2013/07/05(金) - 17:58
吹き付ける風「ミストラル」の影響を警戒した各チーム。過去その風を利用して2回ステージを制してきたカヴェンディッシュだったが、待っていたのは落車の罠だった。
この日、スタート地点には新城幸也(ユーロップカー)のための新バイクが用意された。日本チャンピオンを祝うスペシャルペイントのバイク、コルナゴC59には赤い日の丸と、「日本」の文字がフォークとシートチューブに、そしてチェーンステイには明朝体で「新城幸也」と入る。我々日本人にはサプライズが少ないデザインだが、観客には結構ウケが良い。とくに漢字は「何と書いてあるのか」と聞かれる。
入れる漢字メッセージについては公募もされたようだが、エルネスト・コルナゴ氏のなかで「日本」と入れるのは決まっていたようだ。今日からユキヤが乗る予定のこのバイク、組みあがったばかりでまだ馴染みがなく、微調整に余念がないうえに今日はバス内でのチームミーティングが長かった。結果、このバイクに乗るのはお預けとなった。
地中海沿いのこのコースはツールが例年通るお馴染みの道。平坦基調のイージーコースに思いきや、海沿いの区間で北西から吹く風「ミストラル(トラモンターヌ)」が波乱を巻き起こすことで恐れられている。
近年では2009年ツールの第3ステージで、この横風区間を利用してチームコロンビアが集団分裂を図った奇襲攻撃をかけ、集団は大きく2つに分かれ、この先頭集団を支配したカヴェンデュッシュがゴールスプリントを制したこと、そしてそれ以上に話題を呼んだのが「アスタナの内紛」。ランス・アームストロングがチームメイトのアルベルト・コンタドールを置いてきぼりにして先頭集団に入り、45秒の差がついた。
日本人にとっても当時スキルシマノに所属した別府史之が、マルセイユ在住の経験からチームメイトに横風の吹きつけるそのタイミングをチームメイトに知らせ、危機を回避したこともエピソードだ。そしてモンペリエにゴールした2011年ツールの第15ステージでも、風を制するコントロール体制を敷いたHTCハイロードの万全のチームワークにより、カヴがゴールスプリントで勝利している。
警戒していれば防げる分裂だが、強風の吹いた年の経験から学び、各チームは念入りにミーティングを重ねる。フランスチームのユーロップカーは合宿などでよく知った道。それでもミーティングは念入りだ。
カヴはこの日、話題の油圧ブレーキ装備のCVNDSHバイクではなく、通常のチームカラーのバイクを駆ることにしたようだ。空気抵抗を削減するフォルムのスペシャライズドのVENGEは横面積がある事から、横風の影響を受けやすいため細身のSL4を選んだというわけだ。
予定されていたインピーへのマイヨジョーヌ移譲
マイヨ・ジョーヌがサイモン・ゲランスからダリル・インピーに変わることは、朝の段階である程度確約済みだった。チームタイムトライアルの優勝でマイヨジョーヌが決まったため、ゲランスとインピーは同タイム。このステージの着順で決まるとなれば、スプリントのあるインピーにマイヨが移ることになる。
ただしゲランスはインピーより7つ以内の着順でゴールすればマイヨは守れる。スタートを待つインピーは言う。「サイクリスト誰しもにとってもちろんマイヨジョーヌは夢。僕にとってももちろんだ。もしそれが本当に起これば、南アフリカにとって大いなる歴史的な瞬間だね。今日はゴスのためのリードアウトをする。まずはその仕事に集中するよ」。ゲランスは袖を通して2日目のマイヨジョーヌを、チームメイトに譲る準備ができていたようだ。
照りつける太陽は完全に南仏の日射しとなり、強風の影響に備える集団からアタックしたのはルイスアンヘル・マテマルドネス(スペイン、コフィディス)のみ。「マテ」は4急山岳ヴェード峠までには捕まり、集団は一団となってこの日唯一の峠をクリアする。この軽い上りで遅れたのはナセル・ブアニ(フランス、FDJ.FR)。
第3ステージから連日遅れていたためか観客もわかったもの。大声援を送り励ます。しかしコルシカで胃にトラブルを抱え、昨日は落車も引き起こしたアルジェリア風味のフランス人スプリンターは、「ボクサー」と呼ばれるその暴れん坊ぶりを発揮できずにツールを去ることに。
勝てなかった不満で怒り狂うカヴ
ゴール前にはステーグマンとふたりきりになったカヴェンディッシュ。対してロット・ベリソルは完璧な隊列を組んでグライペルを勝利へと導いた。カヴェンデュッシュの敗因はゴール手前35kmでの落車。ロンポワン(旋回式交差点)のコーナーリング中に前輪を滑らせてスリップダウンしたカヴ。
すぐに自転車を交換することはできたが、チームメイトの助けもなく、チームカーを使って復帰するのに力を使ってしまったのが敗因となった。カヴはゴール後チームバスに駆け込み、大声で怒鳴り散らしたという。
その声はバスの外で確認できるほどで、自分の名前を冠したバイクでなかったからスリップしたんだと言わんばかりに「もうあのバイクには2度と乗らない」と文句をぶちまけたという。
ロルフ・アルダグ監督がゴールまでの混乱した状況を説明する。オメガファーマの監督陣と選手をつなぐ無線はこの日不調で機能しておらず、選手たちにカヴ落車の知らせが届かなかったという。また、ラジオツールも「オメガファーマの選手が落車」としか伝えなかった。
一緒に数人が転んだが、それが通常ではあるとはいえ重要な選手の場合はその名前も挙げるのがしきたり。それがなかったため、チームカーで現場を通りかかり道端に転んでいるカヴを見つけるまで、誰が落車したのか分からなかったという。
バスの中ではカヴの荒れた様子が続く。「いつものことなんだ。彼はボクサーみたいなもの。こんな惨めな負け方をした時には、荒れたってしょうがない。そっとしておいてやって欲しい。2時間もすれば落ち着くから。それは皆が理解しているんだ。今日は不運があった。それが無ければ決してグライペルには負けないことが分かっているだけに、悔しいんだ」。
南アフリカ初のマイヨジョーヌ
2007年にロバート・ハンター(当時バルロワールドに所属)が南アフリカ出身の選手として初めてスプリント勝利を飾ったここモンペリエで、ダリル・インピーがマイヨジョーヌをチームメイトのサイモン・ゲランスから引き継ぐことになった。南アフリカ初のマイヨジョーヌ獲得者として歴史に名を刻むことに。
インピーが13位でゴールした時、グライペルの勝利を祝福するグレッグ・ヘンダーソン(ロット・ベリソル)の後方では集団の分裂も発生して5秒の差がついていた。リスクを避けてスプリントをしないゲランスは48位でゴールし、チームメイトにあっさりとマイヨを渡した。
マイヨを死守することはできた。しかしそれをしなかったのは当初からのゲランスのアイデアによるもの。(すでに一流の仲間入りをしている)ゲランスにとってはマイヨジョーヌを着る日数が2日、3日と重ねるだけだが、インピーにとっては人生が変わることとなるからだ。
ツール6日目にして4人めのマイヨジョーヌ。「100回記念大会のツールで、マイヨジョーヌを着た初の南アフリカ人となることは自分のキャリアが変わる瞬間だね」と興奮を隠せないインピー。少なくとも第8ステージでアクストロワドメーヌの山頂ゴールするまでは栄光のジャージに身を包めそうだ。
ユキヤは安全第一でスプリントには加わらず
ユキヤはゴールスプリントに加わらず、エースのピエール・ロランのそばに付き添ってゴールした。
「とにかく今日は異常な暑さでした...。今日のような平坦ステージはピュアスプリンターではない自分がまともに勝負しても勝てるわけがないんです。チームのトレインを組むとチームメイトも消耗するし、場所取りの落車の危険も出てくる。長いステージレースでは余計なリスクを負わないことも大切だと判断して、ゴールスプリントには加わりませんでした」と語っている。
photo&text:Makoto.AYANO
この日、スタート地点には新城幸也(ユーロップカー)のための新バイクが用意された。日本チャンピオンを祝うスペシャルペイントのバイク、コルナゴC59には赤い日の丸と、「日本」の文字がフォークとシートチューブに、そしてチェーンステイには明朝体で「新城幸也」と入る。我々日本人にはサプライズが少ないデザインだが、観客には結構ウケが良い。とくに漢字は「何と書いてあるのか」と聞かれる。
入れる漢字メッセージについては公募もされたようだが、エルネスト・コルナゴ氏のなかで「日本」と入れるのは決まっていたようだ。今日からユキヤが乗る予定のこのバイク、組みあがったばかりでまだ馴染みがなく、微調整に余念がないうえに今日はバス内でのチームミーティングが長かった。結果、このバイクに乗るのはお預けとなった。
地中海沿いのこのコースはツールが例年通るお馴染みの道。平坦基調のイージーコースに思いきや、海沿いの区間で北西から吹く風「ミストラル(トラモンターヌ)」が波乱を巻き起こすことで恐れられている。
近年では2009年ツールの第3ステージで、この横風区間を利用してチームコロンビアが集団分裂を図った奇襲攻撃をかけ、集団は大きく2つに分かれ、この先頭集団を支配したカヴェンデュッシュがゴールスプリントを制したこと、そしてそれ以上に話題を呼んだのが「アスタナの内紛」。ランス・アームストロングがチームメイトのアルベルト・コンタドールを置いてきぼりにして先頭集団に入り、45秒の差がついた。
日本人にとっても当時スキルシマノに所属した別府史之が、マルセイユ在住の経験からチームメイトに横風の吹きつけるそのタイミングをチームメイトに知らせ、危機を回避したこともエピソードだ。そしてモンペリエにゴールした2011年ツールの第15ステージでも、風を制するコントロール体制を敷いたHTCハイロードの万全のチームワークにより、カヴがゴールスプリントで勝利している。
警戒していれば防げる分裂だが、強風の吹いた年の経験から学び、各チームは念入りにミーティングを重ねる。フランスチームのユーロップカーは合宿などでよく知った道。それでもミーティングは念入りだ。
カヴはこの日、話題の油圧ブレーキ装備のCVNDSHバイクではなく、通常のチームカラーのバイクを駆ることにしたようだ。空気抵抗を削減するフォルムのスペシャライズドのVENGEは横面積がある事から、横風の影響を受けやすいため細身のSL4を選んだというわけだ。
予定されていたインピーへのマイヨジョーヌ移譲
マイヨ・ジョーヌがサイモン・ゲランスからダリル・インピーに変わることは、朝の段階である程度確約済みだった。チームタイムトライアルの優勝でマイヨジョーヌが決まったため、ゲランスとインピーは同タイム。このステージの着順で決まるとなれば、スプリントのあるインピーにマイヨが移ることになる。
ただしゲランスはインピーより7つ以内の着順でゴールすればマイヨは守れる。スタートを待つインピーは言う。「サイクリスト誰しもにとってもちろんマイヨジョーヌは夢。僕にとってももちろんだ。もしそれが本当に起これば、南アフリカにとって大いなる歴史的な瞬間だね。今日はゴスのためのリードアウトをする。まずはその仕事に集中するよ」。ゲランスは袖を通して2日目のマイヨジョーヌを、チームメイトに譲る準備ができていたようだ。
照りつける太陽は完全に南仏の日射しとなり、強風の影響に備える集団からアタックしたのはルイスアンヘル・マテマルドネス(スペイン、コフィディス)のみ。「マテ」は4急山岳ヴェード峠までには捕まり、集団は一団となってこの日唯一の峠をクリアする。この軽い上りで遅れたのはナセル・ブアニ(フランス、FDJ.FR)。
第3ステージから連日遅れていたためか観客もわかったもの。大声援を送り励ます。しかしコルシカで胃にトラブルを抱え、昨日は落車も引き起こしたアルジェリア風味のフランス人スプリンターは、「ボクサー」と呼ばれるその暴れん坊ぶりを発揮できずにツールを去ることに。
勝てなかった不満で怒り狂うカヴ
ゴール前にはステーグマンとふたりきりになったカヴェンディッシュ。対してロット・ベリソルは完璧な隊列を組んでグライペルを勝利へと導いた。カヴェンデュッシュの敗因はゴール手前35kmでの落車。ロンポワン(旋回式交差点)のコーナーリング中に前輪を滑らせてスリップダウンしたカヴ。
すぐに自転車を交換することはできたが、チームメイトの助けもなく、チームカーを使って復帰するのに力を使ってしまったのが敗因となった。カヴはゴール後チームバスに駆け込み、大声で怒鳴り散らしたという。
その声はバスの外で確認できるほどで、自分の名前を冠したバイクでなかったからスリップしたんだと言わんばかりに「もうあのバイクには2度と乗らない」と文句をぶちまけたという。
ロルフ・アルダグ監督がゴールまでの混乱した状況を説明する。オメガファーマの監督陣と選手をつなぐ無線はこの日不調で機能しておらず、選手たちにカヴ落車の知らせが届かなかったという。また、ラジオツールも「オメガファーマの選手が落車」としか伝えなかった。
一緒に数人が転んだが、それが通常ではあるとはいえ重要な選手の場合はその名前も挙げるのがしきたり。それがなかったため、チームカーで現場を通りかかり道端に転んでいるカヴを見つけるまで、誰が落車したのか分からなかったという。
バスの中ではカヴの荒れた様子が続く。「いつものことなんだ。彼はボクサーみたいなもの。こんな惨めな負け方をした時には、荒れたってしょうがない。そっとしておいてやって欲しい。2時間もすれば落ち着くから。それは皆が理解しているんだ。今日は不運があった。それが無ければ決してグライペルには負けないことが分かっているだけに、悔しいんだ」。
南アフリカ初のマイヨジョーヌ
2007年にロバート・ハンター(当時バルロワールドに所属)が南アフリカ出身の選手として初めてスプリント勝利を飾ったここモンペリエで、ダリル・インピーがマイヨジョーヌをチームメイトのサイモン・ゲランスから引き継ぐことになった。南アフリカ初のマイヨジョーヌ獲得者として歴史に名を刻むことに。
インピーが13位でゴールした時、グライペルの勝利を祝福するグレッグ・ヘンダーソン(ロット・ベリソル)の後方では集団の分裂も発生して5秒の差がついていた。リスクを避けてスプリントをしないゲランスは48位でゴールし、チームメイトにあっさりとマイヨを渡した。
マイヨを死守することはできた。しかしそれをしなかったのは当初からのゲランスのアイデアによるもの。(すでに一流の仲間入りをしている)ゲランスにとってはマイヨジョーヌを着る日数が2日、3日と重ねるだけだが、インピーにとっては人生が変わることとなるからだ。
ツール6日目にして4人めのマイヨジョーヌ。「100回記念大会のツールで、マイヨジョーヌを着た初の南アフリカ人となることは自分のキャリアが変わる瞬間だね」と興奮を隠せないインピー。少なくとも第8ステージでアクストロワドメーヌの山頂ゴールするまでは栄光のジャージに身を包めそうだ。
ユキヤは安全第一でスプリントには加わらず
ユキヤはゴールスプリントに加わらず、エースのピエール・ロランのそばに付き添ってゴールした。
「とにかく今日は異常な暑さでした...。今日のような平坦ステージはピュアスプリンターではない自分がまともに勝負しても勝てるわけがないんです。チームのトレインを組むとチームメイトも消耗するし、場所取りの落車の危険も出てくる。長いステージレースでは余計なリスクを負わないことも大切だと判断して、ゴールスプリントには加わりませんでした」と語っている。
photo&text:Makoto.AYANO
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