2021/07/15(木) - 11:52
総合争いが波乱の展開となってしまったツール・ド・フランスの第1週目。戦略変更を余儀なくされるチームも現れ、今後の戦い方に注目された第2週目を振り返る。本特集では選手の活躍と機材にフォーカスしてきたが、今回はテイストを変えてニュートラルサポートに着目したい。
ニュートラルサポートとは一体どういった存在なのか?。簡単に言えばレース中に発生する選手の機材トラブルに対して代替機材を提供し、レースを続行させるための存在だ。シマノにはグローバルサポートチームという協力チームもいるが、彼らだけではなくレースに参加している全選手のケアを行いレースを支えている。
ツールにおいてはチームカーが選手やプロトンの後ろについて走るため、多くのトラブルの場合はチームの方で解決することが原則だが、必ずしもチームが何時でもトラブルに対して手当できるわけではない。例えば、入り組んだ路地でのトラブルではチームカーが選手のところに到着するまで時間がかかってしまう。そこではオフィシャルの後ろに着くニュートラルサポートが、選手に機材を提供しいち早くレースを続行させる。
そして、最たる例が山岳ステージでのサポートだろう。サポートチームにはモト隊も編成されており、モト隊は鈴なりの観客を掻き分けられない自動車の代わりに選手たちと伴走することで、総合争いに最も重要な場面でのトラブルに対処する。かの有名なクリストファー・フルームのランニング(2016年ツール第12ステージ)も、ランニング後ニュートラルサポートから替えの自転車を受け取り、しばらく走った後にチームからのスペアバイクが渡された。
自転車レースは機材スポーツであり、使用する機材の信頼性も勝負の行方を左右する重要なファクターではあるが、アスリートたちのフィジカルと理性と感性での戦いであることは間違いない。ツール・ド・フランスという大舞台でアスリートのぶつかり合いをトラブルで終了させることなく、レースを続行させることにニュートラルサポートの価値がある。
そんなニュートラルサポートとしてシマノがツール・ド・フランスに参戦するのは今年からだ。シマノのニュートラルサービスは2001年から開始されており、フランダースクラシックやアムステルゴールドレースなどのクラシック、世界選手権、オリンピックから、ジロ・デ・イタリアやブエルタ・ア・エスパーニャまでカバーしてきており、トップレベルのサポートを選手たちに提供してきた。
シマノのニュートラルサポートチームは、フランスやイタリア、ベルギー、スペインに拠点があり、そこからヨーロッパ全土の400以上のレースをカバーしているという。今回のツールでは9名がレースに帯同し、全員がフランス人だという。
レースにあたり用意する機材はもちろんシマノ製品だけではなく、プロトンに存在する他社のドライブトレインやペダルを組み込んだ機材を用意し、ありとあらゆる状況に備えている。ツール・ド・フランスにはディスクブレーキの自転車21台、予備ホイール51個、カセットスプロケット30個を持ち込み、サポートカー3台、モト3台、運搬用トラックを運用している。
サポートカーに載せるのは4〜6台の自転車と最大9組のホイール(2組のリム版、4組のシマノのディスク版、2〜3組の他社ホイール)で、他にも補給食も用意しており、選手たちが求める助けに応えられる体制を整えている。モトに設置されたラックには6本のホイールを搭載することができ、逃げグループをフォローする時は、そのグループ内にいる選手に合わせた装備のホイールを手配することが可能だという。
ニュートラルサポートの仕事はレースがスタートする前から開始されている。スタッフたちは自動車に載せる機材の種類、場所まで考慮している。レースの主役となる選手は誰になるのか、レースがどのような展開になりそうなのか、スタート前に各チームに話を聞いて回り、予測を立てて自動車やモトに機材を配置する。例えば、総合1位の選手をケアすることが重要な日の場合は、その選手の乗っているバイクに近いサポート機材(サドルハイトも合わせておく!)を最も取り出しやすい位置に用意し、1秒でも早くレースに復帰させられるように準備を整えているのだ。
そこにあるのはサイクルロードレースというスポーツへの情熱や敬意だろう。ほとんどのスタッフが自転車に関連した仕事に従事している/いた経験のあるその道の経歴の持ち主。今回の9人に話を聞けば「コフィディスの助監督だった」「元プロで、チーム監督」「FDJ女子チームのメカニックでもある」といった経験を持つ方や、現在もサービスセンターでメカニックとして従事しているという方ばかり。「全員が自転車レースに対して熱い情熱と深い経験の持ち主なんだ」とは、今まさにニュートラルサポートチームで活動している方の言葉だ。
ニュートラルサポートで想像しやすいのは選手のそばにいち早く駆けつけるメカニックの存在だが、車両を運転するドライバーも非常に重要な役割を担っている。レースの展開に対応しやすいように常に適切なポジションにいる必要があり、そのためにはレースコースを熟知し、居るべき場所に移動するためにレース展開を予測しなければならない。さらにドライバーは安全面でも大きな責任を担い、選手はもちろん沿道にいる観客、ほかの車両やモトに配慮し続ける必要がある上、毎日のように100km以上の運転を行う。ドライバーは複数のタスクを一気にこなすスペシャリストと言っても過言ではない。
そんな膨大な責任と仕事を担うツールのニュートラルサポートを今年初めて担当したシマノ。今まさにサポートに従事するメンバーは「確かに初めてのツール・ド・フランス。でもツールが特別だからということへの不安はない。長年の経験があるし、春からASO主催レースにもサポートで入ってきているから、準備はできているよ」と力こぶを作るポーズをして見せてくれた。レースを熟知しているスタッフが、他のレースで培ってきたノウハウを活かし、世界最高峰のステージレースに帯同している。ツールの華やかな部分からは見えにくいが、レースを成立させるために欠かせない存在にもぜひ思いを馳せてほしい。
休息日明けということもあり、レースの序盤は逃げが先行しスプリンターチームのコントロール下に置かれる穏やかな展開となった。フィニッシュが近づくとカヴェンディッシュのスプリント勝利を狙うドゥクーニンク・クイックステップがペースを図り、他のチームが呼応すると集団は分裂。スプリンターたちを乗せたトレインはそのまま最終スプリントに突入した。ワウト・ファンアールト(ユンボ・ヴィスマ)も加わった争いは、緑色のジャージを着用するカヴェンディッシュが制した。
「教科書通りのリードアウト」とチームメイトを讃えるカヴェンディッシュは、第10ステージの勝利でツール通算ステージ優勝33勝。偉大なメルクスの記録まで残り1勝に迫った。
ツール・ド・フランスは第11ステージに魔の山「モンヴァントゥ」を1日に2度も登るというスペクタクルな1日を用意した。レースはジュリアン・アラフィリップを筆頭とする4名の逃げ、ファンアールトら13名の追走グループ、メイン集団という3つのグループに分かれ進行。この状況のまま一度目の「プロヴァンスの巨人」の登りに突入すると、追走が逃げグループに合流。再度のセレクションによって生まれた7名が先頭のまま1度目のモンヴァントゥをクリアし、長いダウンヒルを経て、再び魔の山に選手たちは戻ってくる。
2度目のモンヴァントゥに突入すると山頂まで11kmを残したところでファンアールトがアタックし、独走に持ち込む。前日のスプリントステージで2位に入ったファンアールトが後続を寄せ付けず、モンヴァントゥを単独で登頂したのち、フィニッシュラインに飛び込んだ。
一方、後方のメイン集団はイネオス・グレナディアーズ勢の牽引の中、ヨナス・ヴィンゲゴー(デンマーク、ユンボ・ヴィスマ)が仕掛けた。ヴィンケゴーにはリチャル・カラパス(コロンビア、イネオス・グレナディアーズ)らが合流しフィニッシュ。ログリッチの脱落によって戦略変更を余儀なくされたユンボ・ヴィスマ勢が山岳ステージでその強さを示した1日となった。
魔の山を乗り越えた翌日からプロトンは再びピレネーを目指し始める。この日のスタート前、ぺテル・サガン(スロバキア、ボーラ・ハンスグローエ)がDNSを発表。大会序盤の落車で痛めた膝の調子が上がらないという理由であり、ツールがサバイバルレースであることを印象づけるエピソードとなった。
さて、第12ステージは完全に平坦であったが、スプリンターチーム自身も選手を逃げに乗せ、レースの行方を早々に先頭に託す展開となった。スピードマンのシュテファン・キュング(スイス、グルパマFDJ)や、連日アグレッシブな走りでチームに貢献するアラフィリップら13名の逃げ集団は、残り50km地点から本格的な優勝争いを繰り広げることに。
口火を切ったのはサガンを欠き、チームの目標が切り替わったボーラ・ハンスグローエのニルス・ポリッツ(ドイツ)だった。残り40km地点でポリッツ、キュングらの4名が抜け出すことに成功し、レースは最終盤に移行する。残り12km地点でアタックしたポリッツには誰も追従できず、そのままフィニッシュラインに飛び込んだ。
翌13ステージもニームからピレネーの麓カルカッソンヌに向かう平坦ステージ。この先数少なくなる平坦ステージの注目はやはりカヴェンディッシュの最多勝記録更新の行方だ。レースはもちろんドゥクーニンク・クイックステップがコントロール下に置き、カルカッソンヌに突き進んでいく。終盤に差し掛かるとペースアップを意図するチームたちも現れ、残り20kmの平均スピードは55.4km/hという高速の展開となりフィニッシュを迎える。
大勢の選手が雪崩れ込む集団スプリントでリードアウトマンのミケル・モルコフとカヴェンディッシュの連携はいつも通り完璧。発射されたカヴェンディッシュは最大62km/hのトップスピードで先頭に躍り出て、ツール・ド・フランスのステージ優勝回数を通算34勝へ伸ばした。これはカニバル(人食い鬼)ことエディ・メルクスの大記録と同じ勝利数。つまり、カヴェンディッシュはロードレースの伝説に肩を並べたことになる。そして、平坦ステージはシャンゼリゼを含め残り2ステージ。記録更新へ王手をかけたカヴへの期待は膨らむばかりだ。
カヴェンディッシュが偉業を達成した翌日からプロトンはピレネー山脈での決戦に挑む。第14ステージでは5つのカテゴリー山岳(3級と2級)が連なるアップダウンが激しいコースで、ステージ優勝を狙う逃げ屋たちがアタックを繰り返した。プロトンにいる誰もが逃げたいこの日、先頭集団が形成されるまで100km以上を費やした。
最終的に形成された集団にはエステバン・チャベス(コロンビア、バイクエクスチェンジ)やパトリック・コンラッド(オーストリア、ボーラ・ハンスグローエ)らが入ったが、この日の勝利は一人飛び出した選手の手に渡った。最後まで追走を緩めなかったコンラッドは2位に入り、強さを見せつけた。
第2週目の最終日、第15ステージは1級と2級が連続する難関山岳コースで、今年の最高標高地点を通過する1日となる。レースは最初の1級山岳に向かう33km地点で、32名の集団が先行する形になった。ユンボ・ヴィスマからはログリッチを山岳ステージでフィニッシュ前でサポートする役割を担っていたはずのステフェン・クライスヴァイク、セップ・クスそしてファンアールトが先行。他にも山岳賞を狙うナイロ・キンタナ、ポイント賞2位のマイケル・マシューズらが先頭グループでレースを展開した。
山岳賞4位につけるファンアールトは前半の1級、2級でポイントを積み重ねていく。続く1級ではキンタナが最高ポイントを獲得。マイヨアポアを狙う争いも激化しており、目が離せない展開となってきた。
最終の1級山岳でキンタナがアタックすると、この日のステージ優勝に向けた争いが加熱。セップ・クスが抜け出し、追走を許さずそのまま独走で1級山岳を駆け上がり優勝を掴んだ。クスの登坂タイムは総合争いが勃発した後続よりも早い18分58秒(メイン集団は19分45秒)で、その強さを見せつけた。
モンバントゥを2度登り、アンドラ公国に到着したツール・ド・フランスのプロトンは2度目の休息日を迎えた。翌週は山岳ステージ(3日)、平坦ステージ(2日、シャンゼリゼ含む)、個人TT(1日)を経てパリへと凱旋する。そこまでに何が起きるかは誰も知らない。勝負の行方はまだ分からない。
ツールのニュートラルサポートを務めるシマノ
レースを支える中立的サポート役
ニュートラルサポートとは一体どういった存在なのか?。簡単に言えばレース中に発生する選手の機材トラブルに対して代替機材を提供し、レースを続行させるための存在だ。シマノにはグローバルサポートチームという協力チームもいるが、彼らだけではなくレースに参加している全選手のケアを行いレースを支えている。
ツールにおいてはチームカーが選手やプロトンの後ろについて走るため、多くのトラブルの場合はチームの方で解決することが原則だが、必ずしもチームが何時でもトラブルに対して手当できるわけではない。例えば、入り組んだ路地でのトラブルではチームカーが選手のところに到着するまで時間がかかってしまう。そこではオフィシャルの後ろに着くニュートラルサポートが、選手に機材を提供しいち早くレースを続行させる。
そして、最たる例が山岳ステージでのサポートだろう。サポートチームにはモト隊も編成されており、モト隊は鈴なりの観客を掻き分けられない自動車の代わりに選手たちと伴走することで、総合争いに最も重要な場面でのトラブルに対処する。かの有名なクリストファー・フルームのランニング(2016年ツール第12ステージ)も、ランニング後ニュートラルサポートから替えの自転車を受け取り、しばらく走った後にチームからのスペアバイクが渡された。
自転車レースは機材スポーツであり、使用する機材の信頼性も勝負の行方を左右する重要なファクターではあるが、アスリートたちのフィジカルと理性と感性での戦いであることは間違いない。ツール・ド・フランスという大舞台でアスリートのぶつかり合いをトラブルで終了させることなく、レースを続行させることにニュートラルサポートの価値がある。
プロトンを追いかける青色の車両 シマノニュートラルサポート
そんなニュートラルサポートとしてシマノがツール・ド・フランスに参戦するのは今年からだ。シマノのニュートラルサービスは2001年から開始されており、フランダースクラシックやアムステルゴールドレースなどのクラシック、世界選手権、オリンピックから、ジロ・デ・イタリアやブエルタ・ア・エスパーニャまでカバーしてきており、トップレベルのサポートを選手たちに提供してきた。
シマノのニュートラルサポートチームは、フランスやイタリア、ベルギー、スペインに拠点があり、そこからヨーロッパ全土の400以上のレースをカバーしているという。今回のツールでは9名がレースに帯同し、全員がフランス人だという。
レースにあたり用意する機材はもちろんシマノ製品だけではなく、プロトンに存在する他社のドライブトレインやペダルを組み込んだ機材を用意し、ありとあらゆる状況に備えている。ツール・ド・フランスにはディスクブレーキの自転車21台、予備ホイール51個、カセットスプロケット30個を持ち込み、サポートカー3台、モト3台、運搬用トラックを運用している。
サポートカーに載せるのは4〜6台の自転車と最大9組のホイール(2組のリム版、4組のシマノのディスク版、2〜3組の他社ホイール)で、他にも補給食も用意しており、選手たちが求める助けに応えられる体制を整えている。モトに設置されたラックには6本のホイールを搭載することができ、逃げグループをフォローする時は、そのグループ内にいる選手に合わせた装備のホイールを手配することが可能だという。
ニュートラルサポートの仕事はレースがスタートする前から開始されている。スタッフたちは自動車に載せる機材の種類、場所まで考慮している。レースの主役となる選手は誰になるのか、レースがどのような展開になりそうなのか、スタート前に各チームに話を聞いて回り、予測を立てて自動車やモトに機材を配置する。例えば、総合1位の選手をケアすることが重要な日の場合は、その選手の乗っているバイクに近いサポート機材(サドルハイトも合わせておく!)を最も取り出しやすい位置に用意し、1秒でも早くレースに復帰させられるように準備を整えているのだ。
そこにあるのはサイクルロードレースというスポーツへの情熱や敬意だろう。ほとんどのスタッフが自転車に関連した仕事に従事している/いた経験のあるその道の経歴の持ち主。今回の9人に話を聞けば「コフィディスの助監督だった」「元プロで、チーム監督」「FDJ女子チームのメカニックでもある」といった経験を持つ方や、現在もサービスセンターでメカニックとして従事しているという方ばかり。「全員が自転車レースに対して熱い情熱と深い経験の持ち主なんだ」とは、今まさにニュートラルサポートチームで活動している方の言葉だ。
ニュートラルサポートで想像しやすいのは選手のそばにいち早く駆けつけるメカニックの存在だが、車両を運転するドライバーも非常に重要な役割を担っている。レースの展開に対応しやすいように常に適切なポジションにいる必要があり、そのためにはレースコースを熟知し、居るべき場所に移動するためにレース展開を予測しなければならない。さらにドライバーは安全面でも大きな責任を担い、選手はもちろん沿道にいる観客、ほかの車両やモトに配慮し続ける必要がある上、毎日のように100km以上の運転を行う。ドライバーは複数のタスクを一気にこなすスペシャリストと言っても過言ではない。
そんな膨大な責任と仕事を担うツールのニュートラルサポートを今年初めて担当したシマノ。今まさにサポートに従事するメンバーは「確かに初めてのツール・ド・フランス。でもツールが特別だからということへの不安はない。長年の経験があるし、春からASO主催レースにもサポートで入ってきているから、準備はできているよ」と力こぶを作るポーズをして見せてくれた。レースを熟知しているスタッフが、他のレースで培ってきたノウハウを活かし、世界最高峰のステージレースに帯同している。ツールの華やかな部分からは見えにくいが、レースを成立させるために欠かせない存在にもぜひ思いを馳せてほしい。
モンヴァントゥは2度登る プロトンはプロヴァンスを越えピレネー山脈へ
スイスやイタリアとの境にあるアルプス決戦を終えたプロトンは、休息日で一息つき、第10ステージからスペインとの境にあるピレネーを目指し西進していく。 190.7kmの平坦基調コースで争われる第10ステージでの注目はマーク・カヴェンディッシュが再び勝利を挙げ、エディ・メルクスの最多勝記録へのカウントダウンを進められるか否か。休息日明けということもあり、レースの序盤は逃げが先行しスプリンターチームのコントロール下に置かれる穏やかな展開となった。フィニッシュが近づくとカヴェンディッシュのスプリント勝利を狙うドゥクーニンク・クイックステップがペースを図り、他のチームが呼応すると集団は分裂。スプリンターたちを乗せたトレインはそのまま最終スプリントに突入した。ワウト・ファンアールト(ユンボ・ヴィスマ)も加わった争いは、緑色のジャージを着用するカヴェンディッシュが制した。
「教科書通りのリードアウト」とチームメイトを讃えるカヴェンディッシュは、第10ステージの勝利でツール通算ステージ優勝33勝。偉大なメルクスの記録まで残り1勝に迫った。
ツール・ド・フランスは第11ステージに魔の山「モンヴァントゥ」を1日に2度も登るというスペクタクルな1日を用意した。レースはジュリアン・アラフィリップを筆頭とする4名の逃げ、ファンアールトら13名の追走グループ、メイン集団という3つのグループに分かれ進行。この状況のまま一度目の「プロヴァンスの巨人」の登りに突入すると、追走が逃げグループに合流。再度のセレクションによって生まれた7名が先頭のまま1度目のモンヴァントゥをクリアし、長いダウンヒルを経て、再び魔の山に選手たちは戻ってくる。
2度目のモンヴァントゥに突入すると山頂まで11kmを残したところでファンアールトがアタックし、独走に持ち込む。前日のスプリントステージで2位に入ったファンアールトが後続を寄せ付けず、モンヴァントゥを単独で登頂したのち、フィニッシュラインに飛び込んだ。
一方、後方のメイン集団はイネオス・グレナディアーズ勢の牽引の中、ヨナス・ヴィンゲゴー(デンマーク、ユンボ・ヴィスマ)が仕掛けた。ヴィンケゴーにはリチャル・カラパス(コロンビア、イネオス・グレナディアーズ)らが合流しフィニッシュ。ログリッチの脱落によって戦略変更を余儀なくされたユンボ・ヴィスマ勢が山岳ステージでその強さを示した1日となった。
魔の山を乗り越えた翌日からプロトンは再びピレネーを目指し始める。この日のスタート前、ぺテル・サガン(スロバキア、ボーラ・ハンスグローエ)がDNSを発表。大会序盤の落車で痛めた膝の調子が上がらないという理由であり、ツールがサバイバルレースであることを印象づけるエピソードとなった。
さて、第12ステージは完全に平坦であったが、スプリンターチーム自身も選手を逃げに乗せ、レースの行方を早々に先頭に託す展開となった。スピードマンのシュテファン・キュング(スイス、グルパマFDJ)や、連日アグレッシブな走りでチームに貢献するアラフィリップら13名の逃げ集団は、残り50km地点から本格的な優勝争いを繰り広げることに。
口火を切ったのはサガンを欠き、チームの目標が切り替わったボーラ・ハンスグローエのニルス・ポリッツ(ドイツ)だった。残り40km地点でポリッツ、キュングらの4名が抜け出すことに成功し、レースは最終盤に移行する。残り12km地点でアタックしたポリッツには誰も追従できず、そのままフィニッシュラインに飛び込んだ。
翌13ステージもニームからピレネーの麓カルカッソンヌに向かう平坦ステージ。この先数少なくなる平坦ステージの注目はやはりカヴェンディッシュの最多勝記録更新の行方だ。レースはもちろんドゥクーニンク・クイックステップがコントロール下に置き、カルカッソンヌに突き進んでいく。終盤に差し掛かるとペースアップを意図するチームたちも現れ、残り20kmの平均スピードは55.4km/hという高速の展開となりフィニッシュを迎える。
大勢の選手が雪崩れ込む集団スプリントでリードアウトマンのミケル・モルコフとカヴェンディッシュの連携はいつも通り完璧。発射されたカヴェンディッシュは最大62km/hのトップスピードで先頭に躍り出て、ツール・ド・フランスのステージ優勝回数を通算34勝へ伸ばした。これはカニバル(人食い鬼)ことエディ・メルクスの大記録と同じ勝利数。つまり、カヴェンディッシュはロードレースの伝説に肩を並べたことになる。そして、平坦ステージはシャンゼリゼを含め残り2ステージ。記録更新へ王手をかけたカヴへの期待は膨らむばかりだ。
カヴェンディッシュが偉業を達成した翌日からプロトンはピレネー山脈での決戦に挑む。第14ステージでは5つのカテゴリー山岳(3級と2級)が連なるアップダウンが激しいコースで、ステージ優勝を狙う逃げ屋たちがアタックを繰り返した。プロトンにいる誰もが逃げたいこの日、先頭集団が形成されるまで100km以上を費やした。
最終的に形成された集団にはエステバン・チャベス(コロンビア、バイクエクスチェンジ)やパトリック・コンラッド(オーストリア、ボーラ・ハンスグローエ)らが入ったが、この日の勝利は一人飛び出した選手の手に渡った。最後まで追走を緩めなかったコンラッドは2位に入り、強さを見せつけた。
第2週目の最終日、第15ステージは1級と2級が連続する難関山岳コースで、今年の最高標高地点を通過する1日となる。レースは最初の1級山岳に向かう33km地点で、32名の集団が先行する形になった。ユンボ・ヴィスマからはログリッチを山岳ステージでフィニッシュ前でサポートする役割を担っていたはずのステフェン・クライスヴァイク、セップ・クスそしてファンアールトが先行。他にも山岳賞を狙うナイロ・キンタナ、ポイント賞2位のマイケル・マシューズらが先頭グループでレースを展開した。
山岳賞4位につけるファンアールトは前半の1級、2級でポイントを積み重ねていく。続く1級ではキンタナが最高ポイントを獲得。マイヨアポアを狙う争いも激化しており、目が離せない展開となってきた。
最終の1級山岳でキンタナがアタックすると、この日のステージ優勝に向けた争いが加熱。セップ・クスが抜け出し、追走を許さずそのまま独走で1級山岳を駆け上がり優勝を掴んだ。クスの登坂タイムは総合争いが勃発した後続よりも早い18分58秒(メイン集団は19分45秒)で、その強さを見せつけた。
モンバントゥを2度登り、アンドラ公国に到着したツール・ド・フランスのプロトンは2度目の休息日を迎えた。翌週は山岳ステージ(3日)、平坦ステージ(2日、シャンゼリゼ含む)、個人TT(1日)を経てパリへと凱旋する。そこまでに何が起きるかは誰も知らない。勝負の行方はまだ分からない。
提供:シマノセールス 制作:シクロワイアード編集部