2017/05/28(日) - 17:43
順番は変わったが、大会最後の山岳を終えても総合トップ4が53秒以内という状況は変わらなかった。この歴史的な接戦は29.3kmの個人タイムトライアルで締めくくられる。過去の成績を振り返りながら最終決戦を予想します。
山頂フィニッシュではなく、下りで差がつくフィニッシュでもなく、残り15kmがほぼ平坦(緩い下り)という絶妙な味付けは一体誰が考えるんだろうかと感心してしまう。
1級山岳フォーザで飛び出した比較的軽量な選手のグループを、比較的大柄な選手のグループが追いかけた。参考までに体重を調べてみると、圧倒的に追走グループの選手のほうが重いというわけではなかった。先頭グループ=ザカリン67kg、ニーバリ65kg、ピノ63kg、キンタナ59kg、ポッツォヴィーヴォ53kg。追走グループ=ユンゲルス72kg、デュムラン69kg、モレマ64kg、イェーツ58kg。この数字はシーズン序盤の計測のはずなので、どの選手も開幕から3週間を経て体重が数キロ減っていると見られる。
とにかくデュムランは一緒に前を追う味方がいたことが幸いし、タイムロスを最小限を抑えることに成功した。仮に孤立していれば、そして他の選手たちが協力していなければ、もっと大きなタイム差が開いていただろうとデュムラン自身も語っている。「モレマとユンゲルス、イェーツにはいくら感謝しても足りない。彼らはもう総合順位がある程度固まっているので、別に前のグループを追わなくてもよい状況だった。にもかかわらず助けれくれた。彼らの行為に感謝している。彼らとは今大会ずっとよい関係を築けている」。
追走したサンウェブ、トレック・セガフレード、クイックステップフロアーズ、オリカ・スコットの4チームは、「ロードレースの経営モデルの維新」を目標に掲げてトップチームの共同出資により2014年に設立されたヴェロン(Velon)のメンバー。対してモビスター、バーレーン・メリダ、エフデジ、カチューシャ・アルペシンがヴェロンのメンバーではないのは偶然なのだろうか。
ツール・ド・フランスの山岳ステージで2勝しているピノにとって初出場のジロでステージ初優勝。近年フランス人選手はジロのステージ優勝から遠ざかっており、山岳ステージに限定すると最後の勝利は1990年6月2日のポルドイ峠山頂フィニッシュを制したシャルリー・モテまで遡らなければならない。1990年6月2日というと、ピノが誕生した4日後のことだ。
開幕前の宣言通りに最終週の山岳で盛り返し、総合3位につけたピノ(ピノーと間違って表記されることがあるけど、伸ばさずピノ)。「Solo la vittoria è bella(勝利だけが美しい)」というイタリア語のタトゥーを右上腕の内側にいれているピノにグランツール制覇のチャンスが巡ってきた。もしくは2014年ツールに続く総合表彰台のチャンスが巡ってきた。ここで改めて総合トップ6のタイム差を確認しておく。
1位 ナイロ・キンタナ(コロンビア、モビスター) 90h00'38"
2位 ヴィンチェンツォ・ニーバリ(イタリア、バーレーン・メリダ) +39"
3位 ティボー・ピノ(フランス、エフデジ) +43"
4位 トム・デュムラン(オランダ、サンウェブ) +53"
5位 イルヌール・ザカリン(ロシア、カチューシャ・アルペシン) +1'15"
6位 ドメニコ・ポッツォヴィーヴォ(イタリア、アージェードゥーゼール) +1'30"
最終ステージを前に総合トップ4の選手たちが53秒以内にひしめくという接戦はおそらく史上初めて。ちなみに接戦で迎えた過去の最終個人TTを見てみると、2012年にホアキン・ロドリゲスがライダー・ヘシェダルに31秒リードした状態で28.2km個人TTに挑み、ヘシェダルが逆転総合優勝。2009年はデニス・メンショフがダニーロ・ディルーカに20秒リードした状態で15.5km個人TTに挑み、逆転は起こらずメンショフが総合優勝。2008年はアルベルト・コンタドールがリカルド・リッコに4秒リードした状態で28.5km個人TTに挑み、逆転は起こらずコンタドールが総合優勝。1981年はジョヴァンニ・バッタリーンがジュゼッペ・サロンニに39秒リード&トミー・プリムに50秒リードした状態で42km個人TTに挑み、逆転は起こらずバッタリーンが総合優勝に輝いている。
大きなタイムを逆転した例としては、1984年にローラン・フィニョンがフランチェスコ・モゼールに対して1分21秒のリードをもって42km個人TTに挑んだが、モゼールが2分24秒差をつけることに成功して逆転総合優勝を飾っている。
第100代ジロ覇者を導き出すのは、F1イタリアGPの開催地モンツァ・サーキットから、ミラノ中心部のドゥオーモ広場を目指す29.3km。この真っ平らなコースでデュムランは1kmにつき1.81秒ずつキンタナとのタイム差を詰めることができれば逆転が可能。過去の対戦成績の平均値をとると、デュムランはキンタナより1kmにつき2.87秒詰めることができるが、3週間の長丁場を終えた段階でそれぞれのコンディションがどんな状態であるのかは計りかねる。ちなみに今大会第10ステージのモンテファルコ個人TTでデュムランはキンタナよりも1kmにつき4.3秒ずつ速く走っている。同じペースで走ることができれば両者に2分や3分という大きなタイム差がつくことも考えられる。
第19ステージを終えた選手たちには、一刻も早く会場を後にして、3時間離れたミラノに出来るだけ早く移動したいというソワソワ感があった。そういう意味では、記者会見やテレビインタビューなどで少なくとも1時間以上は他の選手たちより移動開始が遅れるマリアローザは不利。単純にゆっくりとリカバリーできる貴重な時間が減ってしまうわけだから。マリアローザを着るキンタナは、氷の張られていないアイススケートリンクに作られたプレスセンターを自転車に乗ったまま横切り、相変わらず質問の答えにはスペイン語を貫き、記者会見を早めに切り上げて去っていった。
マリアローザマジックはあるのか。最終個人TTを前にポールポジションにつけているのはデュムランだ。もちろんニーバリやピノにも逆転のチャンスがあるが、もし彼らが勝った場合は「マリアローザを着ている写真が表彰台しかない。マーケティング的にやばい」とフォトグラファーは嘆くことになる。
text&photo:Kei Tsuji in Asiago, Italy
山頂フィニッシュではなく、下りで差がつくフィニッシュでもなく、残り15kmがほぼ平坦(緩い下り)という絶妙な味付けは一体誰が考えるんだろうかと感心してしまう。
1級山岳フォーザで飛び出した比較的軽量な選手のグループを、比較的大柄な選手のグループが追いかけた。参考までに体重を調べてみると、圧倒的に追走グループの選手のほうが重いというわけではなかった。先頭グループ=ザカリン67kg、ニーバリ65kg、ピノ63kg、キンタナ59kg、ポッツォヴィーヴォ53kg。追走グループ=ユンゲルス72kg、デュムラン69kg、モレマ64kg、イェーツ58kg。この数字はシーズン序盤の計測のはずなので、どの選手も開幕から3週間を経て体重が数キロ減っていると見られる。
とにかくデュムランは一緒に前を追う味方がいたことが幸いし、タイムロスを最小限を抑えることに成功した。仮に孤立していれば、そして他の選手たちが協力していなければ、もっと大きなタイム差が開いていただろうとデュムラン自身も語っている。「モレマとユンゲルス、イェーツにはいくら感謝しても足りない。彼らはもう総合順位がある程度固まっているので、別に前のグループを追わなくてもよい状況だった。にもかかわらず助けれくれた。彼らの行為に感謝している。彼らとは今大会ずっとよい関係を築けている」。
追走したサンウェブ、トレック・セガフレード、クイックステップフロアーズ、オリカ・スコットの4チームは、「ロードレースの経営モデルの維新」を目標に掲げてトップチームの共同出資により2014年に設立されたヴェロン(Velon)のメンバー。対してモビスター、バーレーン・メリダ、エフデジ、カチューシャ・アルペシンがヴェロンのメンバーではないのは偶然なのだろうか。
ツール・ド・フランスの山岳ステージで2勝しているピノにとって初出場のジロでステージ初優勝。近年フランス人選手はジロのステージ優勝から遠ざかっており、山岳ステージに限定すると最後の勝利は1990年6月2日のポルドイ峠山頂フィニッシュを制したシャルリー・モテまで遡らなければならない。1990年6月2日というと、ピノが誕生した4日後のことだ。
開幕前の宣言通りに最終週の山岳で盛り返し、総合3位につけたピノ(ピノーと間違って表記されることがあるけど、伸ばさずピノ)。「Solo la vittoria è bella(勝利だけが美しい)」というイタリア語のタトゥーを右上腕の内側にいれているピノにグランツール制覇のチャンスが巡ってきた。もしくは2014年ツールに続く総合表彰台のチャンスが巡ってきた。ここで改めて総合トップ6のタイム差を確認しておく。
1位 ナイロ・キンタナ(コロンビア、モビスター) 90h00'38"
2位 ヴィンチェンツォ・ニーバリ(イタリア、バーレーン・メリダ) +39"
3位 ティボー・ピノ(フランス、エフデジ) +43"
4位 トム・デュムラン(オランダ、サンウェブ) +53"
5位 イルヌール・ザカリン(ロシア、カチューシャ・アルペシン) +1'15"
6位 ドメニコ・ポッツォヴィーヴォ(イタリア、アージェードゥーゼール) +1'30"
最終ステージを前に総合トップ4の選手たちが53秒以内にひしめくという接戦はおそらく史上初めて。ちなみに接戦で迎えた過去の最終個人TTを見てみると、2012年にホアキン・ロドリゲスがライダー・ヘシェダルに31秒リードした状態で28.2km個人TTに挑み、ヘシェダルが逆転総合優勝。2009年はデニス・メンショフがダニーロ・ディルーカに20秒リードした状態で15.5km個人TTに挑み、逆転は起こらずメンショフが総合優勝。2008年はアルベルト・コンタドールがリカルド・リッコに4秒リードした状態で28.5km個人TTに挑み、逆転は起こらずコンタドールが総合優勝。1981年はジョヴァンニ・バッタリーンがジュゼッペ・サロンニに39秒リード&トミー・プリムに50秒リードした状態で42km個人TTに挑み、逆転は起こらずバッタリーンが総合優勝に輝いている。
大きなタイムを逆転した例としては、1984年にローラン・フィニョンがフランチェスコ・モゼールに対して1分21秒のリードをもって42km個人TTに挑んだが、モゼールが2分24秒差をつけることに成功して逆転総合優勝を飾っている。
第100代ジロ覇者を導き出すのは、F1イタリアGPの開催地モンツァ・サーキットから、ミラノ中心部のドゥオーモ広場を目指す29.3km。この真っ平らなコースでデュムランは1kmにつき1.81秒ずつキンタナとのタイム差を詰めることができれば逆転が可能。過去の対戦成績の平均値をとると、デュムランはキンタナより1kmにつき2.87秒詰めることができるが、3週間の長丁場を終えた段階でそれぞれのコンディションがどんな状態であるのかは計りかねる。ちなみに今大会第10ステージのモンテファルコ個人TTでデュムランはキンタナよりも1kmにつき4.3秒ずつ速く走っている。同じペースで走ることができれば両者に2分や3分という大きなタイム差がつくことも考えられる。
第19ステージを終えた選手たちには、一刻も早く会場を後にして、3時間離れたミラノに出来るだけ早く移動したいというソワソワ感があった。そういう意味では、記者会見やテレビインタビューなどで少なくとも1時間以上は他の選手たちより移動開始が遅れるマリアローザは不利。単純にゆっくりとリカバリーできる貴重な時間が減ってしまうわけだから。マリアローザを着るキンタナは、氷の張られていないアイススケートリンクに作られたプレスセンターを自転車に乗ったまま横切り、相変わらず質問の答えにはスペイン語を貫き、記者会見を早めに切り上げて去っていった。
マリアローザマジックはあるのか。最終個人TTを前にポールポジションにつけているのはデュムランだ。もちろんニーバリやピノにも逆転のチャンスがあるが、もし彼らが勝った場合は「マリアローザを着ている写真が表彰台しかない。マーケティング的にやばい」とフォトグラファーは嘆くことになる。
text&photo:Kei Tsuji in Asiago, Italy
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