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世界のトップカテゴリーに身を置く唯一の日本人女子選手として活躍を続ける與那嶺恵理。2012年に自転車競技へ飛び込み破竹の快進撃を遂げた彼女は、今年外腸骨動脈の線維化症に苦しみつつ、21位で2度目となるオリンピックを駆け抜けた。そんな彼女が今の気持ちを語る。

「2016年は運が良かったんです」

與那嶺恵理(チームティブコSVB)與那嶺恵理(チームティブコSVB) photo:Toshiki Sato與那嶺は2012年、つまりロンドン五輪の年に自転車競技の世界に身を投じた。デビューイヤーに全日本ロードレースで2位、ジャパンカップで優勝、翌年にはロードレース、個人TT、さらにマウンテンバイクXCOで全日本を制覇、シクロクロスでは2位を獲得している。ここから次の五輪イヤーには世界に舞台を移すことになる。

2016年2月よりアメリカ東海岸のクラブチームに所属して北米に拠点を移し、すぐに結果を残した。ローカルのレースでノーマークだったため逃げ切りに成功し、レジェンドのアンバー・ネーベンに見いだされたのだ。ネーベンのチームメンバーとして伝統あるステージレース、レッドランズ・クラッシックに急遽参加して総合3位となり、ハーゲンスベルマン・スーパーミントの目に留まると4月には早速移籍が実現。チームがジロ・ローザに招待されていたことで、その7月には自分が走るとは夢にも思っていなかったというジロ出場を叶えた。8月にはリオ五輪ロードレースを17位でフィニッシュし、ここからフランス籍のチームへ移籍して完全に欧州拠点となった。

「2016年は運が良かったんだと思います」。彼女は一言で片付けるが、1シーズンにチームを2回移籍しつつ、ジロとリオ五輪に参加、そしてアメリカからフランスに拠点を移すという、普通なら数年の計画が必要な大事業をやり遂げたのだ。しかも、リオ五輪枠の獲得が流動的だったため、武井コーチが確実を期するため数々の仲裁をスポーツ仲裁機構に持ち込んでおり、そのほとんどで連盟相手に有利な裁定を勝ち取った。

2016年、初のジロ・ローザに挑んだ與那嶺恵理(当時ハーゲンス・ベルマン・スーパーミント) 2016年、初のジロ・ローザに挑んだ與那嶺恵理(当時ハーゲンス・ベルマン・スーパーミント)  photo:Hiroyuki.Azumaリオ五輪の個人TTでは15位、ロードでは17位にリオ五輪の個人TTでは15位、ロードでは17位に photo:Bettini


現在はオランダ南部のファルケンブルグに居を構え、騒乱の2016年より遙かに静かな毎日を過ごしている。朝のコーヒーから始まるモーニングルーティンを終えた與那嶺にオンラインで話を聞いた。まず聞いたのは東京オリンピックの話題だ。

立ち位置を掴み、挑んだ東京オリンピック

2回目の五輪。「リオの時と何か違ったのか」という問いに対し、「誰がどれくらい走れるか分かっていた(ことが違う)」と答えた與那嶺。「リオの時はこの人をスプリントまで連れていったら最後勝てないとか。第2集団のスプリントだったら勝てるとか、全然分からなかった。五輪は人数が少ないからとか言いますけど、結局はトップ20人、30人は世界選でも同じ順位。50番、60番人達はそもそも世界選にも出ていない」。

五輪コースを試走する與那嶺。「五輪一ヶ月前はあんなに走れなかった」五輪コースを試走する與那嶺。「五輪一ヶ月前はあんなに走れなかった」 photo:Toshiki Sato
数字だけみるとリオより順位を下げた21位だが、分析すると優勝候補のマリアンヌ・フォス(オランダ)が頭をとった5位集団からこぼれた成績だ。成長を感じることはあったのだろうか?

「レースなんて水物なんで、前の五輪とは比べません。今回は足がダメだった(外腸骨動脈の線維化症を直前に公表していた)ので、いかに症状を出さずにって感じでしたね。1ヶ月前ならあんな所で走れてません。強くなったからと言って、順位が10番上がるって訳じゃない。全然狙ってなかったレースで良い走りができたりもするし。今回の東京五輪は1ヶ月前に診断が出ていましたが、それでも悪くない走りをしたかな、と」。

メイン集団内で道志みち序盤区間を走る與那嶺メイン集団内で道志みち序盤区間を走る與那嶺 photo:Toshiki Sato
フィニッシュラインに向けてスプリントフィニッシュラインに向けてスプリント photo:Toshiki Sato
與那嶺は2016年7月のリオ直前に壮行会で「まずは8位入賞を目指す」という発言を残している。これに対しては「そんなこと言ったんですか」と本人は覚えていないらしい。2020年11月には「目標は第一集団で粘り切ること」という東京五輪の目標を明かしているが、リオの時よりも現実的な設定と言える。5年間で4回の移籍を繰り返しながら欧州を拠点にワールドツアーを戦ってきた中で、自分のポジションはより冷静に見えるようになった。

「ピークパワーが出なくなった」不調に悩まされたシーズン前半

6月末、與那嶺は五輪直前のタイミングでイリアック(外腸骨動脈の線維化症)という血管の問題を発表した。

今季最初のレースであるオンループ・ヘットニュースブラッドでは30位に入り、UCIポイントを獲ったものの「今ままでならあの集団に残ってからアタックができた」と與那嶺は言う。「ベースの部分は変わっていないんですが、(パワーの)一番高い所が出なくなったんです。今まで1分維持できたのが30秒で足が痺れちゃって、いきなりゼロになっちゃうみたいな。ちょっと待ってると戻ってくるんですが。だからプロトンが大きければ、前から下がりながら残れるんですよ。でも、1人ちぎれて、2人ちぎれてって段々小さくなっていったら…」。

リタイアに終わったアムステルゴールドレースを境に不調は確信に変わったリタイアに終わったアムステルゴールドレースを境に不調は確信に変わった photo:Kyosuke Takei
4月18日、與那嶺のホームコースで開催されるアムステルゴールドレースでDNF。この辺りでいよいよ異変は確信へと変わったと言う。

「ただコンディションが悪いとか体調が悪いとかではないと思いました。何か身体がおかしいっていうのは分かってたんですよ。例えばストラーデビアンケで千切れる時って徐々に遅れていくんですが、私だけゴールスプリントして最後散っていく選手みたいな感じで、いきなり周りがブワってきて。でも、普通に走れるいい日もあったんですよ。先週悪かったのに、今週普通じゃん、みたいな」。

そこからは佐藤修平フィッターとオンラインでポジション見直しを行い、高地合宿へ。「ポジション変更は成果がありました。本当はジロに出る予定だったんですが、チーム監督に五輪にフォーカスしなさいと言われて。ジロに出るよりも五輪で高い順位を取る方がプライオリティが高いでしょって」。

症状を公表した理由は「助けてもらう必要があったから」。「その病気を体験した人の、どのドクターに行けという情報とか、どうすれば治るとか、ポジションはどうした方がいいとか。膝が痛いとかならよくある話ですが、この症状で手術したプロサイクリストって限られてくるから」。

そして実際に情報が入ってきた。「ヨーロッパで手術を受けた人から連絡があったり、ドクターを紹介してもらったり。ドクターはポジションで調整しろしか言わないし、でもドクターはポジションのプロじゃないからフィッターを探さないといけなかったんですね」。

「助けてもらう必要があったから公表した」「助けてもらう必要があったから公表した」 photo:Toshiki Sato
診断が下るまで不調原因が掴めず、苦しい期間を過ごしていた與那嶺。五輪が迫る中、公表することで不調の言い訳と取られることを恐れなかったのだろうか?

「なんで隠すんですか?私には分かりません。こういうことって黙ってない方がいいと思います。階段から落ちたとかいうわけでもないですから。ただSNSやブログで発表したことで、JCFは五輪代表から外す選考を直前で行おうとしていたようですね」。

男女共に補欠選手が据えられており、コンディション不良の選手が交代することは当然ある。実際に女子補欠選手が選手”バブル”に入り、五輪用のレースキットとトレーニングメニューも与えられるなど具体的な動きがあったという。「別に悪いことをした訳じゃないし、私の中で公表しない選択肢はありませんでした」と言う與那嶺がコンディションを合わせ、五輪を走りきったのは上に記した通りだ。

キャノンデールは「めっちゃいい」

「もうディスクブレーキのネガは聞かない。SUPER SIX EVOは硬すぎなくて好き」「もうディスクブレーキのネガは聞かない。SUPER SIX EVOは硬すぎなくて好き」 photo:Toshiki Sato
今年からチームティブコSVBに移籍し、キャノンデールのSUPER SIX EVOに乗り換えた與那嶺。これまでは機材面で苦労してきた印象があるが、およそ1シーズンを乗ってきたキャノンデールの印象はどうだったのだろうか。

「めっちゃいいですよ。今まで使った中で一番いいです。ディスクロードを初めて使ったから、と言う面も恐らくありますが、硬すぎなくて好きです。コルナゴのV2-Rも良かったですが、今はディスク(ブレーキ)じゃなきゃって感じですね。軽いし、ディスクロードへネガティブな声はもうありませんね。集団の中で制動距離が変わってきちゃうんで、ディスクじゃないと走れません。まだリムブレーキなのはチッポリーニのアレと、ナショナルチームでレースに出てる若い子くらいですね。私のチームで使うバイクは7kgは越えません」。

「稼げるなら、続ける」

東京五輪後の引退を断言していた與那嶺だが、年々そのニュアンスは現役続行に変わってきている。その大きな理由の一つに、女子選手でも稼げるようになってきたことがあるという。

「UCIが2019年からワールドツアーの最低賃金を定めたので、チームと自営業契約を結べば最低500万円くらい払われるんです。それに個人スポンサーを付ければ普通に仕事するのと同じくらいは稼げる。五輪が終わっても自分の目標はヨーロッパのレースでポディウムに乗るっていうのが目標なので、そこまでは走れなくなるまで続けてもいいかなって」。

リオ五輪からたった5年間だが、実感として女子のレースも待遇が向上したということなのだろうか?

「リオで金を獲った時のアンナ(・ファンデルブレッヘン)が当時10万ユーロの年俸で、アネミエク(・ファンフルーテン)が今年40万ユーロです。各チームの勝てる選手達はミニマムでも20万ユーロは貰ってるんじゃないですか」

「目標を叶えるまでは続けてもいいかな、って」「目標を叶えるまでは続けてもいいかな、って」 photo:Toshiki Sato
日本のプロロードレース選手は稼げないと言われているが、女子の場合は言わずもがなだ。メディアが給与について語ることはほぼ無い。それは誰もが稼げないスポーツであることを知っているからで、その厳しい現実は一種のタブー、ブラックボックス化している。

しかし與那嶺は好きなビールの銘柄を挙げる程度の口調でその”タブー”を話す。リオ五輪で8位を目指しますと語った時よりも、自分のプロトンの中での場所は明確になったが、つまりそれは自分のマーケットでの価値すらも見えてしまったということだ。しかし、「自分でチームにお金を持ち込むなんて絶対イヤです」とまで言う強い口調からは欧州で生き残ってきた自負も伺える。そして来期は所属チームが女子ワールドツアーチームに昇格する。

「女子ワールドツアーレースの表彰台を」

シーズンラストレースとして世界選手権を走った與那嶺。この後手術を受け、帰国すると言うシーズンラストレースとして世界選手権を走った與那嶺。この後手術を受け、帰国すると言う photo:CorVos
「パリ五輪を目指すか?」という問いに対し、「その前に参加枠を取らないと」と現実的な課題を口にする與那嶺。「(UCIが)男子を減らして女子を増やすって言ってるんで、強い国の枠を増やすのか、出れてない国の枠を増やすのかによって変わってきますし。1枠あれば出たいですけど」。

もし若い選手がコンタクトを取ってくるのであれば、與那嶺は喜んで迎え入れるという。「全然対応しますよ。女子ならうちに泊まっていいですし。私のレース期間中は武井コーチがいるからレースに連れて行ってもらってもらえますし。でも…、たぶん誰も来ませんよ。今までオランダに遊びに来たのは選手以外の人たちだけ。『與那嶺さんと関わると…』と思ってる時点で、もうこちらでは難しいんですよね」。

「狙うのは女子ワールドツアーレースの表彰台」「狙うのは女子ワールドツアーレースの表彰台」 photo:Toshiki Sato
毀誉褒貶の激しい武井コーチではあるが、彼女に言わせるとコーチより遙かにクセの強い魑魅魍魎が跋扈するのがヨーロッパの自転車競技界だという。それでもリオ五輪から女子ワールドツアーチームの待遇は大きく改善され、五輪枠の男女同等化など女子ロードレースが急速に成長を続けている実感は持つと言う。2019年の完全プロ化以降女子ワールドツアーは毎年レベルが上がってきており、5,000万円を稼ぐプレイヤーが登場した今では、現状維持するだけでは相対的な退化となる極めて厳しい世界だ。

彼女は五輪のことを「ほとんどの選手は思い出作り」と表現する。あくまでも目指すのは本場欧州のワールドツアーレースでポディウムに登ることだ。パリ五輪への強い意志を見せることは無かったが、東京での引退を撤回したように、それは来年発表される選考基準次第だろう。

2024年が、再び騒がしい五輪イヤーになることは間違いない。
提供:キャノンデール・ジャパン
text:Teisuke Morimoto