パリ〜ルーベでも使用されない、知られざる石畳セクターが登場したツール・ド・フランス2022第5ステージ。開幕前から注目されていたリール・メトロポールからアランベールまでの157km、石畳の一日を現地からスケッチする。



フランス北部に多くある石畳の道をプロトンが突き進むフランス北部に多くある石畳の道をプロトンが突き進む photo:Yufta Omata
前日が比較的落ち着いた(しかし最後は激しく、マイヨ・ジョーヌの勝利に沸いたが)ステージだったのと比べると、スタート地点のチームバス付近には若干の緊張感が漂っている。今年のツールの総合を占う上で重要なステージだ。

一方で、この地を訪れるにあたって気になったいたことがあった。なぜ、フランス北部、とりわけパリ〜ルーベの開催されるようなノール県やパ・ド・カレ県にはこんなにも田舎道に石畳があるのか、という疑問である。ヨーロッパ各地で、石畳を見つけることができるけれど、その多くは街中にある。フランス北部のように、交通の往来があるのか? と疑問に思うような街から離れた田舎道に石畳があることがいつも不思議だった。

ツールに組み込まれた石畳セクターを訪れることで、その疑問が少しは解けるだろうか。

この日のキャラバンカーには、地元ノール県のクルマも走った。石畳仕様の特注車がさすが。この日のキャラバンカーには、地元ノール県のクルマも走った。石畳仕様の特注車がさすが。 photo:Yufta Omata
いつもより太いタイヤを履いた選手たちのスタートを見送ってから、この日11個ある石畳セクターの最初のひとつに止まった。今回の取材はシクロワイアードでもお馴染みのフォトグラファー、辻啓に同行させてもらうので、必然的に動き方はフォトグラファーのそれになる。この日のスタート前、辻啓はどのセクターで撮るか、何箇所で撮影ができるか、について各国のフォトグラファーと話し込んでいた。

北の地獄のエッセンスが凝縮されたこの日のレースだが、パリ〜ルーベと進行方向が逆なこと、さらに初めてお目見えの石畳が多いことで、この地の動き方をよく知るフォトグラファーたちにとっても撮影場所の選定は手探り。加えてこれは北のクラシックではなく、夏の祭典ツール・ド・フランスである。厳しいセキュリティや観客の多さも予想され、思うように身動きが取れない可能性を念頭に置いて出発したのだった。

アドリアン・プティのファンクラブが私設ヴィラージュを石畳の傍らにオープンアドリアン・プティのファンクラブが私設ヴィラージュを石畳の傍らにオープン photo:Yufta Omata
セクター11のパヴェにはたくさんの観客が押し寄せていた。中でも人だかりができている一角がある。アンテルマルシェ・ワンティゴベールマテリオのアドリアン・プティのファンクラブが私設ヴィラージュを石畳の傍らにオープンしていて、ビールや軽食を振る舞い賑わっていた。プティはこの地域の出身で、この石畳セクターにはプティの名前がついているのだという。

「バイソン」の愛称をもつプティは地域のヒーローだ。2011年の世界選手権U23で銀メダルに輝き、期待を大きく集めたプティ。この時優勝した同国のアルノー・デマールがスター街道を進んでいくのに比べて、トロブロレオン優勝などの戦歴こそあれどクラシックのサブエースといった立ち位置でキャリアを重ねてきた。国際的な超有名選手というわけではないが、それでも地元にはこれだけのサポートがあり、愛されているということに驚く。選手がレース後のインタビューなどでファンや家族への感謝を述べるとき、こうした身近な人々が念頭に置かれているのだろう。

「プティ」アドリアン・プティな少年。地元のヒーローを応援する「プティ」アドリアン・プティな少年。地元のヒーローを応援する photo:Yufta Omata振る舞われたビール、「ビエール・デ・ザミ」はアンテルマルシェチームのスポンサーでもある。振る舞われたビール、「ビエール・デ・ザミ」はアンテルマルシェチームのスポンサーでもある。 photo:Yufta Omata


アンテルマルシェのスポンサーでもある「ビエール・デ・ザミ」(友達のビール)が、この振る舞いに一役買っているようで、訪れる人たちはビールを片手に選手たち、ーー特にプティ、の到着を待つ。未来のプティ、あるいはそれ以上の選手になるかもしれないアンテルマルシェ姿の"プティ” ギャルソン(小さな少年)がいたので写真を撮らせてもらった。

その他にも多くの観客が石畳に集まっていたが、とにかくベルギー人が多かった。どう見分けるか。ベルギー国旗を掲げているか、ユンボヴィスマのジャージを着ている人はたいていベルギー人である。そして誰もが、ワウト・ファンアールトのファンなのだった。小さな少年から父親、ビールを飲んで顔を赤くしている老人までが。パリ〜ルーベがほとんどベルギーのレースであることは、いろいろなところで触れられているが、それも頷ける話だった。

ひとりはマチューファン、ひとりはワウトファン。よく友情が続くものだひとりはマチューファン、ひとりはワウトファン。よく友情が続くものだ photo:Yufta Omata父子でベルギーから観戦に来ていた。2人の息子は、もちろんワウト・ファンアールトファン。選手たちの到着をわくわくしながら待っていた。父子でベルギーから観戦に来ていた。2人の息子は、もちろんワウト・ファンアールトファン。選手たちの到着をわくわくしながら待っていた。 photo:Yufta Omata


距離が短いこともあってか、この日のレースは高速進行。石畳といっても、選手たちの速度は舗装路のそれと変わらない。むしろ道幅が狭い分体感的にはその通過はより速く感じるくらいのものだ。そしてその後にやってくるモトとチームカーの隊列が巻き上げる砂埃の洗礼を浴び、すっかり体中が砂まみれに。そっと構えていたカメラもその後不調に陥った。

ベルギーからのファン。もちろんイチオシの選手は「ワウト・ファンアールト」ベルギーからのファン。もちろんイチオシの選手は「ワウト・ファンアールト」 photo:Yufta Omata
続いてセクター8の石畳へ先回りして、辻啓は撮影のため奥へ入っていった。現地でしか見られないものを見ておこうと、今度はパヴェの出口に位置取る。パリ〜ルーベではお馴染みの光景だが、舗装路になったところでチームスタッフがホイールを片手に待ち受けている。実際のところ、トップ選手にトラブルがあった時以外は映像に映らないところだが、どんな展開になるのか。

石畳のレースではよく見かける光景。各石畳の出口で、こうしてスタッフが待ち受けるよう各チームが人員を配置する。石畳のレースではよく見かける光景。各石畳の出口で、こうしてスタッフが待ち受けるよう各チームが人員を配置する。 photo:Yufta Omata
各チームのスタッフがパヴェの出口で待っている。基本的には2人組で、ひとりがボトル、ひとりがホイールを持って200mほど離れて待機するスタイル。自身のチームにトラブルがあってほしくないのが本心だが、もし何かがあった時にはここにスタッフが立たせたことが救いの手となる。どのスタッフの表情にも緊張感がある。

AG2Rのシャツを着てボトルを用意していた男性は、ボランティアでこの役割を引き受けているのだという。自身もかつてはアマチュア選手で、今は息子がアマチュアレーサーとして頑張っている。20歳になるその息子と一緒に、AG2Rのサポートとしてツールに帯同中ということだった。

休暇を使い、親子でAG2Rのサポートに志願したという。父はかつてアマチュア選手、息子はいまアマチュア選手なのだとか。休暇を使い、親子でAG2Rのサポートに志願したという。父はかつてアマチュア選手、息子はいまアマチュア選手なのだとか。 photo:Yufta Omata
その息子さんは、役割の重大さにかなり緊張している様子。コロナ対策でなかなかチームの選手と直接には触れ合えないそうだが、それでも若い彼にとっては大きな経験となるだろう。同行する父も、息子の成長をどこか楽しみにしているようでもある。

逃げの数名が行った後、集団がやってくるとこのパヴェ出口には怒号が飛び交った。ホイールを交換する選手こそいなかったものの、ボトルを取りたい選手、取りそこねて転がるボトル、「水をくれ!」と他チームのソワニエに手を伸ばす選手、なりふり構っていられない戦場の様相を呈していた。この頃には集団も分裂をしていて、遅れをとったグループの必死さは、山岳でのグルペットとはまた違う緊迫感に満ちている。

チームスタッフからさらに100mほど離れたところに、個人サポーターがいる。トレック・セガフレードのジャージを着て、ボントレガーのスペアホイールを持って選手を待ち受けていたけれど、彼はチーム関係者でもなんでもなくて、有志の「好きでやっている」人であった。ベルギーから来ているいうと彼は先程のセクター11にもいたし、自走で各セクターをつなぎながらサポートを楽しんでいるのだという。こういう人がいるところに、ベルギーという国の懐の深さを感じる。

遅れた選手たちは必死だ。石畳出口に怒号が飛び交う。遅れた選手たちは必死だ。石畳出口に怒号が飛び交う。 photo:Yufta Omata
最後に立ち寄ったのはセクター1。難易度が高いだけあり、石畳がかなり削れていて、上を歩くだけでもぐらぐらする。もはやここまでくると集団も崩壊していて、ポガチャルの圧巻、ワウトの奮闘、マチューの諦観、サガンの不完全燃焼をそれぞれ違うグループに見つけることになった。

フィニッシュ地点はアランベール。「あの」アランベールだけれど、この日のコースには用いられない。フィニッシュラインをそのまま直進して数百メートル行くと、見たことのあるアランベールの入り口にたどり着く。レースが終わった後、またとない機会にアランベールの森、現地ではトルエー・ダランベールと呼ばれる石畳を訪れた。

レースのないアランベールの小路は、森に覆われた気持ちのよい道だった。夕刻を知った鳥の鳴き声がこだまして、あたかも深い森の中にいるような錯覚さえ抱かせた。なぜこうした石畳がこの地にこんなにも多いのか。この日最初のパヴェセクターで観戦していた地元の方の言葉に膝を打ったのだった。最後に紹介する。

フィニッシュ後、アランベールの石畳へと赴いたフィニッシュ後、アランベールの石畳へと赴いた photo:Yufta Omata
「かつてこの地域は貧しく、路面の舗装を満足に行うことができなかった。そのため、安価に敷設できる石畳の道が増えた。時代が下って、舗装が進む段になって、この石畳の道こそ、地域に固有な文化遺産だと考えるようになったんだ。だからあえて補修をしながら、石畳を残すようになったんだ。いわば、石畳は私たちの誇りなんだよ」

なぜこの地域に石畳が多いのか、そしてなぜ石畳を走るレースが今も行われるのか、ちょっとわかったような気がしたツール・ド・フランスの1ステージだった。

text&photo:Yufta Omata in France


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