2018/05/16(水) - 14:59
チャベスの失速とモホリッチの初勝利。消費カロリーが6,060kcalに達する長い1日が終わった。低温で雨降りのなか行われたジロ・デ・イタリア第10ステージの模様を現地からお届けします。
イスラエルからシチリアに渡り、イタリア半島を北上中のジロ・デ・イタリアはアブルッツォ州に入った。現在ジロは「長靴形」のイタリア半島のふくらはぎから膝裏の辺りにかけてを走っている。北上とともに乾燥した土地に緑が茂るようになり、レンガ色の建物が増え、路面状況は幾分かマシになる。アブルッツォ州はファンティーニbyファルネーゼ社のお膝元であり、NIPPOヴィーニファンティーニのジャージを着たアマチュアサイクリストもちらほら。
コース変更によって、今大会最長の239kmコースが244kmまで延長された。244kmといえばメジャークラシックの肩を並べる長さ。しかも獲得標高差は3,800mあり、しかもスタート後すぐに2級山岳フォンテ・デッラ・クレータの登りが始まる(というより正式スタートのアーチ自体が登りに置かれている)。前日が休息日だったこともあり、多くのチームがローラー台で入念にアップしてからスタートした。
ペンネ(パスタの一種ペンネと同じ綴り)のスタート地点は、太陽が出ているにもかかわらず、気温18度ほどで肌寒い。標高はそれほど高くないが、冬場はアペニン山脈の東麓に位置するこの辺りは風の影響で深い雪に覆われるという。最初の2級山岳フォンテ・デッラ・クレータの頂上手前にあるリゴピアーノは、2017年1月18日に発生した大規模な雪崩によって多くの犠牲者が出た場所。前日からマグニチュード5クラスの地震が4回続いた影響でグランサッソ(第9ステージのフィニッシュ地点)で雪崩が発生し、猛烈な量の雪塊が猛烈なスピードでリゴピアーノのホテルを直撃した。
あまりの雪深さに救助隊の到着に時間を要したため29名もの犠牲者が出た。救助隊はスキーで現場に向かわなければならず、イタリア北部のヴァッレ・ダオスタ州から大型の除雪機が到着してようやく重機による救助作業が可能となったという。ジロは亡くなった29名を追悼し、前日に関係者と地元出身のジュリオ・チッコーネ(イタリア、バルディアーニCSF)が事故現場に献花を行っている。
アブルッツォ州キエーティ出身のチッコーネは、地元の期待を背負い、事故現場の前を通過する2級山岳フォンテ・デッラ・クレータを先頭で通過している。
この日は距離の長さだけでなく、獲得標高差も3,800mオーバーという難易度で、しかも終盤にかけて雨が降り、気温も10度前後まで下がった。フィニッシュした選手たちの表情はみな一様にどこか蒼白かった。
マテイ・モホリッチ(スロベニア、バーレーン・メリダ)の優勝タイムは6時間4分49秒。平均スピードは40.0km/hで、最高スピードは89.4km/h。平均ケイデンス86rpm、平均出力255W(NP320W)、最大出力1,030W、1分間ピーク554W、そして消費カロリーは6,060kcalに達している。
モホリッチは下りのテクニックで力を温存したことが勝利につながったと言える。モホリッチと言えば、2013年のロード世界選手権(イタリア/フィレンツェ)U23ロードレースで勝った際に、下りでハンドルに上半身を乗せてペダリングする独特の姿が話題になった選手だ。
ニコ・デンツ(ドイツ、アージェードゥーゼール)とのスプリント一騎打ちで20秒間にわたって780Wを出力し、最高スピード52.7km/h(登り基調)で優勝したモホリッチ。2014年に19歳でプロ入りし、現在23歳ながらプロ5年目。24歳リカルド・カラパス(エクアドル、モビスター)と25歳サイモン・イェーツ(イギリス、ミッチェルトン・スコット)を抜いて今大会最年少のステージ優勝者となった。
なお、スロベニア人は2014年以降欠かさずステージ優勝を飾っている。2014年第21ステージでルカ・メズゲッツ、2015年第5ステージでヤン・ポランツェ、2016年第9ステージでプリモシュ・ログリッチェ、2017年第5ステージでポランツェ、そして2018年第10ステージでモホリッチが優勝。スロベニア人スタッフやスロベニア人選手が多数揃っているバーレーン・メリダでモホリッチはのびのびと走っている印象を受ける。
ミッチェルトン・スコットはマリアローザを守ったが、マリアアッズーラを着る総合2位エステバン・チャベス(コロンビア)を集団に復帰させることができなかった。同じく第2集団を率いたクイックステップフロアーズもマリアチクラミーノのエリア・ヴィヴィアーニ(イタリア)を集団に戻せず。偶然にも、この2チームが休息日に宿泊したホテルは同じだった(自分も同じだった)。
ミッチェルトン・スコットは25分以上遅れたチャベスの失速の原因を究明中だとしているが、コロンビアンジャーナリストの情報によると、チャベスは休息日に喉に違和感があったという。
タイムオーバーを心配する声もあったが、この日のステージ難易度は「C」で、優勝者の平均スピードが40.0km/hだったため、ルールブックによるとリミットは優勝タイム(6時間4分49秒)プラス10%。つまりモホリッチから36分29秒遅れても問題はない。この日は最終グルペットが30分14秒遅れで、全員がリミット内でフィニッシュしている。
休息日明けはやはり何かが起こる。そして次の休息日明けは重要な個人タイムトライアル。チャベスの失速を受け、どの選手も次の休息日の過ごし方について考えを巡らせているはずだ。
text&photo:Kei Tsuji in Gualdo Tadino, Italy
イスラエルからシチリアに渡り、イタリア半島を北上中のジロ・デ・イタリアはアブルッツォ州に入った。現在ジロは「長靴形」のイタリア半島のふくらはぎから膝裏の辺りにかけてを走っている。北上とともに乾燥した土地に緑が茂るようになり、レンガ色の建物が増え、路面状況は幾分かマシになる。アブルッツォ州はファンティーニbyファルネーゼ社のお膝元であり、NIPPOヴィーニファンティーニのジャージを着たアマチュアサイクリストもちらほら。
コース変更によって、今大会最長の239kmコースが244kmまで延長された。244kmといえばメジャークラシックの肩を並べる長さ。しかも獲得標高差は3,800mあり、しかもスタート後すぐに2級山岳フォンテ・デッラ・クレータの登りが始まる(というより正式スタートのアーチ自体が登りに置かれている)。前日が休息日だったこともあり、多くのチームがローラー台で入念にアップしてからスタートした。
ペンネ(パスタの一種ペンネと同じ綴り)のスタート地点は、太陽が出ているにもかかわらず、気温18度ほどで肌寒い。標高はそれほど高くないが、冬場はアペニン山脈の東麓に位置するこの辺りは風の影響で深い雪に覆われるという。最初の2級山岳フォンテ・デッラ・クレータの頂上手前にあるリゴピアーノは、2017年1月18日に発生した大規模な雪崩によって多くの犠牲者が出た場所。前日からマグニチュード5クラスの地震が4回続いた影響でグランサッソ(第9ステージのフィニッシュ地点)で雪崩が発生し、猛烈な量の雪塊が猛烈なスピードでリゴピアーノのホテルを直撃した。
あまりの雪深さに救助隊の到着に時間を要したため29名もの犠牲者が出た。救助隊はスキーで現場に向かわなければならず、イタリア北部のヴァッレ・ダオスタ州から大型の除雪機が到着してようやく重機による救助作業が可能となったという。ジロは亡くなった29名を追悼し、前日に関係者と地元出身のジュリオ・チッコーネ(イタリア、バルディアーニCSF)が事故現場に献花を行っている。
アブルッツォ州キエーティ出身のチッコーネは、地元の期待を背負い、事故現場の前を通過する2級山岳フォンテ・デッラ・クレータを先頭で通過している。
この日は距離の長さだけでなく、獲得標高差も3,800mオーバーという難易度で、しかも終盤にかけて雨が降り、気温も10度前後まで下がった。フィニッシュした選手たちの表情はみな一様にどこか蒼白かった。
マテイ・モホリッチ(スロベニア、バーレーン・メリダ)の優勝タイムは6時間4分49秒。平均スピードは40.0km/hで、最高スピードは89.4km/h。平均ケイデンス86rpm、平均出力255W(NP320W)、最大出力1,030W、1分間ピーク554W、そして消費カロリーは6,060kcalに達している。
モホリッチは下りのテクニックで力を温存したことが勝利につながったと言える。モホリッチと言えば、2013年のロード世界選手権(イタリア/フィレンツェ)U23ロードレースで勝った際に、下りでハンドルに上半身を乗せてペダリングする独特の姿が話題になった選手だ。
ニコ・デンツ(ドイツ、アージェードゥーゼール)とのスプリント一騎打ちで20秒間にわたって780Wを出力し、最高スピード52.7km/h(登り基調)で優勝したモホリッチ。2014年に19歳でプロ入りし、現在23歳ながらプロ5年目。24歳リカルド・カラパス(エクアドル、モビスター)と25歳サイモン・イェーツ(イギリス、ミッチェルトン・スコット)を抜いて今大会最年少のステージ優勝者となった。
なお、スロベニア人は2014年以降欠かさずステージ優勝を飾っている。2014年第21ステージでルカ・メズゲッツ、2015年第5ステージでヤン・ポランツェ、2016年第9ステージでプリモシュ・ログリッチェ、2017年第5ステージでポランツェ、そして2018年第10ステージでモホリッチが優勝。スロベニア人スタッフやスロベニア人選手が多数揃っているバーレーン・メリダでモホリッチはのびのびと走っている印象を受ける。
ミッチェルトン・スコットはマリアローザを守ったが、マリアアッズーラを着る総合2位エステバン・チャベス(コロンビア)を集団に復帰させることができなかった。同じく第2集団を率いたクイックステップフロアーズもマリアチクラミーノのエリア・ヴィヴィアーニ(イタリア)を集団に戻せず。偶然にも、この2チームが休息日に宿泊したホテルは同じだった(自分も同じだった)。
ミッチェルトン・スコットは25分以上遅れたチャベスの失速の原因を究明中だとしているが、コロンビアンジャーナリストの情報によると、チャベスは休息日に喉に違和感があったという。
タイムオーバーを心配する声もあったが、この日のステージ難易度は「C」で、優勝者の平均スピードが40.0km/hだったため、ルールブックによるとリミットは優勝タイム(6時間4分49秒)プラス10%。つまりモホリッチから36分29秒遅れても問題はない。この日は最終グルペットが30分14秒遅れで、全員がリミット内でフィニッシュしている。
休息日明けはやはり何かが起こる。そして次の休息日明けは重要な個人タイムトライアル。チャベスの失速を受け、どの選手も次の休息日の過ごし方について考えを巡らせているはずだ。
text&photo:Kei Tsuji in Gualdo Tadino, Italy