2012/10/07(日) - 15:25
9月9日に岩手県陸前高田市で開催されたサイクリングイベント「ツール・ド・三陸」。津波で変わり果てたこの街をサイクリストたちが走った。かつてこのまちに生まれ住んだ佐藤光国さん(ラバネロ)がレポートします。
変わり果てた生まれ故郷、陸前高田のイベントへ
去る9月9日に開催された「ツール・ド・三陸サイクリングチャレンジ2012」に参加しました。陸前高田市とグッド・チャリズム宣言プロジェクトが共催するこのイベントは、環境に優しく健康によい自転車を利用した地域振興、復興を目的としたサイクリングイベント。全国から400人のサイクリストが集まりました。そして一般参加の他に、安全な走行管理を行うコース上のスタッフや伴走者ら約 200 名のボランティアによって大会全体の進行が支えられました。
実は、私自身が自転車レース以外に参加することは非常に稀なのですが、生まれ故郷である陸前高田でイベントが開催されると聞いて思わず申し込んでしまいました。
陸前高田は過去(1986年から2005年)に「南三陸サイクルロードりくぜんたかた」を開催した実績があり、自転車ロードレースとはゆかりが深く、また、私にとっては生まれ故郷であるとともに、幼少の頃の夏休みを過ごした思い出の土地。自転車に興味のなかった頃は気にもしませんでしたが、家の石垣にクラッシュパッド代わりの畳を立てかけ、敷地の角から声援を送りながら稲穂を背に駆け抜けていく自転車を見た記憶があります。
過去にレースに参加された方は、のんびりとした風情の残る駅前商店街や、海岸線を覆う松原を覚えているのではないでしょうか?
ご存知の通り、昨年、東日本大震災により陸前高田市は壊滅的な打撃を受けました。テレビやラジオ、誌面でも数多く報道され、惨状を目の当たりにされたことと思います。地震の後に街を襲った津波は、松林を背にした広い砂浜はもちろん、駅や線路、商店街、スーパー、市役所、病院、体育館など、何もかも飲み込んでしまいました。防潮堤は破壊され、干拓は海になり、田んぼは野原になり、私の祖母の家は基礎だけになりました。
穏やかで豊かな海ですが、一度牙を剥けば人々の暮らしを完膚なきまでに破壊してしまいます。
震災から1年経って、街の復興はこれからどうなっているのか? 人々はどうやって暮らしているのか?
報道も少なくなり、世の中の興味も薄れつつあるように感じます。そんな中、「ツール・ド・三陸」が開催されるということで早速申し込み、足を伸ばして参加してきました。震災後に陸前高田で開催される自転車イベントとしては最も大規模なものでしょうか。
前々日から息子とともに、2台の自転車を積み込んで一路東北を目指します。震災直後はガタガタだった東北道も、すっかり修復されて綺麗になりました。一関から大東町を通り陸前高田に入ると、瓦礫だらけの道路は片付けられて自動車の通行の不自由のないようになっています。
祖母の家族は仮設住宅や親戚の別邸に避難しており、疲れは見えるものの、みんな元気で一安心しました。仮設住宅に押し掛けて泊まるわけにもいきませんから、自分が安心して向かうことが出来るのは大変幸運なことだと思います。多くの方はまだ仮設住宅に居を構えており、未だ今後の見えない暮らしをしている方もとても多いです。ツール・ド・三陸の参加者の方々も、少し離れた場所に宿を取っているとのことでした。
前夜祭を楽しむ 自転車仲間たちが集まってくれた
土曜日には受付と前日祭が開催されました。会場では地元企業の出店があり、海産物のバーベキュー(ホタテが激ウマ!)や和菓子、飲み物など、飲食には不自由しませんでした。過疎化の一途を辿っていた陸前高田ではずいぶんと豪華なラインナップです(笑)。
受付を済ませて散策していると、関東での自転車仲間にばったり。話を聞けば子供向けサイクリング教室のボランティアに来ているということでした。被災地でボランティア活動を行なっている方にはいくら感謝をしても足りないくらいです。
気心知れた仲間たちと走ったりくぜんたかたの道
翌日、日曜日はツール・ド・三陸の開催日になります。天気は晴れ時々曇り、暑すぎず良い天気。
この日は同じく関東から来ている友人と会い、一緒に来られている自転車仲間を紹介していただきました。地元にも関わらず一人ぼっちだったため、イベント中ご一緒させていただくことになりました。道はよく知っているので一種のガイドかも知れません。
8時半、会場から10名ほどのグループにまとまって出発します。各グループにはリーダーがついており、道案内と万が一の際のフォローを行います。
市民体育館の脇を抜け、国道45号線と並走する小川の脇を走ります。幹線道路は再舗装されていますが路地や生活道路は補修が行われておらず、さっそく砂利道が登場。そのまま乗る人、押す人。のんびり走れるのがサイクリングイベントのいいところ。景色を眺めながら会話を楽しみます。
民家の軒先のような細い道を通り、県道38号線バイパス、通称アップルロードに入ります。
平成20年に完成したこの新しい道路は、私にとって景観を壊す異物でしかありませんでした。しかし、災害対策道路として設計されたこの道路は、津波によってアスファルトを剥ぎ取られ、流された家屋、自動車、船舶に土砂を削られながらも、陸前高田主要部と広田半島を結ぶ重要な道路として今も役目を果たし続けています。
アップルロードを広田半島方面に下って左に折れると、JR大船渡線小友駅があります。かつては民宿があり、タクシーが待機していて、小ぢんまりした駅舎もありました。汽車(電気ではないので地元の人はそう呼びます)は1時間に1本、通勤、通学に利用されていましたが、線路はコンクリート製のプラットフォームを外れたところで途切れていて、少しだけ盛り上がった土が線路の跡を残しています。
小友駅を後にして広田半島へ向かい、小高い丘を越えて坂を下ると砂浜の残る大野海岸へ。参加者の皆さんは綺麗な海を前に思わず脚が止まり記念撮影。
モデルの日向涼子さんがいらっしゃったので半ばむりやり声をかけ、私達も一緒に記念撮影。もっと暑かったら海に飛び込んでること間違いなしでした。どうでもいいことなんですが、男性陣は鼻の下が伸びていませんか?(笑)
昨年来たときに見かけた、打ち上げられた船や建物の上に乗った自動車などはすっかり片付けられていました。片付けられただけで、そこに何かが新しく作られる、ということが無いのが残念です…。
海岸線のアップダウンを走り、黒崎峡温泉のエイドステーションで補給。地元のお菓子やフルーツがうれしい。「工房めぐ海」のお焼きは海藻、ホタテなどが入っていてとても美味しく、ついつい手が出て、2つ3つと食べている人もチラホラ。ちなみにここの温泉、湯船から太平洋を一望できてオススメです。
しばし休憩の後、エイドステーションを後にします。ここから先はリアス式海岸特有のクネクネ道。
岩手県南部はリアス式海岸のため沿岸部は非常に入り組んだ地形をしています。そこかしこで表情を変える道路は、右へ曲がったかと思ったら左へ曲がり、登り切ったら下ってまたすぐ登り、断崖の脇から海岸線を通り森の中へととても豊か。過去にレースに参加された方は本当に楽しかったことでしょう。もしまた開催されるなら私も参加したい!
半島を抜けると、海が近い道路と大量のがれき。小友町は最大で85cmほど地盤が沈降したため、港は海岸に、海岸は海になってしまいました。道路から手を伸ばせば海面に手が届くほどで、波が高いと冠水してしまいます。
ところで、地元の方が私たちのような観光客をどのように思っているか御存知ですか? 可愛らしい横断幕があったのでご紹介します。
大変な環境で暮らしている方から思いがけないタイミングでこのようなメッセージを頂きました。これには参りましたね。私も仲間も込み上げるものが押さえきれませんでした。
瓦礫の残る海岸線から米崎中学校の脇を抜け、来た道と同じ砂利道のある川沿いを走るとゴールはもうすぐ。陸前高田ロードレースのチャンピオンジャージを着る仲間から「ここからスプリントを始めるんだよ」と教えてもらいました。
完璧なまでに破壊された市民体育館や市役所を横目にゆっくり走り、ゴール地点の高田小学校へ向かい、アーチをくぐってフィニッシュ。
競技以外の自転車イベントに出場するのは初めてでしたが、自分の知っている道を仲間と走ることがこれほど楽しいとは予想だにしませんでした。
自然豊かな三陸の海岸線はサイクリストにとって魅力的です。ぜひ皆さんもどうぞ。また来年も参加したい!
ぜひ被災地を訪れて欲しい
陸前高田は過疎が進み、若者や仕事の少ない街です。そうした状況で、自転車イベントで街を訪れる私たちは地元経済に貢献する観光客と捉えられており、歓迎されていると言っていいでしょう。沿道の声援が何よりの証拠です。
物見遊山で訪れる方々も、交通や復興作業の邪魔さえしなければ例外ではありません。
「どんなところか見て欲しい」、「ご飯でも食べていって」、「泊まる場所はあまり無いけど…」というのは素直な声だと思います。
私自身は支えているという気持ちは無い(地元なので)のですが、少しでも人が訪れて、見て、聞いて、理解して、できることなら支えて欲しいと願っています。
イベント終了間際、何名かの仲間が市民体育館の献花台へ手を合わせに行きました。市民体育館は避難所に指定されていましたが、津波によって3階建の建物が飲み込まれ、80名の犠牲者の出た被害の大きな場所です。
献花台を後にしてから、ゴールまでずっと号泣。自転車を通じて知り合った仲間が自分の生まれ故郷のことで涙してくれるのは不思議なことでしたが、他人を思う心を持った仲間と知りあえたことは本当に幸せでした。
寄稿:佐藤光国
写真:佐藤光国、ツール・ド・三陸大会事務局
ツール・ド・三陸の写真(佐藤さん撮影)フォトギャラリー
3 11以降の写真(佐藤さん撮影)フォトギャラリー
変わり果てた生まれ故郷、陸前高田のイベントへ
去る9月9日に開催された「ツール・ド・三陸サイクリングチャレンジ2012」に参加しました。陸前高田市とグッド・チャリズム宣言プロジェクトが共催するこのイベントは、環境に優しく健康によい自転車を利用した地域振興、復興を目的としたサイクリングイベント。全国から400人のサイクリストが集まりました。そして一般参加の他に、安全な走行管理を行うコース上のスタッフや伴走者ら約 200 名のボランティアによって大会全体の進行が支えられました。
実は、私自身が自転車レース以外に参加することは非常に稀なのですが、生まれ故郷である陸前高田でイベントが開催されると聞いて思わず申し込んでしまいました。
陸前高田は過去(1986年から2005年)に「南三陸サイクルロードりくぜんたかた」を開催した実績があり、自転車ロードレースとはゆかりが深く、また、私にとっては生まれ故郷であるとともに、幼少の頃の夏休みを過ごした思い出の土地。自転車に興味のなかった頃は気にもしませんでしたが、家の石垣にクラッシュパッド代わりの畳を立てかけ、敷地の角から声援を送りながら稲穂を背に駆け抜けていく自転車を見た記憶があります。
過去にレースに参加された方は、のんびりとした風情の残る駅前商店街や、海岸線を覆う松原を覚えているのではないでしょうか?
ご存知の通り、昨年、東日本大震災により陸前高田市は壊滅的な打撃を受けました。テレビやラジオ、誌面でも数多く報道され、惨状を目の当たりにされたことと思います。地震の後に街を襲った津波は、松林を背にした広い砂浜はもちろん、駅や線路、商店街、スーパー、市役所、病院、体育館など、何もかも飲み込んでしまいました。防潮堤は破壊され、干拓は海になり、田んぼは野原になり、私の祖母の家は基礎だけになりました。
穏やかで豊かな海ですが、一度牙を剥けば人々の暮らしを完膚なきまでに破壊してしまいます。
震災から1年経って、街の復興はこれからどうなっているのか? 人々はどうやって暮らしているのか?
報道も少なくなり、世の中の興味も薄れつつあるように感じます。そんな中、「ツール・ド・三陸」が開催されるということで早速申し込み、足を伸ばして参加してきました。震災後に陸前高田で開催される自転車イベントとしては最も大規模なものでしょうか。
前々日から息子とともに、2台の自転車を積み込んで一路東北を目指します。震災直後はガタガタだった東北道も、すっかり修復されて綺麗になりました。一関から大東町を通り陸前高田に入ると、瓦礫だらけの道路は片付けられて自動車の通行の不自由のないようになっています。
祖母の家族は仮設住宅や親戚の別邸に避難しており、疲れは見えるものの、みんな元気で一安心しました。仮設住宅に押し掛けて泊まるわけにもいきませんから、自分が安心して向かうことが出来るのは大変幸運なことだと思います。多くの方はまだ仮設住宅に居を構えており、未だ今後の見えない暮らしをしている方もとても多いです。ツール・ド・三陸の参加者の方々も、少し離れた場所に宿を取っているとのことでした。
前夜祭を楽しむ 自転車仲間たちが集まってくれた
土曜日には受付と前日祭が開催されました。会場では地元企業の出店があり、海産物のバーベキュー(ホタテが激ウマ!)や和菓子、飲み物など、飲食には不自由しませんでした。過疎化の一途を辿っていた陸前高田ではずいぶんと豪華なラインナップです(笑)。
受付を済ませて散策していると、関東での自転車仲間にばったり。話を聞けば子供向けサイクリング教室のボランティアに来ているということでした。被災地でボランティア活動を行なっている方にはいくら感謝をしても足りないくらいです。
気心知れた仲間たちと走ったりくぜんたかたの道
翌日、日曜日はツール・ド・三陸の開催日になります。天気は晴れ時々曇り、暑すぎず良い天気。
この日は同じく関東から来ている友人と会い、一緒に来られている自転車仲間を紹介していただきました。地元にも関わらず一人ぼっちだったため、イベント中ご一緒させていただくことになりました。道はよく知っているので一種のガイドかも知れません。
8時半、会場から10名ほどのグループにまとまって出発します。各グループにはリーダーがついており、道案内と万が一の際のフォローを行います。
市民体育館の脇を抜け、国道45号線と並走する小川の脇を走ります。幹線道路は再舗装されていますが路地や生活道路は補修が行われておらず、さっそく砂利道が登場。そのまま乗る人、押す人。のんびり走れるのがサイクリングイベントのいいところ。景色を眺めながら会話を楽しみます。
民家の軒先のような細い道を通り、県道38号線バイパス、通称アップルロードに入ります。
平成20年に完成したこの新しい道路は、私にとって景観を壊す異物でしかありませんでした。しかし、災害対策道路として設計されたこの道路は、津波によってアスファルトを剥ぎ取られ、流された家屋、自動車、船舶に土砂を削られながらも、陸前高田主要部と広田半島を結ぶ重要な道路として今も役目を果たし続けています。
アップルロードを広田半島方面に下って左に折れると、JR大船渡線小友駅があります。かつては民宿があり、タクシーが待機していて、小ぢんまりした駅舎もありました。汽車(電気ではないので地元の人はそう呼びます)は1時間に1本、通勤、通学に利用されていましたが、線路はコンクリート製のプラットフォームを外れたところで途切れていて、少しだけ盛り上がった土が線路の跡を残しています。
小友駅を後にして広田半島へ向かい、小高い丘を越えて坂を下ると砂浜の残る大野海岸へ。参加者の皆さんは綺麗な海を前に思わず脚が止まり記念撮影。
モデルの日向涼子さんがいらっしゃったので半ばむりやり声をかけ、私達も一緒に記念撮影。もっと暑かったら海に飛び込んでること間違いなしでした。どうでもいいことなんですが、男性陣は鼻の下が伸びていませんか?(笑)
昨年来たときに見かけた、打ち上げられた船や建物の上に乗った自動車などはすっかり片付けられていました。片付けられただけで、そこに何かが新しく作られる、ということが無いのが残念です…。
海岸線のアップダウンを走り、黒崎峡温泉のエイドステーションで補給。地元のお菓子やフルーツがうれしい。「工房めぐ海」のお焼きは海藻、ホタテなどが入っていてとても美味しく、ついつい手が出て、2つ3つと食べている人もチラホラ。ちなみにここの温泉、湯船から太平洋を一望できてオススメです。
しばし休憩の後、エイドステーションを後にします。ここから先はリアス式海岸特有のクネクネ道。
岩手県南部はリアス式海岸のため沿岸部は非常に入り組んだ地形をしています。そこかしこで表情を変える道路は、右へ曲がったかと思ったら左へ曲がり、登り切ったら下ってまたすぐ登り、断崖の脇から海岸線を通り森の中へととても豊か。過去にレースに参加された方は本当に楽しかったことでしょう。もしまた開催されるなら私も参加したい!
半島を抜けると、海が近い道路と大量のがれき。小友町は最大で85cmほど地盤が沈降したため、港は海岸に、海岸は海になってしまいました。道路から手を伸ばせば海面に手が届くほどで、波が高いと冠水してしまいます。
ところで、地元の方が私たちのような観光客をどのように思っているか御存知ですか? 可愛らしい横断幕があったのでご紹介します。
大変な環境で暮らしている方から思いがけないタイミングでこのようなメッセージを頂きました。これには参りましたね。私も仲間も込み上げるものが押さえきれませんでした。
瓦礫の残る海岸線から米崎中学校の脇を抜け、来た道と同じ砂利道のある川沿いを走るとゴールはもうすぐ。陸前高田ロードレースのチャンピオンジャージを着る仲間から「ここからスプリントを始めるんだよ」と教えてもらいました。
完璧なまでに破壊された市民体育館や市役所を横目にゆっくり走り、ゴール地点の高田小学校へ向かい、アーチをくぐってフィニッシュ。
競技以外の自転車イベントに出場するのは初めてでしたが、自分の知っている道を仲間と走ることがこれほど楽しいとは予想だにしませんでした。
自然豊かな三陸の海岸線はサイクリストにとって魅力的です。ぜひ皆さんもどうぞ。また来年も参加したい!
ぜひ被災地を訪れて欲しい
陸前高田は過疎が進み、若者や仕事の少ない街です。そうした状況で、自転車イベントで街を訪れる私たちは地元経済に貢献する観光客と捉えられており、歓迎されていると言っていいでしょう。沿道の声援が何よりの証拠です。
物見遊山で訪れる方々も、交通や復興作業の邪魔さえしなければ例外ではありません。
「どんなところか見て欲しい」、「ご飯でも食べていって」、「泊まる場所はあまり無いけど…」というのは素直な声だと思います。
私自身は支えているという気持ちは無い(地元なので)のですが、少しでも人が訪れて、見て、聞いて、理解して、できることなら支えて欲しいと願っています。
イベント終了間際、何名かの仲間が市民体育館の献花台へ手を合わせに行きました。市民体育館は避難所に指定されていましたが、津波によって3階建の建物が飲み込まれ、80名の犠牲者の出た被害の大きな場所です。
献花台を後にしてから、ゴールまでずっと号泣。自転車を通じて知り合った仲間が自分の生まれ故郷のことで涙してくれるのは不思議なことでしたが、他人を思う心を持った仲間と知りあえたことは本当に幸せでした。
寄稿:佐藤光国
写真:佐藤光国、ツール・ド・三陸大会事務局
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