2022/07/05(火) - 19:08
今やアメリカ最大の自転車レースとなったアンバウンド・グラベル。グラベルブームは世界に伝播している。アメリカでグラベルライドが盛んになった理由とは?そしてUnbound Gravelがここまで人気を博している理由とは?ブームのルーツを探った。
アメリカに始まり、アメリカが主導するグラベルブーム。その流れを知る一人がニック・レーガン氏だ。自身も黎明期よりグラベルライドを楽しみ、Unbound Gravelを走ってきた。そしてグラベル界アンバサダーとして多くの人と繋がり、数々のムーブメントをつくり、見守ってきた。アンバウンドグラベルのエキスポでニック氏に会い、話を聞いた。
VeloNewsなどのサイクリングメディアのフリージャーナリストを経て、現在シマノ・ノースアメリカスタッフ。書籍「GRAVEL CYCLING」 (2017年刊)の著者でもあり、グラベルの黎明期よりシマノのアンバサダーとして活動していたが、現在はロードとグラベルのマーケティング担当としてビデオ制作などにも携わる。Unbound Gravelには2011年より8回出走、200マイルを5度、360マイルのXLも2度完走している。グラベルのマーケットリーダー的な存在。
― アンバウンドグラベルの人気の秘密とは、どこから来ているものですか?
ニック:アンバウンド・グラベルは2006年に初開催され、僕が初めて出場した5年後の2011年でもまだ大会の規模は小さかった。Expo(ブランドブース)さえも無かった頃だ。テントが2、3個並んでいる程度だった。
それが今はとても大きくなったね。今年は昨年よりも遥かに大規模だ。毎年規模を拡大している。とてもクールだよね。
ここでは皆が新しい参加者を歓迎し、世界中の人たちと知り合うことができる。今まさに僕が日本から来た君たちと出会ったようにね。アメリカ中西部で始まったこのイベントはグローバルに成長しているんだ。君たちがこのイベントを知っているということがグローバル化している何よりの証明。
このイベントが一つの大きなコミュニティになっているんだ。なんてクールなことなんだろう。みんながここでダートのグラベルを走りたい、楽しみたいと世界中から集うんだ。レースに付随した様々なプロジェクトも行われるよ。
今年僕は走らないけど、チェックポイントも楽しいんだ。今年は僕の妻が走るので、彼女のサポートをする予定だ。彼女は4度目の200マイルに出場する。それをサポートするのもこのレースの楽しみ方の一つだ。もし君たちを見かけたら僕がサポートしてあげるよ。ここでは皆でライダーたちの手助けをするんだ。
― ここ近年、アメリカではどうして急速にグラベルの人気が高まってきたんでしょうか? 根本には何がありますか?
ニック:サイクリストが舗装路で危険を感じているからだろうね。スマートフォンを見ながら運転する危険なドライバーがたくさんいるからね。それに車の交通量も増えている。だから車の行き来が少ない、サイクリストにとってより安全なグラベルを選ぶんだろう。
もう一つの理由としては、ここにはアドベンチャーライドとして繋ぐことができるダートやグラベルロードがたくさんあること。彼らサイクリストにとってそれは新たな挑戦であり、何よりみんなアドベンチャーが好きなんだ。ライドが1日であろうが、午後からの数時間であろうが、気軽に楽しむことができる。
マウンテンバイクも楽しいんだけど、トレイルを組み合わせないといけない。それが難しい場合が多く、何より山に行くには時間もかかる。だが近場にあるダートロードは何も考えず走るだけでいいんだ。
― レースはその延長線上にあるんでしょうか?
ニック:各地で行われるイベントの存在もグラベルの人気を押し上げているね。レースは一斉スタートなので、誰でもピーター・ステティナ(スター選手)の隣でスタートを切ることができる。それはとてもクールなことで、自分のレベルと関係なく、トップアスリートと繋がりを持つことができるのだからね。
グラベルレースは様々なレベルのライダーが、それぞれの目標に向かって走ることができるんだ。君は君、僕は僕の目標達成のためにサポートし合うことができる。そうやって互いを助け合うことでコミュニティが作られているんだ。これはロードレースとは違ったグラベルレース独特の感情だろう。互いに競い合うのではなく、選手が一丸となってそれぞれの目標に挑むんだ。
だからレースをする度に新しい友だちができるし、一緒に風の中苦しんだり、水が無くて困っている人に自分の水をあげたりする。そうすることでコミュニティが築かれる。特別な体験だよね。
― たしかにここでは有名なトップライダーと一般ライダーが一緒になって走っているのが見られますね。シェイクアウトライド(レース前日までにひんぱんに催されるグループライド)はとても楽しそうです。
ニック:コロナ禍で家に籠もらなければならず、アジアや日本ではそれがいまだに続いている。その影響で、みんな人との関わりに飢えている。新しい人との出会いに枯渇していたんだ。人間は社会的であり、僕らは握手やハグ、共に笑い合う体験を求めている。バイクライドはそれら全てを叶えてくれるんだ。一緒に走るだけで人と人を繋げてくれる。そんな理由からもグラベルレースの人気が高まっているんだと思うよ。
日本のグラベルはどんな感じだい? アメリカのように長いグラベルロードなんてないんだろう?それに道は狭いのかい?
― そう、カンザスのような長い平坦なグラベルは見当たらないです。急勾配の登りのある山が多いですね。林道は少しガレています。
ニック:僕の住むコロラドも急勾配の坂が多い土地なんだ。僕の家は標高3,000mの山にあることもあり、坂ばかりだ。それにマイニングロード(金の採掘で使われた道)が多いので、そこを走ることができる。当然路面が荒れているので幅の広いタイヤで走らなければならない。
グラベルライドのいいところは、一言でグラベルと言っても状況によって全然違うところだ。カンザスで今までと違った新しい道を走り、コロラドでも、カルフォルニアや日本でも、道は全然違う。地域によって新たな発見があるのもグラベルの面白いところだね。
― なぜアンバウンドがグラベル界でベストのイベントになったと思いますか?
ニック:アンバウンドがベスト(最高)だとは言わないが、最も重要度の高いイベントであることは間違いない。それは新しい人たち(選手)を歓迎する姿勢にある。200マイルのレースはここが最初ではないが、ビッグなスケールに成長した最初のイベントではある。
多くの人はここまで大規模のレースになるとは思わなかったはず。また200マイル以外の距離を用意することで新しい人たちの参加が簡単になった。25、50、100、200マイルというように、短い距離から始め、成長できるステップを用意したんだ。(100マイル以下のクラスは2013年に、XLは2018に加わった)
また、主催するエンポリアの街もイベントの拡大には重要な役割を担った。街の観光にも大きな影響を及ぼした。街じゅうの商店などに掲げられた「ウェルカム・グラベルライダー、サイクリスト」というバナーを見ればそれは明らかだ。
この小さな街で、地域の人々がイベントで訪れる人々を歓迎している。その歓迎ぶりが訪れる皆の心地を良くするんだ。そうしてエンポリアは特別な場所となった。ここじゃなくてもグラベルイベントを主催する街のいくつかは良い取り組みをしている。グラベルレースはいまだグラスルーツ的な段階なんだ。
― グラスルーツ=草の根的とは?
ニック:小さな輪と言えるだろうか。僕は彼を知っている、彼は彼女を知っている、彼女は僕のライド仲間だ、とね。声をかけあって一緒に走りに行くんだ。一度走ったら友だちになる。次はサポートし合うこともある。そうやって仲が深まってライドの友達の輪が広がっていく。
― 確かにここはハートが暖かくなるようなハッピーな雰囲気に包まれていますね。
ニック:それは僕も感じることだよ。君はどうしてアンバウンドが特別なレースになったと思う?
― 歴史だろうか? それとも200マイルという長距離を走るから? もし100マイル止まりだったら、むしろわざわざ日本から来ないと思います。
ニック:そうだね! 200マイルと言う距離はもちろん魅力的だ。そして路面の違いもある。ここフリントヒルズの路面はとても荒れていて、特に街から離れるととてもユニークな道が広がっている。難易度が高く、タイヤのカットパンクをしやすいんだ。
エンポリアを遠く離れるほど、先の尖った石がたくさん転がっているんだ。長い距離に掛け算するように尖った石が出てくるから、難易度は倍になる。それがこのレースを難しくし、ストーリーをつくり上げる。走り切ることをより困難にするんだ。でもそれこそが魅力になり、人が「挑戦したい」と思うんだ。
ところでバーベキューはもう食べたかい? カンザスはバーベキューで有名なんだ。アメリカのなかでも独自のスタイルを持っている。バビーディーというレストランがあり、そこではローカルの美味しい食べ物が食べられるよ。でも今夜食べるには重たすぎるから、明日のレースを走った後に食べに行くのがいいかもね。レースに行った知らない土地での楽しみはたくさんあるね。
エンポリアはディスク(フリスビー)ゴルフが盛んで、世界選手権がよく行われているんだ。それがサイクリストを迎える下地になったんだろう。
― 僕たちは昨日、前レースディレクターのリーラン氏と一緒にエンポリア・シティライドに出かけましたよ。そのことを話していました。
ニック:彼は僕の初レースのダーティカンザで、チェックポイントでサポートしてくれた人だよ! だから彼とは長い付き合い。かつて彼がこのレースの共同オーナーだった。そして今の主催者のLIFE TIMEに売却したんだ。彼の方がアンバウンドの生い立ちについては詳しいだろうね。
デニス氏にはダーティ・カンザのイベント発足当時のことから現在の人気に至るまでを紐解いて説明してもらった。
リーラン・デニス (Visit EMPORIA所長、元ダーティカンザのレースディレクター)
― Unbound Gravel、もとDirtyKanzaの生まれたきっかけを教えて下さい。
デニス:耐久レース「トランス・アイオワ」に出場してカンザスに戻ったジョー・ダイクが、友人のジム・クミンと一緒に始めたんだ。クミンはレーサーとして、ダイクはレースディレクターとして2006年にグラベルイベント「DirtyKanza」を始めた。最初は34人のレースだった。2010年には両者ともディレクターになった。
2008年には僕も出場したよ。そのあとも何度か出場した後に、僕がイベントのオーナーになったんだ。
2014年の12月、ダイクは交通事故で帰らぬ人に。自転車とは関係のない事故だったが、その年は不幸にもアメリカじゅうで立て続けにサイクリストが交通事故に遭って命を落としたんだ。それが一層、人々がグラベルへと向かうきっかけになった。
2018年にイベントをLife Time Fitness社に売却したんだ。そして僕はVisit EMPORIAの仕事をするようになった。
スタートしてから16年が経って、Unbound Gravelに名を変えた大会は今や4,000人以上が参加するイベントになった。抽選で人数を絞っているが、すごい人気だ。150ブランドのエキスポ、100社以上のメディアもエンポリアにやってくるんだ。
― 今のグラベル200マイルレースが定形になった理由は?
デニス:ダイクが影響を受けたトランス・アイオワ(アイオワ州横断レース)は340マイル(544km)を走るウルトラエンデュランス(耐久)レースだった。もっとも過酷だった2017年は150人が参加し、半分の75人がフィニッシュにたどり着いたが、完走は6人のみ。ちょっとハード過ぎるレースだった。
「カンザスで似たようなことをやりたい」となったが、「200マイルぐらいがちょうど良いだろう」ということになった。それでもダブルセンチュリーだ。トランス・アイオワの名残のようなものがXLクラスになっている。
― なぜカンザスで?
デニス:ジョーとジムがこの土地のポテンシャルを知っていたからだ。トーグラス(芝)がどこまでも広がっているグレートプレーンズ大平原は自然保護区で、太古の昔から変わらない美しい土地だ。今も車が少なく、人口が少ない僻地。グラベルロードはあちこちにある。
確かに何も無いが、アドベンチャーサイクリストが求めるものがすべて揃っているんだ。
ライドによって美しい挑戦ができる土地、自転車で走れる静かなグラベル。加えて人々がサイクリストを歓迎する気持ちに溢れた素晴らしいコミュニティがある。イベントがあれば、サポートする気持ちをもった人が集まる。 それがフリントヒルズだ。
― 昨日はクルマで2時間のローレンス・カンザスを訪問しました。ダーティカンザ4勝のレジェンド、ダン・ヒューズ氏のバイクショップがある街です。ローレンスも小さな街でエンポリアに似ていました。グラベルレース「ベルジャン・ワッフルライド」のホストタウンだそうですね。
デニス:「BWR」は昨年始まったばかり。500人ぐらいのレースで、小さいけど美しいイベントだね。ローレンス周辺のグラベルはエンポリアとは少し違っていて、例えばアンバウンドとはまた違ったバイクが必要になってくるだろうね。
― バイクの変遷も興味深いですね。なにしろグラベルバイクなんていう新しいものが登場してきたのは、ここ数年のことですよね。
2008年、今から14年前の僕はシクロクロスのバイクに乗って走った。タイヤにリッチーSPEEDMAXを使ったね。3回パンクした。タイヤは弱かったから、皆がパッチキットやスペアチューブでパンク修理と格闘していた。30分以上路上に座り込んで直すなんてことはざらだった。そんな思い出が皆にある。15時間以上かけてフィニッシュするんだ。
たしか2009年にはバイクショップのオーナーをしている友人がマウンテンバイクで3位になった。29インチだったけど、それは例外中の例外。チューンナップしていたからね。
今やMTBで走る人はすっかり居ない。25や50マイルになら多く居るけど、100と200マイルに関してはほんの数人だ。ほかは皆すべてグラベルバイクに乗る。長い距離を走らなくてはいけないから、MTBでは姿勢がアップライト過ぎるんだ。
僕の意見ではシクロクロスバイクとグラベルバイクは違っている。シクロクロスバイクはターンを機敏にこなすバイクで、長い距離を楽に走るには違ったバイクが必要だと思う。MTBとシクロクロス、その中間のバイクが必然的に生まれてきたんだ。
ここからはグラベルバイクの変遷について掘り下げてみよう。前述したローレンス・カンザスにあるSunflower Outodoor & Bikesというショップを訪問した。エンポリアからはクルマで2時間の距離。ダーティカンザ4勝のレジェンド、ダン・ヒューズ氏がオーナーのバイク&アウトドアグッズのショップで、そこにはヒューズ氏がダーティカンザで駆ったバイクや、古いバイクが展示してあるミニミュージアムにもなっているのだ。ヒューズ氏はアンバウンドの大会の仕事で不在だったが、右腕スタッフのポールさんが対応してくれた。
2006年、第1回ダーティカンザでダン・ヒューズが初めて勝利したバイクは "STEELMAN" とロゴが入ったクロモリのシクロクロスバイクだった。「鉄人」という名のハンドメイドのスチールバイクはカンティブレーキ仕様。チェーンステイが詰められ、太めのシクロクロスタイヤを履いたカンパニョーロとシマノのミックスコンポで組まれていた。
フロントチェーンホイールはダブル仕様で、スプロケットも大きくない。つまりギアレシオは高めで、ロードバイクとシクロクロスバイクの中間のような、まさにグラベルを速く走るためのバイクだ。特筆すべきは40Cタイヤが入るように設計されていること。
1989年製のスペシャライズド製の26インチのマウンテンバイク「RockCombo」は、ドロップハンドルに組み替えられていた。昨年イアン・ボズウェルとローレンス・テンダムが駆ってワン・ツーフィニッシュしたスペシャライズドのバイクには、このカラーリングがオマージュとしてあしらわれていた、スペシャライズドにとっては同社のMTBの原点とも言えるシンボリックなカラーだ。
フロントトリプル×リア7スピードだが、ドロップハンドルやバーエンドシフターは長距離を走るようチューンナップされたもの。カンザスのサイクリストはこうしたカスタムMTBでグラベルを走り回っていたが、いざレースとなるとスピードが出ずに歯が立たなかった。
やはりグラベルレースには700Cホイールが不可欠で、太さは40C〜が標準となる。速さとタフさのバランスで、今のグラベルホイールやタイヤのプロフィールに向かうことになる。
ヒューズ氏は5年のブランクを経てダーティカンザに3連勝、通算4勝目を挙げた。その2011、2012年にヒューズ氏はIndependent Fabricationを駆った。しかしタイヤクリアランスは35Cまでで、シクロクロスバイクとは大きく違わないものだった。
ヒューズ氏が通算4勝目を挙げた2013年に駆ったのがスペシャライズドのS-Works Crux EVO。シクロクロスバイクをベースとした、蛾のスペシャルペイントが施されたMothrah(モスラ)バイクとして有名な一台。スペシャライズドは2015年のアンバウンド覇者ユーリ・ハウスワルドにはゴジラペイントのバイクを贈り、「モスラvsゴジラ」をパロディーとしているのもグラベルならではのユーモアだ。
ヒューズ氏は快適性や振動吸収性よりもレース志向の強いハイスピードバイクを好み、細身の38Cタイヤをセッティング。フロントにはダブルチェーンリングを使用し、高いギアレシオを求める一貫性には変わりない。エアロ効果を求めたカーボンディープリムを履き、カンザスの大平原を速く走るためのグラベルバイクを創り上げた。これが今の新型Cruxの設計発想にも繋がっているのが面白い。ヒューズ氏は永くスペシャライズドの開発アドバイザーとして携わっている。
アンバウンドの舞台となるカンザスの大平原・グレートプレーンズについて、面白いエピソードを紹介しよう。実は一緒に訪問したマイキーことマイケル・ライス氏(chapter2japan)はカンザス州出身で、ここローレンスのカンザス大学が母校だ。そしてこのSunflower Bikesが自身初のマウンテンバイクを購入したショップで、マイキーの原点でもある。
このショップはシマノGRXの製品企画担当者の松本裕司氏が「この店に行けばアメリカのグラベルのルーツが分かる」と紹介してくれたショップで、ニック氏、ヒューズ氏とのつながりで訪問を決めたのだが、マイキーが学生だった頃に通ったショップであることは後で知ったサプライズだった。
初めてのMTBを手に入れた大学生のマイキーは、嬉しさで走り出す。どんどんスピードが出て、調子よく走り続けたという。「まるで自分がスーパーマンになったような錯覚だった。まっすぐ平原に続く道を数時間走って、寮に帰ろうと引き返したときに悟ったんだ。それまで強い追い風だったことを。帰路は強い向かい風でまったく進まず、食べ物も水も持ってなく、本当に苦労した(笑)」(マイキー)。
カンザス大平原の雄大さ、そして天候の変化や風の驚異を感じるエピソード。オズの魔法使いドロシーの話に出てくるサンダーストーム(雷嵐)はこの土地の特有のもの。乾いた土地に、狂ったような嵐がくることも珍しくない。そうした土地柄にあったグラベルバイクが求められるのだ。
ダーティカンザの人気の急上昇はアメリカ全土でのグラベルライドの流行とシンクロする。ニーズあるところに、それに応えるバイクが開発されるようになった。しかしグラベルは乗り方を限定しない。レースに使う人、バイクパッキングなどツーリングに使う人で求めるディテールはそれぞれ違ってくる。
ミニミュージアムにはヒューズ氏が北のクラシックに影響を受けていることが分かる展示が多くある。ベルギーチャンピオンだったトム・ステールスのジャージ、アメリカ人で活躍したボブ・ロールがパリ〜ルーベを走る写真に本人のサインが入った額装写真などが見られる。グレッグ・レモンのマイヨジョーヌなど、往年のアメリカ人のロードレーススターにちなんだ展示もあるが、石畳やオフロードに想いを馳せるものが多く選ばれている。
元レースディレクター、リーラン・デニス氏の話に出たウルトラエンデュランスレース「トランスアイオワ」も、ヒューズ氏が好んだレースだ。デニス氏がもっとも過酷だったと表現した2017年に優勝したのがヒューズ氏であり、その優勝バイクはCruxにLaufのリーフサスペンションフォークを組み合わせたもの。つまりハイギアードなレシオを備えつつ、荒れたグラベルもこなすサスペンションフォークをもつレースバイクだ。
黎明期はシクロクロスバイクをグラベル流にアレンジしたものが乗られてきた。今はグラベルバイクがマーケットの主流になり、多くのグラベルバイク、レーシングモデル、ツーリングモデル、バイクパッキングモデル等がリリースされ、選べるようになった。
すると、グラベルバイクが再びシクロクロスバイクに近づくことにもなった。グラベルとシクロクロス、かつてのマイナーVSメジャーが逆転すると、グラベルバイクでシクロクロスを走るという発想も出てくる。それが今の現状だ。
今年のアンバウンドグラベル200マイル優勝者イヴァール・スリックの駆ったバイクは、コンポにシマノGRXを用いながら、チェーンホイールにはロード用のアルテグラ52✕36Tをセット。ハイアベレージで走れるギアレシオを確保している。ペダルとシューズにロード用を使うことも速く走るためだ。
100マイルに出場したペテル・サガンが駆ったスペシャライズド Cruxもその「ハシリ」であると言えるだろう。Cruxはシクロクロスレースバイクをルーツにもつ「グラベル/CXレーシングバイク」。つまり両方の走りを意識したレースバイクだ。こうした流れは今後加速するかもしれない。
今はエンジョイ派に転身し、今回のアンバウンドにはフォトグラファーとして大会を撮ることに情熱を燃やすダン・ヒューズ氏だが、最近組んだニューバイクはスペシャライズドCruxをベースに、シマノGRXコンポーネントを用いながらもデュラエースのチェーンリングを備えたロードクランクをセットし、ハイスピードで駆け抜けるためのバイクを組んだという。まさにカンザスのグレートプレーンズを速く駆け抜けるためのグラベルバイクだ。
これからさらにエントラントが増え、マーケットが大きくなると、レースごとのコースの特色やシチュエーションに合わせたバイクに細分化していくことになるのだろう。
アメリカに始まり、アメリカが主導するグラベルブーム。その流れを知る一人がニック・レーガン氏だ。自身も黎明期よりグラベルライドを楽しみ、Unbound Gravelを走ってきた。そしてグラベル界アンバサダーとして多くの人と繋がり、数々のムーブメントをつくり、見守ってきた。アンバウンドグラベルのエキスポでニック氏に会い、話を聞いた。
ニック・レーガン Nick LEGAN
VeloNewsなどのサイクリングメディアのフリージャーナリストを経て、現在シマノ・ノースアメリカスタッフ。書籍「GRAVEL CYCLING」 (2017年刊)の著者でもあり、グラベルの黎明期よりシマノのアンバサダーとして活動していたが、現在はロードとグラベルのマーケティング担当としてビデオ制作などにも携わる。Unbound Gravelには2011年より8回出走、200マイルを5度、360マイルのXLも2度完走している。グラベルのマーケットリーダー的な存在。
― アンバウンドグラベルの人気の秘密とは、どこから来ているものですか?
ニック:アンバウンド・グラベルは2006年に初開催され、僕が初めて出場した5年後の2011年でもまだ大会の規模は小さかった。Expo(ブランドブース)さえも無かった頃だ。テントが2、3個並んでいる程度だった。
それが今はとても大きくなったね。今年は昨年よりも遥かに大規模だ。毎年規模を拡大している。とてもクールだよね。
ここでは皆が新しい参加者を歓迎し、世界中の人たちと知り合うことができる。今まさに僕が日本から来た君たちと出会ったようにね。アメリカ中西部で始まったこのイベントはグローバルに成長しているんだ。君たちがこのイベントを知っているということがグローバル化している何よりの証明。
このイベントが一つの大きなコミュニティになっているんだ。なんてクールなことなんだろう。みんながここでダートのグラベルを走りたい、楽しみたいと世界中から集うんだ。レースに付随した様々なプロジェクトも行われるよ。
今年僕は走らないけど、チェックポイントも楽しいんだ。今年は僕の妻が走るので、彼女のサポートをする予定だ。彼女は4度目の200マイルに出場する。それをサポートするのもこのレースの楽しみ方の一つだ。もし君たちを見かけたら僕がサポートしてあげるよ。ここでは皆でライダーたちの手助けをするんだ。
― ここ近年、アメリカではどうして急速にグラベルの人気が高まってきたんでしょうか? 根本には何がありますか?
ニック:サイクリストが舗装路で危険を感じているからだろうね。スマートフォンを見ながら運転する危険なドライバーがたくさんいるからね。それに車の交通量も増えている。だから車の行き来が少ない、サイクリストにとってより安全なグラベルを選ぶんだろう。
もう一つの理由としては、ここにはアドベンチャーライドとして繋ぐことができるダートやグラベルロードがたくさんあること。彼らサイクリストにとってそれは新たな挑戦であり、何よりみんなアドベンチャーが好きなんだ。ライドが1日であろうが、午後からの数時間であろうが、気軽に楽しむことができる。
マウンテンバイクも楽しいんだけど、トレイルを組み合わせないといけない。それが難しい場合が多く、何より山に行くには時間もかかる。だが近場にあるダートロードは何も考えず走るだけでいいんだ。
― レースはその延長線上にあるんでしょうか?
ニック:各地で行われるイベントの存在もグラベルの人気を押し上げているね。レースは一斉スタートなので、誰でもピーター・ステティナ(スター選手)の隣でスタートを切ることができる。それはとてもクールなことで、自分のレベルと関係なく、トップアスリートと繋がりを持つことができるのだからね。
グラベルレースは様々なレベルのライダーが、それぞれの目標に向かって走ることができるんだ。君は君、僕は僕の目標達成のためにサポートし合うことができる。そうやって互いを助け合うことでコミュニティが作られているんだ。これはロードレースとは違ったグラベルレース独特の感情だろう。互いに競い合うのではなく、選手が一丸となってそれぞれの目標に挑むんだ。
だからレースをする度に新しい友だちができるし、一緒に風の中苦しんだり、水が無くて困っている人に自分の水をあげたりする。そうすることでコミュニティが築かれる。特別な体験だよね。
― たしかにここでは有名なトップライダーと一般ライダーが一緒になって走っているのが見られますね。シェイクアウトライド(レース前日までにひんぱんに催されるグループライド)はとても楽しそうです。
ニック:コロナ禍で家に籠もらなければならず、アジアや日本ではそれがいまだに続いている。その影響で、みんな人との関わりに飢えている。新しい人との出会いに枯渇していたんだ。人間は社会的であり、僕らは握手やハグ、共に笑い合う体験を求めている。バイクライドはそれら全てを叶えてくれるんだ。一緒に走るだけで人と人を繋げてくれる。そんな理由からもグラベルレースの人気が高まっているんだと思うよ。
日本のグラベルはどんな感じだい? アメリカのように長いグラベルロードなんてないんだろう?それに道は狭いのかい?
― そう、カンザスのような長い平坦なグラベルは見当たらないです。急勾配の登りのある山が多いですね。林道は少しガレています。
ニック:僕の住むコロラドも急勾配の坂が多い土地なんだ。僕の家は標高3,000mの山にあることもあり、坂ばかりだ。それにマイニングロード(金の採掘で使われた道)が多いので、そこを走ることができる。当然路面が荒れているので幅の広いタイヤで走らなければならない。
グラベルライドのいいところは、一言でグラベルと言っても状況によって全然違うところだ。カンザスで今までと違った新しい道を走り、コロラドでも、カルフォルニアや日本でも、道は全然違う。地域によって新たな発見があるのもグラベルの面白いところだね。
― なぜアンバウンドがグラベル界でベストのイベントになったと思いますか?
ニック:アンバウンドがベスト(最高)だとは言わないが、最も重要度の高いイベントであることは間違いない。それは新しい人たち(選手)を歓迎する姿勢にある。200マイルのレースはここが最初ではないが、ビッグなスケールに成長した最初のイベントではある。
多くの人はここまで大規模のレースになるとは思わなかったはず。また200マイル以外の距離を用意することで新しい人たちの参加が簡単になった。25、50、100、200マイルというように、短い距離から始め、成長できるステップを用意したんだ。(100マイル以下のクラスは2013年に、XLは2018に加わった)
また、主催するエンポリアの街もイベントの拡大には重要な役割を担った。街の観光にも大きな影響を及ぼした。街じゅうの商店などに掲げられた「ウェルカム・グラベルライダー、サイクリスト」というバナーを見ればそれは明らかだ。
この小さな街で、地域の人々がイベントで訪れる人々を歓迎している。その歓迎ぶりが訪れる皆の心地を良くするんだ。そうしてエンポリアは特別な場所となった。ここじゃなくてもグラベルイベントを主催する街のいくつかは良い取り組みをしている。グラベルレースはいまだグラスルーツ的な段階なんだ。
― グラスルーツ=草の根的とは?
ニック:小さな輪と言えるだろうか。僕は彼を知っている、彼は彼女を知っている、彼女は僕のライド仲間だ、とね。声をかけあって一緒に走りに行くんだ。一度走ったら友だちになる。次はサポートし合うこともある。そうやって仲が深まってライドの友達の輪が広がっていく。
― 確かにここはハートが暖かくなるようなハッピーな雰囲気に包まれていますね。
ニック:それは僕も感じることだよ。君はどうしてアンバウンドが特別なレースになったと思う?
― 歴史だろうか? それとも200マイルという長距離を走るから? もし100マイル止まりだったら、むしろわざわざ日本から来ないと思います。
ニック:そうだね! 200マイルと言う距離はもちろん魅力的だ。そして路面の違いもある。ここフリントヒルズの路面はとても荒れていて、特に街から離れるととてもユニークな道が広がっている。難易度が高く、タイヤのカットパンクをしやすいんだ。
エンポリアを遠く離れるほど、先の尖った石がたくさん転がっているんだ。長い距離に掛け算するように尖った石が出てくるから、難易度は倍になる。それがこのレースを難しくし、ストーリーをつくり上げる。走り切ることをより困難にするんだ。でもそれこそが魅力になり、人が「挑戦したい」と思うんだ。
ところでバーベキューはもう食べたかい? カンザスはバーベキューで有名なんだ。アメリカのなかでも独自のスタイルを持っている。バビーディーというレストランがあり、そこではローカルの美味しい食べ物が食べられるよ。でも今夜食べるには重たすぎるから、明日のレースを走った後に食べに行くのがいいかもね。レースに行った知らない土地での楽しみはたくさんあるね。
エンポリアはディスク(フリスビー)ゴルフが盛んで、世界選手権がよく行われているんだ。それがサイクリストを迎える下地になったんだろう。
― 僕たちは昨日、前レースディレクターのリーラン氏と一緒にエンポリア・シティライドに出かけましたよ。そのことを話していました。
ニック:彼は僕の初レースのダーティカンザで、チェックポイントでサポートしてくれた人だよ! だから彼とは長い付き合い。かつて彼がこのレースの共同オーナーだった。そして今の主催者のLIFE TIMEに売却したんだ。彼の方がアンバウンドの生い立ちについては詳しいだろうね。
ダーティ・カンザからアンバウンド・グラベルへ グラベルイベントが発展した理由
ニックから紹介されたリーラン・デニス氏とは、前日にエンポリア・シティライドという街を観光しながら走るガイドツアーでご一緒した。前レースディレクターだったデニス氏は、現在「Visit EMPORIA」つまりエンポリア観光局の局長として街の仕事をしている。それはつまり、ダーティ・カンザが街に果たした役割がいかに大きかったかを表している。大勢のグラベル・サイクリストが訪れることが、田舎の小さな街にとって経済、社会等の多方面にわたって良い効果をもたらしたことを。デニス氏にはダーティ・カンザのイベント発足当時のことから現在の人気に至るまでを紐解いて説明してもらった。
リーラン・デニス (Visit EMPORIA所長、元ダーティカンザのレースディレクター)
― Unbound Gravel、もとDirtyKanzaの生まれたきっかけを教えて下さい。
デニス:耐久レース「トランス・アイオワ」に出場してカンザスに戻ったジョー・ダイクが、友人のジム・クミンと一緒に始めたんだ。クミンはレーサーとして、ダイクはレースディレクターとして2006年にグラベルイベント「DirtyKanza」を始めた。最初は34人のレースだった。2010年には両者ともディレクターになった。
2008年には僕も出場したよ。そのあとも何度か出場した後に、僕がイベントのオーナーになったんだ。
2014年の12月、ダイクは交通事故で帰らぬ人に。自転車とは関係のない事故だったが、その年は不幸にもアメリカじゅうで立て続けにサイクリストが交通事故に遭って命を落としたんだ。それが一層、人々がグラベルへと向かうきっかけになった。
2018年にイベントをLife Time Fitness社に売却したんだ。そして僕はVisit EMPORIAの仕事をするようになった。
スタートしてから16年が経って、Unbound Gravelに名を変えた大会は今や4,000人以上が参加するイベントになった。抽選で人数を絞っているが、すごい人気だ。150ブランドのエキスポ、100社以上のメディアもエンポリアにやってくるんだ。
― 今のグラベル200マイルレースが定形になった理由は?
デニス:ダイクが影響を受けたトランス・アイオワ(アイオワ州横断レース)は340マイル(544km)を走るウルトラエンデュランス(耐久)レースだった。もっとも過酷だった2017年は150人が参加し、半分の75人がフィニッシュにたどり着いたが、完走は6人のみ。ちょっとハード過ぎるレースだった。
「カンザスで似たようなことをやりたい」となったが、「200マイルぐらいがちょうど良いだろう」ということになった。それでもダブルセンチュリーだ。トランス・アイオワの名残のようなものがXLクラスになっている。
― なぜカンザスで?
デニス:ジョーとジムがこの土地のポテンシャルを知っていたからだ。トーグラス(芝)がどこまでも広がっているグレートプレーンズ大平原は自然保護区で、太古の昔から変わらない美しい土地だ。今も車が少なく、人口が少ない僻地。グラベルロードはあちこちにある。
確かに何も無いが、アドベンチャーサイクリストが求めるものがすべて揃っているんだ。
ライドによって美しい挑戦ができる土地、自転車で走れる静かなグラベル。加えて人々がサイクリストを歓迎する気持ちに溢れた素晴らしいコミュニティがある。イベントがあれば、サポートする気持ちをもった人が集まる。 それがフリントヒルズだ。
― 昨日はクルマで2時間のローレンス・カンザスを訪問しました。ダーティカンザ4勝のレジェンド、ダン・ヒューズ氏のバイクショップがある街です。ローレンスも小さな街でエンポリアに似ていました。グラベルレース「ベルジャン・ワッフルライド」のホストタウンだそうですね。
デニス:「BWR」は昨年始まったばかり。500人ぐらいのレースで、小さいけど美しいイベントだね。ローレンス周辺のグラベルはエンポリアとは少し違っていて、例えばアンバウンドとはまた違ったバイクが必要になってくるだろうね。
― バイクの変遷も興味深いですね。なにしろグラベルバイクなんていう新しいものが登場してきたのは、ここ数年のことですよね。
2008年、今から14年前の僕はシクロクロスのバイクに乗って走った。タイヤにリッチーSPEEDMAXを使ったね。3回パンクした。タイヤは弱かったから、皆がパッチキットやスペアチューブでパンク修理と格闘していた。30分以上路上に座り込んで直すなんてことはざらだった。そんな思い出が皆にある。15時間以上かけてフィニッシュするんだ。
たしか2009年にはバイクショップのオーナーをしている友人がマウンテンバイクで3位になった。29インチだったけど、それは例外中の例外。チューンナップしていたからね。
今やMTBで走る人はすっかり居ない。25や50マイルになら多く居るけど、100と200マイルに関してはほんの数人だ。ほかは皆すべてグラベルバイクに乗る。長い距離を走らなくてはいけないから、MTBでは姿勢がアップライト過ぎるんだ。
僕の意見ではシクロクロスバイクとグラベルバイクは違っている。シクロクロスバイクはターンを機敏にこなすバイクで、長い距離を楽に走るには違ったバイクが必要だと思う。MTBとシクロクロス、その中間のバイクが必然的に生まれてきたんだ。
グラベルバイクの変遷 土地柄が生んだ変化 「大平原を速く走るために」
ここからはグラベルバイクの変遷について掘り下げてみよう。前述したローレンス・カンザスにあるSunflower Outodoor & Bikesというショップを訪問した。エンポリアからはクルマで2時間の距離。ダーティカンザ4勝のレジェンド、ダン・ヒューズ氏がオーナーのバイク&アウトドアグッズのショップで、そこにはヒューズ氏がダーティカンザで駆ったバイクや、古いバイクが展示してあるミニミュージアムにもなっているのだ。ヒューズ氏はアンバウンドの大会の仕事で不在だったが、右腕スタッフのポールさんが対応してくれた。
2006年、第1回ダーティカンザでダン・ヒューズが初めて勝利したバイクは "STEELMAN" とロゴが入ったクロモリのシクロクロスバイクだった。「鉄人」という名のハンドメイドのスチールバイクはカンティブレーキ仕様。チェーンステイが詰められ、太めのシクロクロスタイヤを履いたカンパニョーロとシマノのミックスコンポで組まれていた。
フロントチェーンホイールはダブル仕様で、スプロケットも大きくない。つまりギアレシオは高めで、ロードバイクとシクロクロスバイクの中間のような、まさにグラベルを速く走るためのバイクだ。特筆すべきは40Cタイヤが入るように設計されていること。
1989年製のスペシャライズド製の26インチのマウンテンバイク「RockCombo」は、ドロップハンドルに組み替えられていた。昨年イアン・ボズウェルとローレンス・テンダムが駆ってワン・ツーフィニッシュしたスペシャライズドのバイクには、このカラーリングがオマージュとしてあしらわれていた、スペシャライズドにとっては同社のMTBの原点とも言えるシンボリックなカラーだ。
フロントトリプル×リア7スピードだが、ドロップハンドルやバーエンドシフターは長距離を走るようチューンナップされたもの。カンザスのサイクリストはこうしたカスタムMTBでグラベルを走り回っていたが、いざレースとなるとスピードが出ずに歯が立たなかった。
やはりグラベルレースには700Cホイールが不可欠で、太さは40C〜が標準となる。速さとタフさのバランスで、今のグラベルホイールやタイヤのプロフィールに向かうことになる。
ヒューズ氏は5年のブランクを経てダーティカンザに3連勝、通算4勝目を挙げた。その2011、2012年にヒューズ氏はIndependent Fabricationを駆った。しかしタイヤクリアランスは35Cまでで、シクロクロスバイクとは大きく違わないものだった。
ヒューズ氏が通算4勝目を挙げた2013年に駆ったのがスペシャライズドのS-Works Crux EVO。シクロクロスバイクをベースとした、蛾のスペシャルペイントが施されたMothrah(モスラ)バイクとして有名な一台。スペシャライズドは2015年のアンバウンド覇者ユーリ・ハウスワルドにはゴジラペイントのバイクを贈り、「モスラvsゴジラ」をパロディーとしているのもグラベルならではのユーモアだ。
ヒューズ氏は快適性や振動吸収性よりもレース志向の強いハイスピードバイクを好み、細身の38Cタイヤをセッティング。フロントにはダブルチェーンリングを使用し、高いギアレシオを求める一貫性には変わりない。エアロ効果を求めたカーボンディープリムを履き、カンザスの大平原を速く走るためのグラベルバイクを創り上げた。これが今の新型Cruxの設計発想にも繋がっているのが面白い。ヒューズ氏は永くスペシャライズドの開発アドバイザーとして携わっている。
アンバウンドの舞台となるカンザスの大平原・グレートプレーンズについて、面白いエピソードを紹介しよう。実は一緒に訪問したマイキーことマイケル・ライス氏(chapter2japan)はカンザス州出身で、ここローレンスのカンザス大学が母校だ。そしてこのSunflower Bikesが自身初のマウンテンバイクを購入したショップで、マイキーの原点でもある。
このショップはシマノGRXの製品企画担当者の松本裕司氏が「この店に行けばアメリカのグラベルのルーツが分かる」と紹介してくれたショップで、ニック氏、ヒューズ氏とのつながりで訪問を決めたのだが、マイキーが学生だった頃に通ったショップであることは後で知ったサプライズだった。
初めてのMTBを手に入れた大学生のマイキーは、嬉しさで走り出す。どんどんスピードが出て、調子よく走り続けたという。「まるで自分がスーパーマンになったような錯覚だった。まっすぐ平原に続く道を数時間走って、寮に帰ろうと引き返したときに悟ったんだ。それまで強い追い風だったことを。帰路は強い向かい風でまったく進まず、食べ物も水も持ってなく、本当に苦労した(笑)」(マイキー)。
カンザス大平原の雄大さ、そして天候の変化や風の驚異を感じるエピソード。オズの魔法使いドロシーの話に出てくるサンダーストーム(雷嵐)はこの土地の特有のもの。乾いた土地に、狂ったような嵐がくることも珍しくない。そうした土地柄にあったグラベルバイクが求められるのだ。
ダーティカンザの人気の急上昇はアメリカ全土でのグラベルライドの流行とシンクロする。ニーズあるところに、それに応えるバイクが開発されるようになった。しかしグラベルは乗り方を限定しない。レースに使う人、バイクパッキングなどツーリングに使う人で求めるディテールはそれぞれ違ってくる。
ミニミュージアムにはヒューズ氏が北のクラシックに影響を受けていることが分かる展示が多くある。ベルギーチャンピオンだったトム・ステールスのジャージ、アメリカ人で活躍したボブ・ロールがパリ〜ルーベを走る写真に本人のサインが入った額装写真などが見られる。グレッグ・レモンのマイヨジョーヌなど、往年のアメリカ人のロードレーススターにちなんだ展示もあるが、石畳やオフロードに想いを馳せるものが多く選ばれている。
元レースディレクター、リーラン・デニス氏の話に出たウルトラエンデュランスレース「トランスアイオワ」も、ヒューズ氏が好んだレースだ。デニス氏がもっとも過酷だったと表現した2017年に優勝したのがヒューズ氏であり、その優勝バイクはCruxにLaufのリーフサスペンションフォークを組み合わせたもの。つまりハイギアードなレシオを備えつつ、荒れたグラベルもこなすサスペンションフォークをもつレースバイクだ。
シクロクロスとも、MTBとも違う「グラベルレーシング」とは?
黎明期はシクロクロスバイクをグラベル流にアレンジしたものが乗られてきた。今はグラベルバイクがマーケットの主流になり、多くのグラベルバイク、レーシングモデル、ツーリングモデル、バイクパッキングモデル等がリリースされ、選べるようになった。
すると、グラベルバイクが再びシクロクロスバイクに近づくことにもなった。グラベルとシクロクロス、かつてのマイナーVSメジャーが逆転すると、グラベルバイクでシクロクロスを走るという発想も出てくる。それが今の現状だ。
今年のアンバウンドグラベル200マイル優勝者イヴァール・スリックの駆ったバイクは、コンポにシマノGRXを用いながら、チェーンホイールにはロード用のアルテグラ52✕36Tをセット。ハイアベレージで走れるギアレシオを確保している。ペダルとシューズにロード用を使うことも速く走るためだ。
100マイルに出場したペテル・サガンが駆ったスペシャライズド Cruxもその「ハシリ」であると言えるだろう。Cruxはシクロクロスレースバイクをルーツにもつ「グラベル/CXレーシングバイク」。つまり両方の走りを意識したレースバイクだ。こうした流れは今後加速するかもしれない。
今はエンジョイ派に転身し、今回のアンバウンドにはフォトグラファーとして大会を撮ることに情熱を燃やすダン・ヒューズ氏だが、最近組んだニューバイクはスペシャライズドCruxをベースに、シマノGRXコンポーネントを用いながらもデュラエースのチェーンリングを備えたロードクランクをセットし、ハイスピードで駆け抜けるためのバイクを組んだという。まさにカンザスのグレートプレーンズを速く駆け抜けるためのグラベルバイクだ。
これからさらにエントラントが増え、マーケットが大きくなると、レースごとのコースの特色やシチュエーションに合わせたバイクに細分化していくことになるのだろう。
text:Makoto AYANO
photo:Snowy Mountain Photography, Life time,MakotoAYANO
presented by Shimano
photo:Snowy Mountain Photography, Life time,MakotoAYANO
presented by Shimano