃に哲学を学ぶといいます。哲学の修士号を持ち、「走る哲学者」と称されるあなたの哲学との出会いを教えて下さい。
高校の必修教科であることで、多くの生徒が哲学に苦手意識を持っていると思っています。それに教員の質もしばしばよくないのです。そんな訳で、多くの人が哲学にいい思い出がないのでしょう。ところが実際のところ、我々はみな哲学者なのです。とりわけ小さな子どもたちはみんな。
なぜなら哲学とは自分自身や存在に対して問いを投げかける営みであり、みなそうしているからです。あるいはそれは哲学ではないと言われるかもしれませんが、私にとっては、それは少なくとも哲学の基礎にあるものです。
時として専門用語によってその輝きが損なわれることがあります。例えばハイデガーなどは、ものすごく複雑です。概念を説明するためだけに発明された言葉があって、鍵となる思考方法を伴わないと、それは掴みどころのないものです。だからこそ、その鍵を与えてくれるよい教師がいることがとても重要であり、私自身としては、より多くの人について話す、よりわかりやすい哲学を示すべく奮闘しています。
―あなた自身は、よい哲学教師に恵まれましたか?
よい先生もいれば、そうでない先生もいました。何人かのよい先生が私の進む道を後押してくれたおかげで成長できたと思います。個人的にはニーチェの哲学に、親しさを覚えています。とても具体的で、日常生活と結びついているように思われます。
著作『自転車に乗るソクラテス』について
―1冊目の著書『自転車に乗るソクラテス』*はとても興味深い内容と構成でした。いかにして着想したのでしょうか。(*訳注:ギリシャナショナルチームがツール・ド・フランスに出場するという設定で、ソクラテスを始めとした哲学者が自転車競技を通してその思想をつまびらかにする。途中途中でマルタン自身の自転車哲学も語られる、という構成)
私はちょっとのユーモアと遊び心を交えて哲学を語ってみたかったのです。哲学者たちを登場させ、彼らに自身の思想を語らせる場としてツール・ド・フランスを設定するのは愉快なことでした。少しユニークな方法だったと思いますが、同時に自転車のことも語りたかった。そんな訳で、自転車が好きな人のために哲学の話を描きたかったのです。それに本や哲学が好きな人のために、自転車の話も描きたかった。この2種類の人を結びつけようという試みです。
―本を出版してみて、改めて自作の意義とは何だったと思いますか?
読んだ人からは「自転車はそんなに好きではない」といったリアクションもあり、私自身学ぶところもありました。反対に、自転車好きの人から「哲学に対してのハードルが下がった」という反応も。「以前は哲学が怖かったけど、今はだいぶ良くなりました」といった具合です。
この意味ではいい評価を得たと言えるでしょう。そしてこうしたもののすべてが、私の考えることと合致しています。というのも、人間存在というのは決して体だけの、あるいは精神だけの存在ではないということです。それこそがこの本の中で私が言いたい唯一のことでもあります。
―プロトンの選手たちで、この本を読んだ人もいたのでしょうか?
ええ、コフィディスの中にも他チームの中にも読んでくれた選手はいますよ。レースのスタート地点で「今君の本を読んでるところだよ」なんて言いに来てくれる選手もいましたね。エステバン・チャベスのことですが。ジョージ・ベネットも……いや、彼のチームメイトでしたが、「君の本は英語に訳されているの?」と聞かれたことも。数カ国後に訳されているので、外国人選手も読んでくれているようです。
―この本は日本語に翻訳されるべきだと個人的に思っています。
そうなるといいですね。すでに中国語には訳されていますし、韓国語にもなっているはずです。今は日本語はありませんから。ところで、日本語がわかると韓国語も理解できるのですか?
―文法は近いと言いますが、文字体系が違うので理解はできないですね。
文字が違うんですね。中国語はどうですか?
―今度は文法が違います。文字に共通のものはあり、意味がわかることもありますが……
カンジ、ですね。
マルタンとの哲学対話
―あなたの人生における哲学的テーマとはなんですか?
これは……大きな問いかけですね。存在する私自身、とでも言いましょうか。私自身は「動きの哲学」を生きていると思います。私にとって哲学することは、雲の中に入ってしまうことではなく、深く考えることではなく、現実と切り離されることでもない。逆に、この「現在」に存在することなのです。であるからこの意味において、肉体を持つ私がスポーツをすることは哲学をすることでもあります。肉体と折り合いをつけているのです。そこにこそ、肉体の哲学、動きの哲学があると言えるでしょう。
―この先本を書く予定はありますか?
すでに2冊目の『プロトン社会』を上梓しており、頭の中には3冊目の構想がすでにあります。
―少しでもどんな本になるか教えてもらえますか?
いや、まだ言えません(笑)。導入部を考えているところです。
―いま日本にいるということで、東洋思想への興味についても教えて下さい。
残念ながら私が受けたフランスの哲学教育の中では、東洋思想に触れる機会がありませんでした。フランスやドイツの哲学は学びますが、別の意味では学んでいないことも多いのです。だからその理解はほとんど無いと言えます。父から聞いたことや、本を読み理解に努めようとはしましたが東洋思想の直感や思考について、私の知識はとても限られたものです。
―触れようと努めたということは、東洋思想の重要性を感じていたのでしょうか?
もちろんです。それに、世界を別の視点から見ることは豊かさをもたらします。そうでなければ、自分たちのパターンや思考方法に凝り固まってしまいます。そうでなければ実際に、フランスやヨーロッパを全く違った世界だと見ることができるのです。
私達は概念や分析、カテゴリーに囚われ、事象や思想の分断の中にいます。東洋哲学においては、流れや動きといったテーマが多く語られているという印象があります。ですから、もし私がこれらの哲学に通じていれば、より自らの思想を高められたかもしれません。というのも、私は「動きの哲学」について語っているからです。ニーチェは東洋哲学に惹かれていました。師匠のショーペンハウワーが仏教を学んでいたからです。
―「動きと哲学」といったテーマは、アンリ・ベルクソンのそれを想起させますが、彼の思想についてはどうお考えですか?
彼の思想は新しい考え方をもたらしました。例えば、「持続」の概念もそうですね。秒に切り分けられる客観的な時間というものに対して、経験された時間としての持続がある。これは動きや流れといったものの捉え方でもあり、この持続という概念はとても面白いものです。ベルクソンは個の立場から物事を考えようとした人なのではないかと私は考えています。個がどのように世界を知覚するか、というところから。
ツールでのリベンジに向けて
―哲学の話は興味深いですが、そろそろお時間につき最後の質問です。来シーズンの展望をお聞かせください。
ツール・ド・フランスにおけるリベンジですね。おそらく他のグランツールは走りません。今年は思い通りにいかずもどかしい思いをしたので、全てをツールに捧げるつもりです。
エピローグ
賢人は決して自らの知性を振りかざさない。ギヨーム・マルタンとのインタビューを通じて、改めてそのことを考えさせられた。こちらの語学力に合わせた言葉を選び、丁寧に、しかしユーモアを交えながらの応答。そして世界や事象への尽きぬ興味。今後彼がレースで、あるいは紙面で、自転車のある種の真実を描く日が来るかもしれない。
text:Yufta Omata
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