ラリーカー事故で亡くなったフランコ・バッレリーニ元イタリア代表監督の葬儀が2月9日、イタリア・ピストイアで行なわれた。葬儀には名立たるチャンピオンが出席。ガゼッタ紙に掲載された著名人のコメントを紹介する。

フランコ・バッレリーニ元イタリア代表監督フランコ・バッレリーニ元イタリア代表監督 photo:Cor Vos2月7日に突然飛び込んできたバッレリーニ氏事故死という訃報。ガゼッタ紙によると、地元ピストイアで行なわれたバッレリーニ氏の葬儀には、ジモンディ、モゼール、サロンニ、フォンドリエスト、チポッリーニ、ベッティーニ、クネゴを含め、5000人が出席。イタリア代表監督の早すぎる死を悼んだ。

また、ツアー・オブ・カタールでは、第2ステージのスタート前に1分間の黙祷が捧げられ、イタリア人選手は左腕に喪章をつけて走った。第3ステージで勝利したトム・ボーネン(ベルギー、クイックステップ)も「この勝利をフランコ・バッレリーニに捧げる」と語った。

以下はガゼッタ紙に掲載された著名人のコメント。

ランス・アームストロング(アメリカ、レディオシャック)
フランコ・バッレリーニの逝去を知り、悲しい気持ちに包まれている。彼とは何年も一緒にレースを走った。偉大なチャンピオンであるのと同時に、クールで親しみやすいアニキだった。残された家族のことを考えると胸が痛む。安らかに眠って欲しい。

パット・マックエイド(国際自転車競技連合会長)
彼は世界で最も優秀な監督だったと思う。彼と知り合ってからずっと、その誠実な人柄に感心していた。彼の逝去は、誰にも埋めることが出来ない空虚感を我々に残した。サイクリングの世界を代表して、遺族に哀悼の意を表したい。

ジュゼッペ・サロンニ(ランプレ・チームマネージャー、1982年世界チャンピオン)
彼との思い出は数えきれないほどある。ジュニア時代から彼と同じレースを走り、数々の苦難をともにして来た。知らせを聞いてまだ動揺している。彼がラリーに情熱を注いでいたことは知っていた。彼が引退を決めた時「これからは趣味を楽しむ。ラリーに参加するんだ」と話してくれた。今回の事故は運命だったと言うしかない。フランコは一流のプロだった。とにかく今は喪失感に襲われている。いつまでも彼の笑顔を忘れずにいたい。

フランチェスコ・モゼール(1977年世界チャンピオン)
彼は唯一無比の存在だった。(監督として)彼の代役を探すことは困難を極めるだろう。このような悲劇が起こったとき、いつも『確実なことなんて何も無い』ということに気付かされる。訃報は突然我々にやってくる。イタリアの自転車界は、大きな宝物を失ってしまった。10日ぐらい前にモデナで彼と会って、ちょうどラリーについて話をしていたところだった。今回のレースに熱中している様子だった。

ジャンニ・ブーニョ(1991年・1992年世界チャンピオン)
彼とはジュニア時代から一緒に走った。プロデビューも現役引退も同じ時期だった。モータースポーツへの情熱は耳にしていたけど、まさかこんな結末が訪れるとは予想していなかった。彼のイタリア代表チーム監督としての活躍はご存知の通り。彼の成功は、強い選手に恵まれたと言うこともあるけど、何よりもその采配が良かった。

インテル(セリエAのサッカーチーム)
彼は二輪の世界において偉大なチャンピオンであったのと同時に、熱烈なインテルのファンだった。生前、彼は何度もチームを訪ねてくれた。サッカー界も彼の逝去に空虚感を感じている。

マリオ・チポッリーニ(2002年世界チャンピオン)
フランコが亡くなったという事実が受け入れられない。彼と一緒に感じた喜びや様々な思い出が、頭の中を駆け回っている。特に記憶に残っているのが2002年にゾルダーで行なわれた世界選手権。彼が私のためのチームを作り、世界タイトルを掴んだ。フランコのようなトップアスリートは、引退後も何か刺激を求めるものだ。『プロ選手としてではなくても、何かスポーツ競技に携わっていたいんだ』と、彼はラリーへの情熱を語っていた。

パオロ・ベッティーニ(2006年・2007年世界チャンピオン)
偉大な親友、いや、兄弟を失った気分だ。現役時代、彼はレースで何度も命を天秤にかけるようなリスクを負って走った。パリ〜ルーベをヘルメット無しで走ったり、ドロミテ山岳の下りで派手に落車したり。でも大怪我を負ったことは一度も無かった。そんな彼の命を奪ったのは、彼が趣味として情熱を注いでいたモータースポーツ。僕がラリーの世界に入り込んだのは、全て彼の影響なんだ(ベッティーニはバッレリーニと一緒に6回ラリーレースに出場している)。ラリーレースでは、フランコは何よりも先ず安全性を優先した。決して無茶する男ではなかった。

text:Kei Tsuji
photo:Cor Vos

最新ニュース(全ジャンル)