2013/11/18(月) - 20:09
ツール・ド・おきなわ 市民50km オーバー50の部で、30kmに渡る単独逃げを決めた小野忠さん(パインヒルズ90)による直筆レポート。50歳から自転車を始めた小野さんの、勝利にかける熱い思いとは?
50歳からの自転車デビュー
バイクレース一筋だった私に自転車に転向した友人から、自転車の辛さと面白さを教えられたのが50歳の時でした。(遅過ぎですね...笑)
その時は、自転車レースに出ることになるなんて思ってもいませんでした。しかし乗り始めて数ヶ月が経つ頃には、その奥深さにどんどん引き込まれていってしまったのです。
経験間もない素人なのに、生まれ持った勝負好きの血が騒ぎ、どうしても自分の実力を試したくて無謀にもレースに挑戦。初戦は秩父の公道を使った「秩父宮杯」でした。年代別カテゴリーでしたが、結果は7位。当然ですが、駆け引きやペース配分、レースの展開に至るまでなど全く分からず…。その時はただがむしゃらに走りましたが、実力の差を思い知らされるとともに、競技の奥深さも痛感したのです。
チームに加入
そんな初めてのレースで右も左もわからない私に、初戦「秩父宮杯」での覇者、チーム「パインヒルズ‘90」の大塚和平さん(ホビーレース界の生けるレジェンド。341(11月18日現在)という勝利数を数え、今もその記録を塗り替え続けています)が、練習会に来ないかと誘ってくれたのです。それが縁でチームに加入し、現在に至っています。
練習会は実戦さながらで、参加する度についていくことができず、思い通りにならない悔しい思いが三ヶ月あまり続きました。それでもその間、レースというレースには参戦し、自分なりに力をつけスタイルを確立していきました。その甲斐あって翌年の秩父宮杯では、遂に優勝を果たすことができたのです。しかしこれがきっかとなり、ますます自転車にのめりこんでしまい、更にレース漬けの日々に…(苦笑)。
ツール・ド・おきなわ初参戦、そしてリベンジ戦へ
レースで勝つことができるようになると、日本一の公道レース「ツール・ド・おきなわ」には、とても興味を惹かれるようになり、昨年初参戦。しかし結果は力不足とギヤの掛けミスでゴール前数十センチ差で2位となり、沖縄トライはあっけなく終わりました。あと少しだったことが悔しい思いをさらに募らせ、そそくさと会場を後にしました。(楽しいパーティーがあることも知らず...泣)
この1年間は、そこで味わった悔しさをバネに様々なレースにチャレンジしてきました。今年はJCRCの大事なレースと沖縄が同日開催で重なり、どちらに挑むべきか悩みましたが、昨年のおきなわ覇者、福島(雄二:ベステックス)さんともう一度レースがしたくて、沖縄に決めました。
日頃「どんな練習してるんですか?」と聞かれますが、大の練習嫌い・無類の酒好きの私は、特に走りこんだりはしていません!(誰も信じてくれませんが)しかし年間でこれだけは欠かすことのできないイベントツーリング(地獄のトレーニング?)が2つあります。
1つは我がチーム(パインヒルズ)主催の伊豆1周ツーリング。何箇所かでポイントをつけ順位を競い、他チームも多数参加のイベントです。今年も210kmを走りきる猛者ばかり、各パートでもトップを取るのは至難の業でした。(あくまでもツーリングですのでゆっくり班もありますよ!)もうひとつは、私の初レースからのライバル&友人の山梨のチーム(SPLASH)でリーダー的存在である松本さん家での合宿&ツーリング。こちらは山岳ばかりのコース設定です。
そのほか、今年は好意にしていただいている多くのチームに混じり練習を重ねてきました。それだけこの沖縄は絶対に負けたくないという強い気持ちがあったのです。
ツール・ド・おきなわ、リベンジ本番
基本は、いつもと同じ「飲み」スタイル(笑)。前夜は、程々(?)に酒盛りをして就寝しました。4時起きで出発し、まだ真っ暗な中会場へ到着。時間的に余裕があると思い、アップもせずゆっくりしていると、何やらアナウンス、続々と人が整列している?
再度確認すると、スタート時間を1時間も間違えていたことに気づき、あたふた!!自分のカテゴリーはもうスタート直前、フェンスから自転車を入れ、並んだのは1分前という有様でした…。でも「ここからは気合!」と気持ちを切り替え、スタートしたのです。
しかし、今年は2度のアクシデントに見舞われました。まずは空輸中に狂ったか、スタート直後のシフトアップが綺麗に決まらない。ガチャついてうまく変速ができないけれど、直す暇は無い。このままごまかしごまかし走る事に。そして二つ目は、左折交差点で先頭が直進したこと。私は間違いに気づきあわてて左折をしたものの、私の後輪に誰かが接触。危なく落車すれすれで冷ややかな思いをしました。
スタートこそあたふたしたものの、その後の集団はかなり落ち着いていました。海岸沿いを気持ちよく走る展開。動きがあったのは、最初のSP(スプリントポイント)地点1km手前のこと。ここでアタックがあり、私も追従。SPを穫ろうと思いましたが、ラインが判断できずに踏み迷っていたら、後ろで準備してた福島さんが先行。タイヤ数センチでやられてしまったかと思っていました。(実際には先着していたようです。)
しかし、「やられたらやり返す!倍返しだー!」とばかりに、そこからスイッチが入り逃げを打ってやろうと決めました。うまく集団から抜け、吸収されることを想定し8割のペースを刻んだものの、何故かコーナーのたびに差が広がり、一人逃げの体制が確立。ゴールまで30kmを残していましたが、迷いはありませんでした。
そうと決めたら、ひたすらゴール目指して走るのみ。途中では自分との戦いが本当にきつかった。でも大勢の沿道の人たちが手を振ってくれ、声援を送ってくれ、もう嬉しいかぎりでした。そしてゴール前で応援して待っていてくれる人がいることが、何よりも励ましになったのです。
コースはおおよそ理解していたつもりが、イメージと違い、最後の2kmはもう地獄のようにきつかった。でも、残り200mの看板を見たとき、疲れは見事にすっ飛び優勝を確信したのです!
年甲斐もなく無意識に万歳をしてしまったことは、今になっては良い思い出。今回ご尽力を頂いた皆様、本当にありがとうございました。
使用機材
フレーム:ボッテキア SP9
メインコンポ:シマノ ULTEGRA(10S)
ホイール:FFWD F6R
タイヤ:コンチネンタル Competiton 19C
ハンドル:ITM ALUTECH 7075
ステム:デダ Zero100 100mm
シューズ: シマノ SH-R315
text:小野忠
photo:So.Isobe
50歳からの自転車デビュー
バイクレース一筋だった私に自転車に転向した友人から、自転車の辛さと面白さを教えられたのが50歳の時でした。(遅過ぎですね...笑)
その時は、自転車レースに出ることになるなんて思ってもいませんでした。しかし乗り始めて数ヶ月が経つ頃には、その奥深さにどんどん引き込まれていってしまったのです。
経験間もない素人なのに、生まれ持った勝負好きの血が騒ぎ、どうしても自分の実力を試したくて無謀にもレースに挑戦。初戦は秩父の公道を使った「秩父宮杯」でした。年代別カテゴリーでしたが、結果は7位。当然ですが、駆け引きやペース配分、レースの展開に至るまでなど全く分からず…。その時はただがむしゃらに走りましたが、実力の差を思い知らされるとともに、競技の奥深さも痛感したのです。
チームに加入
そんな初めてのレースで右も左もわからない私に、初戦「秩父宮杯」での覇者、チーム「パインヒルズ‘90」の大塚和平さん(ホビーレース界の生けるレジェンド。341(11月18日現在)という勝利数を数え、今もその記録を塗り替え続けています)が、練習会に来ないかと誘ってくれたのです。それが縁でチームに加入し、現在に至っています。
練習会は実戦さながらで、参加する度についていくことができず、思い通りにならない悔しい思いが三ヶ月あまり続きました。それでもその間、レースというレースには参戦し、自分なりに力をつけスタイルを確立していきました。その甲斐あって翌年の秩父宮杯では、遂に優勝を果たすことができたのです。しかしこれがきっかとなり、ますます自転車にのめりこんでしまい、更にレース漬けの日々に…(苦笑)。
ツール・ド・おきなわ初参戦、そしてリベンジ戦へ
レースで勝つことができるようになると、日本一の公道レース「ツール・ド・おきなわ」には、とても興味を惹かれるようになり、昨年初参戦。しかし結果は力不足とギヤの掛けミスでゴール前数十センチ差で2位となり、沖縄トライはあっけなく終わりました。あと少しだったことが悔しい思いをさらに募らせ、そそくさと会場を後にしました。(楽しいパーティーがあることも知らず...泣)
この1年間は、そこで味わった悔しさをバネに様々なレースにチャレンジしてきました。今年はJCRCの大事なレースと沖縄が同日開催で重なり、どちらに挑むべきか悩みましたが、昨年のおきなわ覇者、福島(雄二:ベステックス)さんともう一度レースがしたくて、沖縄に決めました。
日頃「どんな練習してるんですか?」と聞かれますが、大の練習嫌い・無類の酒好きの私は、特に走りこんだりはしていません!(誰も信じてくれませんが)しかし年間でこれだけは欠かすことのできないイベントツーリング(地獄のトレーニング?)が2つあります。
1つは我がチーム(パインヒルズ)主催の伊豆1周ツーリング。何箇所かでポイントをつけ順位を競い、他チームも多数参加のイベントです。今年も210kmを走りきる猛者ばかり、各パートでもトップを取るのは至難の業でした。(あくまでもツーリングですのでゆっくり班もありますよ!)もうひとつは、私の初レースからのライバル&友人の山梨のチーム(SPLASH)でリーダー的存在である松本さん家での合宿&ツーリング。こちらは山岳ばかりのコース設定です。
そのほか、今年は好意にしていただいている多くのチームに混じり練習を重ねてきました。それだけこの沖縄は絶対に負けたくないという強い気持ちがあったのです。
ツール・ド・おきなわ、リベンジ本番
基本は、いつもと同じ「飲み」スタイル(笑)。前夜は、程々(?)に酒盛りをして就寝しました。4時起きで出発し、まだ真っ暗な中会場へ到着。時間的に余裕があると思い、アップもせずゆっくりしていると、何やらアナウンス、続々と人が整列している?
再度確認すると、スタート時間を1時間も間違えていたことに気づき、あたふた!!自分のカテゴリーはもうスタート直前、フェンスから自転車を入れ、並んだのは1分前という有様でした…。でも「ここからは気合!」と気持ちを切り替え、スタートしたのです。
しかし、今年は2度のアクシデントに見舞われました。まずは空輸中に狂ったか、スタート直後のシフトアップが綺麗に決まらない。ガチャついてうまく変速ができないけれど、直す暇は無い。このままごまかしごまかし走る事に。そして二つ目は、左折交差点で先頭が直進したこと。私は間違いに気づきあわてて左折をしたものの、私の後輪に誰かが接触。危なく落車すれすれで冷ややかな思いをしました。
スタートこそあたふたしたものの、その後の集団はかなり落ち着いていました。海岸沿いを気持ちよく走る展開。動きがあったのは、最初のSP(スプリントポイント)地点1km手前のこと。ここでアタックがあり、私も追従。SPを穫ろうと思いましたが、ラインが判断できずに踏み迷っていたら、後ろで準備してた福島さんが先行。タイヤ数センチでやられてしまったかと思っていました。(実際には先着していたようです。)
しかし、「やられたらやり返す!倍返しだー!」とばかりに、そこからスイッチが入り逃げを打ってやろうと決めました。うまく集団から抜け、吸収されることを想定し8割のペースを刻んだものの、何故かコーナーのたびに差が広がり、一人逃げの体制が確立。ゴールまで30kmを残していましたが、迷いはありませんでした。
そうと決めたら、ひたすらゴール目指して走るのみ。途中では自分との戦いが本当にきつかった。でも大勢の沿道の人たちが手を振ってくれ、声援を送ってくれ、もう嬉しいかぎりでした。そしてゴール前で応援して待っていてくれる人がいることが、何よりも励ましになったのです。
コースはおおよそ理解していたつもりが、イメージと違い、最後の2kmはもう地獄のようにきつかった。でも、残り200mの看板を見たとき、疲れは見事にすっ飛び優勝を確信したのです!
年甲斐もなく無意識に万歳をしてしまったことは、今になっては良い思い出。今回ご尽力を頂いた皆様、本当にありがとうございました。
使用機材
フレーム:ボッテキア SP9
メインコンポ:シマノ ULTEGRA(10S)
ホイール:FFWD F6R
タイヤ:コンチネンタル Competiton 19C
ハンドル:ITM ALUTECH 7075
ステム:デダ Zero100 100mm
シューズ: シマノ SH-R315
text:小野忠
photo:So.Isobe
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