2014/06/03(火) - 00:54
3週間というよりも4週間に近いグランツールが終わる。地理的にほぼスロベニアのようなトリエステの街でジロ・デ・イタリアはフィナーレを迎えた。
トリエステの周回コースにはコロンビア国旗とイタリア国旗、そしてスロベニア国旗が踊っていた。その上を、イタリア空軍の飛行隊「フレッチェトリコローリ」が舞い、青い空に緑白赤の虹を描く。
アドリア海に面したトリエステは、イタリアの中でも有数の複雑な歴史をもつ街だ。過去にはオーストリアやユーゴスラビアなどの隣接する国々との戦火に巻き込まれ、占領と併合が繰り返されてきた。
イタリアに併合されたのは1954年で、今年でちょうど60年を迎える。地図で見ていただくと明らかだが、街全体がアドリア海とスロベニア国境に包み込まれている。そのため現在もスロベニア系住民の比率が高い。
派手で賑やかなコロンビア応援団に負けじと旗を振っていたのがスロベニア応援団だ。ジロを走っているスロベニア出身選手はボジッチ、メスゲツ、ポランクの3人。カザフスタン勢のビザ問題で急遽ジロ出場が決まったブライコヴィッチは第6ステージでリタイアしている。
イタリアの中で最もスロベニア色の強いトリエステで、スロベニアのルーカ・メスゲツ(ジャイアント・シマノ)が勝利。雨で落車が多発した第4ステージで、チェーントラブルで勝利を失ったメスゲツが最後に勝った。
今大会でステージ3勝したチームはジャイアント・シマノ、バルディアーニCSF、FDJ.fr、オリカ・グリーンエッジの4チーム。ちなみに複数回勝ったのはブアニ(3勝)、キンタナ(2勝)、キッテル(2勝)、ウリッシ(2勝)、ロジャース(2勝)の5人。
それにしても、残り3周を切った辺りでトリエステの上空を覆い始めた雨雲の黒さは恐怖を覚えるほどだった。レース中は何とか雨に降られずに済んだが、時折閃光が走る雨雲を背にメスゲツがフィニッシュラインに飛び込んだその5分後に、どっさりと雨が降った。急いでチームバスに戻った選手たちが雨に降られずにすんだかどうか微妙なところ。
スロベニア応援団とコロンビア応援団の熱狂を冷ますようにどっさりと降る雨。そんな雨に負けじと、ピンクや赤、青、白の紙吹雪がウニタ広場の表彰台を覆った。
エウゼビオ・ウンスエ監督率いるモビスターがグランツールを制するのは、1980年に発足した前身のレイノルズやバネスト、イリュスバレアレス、ケースデパーニュから数えて13回目。最後のグランツール制覇はアレハンドロ・バルベルデによる5年前のブエルタ・ア・エスパーニャだった。
今年のマリアローザの持ち主を確認すると、タフト(カナダ)→マシューズ(オーストラリア)→エヴァンス(オーストラリア)→ウラン(コロンビア)→キンタナ(コロンビア)。つまり一度たりともヨーロッパ出身者がマリアローザを着なかった。グランツールでヨーロッパ出身者がリーダージャージを着なかったのは歴史上初めて。
その一端を担ったのがオーストラリアのオリカ・グリーンエッジだ。チームのYouTubeチャンネルで「Backstage Pass」を担当しているダン・ジョーンズ氏が、背中にゼッケン7枚を付けて出走サインし、周囲の笑いを誘っていた。
1週目からかっ飛ばしたオリカ・グリーンエッジは2人(タフトとヘップバーン)でトリエステにたどり着いた。なお、2人しか残っていないため、毎ステージのチーム内上位3人の成績合計で争われるチーム総合成績ランキングにオリカ・グリーンエッジの名前は無い。
3週間を走り終えて「とてもコンディションが良い」という別府史之(トレックファクトリーレーシング)は、ガヴィア&ステルヴィオのクイーンステージを除いてそこまで苦しい表情を見せなかった。別府は1週間後のクリテリウム・ドゥ・ドーフィネに出場する予定。大会終了後にヴェネツィアに移動して束の間の観光を楽しんだ様子。
6回目のグランツール完走となった新城幸也(ユーロップカー)の「(3回落車したが)この3週間でコンディションを上げることが出来た」という言葉に驚く。「チームとして目標に向かって走った。初日のチームTTの結果(21位/22チーム)を考えると総合4位という結果は素晴らしいと思います」。新城の今後のレース出場は未定。まずは落車による怪我の回復を優先する。ツール・ド・フランスに向けた良い3週間になったことを切に願う。
車を運転していて沿道から2000回ぐらい「コロンビア〜!」と応援される日々もこれで終わり(アレドンドに似ていると言われるがどう見ても似ていない)。現地レポートの締めくくりとして、ジロ主催者RCSスポルトがプレスリリースでジロを象徴する数字を紹介していたのでここに掲載します。
0:マリアローザを着たヨーロッパ出身者の数
3:通過した国の数 北アイルランド(イギリス)、アイルランド、イタリア
5:ジロが放映された大陸の数
6:ジロが通過したアイルランドの州の数
21:競技日数(休息日を含めると24日間)
24:ジロを制したキンタナの年齢
30:出走した選手の国籍
33:パートナーとしてジロに携わった企業の数
42:キャラバン車両の数
43:ジロが通過した県の数
156:完走した選手の数
171:毎日レース放映が行なわれた国の数
198:出走した選手の数
1,200:ジロとともに毎日移動した人数(主催者、チーム、メディアの合計)
1,805:登録された報道陣の数
3,444.4:総走行距離
5,000:#giroハッシュタグの平均ツイート数
25,000:Instagramのフォロワー数
52,000:ライブストリーミングの平均ビューワー数
90,000:ジロ公式アプリのダウンロード数
100,000:Facebookにおける新規ファンの数
180,000:Google+のフォロワー数
252,000:Twitterのフォロワー数
500,000:Facebook公式ページのファンの数
2,400,000:ジロ公式サイトのデイリー平均ビュー数(昨年比67%増)
3,500,000:YouTubeチャンネルのビュー数
text&photo:Kei Tsuji in Trieste, Italy
トリエステの周回コースにはコロンビア国旗とイタリア国旗、そしてスロベニア国旗が踊っていた。その上を、イタリア空軍の飛行隊「フレッチェトリコローリ」が舞い、青い空に緑白赤の虹を描く。
アドリア海に面したトリエステは、イタリアの中でも有数の複雑な歴史をもつ街だ。過去にはオーストリアやユーゴスラビアなどの隣接する国々との戦火に巻き込まれ、占領と併合が繰り返されてきた。
イタリアに併合されたのは1954年で、今年でちょうど60年を迎える。地図で見ていただくと明らかだが、街全体がアドリア海とスロベニア国境に包み込まれている。そのため現在もスロベニア系住民の比率が高い。
派手で賑やかなコロンビア応援団に負けじと旗を振っていたのがスロベニア応援団だ。ジロを走っているスロベニア出身選手はボジッチ、メスゲツ、ポランクの3人。カザフスタン勢のビザ問題で急遽ジロ出場が決まったブライコヴィッチは第6ステージでリタイアしている。
イタリアの中で最もスロベニア色の強いトリエステで、スロベニアのルーカ・メスゲツ(ジャイアント・シマノ)が勝利。雨で落車が多発した第4ステージで、チェーントラブルで勝利を失ったメスゲツが最後に勝った。
今大会でステージ3勝したチームはジャイアント・シマノ、バルディアーニCSF、FDJ.fr、オリカ・グリーンエッジの4チーム。ちなみに複数回勝ったのはブアニ(3勝)、キンタナ(2勝)、キッテル(2勝)、ウリッシ(2勝)、ロジャース(2勝)の5人。
それにしても、残り3周を切った辺りでトリエステの上空を覆い始めた雨雲の黒さは恐怖を覚えるほどだった。レース中は何とか雨に降られずに済んだが、時折閃光が走る雨雲を背にメスゲツがフィニッシュラインに飛び込んだその5分後に、どっさりと雨が降った。急いでチームバスに戻った選手たちが雨に降られずにすんだかどうか微妙なところ。
スロベニア応援団とコロンビア応援団の熱狂を冷ますようにどっさりと降る雨。そんな雨に負けじと、ピンクや赤、青、白の紙吹雪がウニタ広場の表彰台を覆った。
エウゼビオ・ウンスエ監督率いるモビスターがグランツールを制するのは、1980年に発足した前身のレイノルズやバネスト、イリュスバレアレス、ケースデパーニュから数えて13回目。最後のグランツール制覇はアレハンドロ・バルベルデによる5年前のブエルタ・ア・エスパーニャだった。
今年のマリアローザの持ち主を確認すると、タフト(カナダ)→マシューズ(オーストラリア)→エヴァンス(オーストラリア)→ウラン(コロンビア)→キンタナ(コロンビア)。つまり一度たりともヨーロッパ出身者がマリアローザを着なかった。グランツールでヨーロッパ出身者がリーダージャージを着なかったのは歴史上初めて。
その一端を担ったのがオーストラリアのオリカ・グリーンエッジだ。チームのYouTubeチャンネルで「Backstage Pass」を担当しているダン・ジョーンズ氏が、背中にゼッケン7枚を付けて出走サインし、周囲の笑いを誘っていた。
1週目からかっ飛ばしたオリカ・グリーンエッジは2人(タフトとヘップバーン)でトリエステにたどり着いた。なお、2人しか残っていないため、毎ステージのチーム内上位3人の成績合計で争われるチーム総合成績ランキングにオリカ・グリーンエッジの名前は無い。
3週間を走り終えて「とてもコンディションが良い」という別府史之(トレックファクトリーレーシング)は、ガヴィア&ステルヴィオのクイーンステージを除いてそこまで苦しい表情を見せなかった。別府は1週間後のクリテリウム・ドゥ・ドーフィネに出場する予定。大会終了後にヴェネツィアに移動して束の間の観光を楽しんだ様子。
6回目のグランツール完走となった新城幸也(ユーロップカー)の「(3回落車したが)この3週間でコンディションを上げることが出来た」という言葉に驚く。「チームとして目標に向かって走った。初日のチームTTの結果(21位/22チーム)を考えると総合4位という結果は素晴らしいと思います」。新城の今後のレース出場は未定。まずは落車による怪我の回復を優先する。ツール・ド・フランスに向けた良い3週間になったことを切に願う。
車を運転していて沿道から2000回ぐらい「コロンビア〜!」と応援される日々もこれで終わり(アレドンドに似ていると言われるがどう見ても似ていない)。現地レポートの締めくくりとして、ジロ主催者RCSスポルトがプレスリリースでジロを象徴する数字を紹介していたのでここに掲載します。
0:マリアローザを着たヨーロッパ出身者の数
3:通過した国の数 北アイルランド(イギリス)、アイルランド、イタリア
5:ジロが放映された大陸の数
6:ジロが通過したアイルランドの州の数
21:競技日数(休息日を含めると24日間)
24:ジロを制したキンタナの年齢
30:出走した選手の国籍
33:パートナーとしてジロに携わった企業の数
42:キャラバン車両の数
43:ジロが通過した県の数
156:完走した選手の数
171:毎日レース放映が行なわれた国の数
198:出走した選手の数
1,200:ジロとともに毎日移動した人数(主催者、チーム、メディアの合計)
1,805:登録された報道陣の数
3,444.4:総走行距離
5,000:#giroハッシュタグの平均ツイート数
25,000:Instagramのフォロワー数
52,000:ライブストリーミングの平均ビューワー数
90,000:ジロ公式アプリのダウンロード数
100,000:Facebookにおける新規ファンの数
180,000:Google+のフォロワー数
252,000:Twitterのフォロワー数
500,000:Facebook公式ページのファンの数
2,400,000:ジロ公式サイトのデイリー平均ビュー数(昨年比67%増)
3,500,000:YouTubeチャンネルのビュー数
text&photo:Kei Tsuji in Trieste, Italy
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