2018/10/22(月) - 10:10
ジャパンカップ開催直後の夜、BMCレーシングチームのファン交流会が、宇都宮市内のダイニングバー『LAU LAU』にて開催された。BMCジャージや、各々が制作したオリジナルグッズ等を身にまとった熱心なファンが集ったこの会の模様を、サイモン・ゲランスの独占ショートインタビューとともにお送りする。
選手達による乾杯ではじまったBMCファン交流会 photo: Yuichiro Hosoda
この会は、チームのジャパンカップ参戦回数と等しく4回目となる。長年プロトンの中にあった赤と黒のジャージを纏うワークスチームとしては最後となる訪日でもあり、チームの解散を惜しむファン達が会場に駆けつけた。開始時刻の少し前にはチームの選手とスタッフが揃って到着し、ドリンクが来場者に行き渡ったところで乾杯。それを終えるとすぐにフリータイムとなった。
通常であればここからたとえば選手のトークコーナーであったり、抽選会などを盛り込んで会が進んでいくところだが、こちらのパーティーでは選手も参加者も最後までオールフリー。もちろんこれにはワケがある。
入口でBMC Teammachine SLR01がお出迎え photo: Yuichiro Hosoda
入口のもう一方には、ファンの方から贈られた花が飾られていた photo: Yuichiro Hosoda
開始時刻が近づくと、BMCレーシングチームの面々が会場に到着 photo: Yuichiro Hosoda
来場してすぐ撮った会場のファン達の写真を監督に見せるニコラス・ロッシュ photo: Yuichiro Hosoda
2回目の開催までは、前述のような様々なイベントを盛り込んだものだったのだが、それらをこなすために目一杯となり、選手とファンの人達が一定の距離を保ったまま進んでしまい、直接触れ合う機会が少なかったのだ。そこで、もっとお互いがリラックスした雰囲気の中で直接触れ合える時間を長く取ろう、と言うことで、前回からはこのような形式に落ち着いたのだと言う。
そうした和やかなムードの中、「まずは食事」と選手も参加者も用意されたオードブルやデザートに。テーブルあるいは立食で食事を取りつつ、選手やスタッフを交えたファンの皆さんのコミュニケーションもスタート。英語が上手な人も苦手な人も「応援する選手と間近で交流出来るチャンス」と勇気を出してアタックをかけていった。中にはパーティーの常連と言うだけでなく、ジャパンカップ期間中に食事へ行った店で偶然会い、すでに選手達と顔なじみになっていたファンの方も。
あちこちで交流を楽しむファンの皆さん photo: Yuichiro Hosoda
日本メーカーのお菓子を選手達にプレゼントしたファンの方。アレクサンダー・エヴァンスとパチリ。エヴァンスには「メイジは日本のハイブランドチョコメーカーだ」と教えておきました photo: Yuichiro Hosoda
ファンに混じって交流を深めていたジョセフ・ロスコフ photo: Yuichiro Hosoda
すでに何度も来ていると言う熱心なファンの方々。入口にあった花を贈られたのは、実は右の方 photo: Yuichiro Hosoda
ジャパニーズ・ニンジャと一緒でゴキゲンのフレディ・オヴェット photo: Yuichiro Hosoda
バーカウンターにギレン・ザビ像とマグカップ。バーテンダーさんがガンダムファンで、お店のお客様がプレゼントしてくれたのだとか「店のお守りです。普通ならシャアとかですけど、ギレンと言うところがいいですよね」 photo: Yuichiro Hosoda
リッチー・ポートの写真が入ったレキップ紙のサコッシュ、その制作秘話
現チームとしての終了を惜しみ「Thank you! BMC Racing Team」のお揃いTシャツを着ていた女性陣。全部で5名ほどいらしていた photo: Yuichiro Hosodaパーティーには「Thank you! BMC Racing Team」と言うお揃いのTシャツを着て、これまでの感謝を表現した女性ファンの人達も来場していた。この揃いのTシャツを着た皆さんの中に、フランスのメジャースポーツ紙『レキップ』で作られたサコッシュを下げている方がいた。
その紙面にはBMCレーシングチーム所属のリッチー・ポートが、マイヨジョーヌのクリス・フルームを引き離すシーンが載っていて、これはもちろんこのチームのパーティーに合わせて購入されたものであるが、サコッシュそのものの生い立ちにはもっと深い理由があった。
2017年4月22日、トレーニング中にトラックと衝突して亡くなったアスタナのミケーレ・スカルポーニ。その死後、彼の家族がこのような悲劇が再び起こらぬようにと『ミケーレ・スカルポーニ基金』を、昨年のジロの開催に合わせ設立した。そこへの寄付を募るために作られたのが、このニュースペーパーサコッシュだ。会場では、レキップ紙の他にガゼッタ・デッロ・スポルト紙のバージョンもあった。サコッシュを購入すると全額がこの基金に寄付される。
制作者は高知県の北村香奈江さん(→Twitterはこちら)。シクロワイアードでも以前、高知取材にてご協力いただいた方だ。彼女は、基金が立ち上がる前の昨年すでに、母子家庭となったスカルポーニの家族を支えようと、ジロのサルデーニャ島でのステージ中にアスタナのチームバスへ行き、知人であるスタッフを通じて有志による寄付金の受け渡しを行っている。そして基金立ち上げ後の今年のジロ、今度はスカルポーニのご家族に会い、直接寄付金をお渡しすることが出来たと語ってくれた。
チャリティーニュースペーパーサコッシュと、製作者の北村香奈江さん (左はツール・ド・フランス2016第17ステージでリッチー・ポートがアタックしてクリス・フルームを引き離すシーン、右はジロ・デ・イタリア2016第19ステージで ミケーレ・スカルポーニがチーマコッピを単独先頭通過した事を振り返った記事と思われる)photo: Yuichiro Hosoda
このような悲劇が繰り返されぬよう、彼女は今後も活動を続けていくと言う。余談だが、昨年までBMCレーシングチームに所属していたダニエル・オスの熱心なファンでもある。
大ベテランメカニックのペリーさん
筆者の拙い英語で、ちょっと気になっていたメカニックのペリーさんに少しお話を聞いた。いかにもベテランと言った出で立ちの彼は、もう30年もこの仕事をしている。「この白髪を見ればわかるだろう?」とジョークを飛ばす。
「BMC以前に所属していたチームはどこ?」と聞くと、「(ドイチェ)テレコム、ヤン・ウルリッヒがいたね。あとアスタナもね。アームストロングがいたよ」と。やはりすごい経歴をお持ちの方であったが、非常にフレンドリーな方で、私が「ミスター・ペリー」と語りかけると、「ミスターはいらないよ。君は鼻筋が立っていてイタリア人みたいだね」と言って会話の入りを和ませてくれた。
トッププロのメカニックとして30年もの経歴を持つペリーさん。フレンドリーに取材に応じてくれた photo: Yuichiro Hosoda
引退し、新しいキャリアへと向かう サイモン・ゲランスインタビュー
「パンチャー」と言えばこの人だろうか。オールラウンダーやクライマーではないが、時に彼をも凌ぐビッグネームを打ち負かし、非常に強いインパクトを残す走りを見せたのがサイモン・ゲランスだった。今回のパーティーの合間に短い時間ながら、ジャパンカップで引退レースを迎えた彼のキャリアをほんのり振り返るインタビューを行うことが出来たので、この記事の最後にそれをお送りしたい。
ファンのお願いに気さくに応じていたサイモン・ゲランス photo: Yuichiro Hosoda
――2004年、フランスのチームでプロのキャリアが始まり、その後ツール・ド・フランスの第17ステージで初勝利を収めました。その時のことを振り返っていただけますか。
ゲランス:勝ったのは2008年ですね。ツール・ド・フランスと言うのは世界最大のレースで、壮大なスリルもありましたし、そういう場所で勝利すると言うのは、想像も出来なかったような体験でした。
――ホームレースのツアー・ダウンアンダーでは4度の総合優勝を遂げていますね。地元開催のビッグレースと言うことで、このレースへの思い入れはどのようなものであったか教えてください。
ゲランス:本当にいろんな意味で大切なレースです。2006年はトップチームでの最初の優勝でしたし、次の2012年の勝利はオリカ・グリーンエッジと言う、オーストラリアンチームでの勝利でこれも格別な想いがありました。それにシーズンの開幕レースだから、自然と気持ちが高ぶるんです。良い思い出がたくさんあるレースですね。
――モニュメントレース(ミラノ〜サンレモ)を勝った時は、どのように感じましたか。
ゲランス:当時、レース前は優勝候補ではなかったのですが、とても良いコンディションでレースに入れました。レース中も大きなチャンスがあり、強力な選手であるファビアン・カンチェラーラとヴィンツェンツォ・ニバリに勝つことが出来て本当に嬉しかった。私のキャリアの中でもたいへん幸せな出来事でした。
乾杯前、「引退するけど、どう?」と聞かれ「今リクルート中なんです。仕事ください」と笑わせてくれたサイモン・ゲランス photo: Yuichiro Hosoda――最後に引退について。どのようなきっかけで引退を決意されたのかお聞かせください。
ゲランス:今年決めたのですが、今のキャリアが始まった時に想像も出来なかったことをやり遂げてきて、そろそろ次のチャレンジに挑みたいと思ったのです。それと、今年からこのチームで走ることになったのですが、バイクがとても良かったんです。もっと前からBMCに乗って走れなくて残念でした。そうしたらもっと勝てたのに(笑)
――先程、乾杯前の挨拶では求職中だと言っていましたが、実際のところ次のキャリアはどのようなものにするか決めていらっしゃいますか?
ゲランス:実は金融関係の職に就くことを決めていて、来年1月からその仕事を始めることになっています。
――全く自転車と関係のないお仕事ですが、それに決めた理由は?
ゲランス:確かに自転車に乗ることとはかけ離れてはいますが、自転車と同じように努力をしないと成功しない事でもあり、共通点も多くあると考えています。
――ありがとうございました。次のキャリアへのチャレンジも応援しています。
インタビューはここまで。突然のリクエストに応えてくれた上、終始笑顔で受け答えしてくれたサイモン・ゲランス選手、ならびに通訳を務めてくださったフタバ商店BMC担当のザックさんに感謝いたします。引退後も続く彼のチャレンジにグッドラック!
乾杯を前に行われた記念撮影。BMCレーシングチームのメンバーが、来場したファンとともに笑顔でカメラに収まった photo: Yuichiro Hosoda
text&photo: Yuichiro Hosoda

この会は、チームのジャパンカップ参戦回数と等しく4回目となる。長年プロトンの中にあった赤と黒のジャージを纏うワークスチームとしては最後となる訪日でもあり、チームの解散を惜しむファン達が会場に駆けつけた。開始時刻の少し前にはチームの選手とスタッフが揃って到着し、ドリンクが来場者に行き渡ったところで乾杯。それを終えるとすぐにフリータイムとなった。
通常であればここからたとえば選手のトークコーナーであったり、抽選会などを盛り込んで会が進んでいくところだが、こちらのパーティーでは選手も参加者も最後までオールフリー。もちろんこれにはワケがある。




2回目の開催までは、前述のような様々なイベントを盛り込んだものだったのだが、それらをこなすために目一杯となり、選手とファンの人達が一定の距離を保ったまま進んでしまい、直接触れ合う機会が少なかったのだ。そこで、もっとお互いがリラックスした雰囲気の中で直接触れ合える時間を長く取ろう、と言うことで、前回からはこのような形式に落ち着いたのだと言う。
そうした和やかなムードの中、「まずは食事」と選手も参加者も用意されたオードブルやデザートに。テーブルあるいは立食で食事を取りつつ、選手やスタッフを交えたファンの皆さんのコミュニケーションもスタート。英語が上手な人も苦手な人も「応援する選手と間近で交流出来るチャンス」と勇気を出してアタックをかけていった。中にはパーティーの常連と言うだけでなく、ジャパンカップ期間中に食事へ行った店で偶然会い、すでに選手達と顔なじみになっていたファンの方も。






リッチー・ポートの写真が入ったレキップ紙のサコッシュ、その制作秘話

その紙面にはBMCレーシングチーム所属のリッチー・ポートが、マイヨジョーヌのクリス・フルームを引き離すシーンが載っていて、これはもちろんこのチームのパーティーに合わせて購入されたものであるが、サコッシュそのものの生い立ちにはもっと深い理由があった。
2017年4月22日、トレーニング中にトラックと衝突して亡くなったアスタナのミケーレ・スカルポーニ。その死後、彼の家族がこのような悲劇が再び起こらぬようにと『ミケーレ・スカルポーニ基金』を、昨年のジロの開催に合わせ設立した。そこへの寄付を募るために作られたのが、このニュースペーパーサコッシュだ。会場では、レキップ紙の他にガゼッタ・デッロ・スポルト紙のバージョンもあった。サコッシュを購入すると全額がこの基金に寄付される。
制作者は高知県の北村香奈江さん(→Twitterはこちら)。シクロワイアードでも以前、高知取材にてご協力いただいた方だ。彼女は、基金が立ち上がる前の昨年すでに、母子家庭となったスカルポーニの家族を支えようと、ジロのサルデーニャ島でのステージ中にアスタナのチームバスへ行き、知人であるスタッフを通じて有志による寄付金の受け渡しを行っている。そして基金立ち上げ後の今年のジロ、今度はスカルポーニのご家族に会い、直接寄付金をお渡しすることが出来たと語ってくれた。

このような悲劇が繰り返されぬよう、彼女は今後も活動を続けていくと言う。余談だが、昨年までBMCレーシングチームに所属していたダニエル・オスの熱心なファンでもある。
大ベテランメカニックのペリーさん
筆者の拙い英語で、ちょっと気になっていたメカニックのペリーさんに少しお話を聞いた。いかにもベテランと言った出で立ちの彼は、もう30年もこの仕事をしている。「この白髪を見ればわかるだろう?」とジョークを飛ばす。
「BMC以前に所属していたチームはどこ?」と聞くと、「(ドイチェ)テレコム、ヤン・ウルリッヒがいたね。あとアスタナもね。アームストロングがいたよ」と。やはりすごい経歴をお持ちの方であったが、非常にフレンドリーな方で、私が「ミスター・ペリー」と語りかけると、「ミスターはいらないよ。君は鼻筋が立っていてイタリア人みたいだね」と言って会話の入りを和ませてくれた。

引退し、新しいキャリアへと向かう サイモン・ゲランスインタビュー
「パンチャー」と言えばこの人だろうか。オールラウンダーやクライマーではないが、時に彼をも凌ぐビッグネームを打ち負かし、非常に強いインパクトを残す走りを見せたのがサイモン・ゲランスだった。今回のパーティーの合間に短い時間ながら、ジャパンカップで引退レースを迎えた彼のキャリアをほんのり振り返るインタビューを行うことが出来たので、この記事の最後にそれをお送りしたい。

――2004年、フランスのチームでプロのキャリアが始まり、その後ツール・ド・フランスの第17ステージで初勝利を収めました。その時のことを振り返っていただけますか。
ゲランス:勝ったのは2008年ですね。ツール・ド・フランスと言うのは世界最大のレースで、壮大なスリルもありましたし、そういう場所で勝利すると言うのは、想像も出来なかったような体験でした。
――ホームレースのツアー・ダウンアンダーでは4度の総合優勝を遂げていますね。地元開催のビッグレースと言うことで、このレースへの思い入れはどのようなものであったか教えてください。
ゲランス:本当にいろんな意味で大切なレースです。2006年はトップチームでの最初の優勝でしたし、次の2012年の勝利はオリカ・グリーンエッジと言う、オーストラリアンチームでの勝利でこれも格別な想いがありました。それにシーズンの開幕レースだから、自然と気持ちが高ぶるんです。良い思い出がたくさんあるレースですね。
――モニュメントレース(ミラノ〜サンレモ)を勝った時は、どのように感じましたか。
ゲランス:当時、レース前は優勝候補ではなかったのですが、とても良いコンディションでレースに入れました。レース中も大きなチャンスがあり、強力な選手であるファビアン・カンチェラーラとヴィンツェンツォ・ニバリに勝つことが出来て本当に嬉しかった。私のキャリアの中でもたいへん幸せな出来事でした。

ゲランス:今年決めたのですが、今のキャリアが始まった時に想像も出来なかったことをやり遂げてきて、そろそろ次のチャレンジに挑みたいと思ったのです。それと、今年からこのチームで走ることになったのですが、バイクがとても良かったんです。もっと前からBMCに乗って走れなくて残念でした。そうしたらもっと勝てたのに(笑)
――先程、乾杯前の挨拶では求職中だと言っていましたが、実際のところ次のキャリアはどのようなものにするか決めていらっしゃいますか?
ゲランス:実は金融関係の職に就くことを決めていて、来年1月からその仕事を始めることになっています。
――全く自転車と関係のないお仕事ですが、それに決めた理由は?
ゲランス:確かに自転車に乗ることとはかけ離れてはいますが、自転車と同じように努力をしないと成功しない事でもあり、共通点も多くあると考えています。
――ありがとうございました。次のキャリアへのチャレンジも応援しています。
インタビューはここまで。突然のリクエストに応えてくれた上、終始笑顔で受け答えしてくれたサイモン・ゲランス選手、ならびに通訳を務めてくださったフタバ商店BMC担当のザックさんに感謝いたします。引退後も続く彼のチャレンジにグッドラック!

text&photo: Yuichiro Hosoda
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宇都宮餃子公式ガイドブック vol.6
下野新聞社