2013/03/31(日) - 19:18
インド・ニューデリーで開催されたU23アジア選手権ロードレース。日本は黒枝士揮の5位を最高に勝利を逃した。前回U23チャンピオンながら36位に終わった木下智裕(神奈川・エカーズ・U23)がレースを振り返る。
U23ロードレース出場日本メンバー
黒枝士揮(大分・鹿屋体育大学)
山本元喜(奈良・鹿屋体育大学)
木下智裕(神奈川・エカーズ・U23)
六峰 亘(大分・ブリヂストンアンカー)
二連覇の掛かったアジア選手権。今年のアジア選手権の開催時期が3月ということで欧州シーズンを押しての参加となる。かなりモチベーションを高くレースに臨んだ。
シーズンオフのタイで合宿の成果を試す場所でもあり、ワクワクしながらインドへ。
インドに入ってから一週間、気候にも慣れ以外にも練習をしっかりすることが出来た。事前の情報では、最悪な交通環境により練習が出来ないとのことだったので、意外と郊外に出れば走りやすく広い道路でした。
この大会の後にもレースは続くので、強度の高い練習を積極的に行いながらレース当日に備える。
レース前夜のミーティングでは、ゴール勝負の出来る黒枝と自分を中心にレースを自分たちで作っていく展開を目指す。その半面、日本チームが後手に回るような展開になった場合、他チームからの総攻撃が予想されるので危険の芽を小さいうちに摘むようにすることも話し合った。
慢心ではなく、一位は必然と考えていて、いかに2位, 3位を日本チームで埋められるかを皆が考えていた。
良く睡眠を取ってレース当日を迎えた。なるべく寝ていたいので出発ギリギリの時間まで睡眠時間を優先した。
バスに乗ってホテルから60km離れたレース会場へ。
F1でも使われるサーキットとその周辺の道路を使った一周14km程の周回コースを10周の140km。サーキットコースは勝負所が少ないのでレース展開によって全てが決まるコース。
スタート地点へ、去年の順位順にコールされて選手がならんでいく。去年は優勝したので一番最初に呼ばれた。隣には去年二位のマレーシア人のオスマン(チャンピオンシステム)。お互い一年振りに会ったので今年の目標やらいろんなことを話した。「どこの国が強い?」と聞いたら、「香港とカザフだ」と言っていた。
スタートしてから逃げが決まるまで一時間強はアタック合戦。抜け出して、吸収されての繰り返し。ボトルをなかなか飲めずにレースが進んでしまう程、各自前半の入れ替わりの激しい展開。
去年のアジア選手権も50km付近で強力な逃げが決まりそのままゴールまで90km逃げ切ったので一時も気を緩めてはいけない。自分達の力を信じている分、積極的に展開した。
日本チームのリズムが良く、しっかり各選手が交互にアタックに反応し、必ず逃げには日本選手が乗っている攻撃的なレースが出来ていた。カザフスタンが口を開けて苦しそうに追走しているのを見て、そろそろ決まるだろうと思った。
約45km地点程だろうか。カザフスタン1名、香港1名イラン2名、日本からは六峰選手が含まれる10人の逃げグループが先行する。
日本チームとしてはようやく一段落のステップを踏めたと思い、逃げグループとの差が徐々に差が開いて行く中、なぜか日本の選手が道路に倒れている。六峰が落車していた。
レースにアクシデントはつきものだ。逃げグループから日本人が落ちて来たことにより一気に日本にとっては不利な状況がやってきた。直前までアタックに反応していた自分は一度集団の後ろに下がっていて、すぐに後ろの審判車から逃げグループに選手を送り込んでいる国を確認する。
前のグループははカザフ、香港、イランが乗っている強力な組織的な逃げ。その逃げ集団をキャッチしに行かなくてはいけない状況。傷口が広がらないうちに、次の作戦を考える。
プランは大きく二つ。日本チームで集団を引いて振り出しに戻す、もしくは1分先の逃げグループに向けて日本チームの誰がアタックして滑り込む方法。六峰を落車で失ったチーム3人で逃げ集団をコントロールしても消耗が大きく、逃げを吸収した後のカウンターアタックへの動きの対応が難しいため、後者を選ぶ。
この逃げに追いつく事が出来れば、最大のチャンスと考えていた。そんな強い走りをして勝つチームメイトをフランスで何度も見ているので出来るイメージがあった。
しかしその勝負が決まってくる状況ではそれなりに厳しいアタックだ。
しかしチャンスは自分の手で掴みに行くもの。ハイスピードな展開能力に自身があるし、今回は去年とは違う強い勝ち方をしたかった。見えなくなった逃げ集団に向けてチャレンジするしか無いと思い単独で飛び出す。
向かい風の中50km/で走り続け、見えなかった逃げグループを視界に捉えてぐんぐんせまる。3分維持出来るか出来ないかのスピードで走るのでとても苦しい。
「ここで追いつけたら勝てる」と思い踏み倒すが、前のグループも皆でペースを上げて千切りに掛かって来る。
ぐんぐんタイム差を詰めていき、逃げグループを視界にとらえてきた。しかしあと5秒ぐらいのところでジワジワと離れていくと同時に失速する。
これで勝負は一旦終了。この日最大のチャンスを捕りにに行ったが成功せず。後ろから集団がやって来て吸収される。
しかしへこんでいる暇もない。とりあえず次のことを考えた。もう既にタイム差が2分以上開いてしまった状況では、自分たちで脚を使わざるを得ず、最後スプリントの切り札の黒枝を残し、山本ゲンキと自分で集団を牽引を始める。同調するチームを誘い出し、その後タイム差が縮まって来た段階での追撃グループに乗る動きが出来るように考えた。
しかし集団のペースメイクに関して、声を掛けて同調してくれたのはマレーシア、タイのみ。韓国やイラク等追うべきチームにも声を掛けたけど同調してもらえず。しかしこれがレースで、それも作戦なので仕方がない。
先頭をコントロールしている時、カザフスタンがローテーションに入ってペースを乱して邪魔をしてくるので、「ちゃんと仕事するんだから、邪魔しないで」と伝えた。これはアジアの選手にありがちな悪い癖だ。
ポジションを譲って良い場面なら譲れば良いが、割り込まれていけないところは絶対に譲ってはいけないと思う。
また英語で他国とのコミュニケーションが取れる選手がいなくて今回も苦労した。自分一人で他の国に交渉するのも時間がかかるし、その間、自分は集団を引く事は出来ない。後ろで休んでいる選手がもしコミュニケーションを取る事が出来たら、もっと他の国の協力を得られたと思う。
80km地点から140km地点まで自分とゲンキは踏み続けて前の集団を追い掛けたが、人数を減らしながら進んだトップグループ4名には追いつかず、最後は黒枝がメイングループの先頭をスプリントで5位でレースを終えた。
山本元喜と集団から遅れてゴールした。
山本元喜が「俺ちゃんと仕事出来てた?」と聞いてきた。毎回、彼は凄い責任感で走っている。自分の責任として逃げグループに入る事が出来なかったことが悔しかったが、その状況の中での力は出し切った。
今回の個人的な敗因は、単独で逃げグループに後少しのところで追いつけなかった場面。他の選手にリードアウトのアシストを要請して、アタックしていたらギリギリ追いつけただろうと思うし。その瞬間が今日のレースの要と言える程、勝つ為には大事な場面だった。
どんなこともギリギリの状況では、出来る準備は全て行いチャンスを掴みにいかなければ行けないことを学びました。
また逃げていた香港の選手はカザフとイランに4位で破れているのを見ても、エース級の選手が後ろに取り残されていた香港チームと強力してレースを動かして行くべきだったとも思う。
ただ、前半の部分ではカザフスタンや香港を十分追い込んだ走りが出来ていたし、落車で1人少ない人数の中3人がそれぞれ出来る役割を果たせたのは良かった。黒枝を残してゲンキと二人で集団を引いたのは、日本チームとして勝つ方法がそれしか無かったため。しかしレースを逆転するための力は足りなかった。
アクシデントはあったものの、ナショナルチームメンバー4人、皆それぞれの役割を果たして、力は出しきったと感じた。
シーズンは始まったばかり。この悔しさのパワーを生かして、ヨーロッパでのシーズンに切り替えて頑張って行きます。
report:木下智裕 (ワールドサイクリングセンター / EQA U23)
photo: Kenji NAKAMURA/JCF
アジア選手権2013 U23ロードレース結果
5位 黒枝士揮(大分・鹿屋体育大学) 3時間05分17秒
35位 山本元喜(奈良・鹿屋体育大学) 3時間06分11秒
36位 木下智裕(神奈川・エカーズ・U23) 3時間06分30秒
DNF 六峰 亘(大分・ブリヂストンアンカー)
U23ロードレース出場日本メンバー
黒枝士揮(大分・鹿屋体育大学)
山本元喜(奈良・鹿屋体育大学)
木下智裕(神奈川・エカーズ・U23)
六峰 亘(大分・ブリヂストンアンカー)
二連覇の掛かったアジア選手権。今年のアジア選手権の開催時期が3月ということで欧州シーズンを押しての参加となる。かなりモチベーションを高くレースに臨んだ。
シーズンオフのタイで合宿の成果を試す場所でもあり、ワクワクしながらインドへ。
インドに入ってから一週間、気候にも慣れ以外にも練習をしっかりすることが出来た。事前の情報では、最悪な交通環境により練習が出来ないとのことだったので、意外と郊外に出れば走りやすく広い道路でした。
この大会の後にもレースは続くので、強度の高い練習を積極的に行いながらレース当日に備える。
レース前夜のミーティングでは、ゴール勝負の出来る黒枝と自分を中心にレースを自分たちで作っていく展開を目指す。その半面、日本チームが後手に回るような展開になった場合、他チームからの総攻撃が予想されるので危険の芽を小さいうちに摘むようにすることも話し合った。
慢心ではなく、一位は必然と考えていて、いかに2位, 3位を日本チームで埋められるかを皆が考えていた。
良く睡眠を取ってレース当日を迎えた。なるべく寝ていたいので出発ギリギリの時間まで睡眠時間を優先した。
バスに乗ってホテルから60km離れたレース会場へ。
F1でも使われるサーキットとその周辺の道路を使った一周14km程の周回コースを10周の140km。サーキットコースは勝負所が少ないのでレース展開によって全てが決まるコース。
スタート地点へ、去年の順位順にコールされて選手がならんでいく。去年は優勝したので一番最初に呼ばれた。隣には去年二位のマレーシア人のオスマン(チャンピオンシステム)。お互い一年振りに会ったので今年の目標やらいろんなことを話した。「どこの国が強い?」と聞いたら、「香港とカザフだ」と言っていた。
スタートしてから逃げが決まるまで一時間強はアタック合戦。抜け出して、吸収されての繰り返し。ボトルをなかなか飲めずにレースが進んでしまう程、各自前半の入れ替わりの激しい展開。
去年のアジア選手権も50km付近で強力な逃げが決まりそのままゴールまで90km逃げ切ったので一時も気を緩めてはいけない。自分達の力を信じている分、積極的に展開した。
日本チームのリズムが良く、しっかり各選手が交互にアタックに反応し、必ず逃げには日本選手が乗っている攻撃的なレースが出来ていた。カザフスタンが口を開けて苦しそうに追走しているのを見て、そろそろ決まるだろうと思った。
約45km地点程だろうか。カザフスタン1名、香港1名イラン2名、日本からは六峰選手が含まれる10人の逃げグループが先行する。
日本チームとしてはようやく一段落のステップを踏めたと思い、逃げグループとの差が徐々に差が開いて行く中、なぜか日本の選手が道路に倒れている。六峰が落車していた。
レースにアクシデントはつきものだ。逃げグループから日本人が落ちて来たことにより一気に日本にとっては不利な状況がやってきた。直前までアタックに反応していた自分は一度集団の後ろに下がっていて、すぐに後ろの審判車から逃げグループに選手を送り込んでいる国を確認する。
前のグループははカザフ、香港、イランが乗っている強力な組織的な逃げ。その逃げ集団をキャッチしに行かなくてはいけない状況。傷口が広がらないうちに、次の作戦を考える。
プランは大きく二つ。日本チームで集団を引いて振り出しに戻す、もしくは1分先の逃げグループに向けて日本チームの誰がアタックして滑り込む方法。六峰を落車で失ったチーム3人で逃げ集団をコントロールしても消耗が大きく、逃げを吸収した後のカウンターアタックへの動きの対応が難しいため、後者を選ぶ。
この逃げに追いつく事が出来れば、最大のチャンスと考えていた。そんな強い走りをして勝つチームメイトをフランスで何度も見ているので出来るイメージがあった。
しかしその勝負が決まってくる状況ではそれなりに厳しいアタックだ。
しかしチャンスは自分の手で掴みに行くもの。ハイスピードな展開能力に自身があるし、今回は去年とは違う強い勝ち方をしたかった。見えなくなった逃げ集団に向けてチャレンジするしか無いと思い単独で飛び出す。
向かい風の中50km/で走り続け、見えなかった逃げグループを視界に捉えてぐんぐんせまる。3分維持出来るか出来ないかのスピードで走るのでとても苦しい。
「ここで追いつけたら勝てる」と思い踏み倒すが、前のグループも皆でペースを上げて千切りに掛かって来る。
ぐんぐんタイム差を詰めていき、逃げグループを視界にとらえてきた。しかしあと5秒ぐらいのところでジワジワと離れていくと同時に失速する。
これで勝負は一旦終了。この日最大のチャンスを捕りにに行ったが成功せず。後ろから集団がやって来て吸収される。
しかしへこんでいる暇もない。とりあえず次のことを考えた。もう既にタイム差が2分以上開いてしまった状況では、自分たちで脚を使わざるを得ず、最後スプリントの切り札の黒枝を残し、山本ゲンキと自分で集団を牽引を始める。同調するチームを誘い出し、その後タイム差が縮まって来た段階での追撃グループに乗る動きが出来るように考えた。
しかし集団のペースメイクに関して、声を掛けて同調してくれたのはマレーシア、タイのみ。韓国やイラク等追うべきチームにも声を掛けたけど同調してもらえず。しかしこれがレースで、それも作戦なので仕方がない。
先頭をコントロールしている時、カザフスタンがローテーションに入ってペースを乱して邪魔をしてくるので、「ちゃんと仕事するんだから、邪魔しないで」と伝えた。これはアジアの選手にありがちな悪い癖だ。
ポジションを譲って良い場面なら譲れば良いが、割り込まれていけないところは絶対に譲ってはいけないと思う。
また英語で他国とのコミュニケーションが取れる選手がいなくて今回も苦労した。自分一人で他の国に交渉するのも時間がかかるし、その間、自分は集団を引く事は出来ない。後ろで休んでいる選手がもしコミュニケーションを取る事が出来たら、もっと他の国の協力を得られたと思う。
80km地点から140km地点まで自分とゲンキは踏み続けて前の集団を追い掛けたが、人数を減らしながら進んだトップグループ4名には追いつかず、最後は黒枝がメイングループの先頭をスプリントで5位でレースを終えた。
山本元喜と集団から遅れてゴールした。
山本元喜が「俺ちゃんと仕事出来てた?」と聞いてきた。毎回、彼は凄い責任感で走っている。自分の責任として逃げグループに入る事が出来なかったことが悔しかったが、その状況の中での力は出し切った。
今回の個人的な敗因は、単独で逃げグループに後少しのところで追いつけなかった場面。他の選手にリードアウトのアシストを要請して、アタックしていたらギリギリ追いつけただろうと思うし。その瞬間が今日のレースの要と言える程、勝つ為には大事な場面だった。
どんなこともギリギリの状況では、出来る準備は全て行いチャンスを掴みにいかなければ行けないことを学びました。
また逃げていた香港の選手はカザフとイランに4位で破れているのを見ても、エース級の選手が後ろに取り残されていた香港チームと強力してレースを動かして行くべきだったとも思う。
ただ、前半の部分ではカザフスタンや香港を十分追い込んだ走りが出来ていたし、落車で1人少ない人数の中3人がそれぞれ出来る役割を果たせたのは良かった。黒枝を残してゲンキと二人で集団を引いたのは、日本チームとして勝つ方法がそれしか無かったため。しかしレースを逆転するための力は足りなかった。
アクシデントはあったものの、ナショナルチームメンバー4人、皆それぞれの役割を果たして、力は出しきったと感じた。
シーズンは始まったばかり。この悔しさのパワーを生かして、ヨーロッパでのシーズンに切り替えて頑張って行きます。
report:木下智裕 (ワールドサイクリングセンター / EQA U23)
photo: Kenji NAKAMURA/JCF
アジア選手権2013 U23ロードレース結果
5位 黒枝士揮(大分・鹿屋体育大学) 3時間05分17秒
35位 山本元喜(奈良・鹿屋体育大学) 3時間06分11秒
36位 木下智裕(神奈川・エカーズ・U23) 3時間06分30秒
DNF 六峰 亘(大分・ブリヂストンアンカー)
Amazon.co.jp